11話 可愛いの前では無力
たくさん作ったと思っていたカレーは、昨日の夜と今日の朝でなくなってしまった。だから今日は今日で、また料理をしないといけない。
スーパーに行く前に、有原に『疲れてるとき 簡単 料理 美味しい』とメッセージを送った。返信はすぐに来た。
『私は検索エンジンじゃないんだけど……。疲労回復にいいから、生姜焼きでも作ったら?』
不満を言いつつも、ちゃんと教えてくれるあたりいいやつだ。
『助かる』
『これくらい自分で考えろー』
怒ったリスのスタンプが送られてきたので、会話はそこで終わりにした。
夏希と一緒に買い物に行って、材料とインスタントの味噌汁を買った。有原先生によると、忙しいときはこれで代用していいらしい。
レシピに従って生姜焼きを作り、千切りにしたキャベツを下に敷く。お湯を沸かして味噌汁を作って、白米とたくあんを用意したら完成だ。
「完成」
「やったー」
我が家のルール。朝ご飯と晩ご飯は一緒に食べる。
「「いただきます」」
生姜焼きを一口食べて、夏希がキラッと目を輝かせる。
「美味しい!」
「よかった」
「ユイくんも美味しい?」
「うん。美味しいよ」
レシピに従って作った料理は、ちゃんと美味しくなる。俺が手順を守りさえすれば、絶対に失敗しない。弁当生活に比べればずっと健康的だし、これからも続けるべきなのだろう。
だけど夏希がいなかったら、俺は。自分のために料理なんてしないだろう。
昨日のことがあって、余計に強くそう思う。自分が思っていたよりもずっと、夏希は俺が行動する理由になっている。この子がいるから、頑張れる。
「今日は楽しかった?」
「うん。ソララちゃん、すっごく足が速くて格好よかった」
「夏希も練習したら速くなれるよ」
「ほんと?」
「本当だよ。ソララは陸上部っていう、走る練習をたくさんするクラブにいたんだって」
「そうなんだー」
おまけに野球部の助っ人までしていたとなれば、あの体力モンスターが生まれるのも頷ける。夏希もけっこうパワフルだし、そのうちソララみたいになるのかもしれない。「ユイくんはナツの王子さまっす!」みたいな。
……それはちょっと嫌だな。
ソララが嫌いってわけじゃないけど。夏希には夏希のままでいてほしい。影響を受けるのはほどほどに。
ご飯を食べ終わって、二人で皿を片付ける。
「ねえユイくん。ナツね、皆でご飯食べたいの」
「皆って、今日の皆?」
「うん。この前みたいに、おうちに呼んで、ナツとユイくんで作った料理を皆で食べるの」
「パーティーみたいな感じか」
「そう! お友達を呼んでご飯を食べるとね、楽しいんだよ」
この狭い部屋に五人となると、けっこうギリギリだ。でも、無理ってわけじゃない。
「俺と夏希で料理するの?」
「……だめ?」
だめではない。小学生の女の子が、家でパーティーをしたいと言う。それはきっと自然なことだし、夏希の願いは叶えてやりたい。
不安要素があるとすれば、俺の料理だ。
夏希は美味しいと言って食べてくれるが、果たして他のメンバーはどうだろうか。
ここは一度、有識者に意見を仰ぐのが無難だろう。
「いいよ。でも、その前に有原に食べてもらおうかな」
「お姉ちゃんに?」
「うん。五人分作るのって大変でしょ。だから、俺ももっと上手くならなくちゃいけないんだ」
有原は俺相手に忖度しないだろうから、率直な意見を聞ける。料理の経験もあるみたいだし、まだまだ学ぶことは多い。
「そっかぁ。お姉ちゃんは、ユイくんの師匠なんだね」
「まあ……そんな感じかな」
ちょっと不服だけど、間違ってはいない。
さっそく、事情を有原に送ってみることにした。
『俺の料理を採点してくれ』
この時間は暇なのか、また返信が早い。
『急になに?』
『夏希がパーティーをしたいって言ってる。料理は俺と夏希で作りたいらしい。不安』
『私も物部の料理を食べるのは不安』
『わかる』
『わかるな。ちょっとは自信持ちなさいよ』
俺だって料理初心者が主催のパーティーなんて行きたくない。陰キャだからパーティーに行くことなんてないけど。
『その自信をつけるために、有原の感想が聞きたい』
『別にいいけど、私はプロじゃないからね。変に期待しないで』
『了解』
ツンツンした言葉だが、断ったりはしない。
たぶん有原は、俺が自炊するようになったことに責任を感じている。自分が始めさせたから、面倒を見ないといけない。そんなふうに思っているのだろう。彼女が律儀なのは、その言葉でわかる。
歯磨きしている夏希を横目で見ながら、メッセージを続ける。
『いつ来れる?』
『急だけど、明日の夜はどう?』
『俺は大丈夫。どうせ予定ないし』
『わかった。楽しみにしてる』
グッと親指を立てるウサギのスタンプが送られてきた。
やり取りを終わりにして、うがいをした夏希に報告する。
「有原、明日来るって。夜ご飯は三人だ」
「えっ⁉ 夜ご飯一緒に食べるの?」
「そうだよ」
首を縦に振ると、夏希は軽快なステップで台所をくるくる回る。ずいぶんと嬉しそうだ。有原のことがよほど好きなのか、家に誰かを招くのが好きなのか。どちらにせよ、こんなに喜ぶとは思わなかった。
「よかったね、夏希」
「うん! お姉ちゃん、明日お泊まりするんだよねっ!」
「んんっ?」
「だって、夜ご飯の後はおうちに帰れないもんね」
「んんっ?」
「んふふー。楽しみ」
「……」
どうしよう。夏希が凄くアクロバティックな勘違いをしてる。俺の言い方が悪かっただろうか。否。事実しか伝えていないはずだ。これはもう普通に、俺と夏希の常識が違うせいで起きた悲劇。
なんとかして、夜ご飯とお泊まりは同義じゃないことを教えないと。
「あ、あのさ、夏希……。明日なんだけど」
「はいはい! トランプね、ナツは大富豪が好き!」
「……」
やっべえ。俺、この子の笑顔を壊すの無理だ。考えただけで胃がキリキリしてくる。
俺が黙っている間に、夏希は明日買いたいお菓子まで考えている。お泊まり会には必要らしい。
どうしようか。
考えて考えて、出したのは悪魔の結論だった。
夏希は居間で明日の準備をしている。俺はそっと台所に移動して、スマホから電話をかけた。
相手はコール三回で出る。怪訝そうな声。
「……なに?」
「本当にごめん。有原。今回ばかりは俺が全面的に悪い」
「いきなりなに? 気味が悪いんだけど」
ドン引きの有原。俺は深呼吸して、現在の状況を口にする。
「夏希は明日、有原がお泊まりすると思ってる。あの子にとって、夜ご飯を食べるのはお泊まりのときだけらしいんだ」
「お泊まり……? え、物部の家に⁉」
「わかってる。そんなことは絶対にない。あってはならない」
「そうよね。絶対にあり得ないでしょ」
「でも、俺は夏希の夢を壊せない。正直、胃がめちゃくちゃ痛い」
「このロリコン……。重症ね」
今回ばっかりはなにも言い返せない。黙って頷く。
「無責任なのはわかってる。でも、有原の方からやんわり無理だって教えてくれないか?」
「はぁ……。どうせ物部には無理なんでしょ。私がやるから、電話代わって」
「申し訳ない」
「貸しだから」
「はい」
居間に戻って、両手で持ったスマホを夏希に差し出す。
「有原と話して」
「お姉ちゃんと? やった! 明日のお話しなんでしょ」
はしゃいでスマホを受け取ると、夏希は弾んだ声で会話を始める。
「お姉ちゃん、明日楽しみにしてるね。ナツね、お泊まりが大好きなの。なんで好きなのって? だって、大好きなお友達と寝るまで一緒だもん。だからね、お姉ちゃんが来てくれたら、すっごく嬉しいの。うん。うん。えっ? お姉ちゃん、生涯ゲーム持ってるの? 一緒にやってくれる? やった!」
おい待て。
待て待て。
あいつ、普通に押し切られてない?
有原さん? 私に任せてみたいな雰囲気出してたよね。嘘だよね。ここから大逆転してくれるよね。
「うん。ユイくんにも言っとくね。おやすみなさい」
画面が暗くなったスマホを、夏希が渡してくる。
「明日、すっごく楽しみだって!」
なにかの間違いだと思って、ロックを解除。有原とのトーク画面を開く。メッセージが一件だけ来ていた。
『ごめん』
こうして、有原のお泊まりが決定した。