25話 離れていくものに
モチ太がいて、ソララがいて、有原がいて、夏希がいる。
四人はなにかをしていた。食べているのか、遊んでいるのか、話しているのか。わからないけれど、楽しそうだ。
そこへ行かなくちゃと思って、足を動かす。必死に足を動かす。なのに全身が泥に絡まったように重たくて、足の裏が掴む地面は溶けたように柔らかくて、前に進めない。
手を伸ばす。声を上げようとする。
泡が見えた。
ゴポッと視界の端から湧き上がってきたそれが、一気に膨張して増幅して全てを覆い尽くす。なにも見えなくなる。
そして真っ暗。
いつもの孤独。
「――っ」
天井に突き挙げた自分の右手を見て、今の景色が夢だと気がつく。網戸の向こうから差す光で、ほのかに明るい部屋。聞こえてくるのは、夏希のあどけない寝息だけ。
またいつもの夢だ。
人の顔が鮮明になったぶん、余計に気分が悪い。
スマホの明かりで足下を照らして、トイレに行く。それで完全に脳が冴えてしまった。時刻は深夜一時半。まだ朝はほど遠い。
スマホを見たら、モチ太からメッセージが来ていた。ちらっと確認して、外に出る。
どうせ起きているだろうと思って電話。コール三回目で出た。
「ん……結斗氏か」
「たまたま起きたタイミングで、変なもん見せんなよ。寝れなくなるだろ」
「すまない」
電話口のモチ太は沈んだ口調で、ぼそぼそと続ける。
「もう遅いだろうから、僕はこれで……」
「待てよ」
「……」
「なんでフったんだ」
「結斗氏には関係ないだろう。僕にだって、踏み込まれたくないことはあるのさ」
声だけでわかるくらい、モチ太のメンタルはボロボロだった。これ以上話していても仕方がない。また時間を置いて話そう。
「わかったよ。じゃあ、また今度な」
「……僕は、君が羨ましい」
通話が終わった。暗くなった画面が、無慈悲にそれを伝える。
大きなため息を吐いて、その場に座り込んだ。
「ちっ」
舌打ちの音は反響しない。虚しくて、もう一度だけ鳴らしてみた。
次にモチ太と会うのはいつになるだろう。向こうから誘ってくることはない気がする。学校が始まったら、また元通りになるだろうか。
ソララはどうだろう。元々、俺とソララの繋がりは大したものじゃない。同じ場所にいて、適度に話が合う。それだけだ。学年も違うし、わざわざ会う理由なんてない。
知っている感覚だ。
大切なものが一つずつ零れていって、手の届かないところに行ってしまう。
スマホが光った。有原から、メッセージの通知だ。こんな時間まで起きていたのか。
『ソララ、どうだったと思う?』
既読をつけてしまった。でも、どうやって返信していいかわからない。結果はソララから伝えるべきではないだろうか。俺は黙っているべきではないか。
なにも打ち込めないまま、五分が過ぎた。
画面が変わる。スマホが震えて、音が鳴った。電話がかかってきている。躊躇いながら、通話に出る。
「もしもし」
「ダメだったんだ」
有原の理解は早かった。そっか、と独り言のように呟く。
気まずい沈黙が流れた。お互いになにも言わなくて、息づかいだけが聞こえる。
「俺たち、もう集まらなくなるのかな」
「そうだと思う」
わかっていた。わかっていたけれど、嘘でもいいからなんとかなると言ってほしかった。こんなことになるなら、今日はなにもしなければよかった。肝試しなんて中止にして、ソララの告白を邪魔して、全部うやむやにしてしまえば――
「俺、最低だ」
「どうして」
「ソララが我慢してればよかったのにって思った」
あいつはなにも悪くない。モチ太も悪くない。誰も悪くない。
ただ、誰もが幸せになりたかっただけだ。
「物部はどうしたいの?」
「俺は……わかんないよ。俺はただ、なにもなくしたくないだけなんだ」
強欲なのはわかってる。傲慢な願いだとも思う。馬鹿らしいと笑われたって、それは仕方のないことだ。
だけど有原は笑わなかった。
「できるよ。物部ならできるって、私は信じてる」
嘘はつかない。社交辞令も言わない。彼女の言葉は、いつだって誠実だ。
その有原が、信じていると言ってくれた。こんなに心強いことがあるだろうか。
目を閉じて、細く長く息を吐く。ゆっくりと吸い込む。
「二人と話してみる」
「私もいた方がいい?」
「……いや、一人で。そっちのが、ちゃんと話せる気がする」
「わかった。終わったらすぐ連絡して」
通話が終わる。今度の静寂は、孤独ではなかった。




