3.幸せのかたち
レオンスさんは、冒険者だった婚約者の方を7年前に亡くしたそうだ。
冒険者──そういう職業がこの街にはあるらしい。地球の、見知らぬ国という可能性も考えはしたが、やはりここは地球とも違う『異世界』らしい。だってここには、魔法があるのだ。何もないところから火を出したり、石で不思議な現象を起こしたり。見たこともない植物もあるし、魔物という危険生物を討伐するのが、冒険者の仕事だという。
そのわりには外科的な患者は多くないけれど、食べると怪我をしにくくなるような食事があるらしい。聖女のパン、と言うそうだ。異世界すごい。
それならこの診療所では何をしているかというと、どうやらカウンセリングとか、メンタルケアとか、そういうものに近い。もちろん聖女様が常にいるわけじゃないし、みんなにもれなく行き渡るわけでもないから、普通の怪我も病気も求められれば対処する。そのために必要な薬草を採取するために、レオンスさんは時々森へ行く。おかげで私は助けてもらえたというわけだ。
私はその、命の恩人とも言えるレオンスさんのもとで仕事をさせてもらえることになった。色々な話をする中で、昔病院で働いていたと言うと、手伝って欲しいと声をかけていただけたのだ。
行き場のない私に気を遣ってそう言ってくれたのだろう、と思ったら……実際に働き出すと、本当に手が足りなかったのだと分かった。
ここに来る人たちは、人との繋がりを求めている。魔物に家族を殺され、孤児院に預けられた子供たち。愛する人を失って悲しみに暮れる人。身体に傷を負い、仕事を続けられずに戸惑う人。抱えきれない思いを吐き出す場所を求めて、皆は集まってくる。
彼らにお茶を出したり、時には一緒に話をしたり。薬草の管理や片付け、書類の整理。最近では、レオンスさんと一緒に食べる食事も私が作っている。手早く、栄養バランスの整ったご飯を作るのは慣れているし……数日食べたレオンスさんのご飯は、若干、アレだったし。
「──そう。それで、その複数人での食事会? で、ユウさんと元ご主人は出会ったのですね」
「ええ。今となってみれば……甘い言葉を掛けられて、褒められて、煽てられて。自分の価値が増したように感じたんですよね。そんなの、まやかしっていうか、蜃気楼みたいなものだったのに」
「最初はそれもまた真実だったのでしょう。元ご主人がその得難さに気付かず、いつしか慢心してしまっただけで」
「そう……なのでしょうか。私が自分の気持ちを言葉にしなかったから、我慢すればそれでいいと思ってしまったせいで、ズレが出てきてしまったところもあるのかも」
「ユウさんの犠牲において成り立つ関係性というのは、健全ではなかったでしょう。なんにせよ、暴力行為も、不貞も、絶対に看過出来ない問題ですし」
「私……必要とされるのが、嬉しかったんです。君なら出来る、あなただから頼みたいって言われると……ここにいて良いんだって思えたから」
「……ユウさんが、ユウさんである。ただそれだけで、良いんですよ。誰のためでもなく、貴女のために」
「私は……私のために?」
「ええ。貴女がやりたければやる。貴女が愛したいから、愛する。全ては貴女の意志です。それは誰にも強制されることではないのですから。貴女がやりたくなければ断る。憎い人は憎む。良いじゃないですか、完璧でなくても。気付いた時から人はやり直せます。自由に生きて良い。もっとわがままになったって良いんですよ」
夕食後に、心が落ち着く作用のあるお茶を飲みながら、レオンスさんと話す。これは、最近の定番となった過ごし方だ。
初めは、病院でやっていた仕事の話や、好きな食べ物の話をしたり。地球の技術や、思い出せる科学、医療の話。それから徐々に、元夫との出会いやその後のすれ違い、義母の介護の話も。
辛ければ無理に思い出すことはありませんよ、と、急かすこともなくただ受け止めてくれるレオンスさんに、私はいつしか「聞いてほしい」と思うようになっていた。
間違えても、怒鳴られない。失敗しても、叩かれない。あなたはあなたの思うようにしていい、と、全身で伝えてくれているような、その優しさに包まれて。あの世界での出来事は、こうやってゆっくりと過去になっていくのだろうな、と思う。
◇
「レオンスさん、私が持ってきた野菜って、育てたりできますかね?」
「ああ、なぜか傷まない野菜ですよね。うまくいくか分かりませんが……裏の畑が空いていますから、やってみましょうか」
「もしダメでもいいんです。私、植物を育てたりするのもやってみたかったから」
「いいですね。やってみたいと思ったことは、なんでも挑戦してみましょう。うまく実ったら、私も食べてみたいですし」
カレーにでもしようと思ってあの日買った、人参と、じゃがいも、玉ねぎ。すっかり忘れていたと取り出してみたら、あれからふた月くらいは経っているのに新鮮なままだった。神様のサービスだろうか……? このまま食べてしまおうかとも思ったが、この腐らぬ食べ物は──この世界にとっての異物かもしれない。でも、だからといって捨ててしまうのも憚られる。
そこで思いついたのが、これを基にして、こちらの世界で育ててみたらどうかというもの。
ここで育ったものならば、きっとこちらで食べても問題ないだろう。それに、似たような野菜は存在しているものの、味や食感はやはり日本のものの方が断然美味しい。品種改良の技術とか、そういうことなのだろうか。食べて終わりになるよりは、育ててこれからもこの味を忘れずにいられたら。
置いてきた全てのものに、何の未練もないと思っていた私が──無くしたくないな、と思えたのが野菜だなんて。あまりにも即物的でなんだか笑えてくる。
そうやって馬鹿馬鹿しいと笑えることや、誰かと食べる食事が美味しいと思えること。明日が来るのが楽しみだと思えることこそが、幸せの形なのかもしれない。