15話 君だけの色
「えっ、ピクニック⁉ いいの⁉」
「うん。夏希の誕生日、皆もお祝いしたいって」
誕生日パーティーのことを話したのは、次の日。ラジオ体操から帰ってきて、夏希と一緒にシャボン玉を飛ばしているときだった。
宙を漂うシャボン玉を見送って、夏希は俺のほうに近づいてくる。
「皆って、モッチー、お姉ちゃん、ソララちゃん?」
「そうだよ」
「なにして遊ぶの?」
「それはナイショ。ちゃんと考えてるから、楽しみにしてて」
「気になるぅ」
「ほら、シャボン玉の続きやろう」
「はーい」
二人で並んで、遠くに向かってシャボン玉を飛ばす。この年になって、またやることになるとは思わなかった。懐かしいけど、どこか新鮮だ。夏希といると、よくそんな気分になる。
液が減ってきたところで、夏希が話しかけてきた。
「あのね、ユイくん。シャボン玉って、どうしたら絵に描けるのかな」
夏希は八月に入ってから、毎日絵日記をつけている。その絵をどうやって描くべきか相談されるが、残念ながら俺はセンスがない。美術の評定は3止まりで、もらうスタンプは〝もっとがんばりましょう”ばかり。
「……透明なものって、難しいよね」
「透明って、色がないってことでしょ。でも、描かなかったらシャボン玉ってわからないの」
この子は天才かもしれない。俺が小学生の頃だったら、シャボン玉なんて鉛筆で丸を描いて終わりだ。たぶん今やってもそうなる。これが棒人間が最高到達点の人間の芸術センス。
「色がない、か……」
水だって透明だ。でも、流れていればわかる。なぜ? 光があるからだ。光を反射するから、目で捉えることができる。
「でもさ夏希。紙の色って白だから、なにか塗らなくちゃいけないんだよね」
「何色を塗ったら、透明になるのかな」
「透明色?」
「とーめいろ?」
「ごめん。今のは忘れて」
我ながらアホらしいことを言ってしまった。カメレオンみたいな色があれば、便利だと思ってしまったのだ。周りに合わせて勝手に色を変える。光学迷彩の技術でなんとかならないだろうか。
……でも、完全に溶け込んでしまったら、それもまたシャボン玉にはならないのだろう。
「あのね、ナツが考えてるのはね。シャボン玉をぐるぐるって描いて、紙を破っちゃうの」
「紙を破っちゃうの?」
描くのではなく、敢えて破る。それはなんと芸術的な解決策だろう。
「うん! シャボン玉って、向こう側が見えるでしょ。紙も破っちゃえば、向こう側が見えるかなって」
「あ、天才。ノーベル賞だ」
「のんでる賞?」
「そんな酔いどれオヤジみたいな賞じゃなくて、凄い人がもらうものだよ」
「へぇー。ナツ、それほしい!」
夏希の笑顔だったら、ついでにノーベル平和賞も取れるかもしれない。親バカが過ぎるか。親じゃないけど。
「じゃあ紙破っちゃうか」
「うーん」
完璧な作戦だと思ったのだが、少女は首を捻って腕組みする。なにかが納得いっていないらしい。
「あのね、シャボン玉のところを破っちゃうとね、その後ろの絵が破れちゃうの」
「新しい紙に描いていいんだよ」
自由帳ぐらいなら、無くなったら買えばいい。それほど高い物ではないのだから。
だが、夏希は首を左右に振った。その真剣さで、俺もやっと理由を思い出す。
「そっか。絵日記に描きたいんだっね」
「うん。だからね、破ったらだめなの」
「それはだめだ。夏希の絵日記は大事だから」
夏の初めに宣言した通り、彼女は毎日絵日記をつけている。
その隅に一言コメントを書くのは、俺の仕事だ。
きらきら輝く夏希の日々に、なんとかして綺麗な言葉を贈りたいけれど。今のところは、『よかったね』が限界だ。語彙力のなさが致命的すぎる。ちなみに国語の成績は5を取ったこともある。学校の勉強は役に立たないね。
「じゃあさ、俺がゆっくりシャボン玉を飛ばすから、夏希はそれをよく見てごらん」
「うん」
ストローを液につけて、優しく吹く。コツみたいなものは、よくわからない。息がゆっくりすぎると大きくなってしまうし、強いと速く飛んでいってしまう。優しく、一定に、息を止めないように。
中くらいの大きさのシャボン玉が、列を為して空に昇っていく。
夏希はそれを追いかけて、間近で見つめて、最後にジャンプしてから戻ってきた。
「どうだった?」
「シャボン玉、色あったよ!」
「どんな色だった?」
そこで夏希は少し考え込んで、また首を傾げる。
「青とか、赤とか、黄色とか、緑もあったのかな……。よくわかんなくなってきちゃった」
「そうだ。写真撮ってみようか。こっちを向いて、シャボン玉吹いてごらん」
今度は夏希の番だ。ストローを右手で持って、反対の手を挙げる。
「いくよー」
スマホのカメラを構えて、夏希とシャボン玉が両方とも入るようにして写真を撮る。いい感じだ。
「うん。撮れたよ」
写真を夏希に見せると、大きな目に力を込めてじぃっと見つめる。画面に顔を近づけすぎていたので、スマホを離す。夏希がついてくる。上に持ち上げると、背伸びして最終的に俺の顔を見上げる形になった。
「近いよ」
「ごめんなさい」
ちゃんと画面からは距離を取るように。将来スマホを持つようになっても、夏希にはストレートネックになってほしくない。
写真を観察して、夏希はなにかに気がついたらしい。
「シャボン玉って、全部色が違うんだね」
「そうだね。俺も今初めて知ったよ」
「そうなの?」
夏希は不思議そうだ。小学生くらいだと、高校生は全知全能に見えるのだろうか。そんなことはないと教えるのも、一緒に暮らす俺の仕事なのだろう。大人にだって知らないこと、できないことはある。それを知っていたら、いつかつまずいたときに少し楽になると思うから。
「色ってね、気をつけてないと見つけづらいものなんだって。たとえば虹の色。夏希は虹って聞いたら、いくつ色があると思う?」
「虹は七色じゃないの?」
「うん。俺たちにとってはね。でも、世界にはもっと少ないって言う人がいるんだよ」
「そうなんだ。不思議だね」
子供の頃から虹が六つの色しかないと言われていたら、俺はどの色が見つけられなくなっただろう。あるいは八つの色があると言われていたら、どんな色を見つけられただろう。
「だからね、よーく見てごらん。きっと夏希にしか見えない色があるから」
モチ太たちと遊ばず、夏希が家にいる日はこんなふうに二人で過ごす。
賑やかではないけれど、この時間もちゃんと残しておきたい。一番近くで、夏希の成長を見られる気がするから。