中央線特快が好き!
一月中旬、今崎雄一の通う美大は冬休みとなった。
キャンパスには自主製作の課題をこなす学生だけだ。
いつもの活気はなく、のどかな雰囲気に包まれている。
今崎は授業がある時期の熱気あふれるキャンパスも好きなのだが、こういった休みの期間も気に入っている。
授業から解放され、自主製作にいそしむ学生たちは、どことなく誇らしい風情でキャンパスを闊歩していた。
今崎も自主制作のために暫く大学へ通っていたのだが、2月に入ってからは入試に伴って入構禁止期間となる。
今崎は入試の準備を手伝うことになり、そのアルバイトで大学に来ていた。
入試準備の手伝いといっても、受験生の監視をするわけではない。美大受験には実技があり、実技試験会場の設営をするのが主な仕事だ。結構な労力が必要になる。
椅子を並べるのはもちろん、デッサンなどの実技にはイーゼルにカルトンをたてかけ、そこに紙をはりつける。受験生のために先輩としてやるべきことをやるのは当たり前だ。まあ、アルバイトなので当然なのだが。
とにかく、入試準備の手伝いに明け暮れたのである。
今崎は自分の学科である造形学科の実技準備に取り掛かることになった。
会場設置の指示はどうやら造形学科の教授が仕切るみたいだ。竹鶴博昭教授だ。
竹鶴教授は学生の指導に大変熱心なのはいいのだが、それ以上に陶芸の話をしだしたら止まらなくなる癖がある。
今回も入試の準備を指示しながらアルバイト学生に陶芸のすばらしさをとうとうと述べた。相変わらず話が止まらない。
竹鶴教授が学生に指示をしながら近くにいた今崎に話しかけた。
「ところで君は何年生かね?」
「2年です」
「キミも陶芸には興味があるのかね」
「はい」
竹鶴教授は、うんうんとうなずきながら話を続ける。
この人は本当に話すことが好きだなぁと思いつつ、話を聞いていた。
話の内容は、やはり陶芸のことだった。
釉薬のこと、焼き方のこと、素材についてなどだ。
今崎は陶芸科を専攻しており、自分でも陶器を作っている。
だから、竹鶴教授の話に興味があった。
そうこうしながら入試の準備が整った。
マイクアナウンスに従い、受験生たちが教室に入ってきた。
みんな緊張した面持ちでいる。
教授が教壇の真ん中に立った。受験準備のアルバイトで来ていた今崎と2名の学生もその横にきちんと整列した。
張り詰めた空気のなか、竹鶴教授が席に着いた受験生たちに言った。
「よし、受験生のみなさん。そんなに緊張する必要はありませんよ。皆さんの前にいる先輩たちもみな、この実技試験を受けて当大学に入学しました。それじゃあ景気づけに、先輩たちに激励の言葉を一言ずつ言ってもらいましょう」
無茶振りされたアルバイトの学生たちに一気に緊張が走る。
「さあさあ、それじゃあ、キミから」
教授に一番近いところに立っていた学生が指名された。
「えーっと、あー、頑張ってください」
深々と頭を下げる学生。
「なんだなんだ。受験生より緊張しているじゃないか。じゃあ、つぎ」
その隣にいる学生が指名される。
「はい! がんば、ガンバれぇぇぇ」
「はっはっは。キミの方が頑張りたまえ」
少し落ち込む学生。
次に教授は今崎に目配せした。
今崎は拳を握り、片手で小さくガッツポーズを作る。
「受験生諸君! 緊張する必要などありません。自分の持てる力を思いっきりキャンバスへぶつけるだけです。頑張れ! 受験生!」
会場から一斉に拍手が起こる。受験生たちの緊張がほぐれたようだ。
みんなほっとしたように笑顔が見られる。竹鶴教授もご満悦だ。
当日の受験も無事終了し、今崎は家路へと向かった。受験の跡片付けやら何やらで夜の8時を回っている。受験準備のアルバイトは作業自体はそれほどでもなかったけど、なんだかんだ言って疲れたな。
そう思いながら八王子駅に着いた今崎は中央線特別快速の上りに乗り込んだ。
電車がしばらく走ると、妙な視線を感じた。隣にいたおじさんが今崎のことをチラチラと見ている。今崎はおじさんから顔をそむけるようにして体を反転させたところ、おじさんが突然話しかけてきた。
「キミは中央特快は好きか?」
え? なに? なんのこと?
「キミー。中央特快は素晴らしい!」
「はぁ……」
見知らぬおじさんが突然話しかけてきたのだが、その内容はどうやら電車についてらしい。
さっぱり意味が分からない。
「キミ、中央特快は立川から新宿まで何分かかるか知っているか?」
「いいえ」
「私も知らないが、とにかく中央特快はすごいんだ!」
「……」
どうやら鉄道オタクのおじさんらしい。60歳はとうに過ぎているようだ。白髪が目立ち、短い顎ひげを蓄えている。危ない人というわけではなさそうなので今崎は少しだけ受け応えた。
「キミはゼロ戦は知っているか?」
「はい。知ってますよ」
「中央特快はゼロ戦と同じくらいすごいんだ!」
「……。あー。すごいですね」
いきなりゼロ戦って。
乗り物という部分は共通しているのだが。
「よし、いっしょに『中央特快最高!』と叫ぼう」
「え?」
「中央特快最高ーっ!」
「え? え?」
突然電車の中で何を言いだすんだ?
車内に居合わせた乗客が笑いをこられているのが分かる。
「ほら。元気よく! 中央特快、最高!」
「ちゅ、中央特快、最高ぅ……」
「もっと元気よく! 中央特快最高ーっ! はいっ!」
「ちゅ、中央特快、最高ーっ!!!」
思わず車内から拍手が沸き起こった。
パチパチという音に混ざってクスクスと笑い声が聞こえる。
若い女性が耐えきれなくなって肩が震えている。
何事も一生懸命の今崎だ。訳がわからないままでありつつも、おじさんに合わせて叫んだ。
おじさんはご満悦の様子で今崎に話しかけた。
「キミはとてもいい子だ。気に入った。これからも中央特快をよろしくな!」
電車は国分寺に着いた。今崎は快速へ乗り換えるために特快を降りる。
『よろしく』って何のことだろうか?
降りるときに今崎はおじさんにぺこりと小さくお辞儀をしたのだが、一瞬、周りの乗客が自分を見ているのに気がついて改めて恥ずかしくなってしまった。
中央線特快は、おじさんを乗せてそのまま国分寺駅を出発した。
電車の窓の中、こちらに向かって手を振るおじさんの姿があった。
それから今崎は中央線快速に乗り換えて地元最寄り駅へと着いた。
時計は夜の9時近くをまわっている。自転車に乗り自宅への帰り道、ふと空を見上げた。
冬の夜空に星が瞬いている。
今崎は思い出したようにつぶやいた。
あっ! あのおじさん、誰かに似ているなと思っていたら竹鶴教授と似ているんだ。
教授とおじさんは、対象は異なるものの情熱を注ぐ気持ちは同じなのだ。
周りのことなど目もくれず、ただひたすらに自分が信じる道を邁進する。
今崎は自らの情熱を注ぎ込む二人のおじさんとの出会いに言いようのない熱い想いを感じた。
今崎雄一、大学2年生。
残された学園生活を悔いのない情熱で乗り切ることを冬の星々に誓った。
おわり