10話 親睦会
予想通り、ソララはあっという間に夏希と仲良くなった。
「師匠~、こっちにでっかい蝉いるっすよ」
「ほんと⁉」
誰も居ない小学校のグラウンドで、二人はさっきから虫取りに夢中だ。ソララが家から取ってきた網とカゴを持って、あっちこっちを駆け回っている。
親睦を深めると言ったから、てっきりまたうちに来るかと思った。だが、そこは元気っ子。ソララにとって、外で駆け回ることが一番のコミュニケーションらしい。高校生はジャージに着替え、適当に遊ぶことになった。
有原と俺は日陰でそれを眺めている。インドア派に、あの勢いは辛い。
「物部は行かなくていいの?」
「俺がでっかい蝉に興味あると思うか? そういう有原こそ、田舎育ちなのに日陰でいいのか?」
「田舎育ちに期待しすぎ」
つんと突き放されてしまう。田舎育ちにもいろいろあるんだな。
ソララが虫取り網を振った。二人でガッツポーズ。どうやら蝉の捕獲に成功したらしい。カゴに入れて、こっちに走ってくる。
「ユイくんユイくん! 蝉取れたよ!」
嬉しそうに見せてくれる。カゴの中の生命体は、立派な羽を細かく震動させながらギギチ……ギチギチ……と呻いている。
正直キモい。やっべえ。なんてコメントすればいいんだこれ。
夏希のキラキラした目が辛い。彼女の夢を壊さないように、なんとかして蝉を褒めなければ。
「そ、そっかぁ……。格好いいね」
「蝉さんは可愛いんだよ」
「可愛いの⁉」
「師匠の言うとおりっす、蝉は可愛いっす!」
「俺がおかしいのか?」
救いを求めて有原を見る。
「格好いいよりは可愛いじゃない?」
まさかの多数決完敗。三対一で蝉は可愛いになってしまった。
可愛いんだあれ。俺からすると、Gさんの親戚にしか見えないけど。
「どの辺が可愛いの?」
「えっとね、蝉さんは『ミーンミーン』って鳴くでしょ。でも、ときどき疲れて『ミミ……ミミミ……』って鳴くの。それが可愛いんだよ」
「それは断末魔では?」
「物部、うるさい」
有原に肘で小突かれてはっとなる。
しまった。今ナチュラルに夏希の夢をぶっ壊すところだった。
「だんまつ……?」
「『断トツで可愛い』って言っただけだよ」
「そうなんだ」
だいぶ無理のある訂正だったが、なんとか誤魔化せたみたいだ。
より入念に誤魔化すために、もう一人いっておこう。
「ソララは蝉のどこが可愛いんだ?」
「ちっちゃい生き物って可愛くないっすか」
「可愛いの範囲が雑だなぁ」
ザ・野生児の返事だ。
もしかして、夏希も虫とかと同じノリで可愛いって言ってる? 俺はまだソララのことをよく知らないけど、ちょっとあり得そうではある。
「逆に結斗さんにとって、可愛いってなんすか」
「俺にとって?」
「男の人の意見も聞いてみたいっす」
虫の可愛さについて、男女に違いがあったりするのだろうか。しないよな。っていうか俺、虫を可愛いと思ったことないし。
だがここは夏希の前。どうにかして意見を絞り出さなければ。
虫の特徴で、なんとか共感を得られそうなこと……。思い出せ、昆虫図鑑に並ぶ多種多様な生き物たちを。そうだ、複眼なら――
「つぶらな瞳、とか」
「……ロリコン」
「有原センサー忘れてた!」
ロリコン判定装置こと、有原さんが真横にいるのを忘れてた。その精度は、魔女裁判とだいたい同じくらい。黒だと思われたら全部黒だ。もうこいつ、俺がなにやってもロリコン扱いしてくるだろ。
指摘するのも面倒くさいので、有原のことは放置しておく。通報されても、まだ俺が勝てるはずだ。
夏希はなるほど、と納得した様子。ソララはというと、指で目の周りを触って、なにやら変顔をしている。
「つぶらな瞳っすか。うーん。たとえば、こんな感じっすか?」
「虫の話をしてるつもりだったんだけど」
「でも、人も虫も同じ生き物っすよね?」
「虫の可愛さを導入しようとしてる!?」
どんだけ可愛いに対して貪欲なんだよ。
確かにウサギメイクとか、小動物みたいな可愛さとは言うけど。昆虫みたいに可愛いってのは聞いたことがない。
「あたし思うんすよ。この世の全ての可愛さを詰め込んだらいいんじゃないかって」
「脳筋すぎる……」
可愛いに対するアプローチが可愛くないんだよな。絶対途中からモンスターになっちゃうって。
奮闘するソララに、涼しい声で有原が問いかける。
「ねえ、どうしてソララはそんなに可愛くなりたいの?」
「でっ――」
ソララは固まった。
どうやら、なにか痛いところを突かれたらしい。
「夏希ちゃんを師匠って呼ぶのは納得できた。でも、そもそもなんで可愛くなりたいの?」
有原は気にせず質問を重ねる。ソララはだらだらと汗を流し、顔を真っ青にしている。
有原ってほんと、夏希以外にはちっとも優しくないよな。
「そうだよ。ソララちゃんすっごく可愛いのに!」
夏希も揃って追い打ちする。こっちに悪意はない。
だがときに、悪意がない方が致命的になる場合もある。
「すみません。それだけは――」
「皆の衆ー!」
「どわわわわっ!」
いきなり後ろから大きな声が聞こえて、ソララは驚いて飛び上がる。
俺たちの視線の先にいるのは、段ボールを抱えたモチ太だ。家から遊びの道具を持ってくると言って、遅れてやってきた。
荷物を持って歩くと、いつもより一歩一歩に迫力がある。
「いやはや、倉庫を探ってみれば驚き桃の木。想像よりもたくさんのアイテムで満ちあふれていたのさ」
そう言って置いた段ボールの中には、ラケットやグローブ、フリスビーやサッカーボールが詰め込まれていた。
「グローブもあるじゃないっすか! 誰か、キャッチボールできる人!」
勢いよく飛びついたのはソララだ。タイミング的に、さっきの話題を逸らそうとしているのか……いや、あの顔はもう忘れてる顔だ。有原も追及する気はなさそうだし、一件落着。なんで俺が安心してるんだろ。
「僕は遠慮しておくのさ」
「私も無理」
「ナツ……やったことない」
順番に首を横に振って、残りの俺へとソララの視線が刺さる。
「結斗さんはできるって信じてるっす! さあ、グローブを持ってプレイボール!」
「マジか」
拒否権とかはないんだろうな、これ。
でもどうせ、キャッチボールから逃げても他の種目が待ってるんだろうし……まあ、別にいいか。
「わかったよ。お手柔らかにな」
グローブを左手に嵌め、右手の拳で叩く。遊び用だから、形はよくない。
「いくっすよー」
「おーう」
力の抜けたフォームで、ソララがボールを投げる。思いのほか伸びる球で、頭のすぐ上あたりでキャッチする。
「結斗さん、経験者っすか?」
「小学生のときにちょっとだけ」
ボールを緩く投げ返す。いきなり力を入れたら、肩を痛めてしまうから。
「なんか意外っす」
「自分でも信じられないよ。ソララは野球やってたの?」
「うちの中学校、どこの部活も人が足りてなくて。所属は陸上部でしたけど、野球部の助っ人してたっす」
「なるほど」
どうりでちゃんとしたボールが返って来るわけだ。
夏希たち三人は、サッカーボールでパス回しをしている。モチ太は早くも動きが怪しくなっていた。体力なさすぎだろ。
「結斗さんって、あんまり外で遊ばないタイプっすよね」
「外っていうか、中でも遊ばないけどね」
「結斗さんはオタクって、モチさんが言ってたっすけど」
「オタクですらないんだよなぁ」
活発じゃないなら、せめて家での趣味ぐらいあればいいのに。それすらないから、自分でもなんだかよくわからない。
「趣味ゼロっすか」
「そう。無趣味」
「持たない生き方って、なんか格好いいっす」
「適当言うなって」
徐々に距離を離してキャッチボールをするから、だんだん声が大きくなる。この感覚も、ずいぶん久しぶりだ。
投げて話して、捕って、投げて話す。ボールと同じリズムで、言葉も行き来する。
「あたしはなんかしてないと落ち着かないっすから、そういうの、大人だなって思うっすけどね」
「なんもしないのが大人なら、皆こんなに苦労してないだろ」
「あー。結斗さん、頭いいっすね」
「そんなことない」
額を伝った汗が、頬を伝って地面に落ちていく。気温は三十度を超えているだろう。そろそろ体力的にキツくなってきた。
キャッチボールって、思ったより疲れるんだよな。そんなことも、ずっと忘れていた。
「ソララ、ラスト十球で」
「はいっす」
なんとか気持ちよく終われるタイミングで、俺は日陰に撤退した。ソララは休憩もせず、今度は夏希たちの方へ。あいつの体力は無限か?
ちょっと休んでいたら、すぐ夏希に呼ばれて復活することになった。
五人でサッカーをして、バドミントンをして、とどめに鬼ごっこ。夕方五時のチャイムが鳴る頃には、モチ太は完全に燃え尽きていた。
「僕は……真っ白に燃え尽きたのさ」
よほど過酷だったようで、モチモチボディはそのままに顔だけやつれている。立つことすらままならず、地面に尻をつけて座っている。
だが、モチ太がそうなるのも無理はない。
「私ももう限界」
「俺もしばらく走りたくないや」
有原と俺も、鉄棒に寄りかかってなんとか立っている状態だ。それほどまでに、今日の訓練は過酷だった。遊び? そんなの嘘だよ。
ソララと夏希はまだ楽しそうに駆け回っている。なんなんだあの体力モンスターたちは。
楽しそうだからもうちょっと遊ばせてやりたいけど。生活リズムも大切だ。遠くに向かって声を掛ける。
「夏希ー。そろそろ帰るよ」
呼びかけると、ソララと一緒に走って戻ってくる。
「ユイくん、もう帰らなきゃだめ?」
「うん。五時には上がらないと、晩ご飯を作る時間もないし」
「そっかぁ」
夏希は残念そうに頷く。よっぽど楽しかったらしい。
「結斗さんが料理してるっすか?」
「始めたのはつい最近だけどな」
「いいっすねー。料理男子って可愛いっす」
「可愛い⁉」
「えぇー、ユイくんは格好いいんだよ」
「……格好いい?」
どっちも自分に使われた経験がない言葉だ。恐ろしくしっくりこない。
「冬花さんはどっちだと思うっすか」
「私?」
だめだよその人、俺のことになるとロリコンしか言わないから。
だが、有原は俺を見て首を傾げていた。真剣に考えているのか、眉をひそめている。
「物部って、よくわからない」
格好よくない。可愛くない。ロリコン。
この三つで予想していたから、その言葉は想定外で。たぶん、有原も不意に出てきた言葉だったのだろう。言った本人がきょとんとしている。
静寂を破ったのは、夏希だった。
「ユイくんのことは、ナツが一番わかってるもんねー」
俺の右腕を掴んで自慢げに鼻を鳴らしている。
「まあ確かに、あたしは結斗さんと知り合ったばっかりっすからね」
腕組みして引き下がるソララ。というわけで、今日の俺は格好いいらしい。
あれ? 格好いいとか可愛いって、そういうシステムで決まるものだっけ。これが民主主義ってやつか。
「僕もその多数決をしてほしいのさ」
「モチさんもっすか? いいっすよ」
流れでモチ太もやることになった。まあ、十中八九、可愛いが勝つだろうな。体が丸い分、愛嬌があるから。
「モッチーはね、モチモチなの」
「モチモチっすねー」
「結斗氏が羨ましいッ!」
膝から崩れ落ちて天を仰ぐモチ太。
まあ、その、あれだ。見た目のインパクトが強いってのも、その人の長所だと思うぞ。
「ぐぅ……。こうなったら僕も、誰もが憧れる逆三角形ボディを手に入れるしか……」
「モチさんは痩せちゃだめっすよ」
砂を握って悔し涙を堪えるモチ太。その肩を、ソララが勢いよく掴んだ。
「ソララ氏?」
「痩せちゃだめっす。絶対だめっす。二度とそんなこと言うのもだめっす」
「ソララ氏……圧が凄いでござる」
あのソララが淡々と言葉を並べるので、聞いてるこっちも圧を感じる。なにやら彼女、モチ太の脂肪に並々ならぬ感情を抱いているらしい。
「ナツもね、モッチーは今のままがいいな」
「夏希氏ぃ……」
純粋な少女の言葉に、モチ太は瞳を潤ませる。
「ちなみに、冬花氏は僕になにかないん?」
「え、ないけど」
「知ってたのさ……」
知ってたなら聞かなきゃいいのに。
ま、俺もわかんないって言われたし。似たようなもんだろ。