22話 女子会
ソララの家は、モチ太の家からほど近い場所にある綺麗な二階建ての一軒家。広い庭には元気な柴犬がいて、バスケットボールのゴールも置いてあった。
「どうぞどうぞ」
「おじゃましまーす」
「お邪魔します」
一階の電気は点いていなくて、音もしない。家族は出かけているようだ。
知らない家の匂い。それもいちおう、女子の家。緊張というよりも、居心地の悪さを感じてしまう。親御さんとばったり遭遇した場合、俺はどうやって自己紹介すればいいんだろうか。「女子会に呼ばれたので女子です。お気になさらず」って言って押し切ろうかな。
そんな事態にならないことを祈りながら、階段を上がる。ソララの部屋は二階にあるらしい。
「さあどうぞ。ここがあたしの部屋っす」
招かれるまま、中に入っていく。爽やかな香りが嗅覚を刺激し、その瞬間に不安はまとめて吹き飛んだ。
女子の部屋には似つかわしくないが、懐かしい思い出を記憶する香り。
「コールドスプレーの匂いだ……」
「夏はやっぱりこれっすよね」
「ちょっとした風物詩ではあるよな」
一瞬でわかり合う俺とソララ。夏希は見たことがないようで、目をぱちぱちさせている。
「コールドスプレー……?」
「ふっふっふー。こいつはすっごく冷たい空気が出るっすよ。怪我したときにかけると、酷くなりにくいという神アイテムっす」
ソララが空中に向かって噴射する。白いガスがシューっと音を立てて広がり、部屋が一瞬ひんやりする。
「わぁっ。涼しい!」
「他にもいろいろあるっすよー。あ、結斗さんはそこに座っててください」
ソララの気遣いに感謝して、座布団に座らせてもらう。フローリングの上にカーペットが敷いてあるから、足が痛くならない。
ソララの部屋は、ザ・体育女子。部屋には中学時代の野球のユニフォームや陸上の賞状、コールドスプレーをはじめとするケア用品が並んでいた。ここまで健全な部屋を作ることができる人類がいるとは思わなかった。
モチ太の部屋とは対照的だ。あいつの部屋は漫画、ゲーム、フィギュアが至るところにあった。あそこまで不健全な部屋もなかなか作れない。
五分もしないくらいで、チャイムが鳴った。
「あ、冬花さんっすね。連れてくるっす」
軽やかに階段を降りて、戻ってきたときは足音が二つ。
「どうして女子会に物部がいるの?」
「おいソララぁ、女子会じゃないって言ったよな」
「大丈夫っす! いろいろ考えたっすけど、結斗さんはギリ女子で通せるっす!」
「通ってたまるか!」
やっぱり女子会なんだこれ。俺って女子枠なんだ。別に男として見られたいわけじゃないけどさ、でもなんだろう。やっぱり自信なくすし。もう帰ってもいいかな。久しぶりに天井の染みを眺めたくなってきた。染みの大三角形を探して天体観測するんだ俺。
体育座りで縮こまる俺の前に、夏希が立つ。両手を広げて、ソララから守るように。
「ユイくんは格好いいの! 王子さまは男の子なの!」
「師匠。世の中には格好いい女子もいるっす。女の子だって、王子さまになれる時代っす!」
「はいはい。落ち着きなさい」
間に入って場を鎮めたのは、有原だった。ソララの顔の前で手をひらひらさせて、横に座る。やけに落ち着いた目だ。いつも静かな有原だが、今日の静けさはなにかが違う。野生の勘が働いたのか、ソララの背筋が伸びる。
有原はざっと部屋を見渡して、悟ったように呟いた。
「モチ太はいないのね」
「で、でで、では! 第一回、女子会を開催するっすよ!」
……ああ、やっぱり。
俺と有原は目を合わせ、小さく頷き合った。
夏希だけが、「どうしてモッチーいないの?」と不思議そうにしている。
顔を青くして、妙な汗を流したソララ。ものすごい勢いでコップに麦茶を注ぐと、俺たちの前に置く。
「モチさんは今日忙しいっすから。まずはお茶でも飲んで、ゆっくりしてほしいっす」
「「……」」
もう完全に理解してしまった俺は、黙ってソララの様子を伺うことにした。有原もそう決めたらしい。静かにお茶を飲みながら、横目で褐色少女の出方をうかがっている。
ソララは俯いてもじもじして、頬を赤く染める。それからゆっくりと視線を上げて、正面に座った俺へ上目遣い。
「ゆ、結斗さん。夏になると、こ、恋人がほしくなるっすよね」
「もうちょっと頑張って誤魔化せよ」
時間をかけた割にド直球でびっくりだ。
「な、ななんのことっすか⁉ 別にあたしはまだ、なにも言ってないっすけど」
「俺もソララのことには触れてないぞ」
「ぐきっ!」
「捻挫した?」
「こ、心が捻挫しただけっす」
「ちゃんとストレッチしとけよ」
ツッコむだけ無駄なので、俺も適当に返す。心のストレッチがなにかは知らん。心の捻挫はもっとわからん。
情けない顔で俯くソララの背中を、夏希がそっと撫でている。
「大丈夫?」
「うぅ……。すみません師匠。あたし、弱い女っす」
「ソララちゃんは強い!」
凹んでしまった少女を励ますように、力強く抱きしめる夏希。本当に師弟関係みたいになっちゃってるよ。
困り顔をした有原が、座布団をずらして俺のほうに来る。
「どうするの」
「さあ? 恋愛成就の神様でも呼んだらいいんじゃないか」
「いるならどうぞ。で、どうするの」
「だから俺に聞かれてもなあ。そもそも、ソララがどうしたいかがわからん」
モチ太は呼ばず、俺たちだけ呼んだ。それはまあわかる。自分とモチ太の関係を取り持ってほしいとか、手伝ってほしい、みたいなことをお願いされるんだと思っていたから。だが、今のところそんな流れになる気はしない。
「ゆっくり待ってれば、そのうち向こうも折れるだろ」
「私、待つのが苦手なの」
「えぇ……。じゃあ有原がどうにかしろよ」
「物部には貸しがあるでしょ」
「貸しただけでなにも返ってこなかったけどな」
お泊まりのことを言うなら、暴利もいいところだ。なんの成果も挙げていないのに見返りだけ求めるとか、前世で闇金やってただろ。
有原は顔を近くに寄せて、じっと視線で刺してくる。弱い俺の心は、あっさりと折れてしまった。
「わかった。俺が道化になればいいんだろ」
「頑張って。応援してる」
肩を叩いて、有原はもとの場所へ。
ソララはというと、まだ夏希に慰められていた。頭まで撫でられて、「ソララちゃんはいい子だよ」とか言われてる。プライドはないのかよ。
咳払いをして、皆の注目を集める。
「……そういえば俺もめちゃくちゃ欲しいんだよな恋人」
自分でも呆れるほどの大根役者。棒読みを通り越して機械音声みたいな喋り方だ。アクセントが存在しないし、文法もぎこちない。
だがしかし、ソララという女は乗ってくる。
「そうっすよね! そうっすよね! やっぱり結斗さんは飢えてると思ってたんすよ!」
人がちょっと話を合わせたらこの調子の乗りようだ。飢えてねえし、俺ちっとも飢えてねえし。
「ロリコン・極……」
「有原はなんでドン引きしてるんだよ!」
俺言ったよね、道化になるって。演技するって。しかも飢えてるの方向性はロリ限定かよ!
「結斗さーん、そうならそうと早く言うっすよ。小さなお友達も、あたしたくさん知ってるっすよ!」
「お前な……」
ピキッときた。ここは一回ソララにわからせてやらないといけない。
「モチ」
「すみません本当にすみませんでした。あたしが一番飢えてるダメな人間っす。今まで調子に乗ってすみませんでした」
「そうだよな。俺はロリコンじゃないよな」
「当然っす」
「よろしい」
深く頭を下げて反省の意を示すソララ。たった二文字でこの態度の変わりようだ。困ったらこれからもモチモチしてやる。
「ユイくん、怒ってるの?」
「怒ってないよ。ダメなことをしたから叱っただけ」
「あたしが地球上の全ての悪っす」
「反動でめちゃくちゃ背負うのやめて」
上下の振れ幅がエグくてついていけない。これには夏希もぽかんとしたが、俺が怒ってないことはわかったらしい。怒ってないよ。ピキッときただけ。
俺もソララも落ち着いたし、話を戻そう。
「――で、どうしたら恋人ってできるんだ」
あくまで俺が欲しい、という体は崩さずに進める。自分の優しさに涙が出そうだ。後で夏希に聞かれたらなんて答えよう……。後のことは、後でいいか。こうやって宿題も溜め込まれていくんだな。
ソララは少しだけ考えて、顔を上げた。考えはちゃんとあるらしい。
「きっかけっす。二人の間がぐっと縮まるような、きっかけがあればいけるはずっす」
いけるって言ってる時点で、もうなにも隠せてはいないのだが。わざわざ触れるようなことはしない。
「そうだな。きっかけは確かに大切だ。どんなことがきっかけになると思う?」
「いつもとは違うこと。つまるところ、非日常が大事ってネットでは見たっす」
「方針は間違ってないと俺も思う。関係性を変えるのは難しいって言うし、非日常は追い風になるんじゃないか。よし。残る問題は、どうすれば非日常になるかだな」
ソララは全身に力を込め、目を閉じる。武士が瞑想するように静かで、けれど気迫に満ちた佇まい。
「恋といえば、ドキドキじゃないっすか。ドキドキといえば、それはもう一つしかあり得ないっすよ」
ゆっくりと目蓋が持ち上がる。褐色の肌に、透き通った黒い瞳。
「――肝試しっす」
「確かに、ソララの言う通りね」
「肝試し⁉ ナツもやる!」
なぜか有原と夏希も一斉に食いついた。打ち合わせしてたのかってくらいの勢いだ。
乗り遅れた俺はぽかんとして、思ったことを口にする。
「肝試しでいけるのか?」
「物部。吊り橋効果は実在するの。ソララの理論はなにも間違ってない」
「有原はそっち側なんだ」
「どっち側でもない。私は常に私よ」
「無駄に格好いいな」
でもその格好良さは、肝試しじゃない部分で見せて欲しかった。アイデンティティの見せ所はここじゃなかっただろ。
ソララは感極まった表情で有原の手を握りしめる。
「さすが冬花さんっす。あたしの言いたいこと、全部言われちゃったっす」
「任せなさい。ソララは大事な後輩なんだから」
「一生ついていくっす!」
なんか凄い友情が芽生えちゃってる。この人たちどんだけ肝試しやりたいんだよ。
夏希もウキウキして、発案者のソララに抱きつく。女子三人の団結力をここまで高めるとは、肝試しとはよっぽど魅力的なものらしい。
「メンバーはどうする?」
「今さら新しい人を呼ぶのも変だし、モチ太を入れて五人でいいでしょ。ね、ソララ」
「はいっす!」
肝試しで、二人の距離をグッと縮める。ということは、やり方は絞られてくる。まさか五人で一緒に懐中電灯を持って進みましょう。というわけではあるまい。
「男女のペアを作るんだろ。そうなると、男が一人足りないよな。二人と三人に分けるか?」
「物部が二回行けばいいでしょ」
「肝試し二回やるやついる?」
「残業よ残業」
「サービス残業じゃん」
怖くなかったら二回目はつまらないし、怖かったらとんでもない地獄だ。俺へのメリットがあまりにもない。
「でも二、三に分けたらモチ太が気がついちゃうかもしれないでしょ」
「まあ確かに、そんなところで失敗してもな」
そう考えると、やっぱり一番順当なのは俺が二回出るって案か。歩く距離が増えるのは面倒だが、恋する後輩のためだ。
「わかった。夏希は俺と一緒でいい?」
「うん。ユイくんとなら、どんなお化けもへっちゃらだもんね!」
お化けだろうがなんだろうが、夏希に近づく邪なものは全部俺がぶっ飛ばす。そう決めた瞬間だった。いつか結婚したいとか言う輩が現れたら、絶対にぶっ飛ばす。彼氏もぶっ飛ばす。男友達もギリぶっ飛ばす。親衛隊長としての責務を全うしてやる。
胸に誓ったところで、有原が肩を叩いてくる。
「私も物部とでしょ」
「不満か?」
「別に」
短い言葉を交わして、俺たちは肩をすくめる。似たような動きをしてしまったのが、こそばゆかった。
ソララはというと、もはや自分が隠していることも忘れてしまったらしい。感激した様子で俺の手を取ると、上下にぶんぶん振り回す。
「結斗さん、この恩は一生忘れないっす! たとえ結斗さんの両肩に亡霊がつくことになっても、あたしは味方っす!」
「そこまで体を張る気はないからな!」
絶対二回行ってるせいじゃん。先輩じゃなくて生け贄の仕事だろそれは。
だが、俺の言葉などソララには聞こえちゃいない。拳を強く握りしめ、選手宣誓ぐらいの勢いで誓いを立てる。
「絶対に、このチャンスものにしてみせるっす!」




