23話 肝試し(JS編)
うたかた様が実在するのなら、幽霊もまた存在するのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、集合場所にやってきた。うたかた様に繋がる山の入り口とは別に、この村には神社がある。参道が長く、一本道で迷いづらい。道が整備されているので歩きやすく、暗すぎないという理由で、肝試しと言えばここらしい。賽銭箱にお金を入れて戻ってくるのがルールだ。
「きっもだっめしー、きっもだっめしー」
夏希は朝からずっとこの調子だ。そわそわして時計を何度も確認していたし、万全の体調で臨むためにお昼寝もしていた。怖い物があまり好きじゃない俺は、朝から『除霊 無料』みたいな内容をずっと検索していた。無料の除霊はなかった。
到着したのは、俺と夏希が一番乗り。だが、他の面々もすぐに集まってきた。
「やあやあ結斗氏に夏希氏。お早いね」
モチモチと全身を揺らしながら九十キロ越えの巨漢が登場する。携帯会社のうちわで顔を扇いで、首にはタオルをかけている。風のある夜だから、それほど暑くは感じないが、モチ太にとっては過酷らしい。
「モッチー元気?」
「もちろんさ。僕といえば元気。元気といえば僕だからね」
「元気で夏希とソララに勝てるわけないだろ」
代名詞はその二人のどっちかだ。モチ太は餅の擬人化、それでいいだろう。
「わっはっは。結斗氏の言う通り、夏希氏の元気には及ばない」
太鼓腹をぽんと叩いて陽気に笑う。親戚のおじさんにいたら、めちゃくちゃ好かれるタイプだよな。女子ウケはともかく、子供ウケは最強クラスだ。
「あ、もうけっこう揃ってる」
有原の声がして、モチ太と夏希が素早く反応する。
「やあやあ冬花氏――」
「お姉ちゃんだ――」
だが、二人揃ってぴたりと停止した。なにかあったのだろうか。遅れて俺も振り返って、前の二人と同じように固まってしまった。
「……有原、それ、どうした」
ない。長く綺麗な黒髪が半分、いや、もっと短く肩ほどの場所までしかなくなっている。
有原は指先で髪をくるりと巻き付けると、照れくさそうに小さく呟く。
「ん、切った」
あれはボブカットと言うのだろうか。雰囲気が全然違って、明るく見える。だけどこういうとき、どうやってそれを言葉にすればいいんだろう。
俺が迷っている間に、モチ太が先に口を開いた。
「うむむ。やはり僕の目に狂いはなかった。冬花氏はロングもショートも、どちらもいけると前々から思っていたのさ」
「お姉ちゃん、すっごく綺麗!」
俺もなにか言おうとして、だけどそれは言われてしまった気がしたから、口を閉じた。
「ありがと」
有原がお礼を言った。俺はタイミングを逃したのだ。
直後にソララがやってきて、「冬花さん、似合ってるっすね! 前の髪型よりより好きっす!」と言っているのも、ただ聞いていることしかできなかった。
――言わなくちゃいけないことを、ちゃんと言う。
俺にはそれができると、有原は言ってくれた。でも、今の俺にはできる気がしない。
そもそもどうして俺は、言わなくちゃいけないと思っているのだろう。伝えなくちゃいけないと感じるその理由すら、見つけられないでいる。
◇
クジ引きによって、組み合わせは無事に決めた通りになった。
夏希は特別枠として、女子はソララと有原しかいないし、男子は俺とモチ太だけ。真面目にやったって組み合わせは二通り。これで不正を疑ってくることはあるまい。というわけで、割り箸に傷をつけてマーキングという、大胆なものをやらせてもらった。暗闇だから見えないし、傷のある方を俺が引けば怪しまれる理由がない。
「JKとJSの二刀流は、いくらなんでも強欲がすぎるのさ」
「今回はしゃーないだろ」
俺の方を掴んできたモチ太は、殺戮大仏の片鱗をちらつかせる。こいつの殺気、たまにしか出てこないくせに凶悪すぎる。俺じゃなかったら泣いてるぞ。
「結斗さん、二兎追うものは一兎をも得ず。っすよ!」
「えっ、嫌味⁉」
びっくりするくらい今の俺に刺さる皮肉じゃん。ソララはアホだから誤用だと思うけど、普通にめっちゃ効く。得ようとはしてないけどね。縁起が悪いだろ。
「あれ。あたしなんか間違ったっすか」
「どんな意味だと思って言った?」
「二匹のウサギを追いかければ、一匹はゲットできる! 的なもんだと思ってたっす」
「二つのものを追いかけたら、集中できなくて結局なにも手に入らない。って意味だよ。あとウサギは一匹二匹じゃなくて、一羽二羽」
「勉強になったっす」
国語力に大いなる不安を感じるソララ。告白のときに盛大にやらかさないか心配だ。とんでもないこと言い出しそう。十中八九なにかしらのミスはするだろうな。
それも含めて、モチ太が受け止めてくれればいいけど。それは当人たちの問題だ。俺にできることは、今日この場を設けるまで。たとえソララがフラれたとしても、それはモチ太の決断だ。友達として、両者の想いを尊重しよう。
「最初は俺と夏希だな。いこうか」
「レッツゴー!」
差しだした左手を掴んで、夏希は勢いよくスタートする。
全部で三組しかないから、前のペアが戻るまで次のペアはスタートしない。往復にかかる時間は長く見積もって十五分。夏希のペースが速いので、十分で戻れそうだ。
俺としては、こんな不気味な場所にいる時間は一秒でも短い方がいい。道が舗装されているとはいえ、街灯のない場所は落ち着かない。鈴虫の声も、月の光も、いつもとはまるで別物に感じる。
「足下に気をつけるんだよ」
「うん。平気だよ」
階段を軽快に登っていく夏希は、どこかで滑ってしまいそうで危なっかしい。一段後ろに立って、もしものときは受け止められるよう準備しておく。右手に持ったスマホで照らすのは、前を歩く少女の足下。
「夏希は肝試しが好きなの?」
「好き。夏になるとね、皆で集まってやるんだよ」
「そうなんだ。いいね。……あれ」
なにげない調子で夏希が言った。けれどそれは、俺が初めて聞いた『俺と出会う前の夏希』の話だった。心臓がひりついて、音を出そうとした舌を噛む。慎重にいけ。言い聞かせて、次の問いを発する。
「どんなところでしたの?」
「んー……忘れちゃった」
忘れちゃった。その響きが酷く恐ろしいのは、気にしすぎだろうか。
「誰と行ったかは覚えてる?」
「……ごめんなさい。ナツね、よく忘れちゃうの」
「いいんだよ。気にしないで。変なこと聞いてごめんね」
誰と行ったかを覚えていない?
こんなに人懐っこくて、出会った人全てを好きになるような夏希が。一緒に楽しいことをした相手を完全に忘れるなんて――そんなことがあるだろうか。
うたかた様の、せいなのだろうか。
それともただ単純に、夏希が忘れっぽくて。会っていない人のことを忘れてしまうというのなら……。俺もいつか、忘れられてしまうのだろうか。
どんなに強く願っても、大切なものが零れていく。
目蓋の裏に焼き付いた母の後ろ姿。頭を抱えた父の慟哭。眺めていることしかできなかった、間抜けの自分。
「ユイくん」
声を掛けられて、足が止まっていることに気がついた。
「なんでもないよ。行こうか」
くだらない残像を振り払って、今度は俺が一歩だけ前に出る。
昔とは違う。今の俺は、ちょっとくらいは成長した。だから、この手の先にあるものだけは。
「大丈夫?」
「止まってごめんね。でも大丈夫」
「ユイくん、怖い顔してる」
「っ、ええっと……これはね、俺実は怖いのが苦手なんだ」
反射的に手で顔に触れる。意識してようやく、強張っていることに気がついた。
暗がりに目が慣れて、お互いの表情は思ったよりよく見える。夏希は俺の顔を見ていた。
「ユイくん、怖がりなの?」
「俺は怖がりだよ」
繋いだ手を、柔らかく握り直す。押しつぶしてしまわないように気をつけて。離してしまわないよう、丁寧に。
「でも大丈夫。夏希のことはちゃんと守るから。お化けなんてへっちゃらだ」
いつものように笑顔を作って、少女の手を軽く引く。
鳥居をくぐって、お賽銭を投げて、鈴は鳴らさずに参拝する。
帰り道はいつも通り、元気を取り戻した夏希が前を歩いた。ずっと彼女がそうしていてくれるなら、真実なんてどうでもいい。過去について、無闇に尋ねるのはやめよう。




