9話 もち屋のお雑煮
「ソララさんは」
「後輩なんだから、ソララでいっすよ! あ、結斗さんって呼んでいいっすか?」
「いいよ」
バスの中で、ソララと自己紹介の続きをする。
座り方はいつもとさほど変わらない。俺の横に有原。モチ太は後ろの窓側。二人分の幅があるモチ太を押し込んで、その隣にソララが座っている。
褐色のスポーティな少女は俺とにこやかに話して、なぜか直後に表情を曇らせる。椅子の背に顔を隠すようにして、伺うように有原を見る。
「……で、冬花さんっすか」
「どうしたの?」
「や、なんでもないっすよ。ただ冬花さんは、敵になったら強そうだなと思って」
「……? 敵には容赦しないけど」
「ひっ」
さらっと恐ろしいことを言う有原に、ソララは肩を震わせる。
「敵対しないことを願ってるっす」
「そうね」
不思議そうに返す有原。流れで、俺に尋ねてくる。
「ねえ、私ってそんなに怖い?」
「わからん」
「物部は周りに興味ないもんね」
「うん」
その通りだ。ぶっちゃけ有原のことは、この間までよく知らなかった。俺と同じように、教室の隅で黙ってる人。くらいにしか思っていなかった。今はどう思っているかと聞かれれば、それもまた、よく知らないと答えるしかない。
人と関わるほどに、その人のことをなにも知らないという現実に直面する。
一緒に生活している夏希のことだって、俺はほとんど知らないのだろう。あの子の心を知ることができたら、俺もなにかが変わるだろうか。
「お腹空いたっすねー」
後ろの席でソララが言って、そういえばそんな時間かと思い出す。ホームルームが終わって、バスを待って、もう一時を回っている。
「皆の衆。昼は僕の家で食べていってくれ」
「いいっすか⁉」
「もちろんだとも。ソララ氏が来ると言ったら、家族も喜んでいたのさ」
「うわーっ。モチさんちのお餅大好きなんすよね。あっ……いや、これは別にモチさんとは関係ないので、調子乗っちゃだめっすからね⁉」
「?」
後ろの席がなにやら騒がしいが、あっちのことに介入するのはやめよう。有原はすでに本を取りだして自分の世界に入っている。俺も窓の外を眺めて、ぼーっとすることにした。
降車駅にたどり着くまで、後ろの会話が途絶えることはなかった。
バスから降りると、熱された外の空気が肌を焼く。
「あっちぃー」
青空と太陽が忌々しい。手をかざして睨みつけるが、もちろんそれで弱まるはずがない。
一番ダメージを受けているのはモチ太で、「はあぁぁう」と干涸らびそうな悲鳴を上げている。
「あっちぃー」
「あっちーっすねえ」
有原とソララは早足で日陰に避難する。俺はどうしようかと思って、太陽に惨敗しているモチ太を待つことにした。
「おーい、そんなとこで座ってると体壊すぞ」
「結斗氏! 脂肪が熱い!」
「痩せろ」
学生服が汗でびしょ濡れだ。やっぱり体型って大切なんだな。モチモチじゃ夏は乗り切れない。
「……痩せろと言われて痩せられたら、苦労はしないのさ」
「毎日なに食ってるんだよ」
「餅」
「実家がもち屋だもんな」
その時点でだいぶ詰んでるかもしれない。家が食に関する仕事をしていたら、俺だって食べまくっていた可能性はあるし。おまけにモチ太はインドアだ。アニメのリアタイとかで夜更かしもするって言ってたし。
「いや待て。外で運動して夜更かしをやめれば痩せるだろ」
「それができたら苦労はしないのさ」
「それはできろよ」
生活習慣を正せなんて、俺が言えた口じゃないけどさ。まともなものを食べるようになったのは、ごく最近だ。太りはしないが、慢性的に顔色が悪い。
「結斗氏は僕に呼吸をやめろと?」
「夜更かしと運動不足が呼吸ならもうダメだよ」
「ご無体な」
戯れ言を言っているアホは放っておいて、早く夏希を迎えに行こう。
もち屋に着く頃には、モチ太はちゃんと追いついてきた。
◇
モチ太の家は餅の製造、販売だけでなく甘味処の経営も行っている。餅を扱ったぜんざいはもちろん、白玉やかき氷なども扱っている。食事メニューはお雑煮だけだが、それを目当てに来る客も多いらしい。
「はい。夏希氏は先に食べたみたいだから、四人で食べようか」
平日で昼のラッシュも過ぎ、店内は空いていた。モチ太が厨房からお雑煮を四つ持ってきて、俺たちの前に並べる。
「本当にご馳走になっていいの?」
有原が問うと、モチ太はからっと笑った。
「友人たちに我が家のお雑煮をご馳走するのが、僕の密かな夢だったのさ」
「友人か……」
「友人、ね……」
「友人っすか……」
三者三様に首を傾げる俺たちを見て、モチ太は愉快そうに目を細める。
「僕は君たちを友人と思っている。それだけで十分なのさ」
変なやつだ。でも、確かに俺はモチ太と友達かもしれない。夏希によれば、俺と有原も友達だし、きっとソララも友達だ。こんなにたくさん友達がいるなんて、俺、陽キャかもしれない。
もち屋の雑煮は、さすがに家で食べるものとはレベルが違った。つきたての餅は汁によく絡んで、米の甘さと味噌の香りが口の中で混ざる。
「やっぱり、モチさんちのお雑煮は絶品っす」
ソララはよく来ているのか、慣れた様子でリズムよく食べる。途中で七味を入れて、味に変化をつけるのがいいらしい。オススメされたので試したら、より美味しくなった。
あっという間に食べ終わって、俺たちは手を合わせる。
モチ太は満足げに頷くと、皿を持って下がっていった。手伝おうとしたら、座っているように言われて申し訳ない。だが、俺が手伝っても邪魔になるだけだろう。なんせ料理初心者。皿洗いすら素早くできない。
モチ太が戻ってくるのを待って、外に出た。
エアコンのある室内との温度差は、何度経験しても慣れない。気合いを入れて道に一歩踏み出すと、左から元気な声が聞こえた。
「あ、ユイくんだ!」
「おっ。ここで遊んでたんだ」
縄跳びを持って駆け寄ってくる夏希。誰かにやってもらったのか、今日は髪の毛が二つに分けて結ばれている。ツインテールってやつだ。
夏希は髪型について触れてほしいみたいで、わかりやすく俺の前でぴょんぴょんする。
「じゃーん」
「いいね」
「えへへ」
いつもの下手くそな褒め方に、いつも通りちゃんと喜んでくれる夏希。
いなくならなくてよかったと、昨日のことがあって思う。学校に行くとき、本当は少し心配だった。でも、彼女はここにいる。そんな安堵は悟られないよう、いつも通りに振る舞う。
ひとしきり喜んだ後で、夏希はソララに気がついた。
「お友達?」
「ソララっす! お話はモチさんから聞いてるっす!」
なぜかソララは、俺や有原に対してよりも気合いの入った挨拶をする。手も後ろに組んで、部活動の新入生みたいだ。
「ソララちゃん?」
「っす! よろしくお願いします、師匠!」
「し、しょー?」
夏希が小首を傾げて、不思議そうにソララを見上げる。ソララはというと、冗談で言ったわけではないらしい。背筋をピンと伸ばして、その場から動かない。
「おいモチ太。説明しろ」
「僕もなにがなにやら、わからないのさ」
「お前の後輩じゃないのかよ」
「後輩のことが全てわかるほど、先輩は万能じゃないってことさ」
煙に巻かれたような気がしたが、しかしモチ太の言うことも一理ある。
どうすべきか混乱していると、有原が動いた。ソララの肩を叩くと、一言。
「夏希ちゃんが困ってるでしょ」
「はっ――。失礼したっす。いきなり言われても、わけわかんないっすよね」
ソララは慌てて謝罪すると、自分の頭を何度か叩く。
「今のは忘れてほしいっす。改めて、よろしくっす。師匠」
師匠? やっぱり師匠と言っている。ソララ以外の全員が、同じような表情になる。
袖が引っ張られる。夏希が見上げていた。
「ユイくん、ししょーって、なんだっけ」
「先生みたいなものだよ」
「ナツ、先生じゃないよ?」
「うーん……。まあ、そうだよなぁ」
こればっかりは、本人に聞いてみないとわからないことだ。
「ソララ、どうして夏希が師匠なんだ?」
褐色の少女は引き締まった表情をしている。それがどこか、ろくでもないことを言い出すときのモチ太と似ていた。
「師匠は、〝可愛い”の師匠っす!」
「は?」
「モチさんから聞いたっす。この町で一番可愛いのは、結斗さんと一緒にいる師匠だって。だから、可愛いを学びにきたっす!」
「はぁ」
「一目見て確信したっす。天真爛漫な表情。つぶらな瞳。小さな体に溢れるエネルギー。間違いなくこの人が、あたしの師匠だって……!」
「……あ、そうなんだ」
「わかってもらえたっすか?」
「……うん」
理解できないということが、よく理解できた。こういうとき押し切られるのって、よくない癖かもなぁ。とか思いながら頷いてしまう。
「ユイくん、ナツ、可愛いって言われちゃった。ナツ、可愛い?」
「夏希は可愛いよ」
「きゃー」
夏希はすっかりその気になっちゃってるし、有原はぽかんとしてるし、モチ太は他人事みたいに笑っている。
ソララが拳を突き上げ、高らかに宣言する。
「ではでは、親睦を深めるために、皆で遊ぶっすよ!」