18話 誕生会
朝起きてからずっと、夏希は外を見ている。
「雨、降っちゃった……」
昨日確認したときは、晴れの予報だった。だが今では、一日中雨に変わっている。ニュースでもずっと傘のマーク。夏希は朝ご飯にちっとも集中していなくて、ずっと悲しそうにしていた。
なんとかしてやりたい。でも、天気には逆らえない。
延期の日程を決めよう。そう思ってグループにメッセージを送るが、反応がない。返信どころか既読すらつかない。
つくづく運のない日だ。
「ねえ夏希。一緒にテレビ観よう」
「やだ……」
「じゃあさ、折り紙しようよ。ちょっと難しいやつ作ってみたり」
「やだ……」
「お勉強は?」
「やだ……」
「じゃあ、トランプとか」
「やだっ、やだっ、やだっ!」
夏希は大粒の涙を流して、顔を真っ赤にして泣いていた。首を思いっきり横に振って、なにもしたくないと訴えてくる。
「だって、だって今日は、ナツのお誕生日で、皆とピクニックするんだもん! サンドイッチ、食べてもらうんだもん!」
「……そうだね」
頭上に吊されたてるてる坊主。冷蔵庫で眠っているサンドイッチ。着ていくはずだったお気に入りの洋服。笑顔の夏希に渡すはずだった、プレゼント。この部屋にあるもの全部、無駄になってしまった気がする。湿気てしまった花火みたいに、形はあるのに使えない。
「ユイくんと一緒に頑張ったのに。ユイくん、頑張って料理してくれたのに……!」
「夏希もたくさん頑張ったもんな」
「うん……」
どうにもならないことは、世の中にたくさんある。これもきっと、夏希にとってはいい経験なのだろう。そうやって割り切るしかない。そうじゃないと、やりきれない。
せめて俺一人でも精一杯祝おう。いつもと同じ家でも。なにもなくとも。
そのとき、チャイムが鳴った。
ピンポーン、ピンポーンと二回。
夏希と顔を見合わせて、首を傾げる。荷物の配達なんて頼んだ覚えがない。玄関に行って、ドアを開ける。
そこに立っていたのは、びしょ濡れの三人だった。
横殴りの雨は傘でも防げなかったらしく、髪からも服からも水が滴っている。そんな状態でも、モチ太、有原、ソララは夏希を見ると笑顔になった。
「「「お誕生日おめでとう」」」
ただそれだけ伝えるために、この雨の中を乗り越えてきたのだ。その想いは、曇っていた夏希の表情に光を取り戻す。
「ありがとう!」
涙を流していたことなんて忘れて、少女は腫れた目を輝かせる。もう大丈夫みたいだ。
「夏希、皆にタオル持ってきて」
「うん!」
洗面所に走っていくと、すぐに乾いたタオルを持って戻ってくる。一人に一枚ずつ渡して、ざっと濡れたところを拭いてもらう。女子は洗面所へ行ってドライヤーを。モチ太は髪が短いので、居間でジャージに着替えて完成。
一息ついたモチ太が、すまなそうに俯いた。
「この雨に足を取られて遅れてしまった。僕もまだまだ、体重が足りない」
「なんで増えたらいけると思ってんだよ。まったく。来てくれてありがとな」
「ふんっ。この程度の雨に負けるほど、夏希氏親衛隊副隊長はヤワじゃないのさ」
「そんな部隊はすぐに解体しろ」
「ちなみに隊長は結斗氏。ソララ氏は偵察で、冬花氏が参謀」
「そんな設定を作り込むなよ」
苦笑する俺に、モチ太は肩をすくめる。
紙コップを出して、五人分並べる。油性ペンを置いて、自分のものに名前を書いてもらう。皿は出さなかった。そんなことをしたら、一瞬でちゃぶ台が埋まってしまう。
「なにか手伝うことはあるかい?」
「ない。っていうか、俺にはわからん」
家でパーティーをした経験なんてないから、これ以上どうすればいいか想像がつかない。
モチ太が太ももを叩いて立ち上がる。
「では、僕らでこの部屋を飾り付けしようか」
「はいはい、あたしもやるっすよ」
「えっ、ナツもやる!」
その声に応じるように、洗面所からやってくるソララと夏希。顔だけ出した有原の髪は、まだ乾かしている途中らしく湿っていた。
「ごめん。もうちょっと時間かかりそう」
「ゆっくりでいいよ」
「ん。わかった」
有原は引っ込んで、またドライヤーの音がする。
「師匠。折り紙持ってきたっすから、輪っか作ってびろーんってしましょう!」
「やる!」
「ド、ドュフフ……僕も混ぜてほしいんだな」
「モチさんはお花担当っすよ」
「ドュ……結斗氏、やろうか」
絶望的に気分が乗らない誘いだ。ドュフフの途中でこっち見るなよ気持ち悪い。
モチ太から花紙を受け取って、作り方を調べながらやってみる。小学生の頃はよく見てたけど、実際に自分で作ってみると不思議な感じだ。それっぽいのに、記憶の中にある形にはならない。いじればいじるほど崩れて、目指すものから遠ざかる。
「なんだこれ……俺の、形おかしくないか。モチ太、どうやってんのそれ」
「慣れによる部分が大きいと思われ、言語化は不可能でござる」
そんなことを言いながら、さくさくと花を完成させていく。さすが老舗もち屋の跡継ぎというべきか、指先が器用だ。技術は見て盗めといわんばかりなのも、そのあたりが関係しているのだろうか。
職人の弟子の気持ちになって、モチ太の技を観察する。速すぎてよくわからん。これ、ぼーっと見てる間に飾り付けが終わりそうだ。
失敗したものは脇に寄せて、とりあえず次にいってみようか。
「貸して」
後ろから伸びてきた手が、俺の持っていた花紙をつまみ上げる。髪を乾かし終わった有原が、俺の横に座って作業に加わる。
「先生」
「だから何回も言うけど、私はプロじゃないから。変な期待しないで」
期待するなと言いながら、有原の手つきは慣れたものだ。重ねた紙を丁寧に折って、真ん中を縛る。それから俺に見せるように、指先で丁寧に一枚ずつ開いていく。
「下側を気にしちゃだめ。上にふわっと開いていくの。やってみて」
「了解」
新しく取った紙を重ねて、見よう見まねで試してみる。さっきよりも少しだけ、ちゃんとした花になった。隣の少女はそれを持ち上げて、頷く。
「うん。いい感じ」
「有原はなんでもできるんだな」
「アホなこと言ってないで、手を動かす」
「了解」
一つ一つ花を作って、風船を膨らませて、折り紙で作った輪っかを繋げる。小さな部屋には色が溢れ、平凡な居間がパーティー会場へ生まれ変わっていく。雨で閉ざされた世界の中で、ここだけ魔法にかかったみたいに光で溢れている。
飾り付けに一段落ついたところで、大きな大きな腹の音が響いた。
「いやはや失敬。僕としたことが、自分の食欲すらも制御できないとは」
「制御できなかったからモチモチなんだろ」
「結斗氏にも一理あり。だがこのボディは、むしろ努力によって維持されているのさ」
嘘をつけ。寝不足と運動不足がもたらしたものだって、前に自分で言ってただろ。
「なんでもいいけど、お腹減ったっすね」
「ソララ氏⁉ 今僕の話をなんでもいいと」
「聞き間違いじゃないっすかー」
にんまり笑って、ソララは冷蔵庫に向かう。
「結斗さん。開けてもいいっすか」
「いいよ。置く場所ないから、ちょっとずつで頼む」
「はいっす。どれにしよっかなー」
悩むソララに、夏希が駆け寄って指さす。冷蔵庫の上の方。青いタッパーには昨日作ったサンドイッチが入っている。
「それね、ナツとユイくんで作ったの」
「師匠がっすか? じゃあ、最初はこれで」
運ばれてきたのはサンドイッチ。卓袱台の上に載せると、モチ太がガッツポーズして天を仰ぐ。感無量。その巨体を震わせて、歓喜の声を上げる。
「うぉおおおおお夏希氏の手作りサンドイッチ!」
「半分は俺が作った」
「それなんてロシアンルーレット? 結斗氏の鬼畜!」
「ルーレット……、回るの?」
「よくわかんないけど、楽しそうっすね。師匠」
変態おじさんの向こうで、夏希は可愛い勘違いをしている。ソララも一緒になって頭をぐるぐるしている。小学生と一緒になっても違和感ないってもはや才能だ。
「ほら、食べよう。皆もう腹減っただろ」
夏希が手を合わせる。そのタイミングで一緒になって、声を揃える。
「「「「「いただきます」」」」」
たまごサンドが人気。腹を鳴らしたモチ太が、大きな口に放り込む。ソララも勢いよく一口。有原は紙皿の上で、そっとついばむように口にする。
夏希は俺と一緒になって、その様子を見ていた。
「うむ。絶品」
モチ太がぽん、と太鼓みたいな腹を叩く。
「師匠は料理も上手っすね」
ソララは言ってすぐにもう一口。
「美味しい」
有原は簡素な言葉で、真っ直ぐに笑いかける。
夏希は胸の前でぎゅっと手を握って、キラキラした目をもっと大きく、ふっくらした頬を柔らかく横に伸ばす。息を吸い込んで、吐き出して。胸に溜め込んだ感情を表す言葉は、なかなか見つからないみたいだ。
「あのね、ナツね。今日は雨が降っちゃったから、皆に会えないって思ったの。ピクニックに行きたかったって、思ったら悲しくて泣いちゃって。ユイくん、ごめんなさい」
首を横に振る。怒ってないし、気にしてない。だけど夏希が謝ってくれたことは、ちゃんと受け止める。
「皆が来てくれて、一緒におうちを綺麗にして、サンドイッチ、美味しいって言ってくれて……。あのね、ナツ、モッチーもお姉ちゃんもソララちゃんも、ユイくんも、大好き!」
百点満点の笑顔を向けられて、こっちが恥ずかしくなってしまう。
夏希は純粋だ。嬉しかったら笑い、悲しかったら泣く。簡単だけど、高校生の俺たちには難しいことをやってみせてくれる。その輝きは眩しくて、目を逸らしてしまうこともある。
でも、今日は逸らさない。熱くなる頬も隠さずに、用意しておいた言葉を伝える。
「お誕生日おめでとう、夏希。生まれてきてくれてありがとう」
横にいたソララが、勢いよく夏希に抱きつく。
「あーもう、師匠可愛すぎっす! 人間国宝、今日を祝日にするっす!」
「僕も賛成なのさ。だがしかしソララ氏、夏休みでは意味がないのでは?」
「それもそっすね」
「ソララちゃん、人間こくほーってなに?」
「なんかスゲー人のことっすよ」
ソララに抱きしめられて嬉しそうな夏希。モチ太もそっちに加わって、謎の会話を進めている。あれは俺についていけるものじゃない。夏希はいける。あの子は天才なので。
壁にもたれかかって、ほっと一息つく。まだ顔が熱い。頭もふわふわする。
「よく言えました」
「なんだよ。からかってんのか」
「からかってない」
肘が触れるか触れないかの場所に座って、有原がくすりと笑う。
「笑ってんじゃん」
「それとこれとは関係ないでしょ」
耳の近くで響く音がくすぐったくて、窓の方を眺める。雨は少しずつ弱くなってきている。皆が帰る頃には上がっているだろうか。
「物部ってさ、けっこうちゃんと言うタイプだよね」
「なにを」
「言わなきゃいけないこと」
「……言わないと、伝わらないからな」
夏希が家を出ていってしまったとき、彼女になにも伝えられていないことに気がついた。いや、あの時は気づいてすらもいなかった。どれほど俺が、あの子の明るさに救われているか。失ったらと思うと、目の前が真っ暗になる気がして恐ろしい。
だからちゃんと伝えようと思った。大切に想っていること、いなくならないでほしいこと、楽しかったこと。全部、ちゃんと。
「物部のそういうところ、私はいいと思う」
有原が立ち上がって、夏希たちの方に交ざる。俺の返事なんて待たず、一方的に言い残して。
くすぐったくて、口元が少し緩んだ。
「なんだよ、それ」