◆愛
ルーアを保護してから早くも3ヶ月がたった。
初めの1ヶ月、彼女の体調を整える為に皆で一丸となって看病したところみるみるうちに体力をつけ今ではすっかり元気な姿を見せてくれている。相変わらず体は細いけれど、健康的な細さだ。
彼女は今、私の屋敷で下女として働いてくれている。
元気になって直ぐに私や、看病してくれた屋敷の皆に恩を返したいとここで働き始めた彼女は日々忙しそうにアチコチ走り回っている。
その愛らしい姿に笑みが毀れる。
彼女はすっかり私や、屋敷の皆にとって癒しとなっていた。
そんな折、私の婚約者であり幼馴染であるナナリーが屋敷を訪れた。
今日は一月に1度ある、婚約者と親睦を深めるという名目で開かれたお茶会の日だった。
彼女とは幼い頃からの付き合いで…次の春には結婚する予定だ。
もう、花嫁修業も終え今は式に向けて色々と準備をしている真っ最中。彼女のことは好きだけれど、それは家族愛というもので異性に向ける愛情とは少し違うと…ルーアに出会ってから気付かされた。
少し前まではそれでいいと思っていた。
親同士の仲が良くて成立したとはいえ、所詮政略結婚。
勿論、彼女のことは大事にする。
この先、一生を共にするのだ。
けれど…私は、ルーアに出会ってしまった。
私は…恋を知ってしまった。
その負い目から、彼女の瞳をしっかりと見つめることが出来なくなっていた。そんな私の様子に彼女は訝しそうにしていたけれど…特に何かを聞いてくることも無く、時は刻一刻と過ぎ去っていき、式が近づくにつれ彼女が屋敷へ訪れる頻度も増えていった。
…私と彼女が並ぶ姿を、ルーアはどう思うのだろう?
ある時、ふとそんなことを思った。だからだろうか?
その日、ナナリーと共にいる時に視界の隅でルーアを見つけてしまった。彼女の手には沢山の衣服が抱えられていた。恐らくこれからそれを洗濯場にでも持っていくのだろう。
ルーアは私に気付くと歩みを止めてただじっとこちらを見詰めていた。
まるで、浮気現場を見られたかのような嫌な気持ちになる。
冷や汗がダラダラと背中をつたい、いつもと違う動機に焦燥感が募った。そんな私の心境など分かるはずもなく、ルーアは無表情に私を見つめていた。
その瞳は…酷く悲しげに揺れていた。
じわりと、愉悦が滲む。先程まで感じていた焦燥感なぞ何処か吹き飛び、私の中を昏い喜びが支配する。
あぁ、彼女も私を愛おしいと思ってくれているのだと。
その瞳を、その顔を見て理解した。
けれど、恐らくルーアにはその自覚は無いのだろう。
彼女から無意識に溢れ出す私への愛が酷く嬉しかった。
それからというもの、私はあえてナナリーと共にいる姿をルーアに見せつけるようになった。
そうする度に、ルーアの瞳は悲しげに揺れるのだ。
まるで私に縋るように、恋焦がれるその瞳を見る度にゾクゾクとした快感が私を襲う。婚約者のナナリーに愛を囁く度、抱きしめる度、笑顔浮かべキスをする。一件、私はナナリーを愛しているように振る舞いつつも誰にも気付かれないように密かにルーアを愛し愛された。
そうして、彼女からの愛を実感するのだ。
ーーー結婚式当日。
純白のドレスを着込んだナナリーと共にバージンロードを歩む。
ナナリーはとても美しく、幸せそうに微笑んでいた。
私もそんな彼女を見つめて笑みを返す。
きっと、私達は今とてもお似合いの夫婦に見えることだろう。
そして神父の前で偽りの愛を誓い、キスをする。
沢山の人に祝福されて、花道をゆく。
協会の外にはこれまた沢山の人々が私達を包み込む。
大勢の人の群れの中。私はすぐさまルーアの姿を見つけだす。
その他大勢の顔や姿はモヤモヤとしたモザイクのようにしか見えないというのに、彼女だけはどんなに離れていたとしてもハッキリと私の瞳には映し出させていた。
ルーアはいつになく苦しげに悲しげに胸を押さえつけている。
その瞳は今にも涙が零れ落ちそうで…。
ジワリ、ジワリと私を彼女の愛が包み込む。
あぁ、ルーア。可愛い私のルーア!
愛おしいルーア!なんて目をしているんだい?
ルーア、私は君を愛しているよ。
君も、これからもずっと私の傍で私を愛し続けて。
その瞳を、私に向け続けて。
ぎこちなく笑みを浮かべる彼女の顔は今まで以上に私への愛で溢れていた。なんて、私は幸せなんだろう…。
そう、感じたその時。
何を思ったのか、ルーアはこちらに駆け寄ってきた。
「…ルーア?」
今はダメだよ。ここに来てはダメだ。
いくら私が愛おしいからって…
ルーアは突然私達の前に立ち塞がると大きく手を広げた。
優しく広げられたその腕はまるで…。
ニコリと涙の滲む瞳で笑った彼女の姿に思わず手を差し伸べたその瞬間ルーアは…姿を消した。
ドオン…!と大きな音が響きわたり、ルーアが消えた先で大きな火花が散っていたが不思議なことに私は無傷だった。
誰の声だろう?
悲鳴が聞こえた。
声のする方にゆっくりと視線を向ければ…教会の真っ白な美しい壁に、真っ赤に色づいた紅い大輪の華が咲いていた。
その根元には何故だろう?ぐったりと横たわるルーアがいた。
「…、ルーア?」
血にまみれ、出逢った頃のようにボロボロの姿の彼女は直ぐに人だかりで見えなくなる。
周囲の喧騒が遠く、視界がぐるぐると周り己が今立っているのか座っているのかすら分からない程の絶望がおしよせた。
「ルーア…?」
「ルーク?どうしたの?早くここから離れましょう」
「ルーク様!この場は危険です!花嫁と一緒にこちらへ…」
「ほら、ルーク…ルーク?」
「っ!!」
「きゃっ!ルーク様?!」
「ルーア!!!」
隣にいたナナリーを押しのけ、私を止めようとする護衛たちや人の並を掻い潜りルーアの元へ向かった。
「旦那様っ!!る、ルーアがっ!!」
「医者はまだか?!!!」
「る、ルーア…ルーア…」
メイド長は普段の忽然とした様子もなく、ただ彼女の名前を呼び涙を流し続けていた。
周りでは同じようにルーアのメイド仲間たちも涙を流していた。
執事や護衛達はこの場を収拾に忙しく、医者がくる気配もない。
このままでは彼女は…ルーアはっ!
その時、声が聞こえた気がした。
慌ててルーアの顔を覗き込み耳を寄せる。
「…、」
「なんだ?静かに!!ルーア…ルーア?」
ルーアは、血塗れの顔で出会った時と同じ笑みを浮かべていた。
静かに微笑む、天使のようなその顔に私はまたしても目を奪われるのだ
「ぁ…り、がと」
そう言って、一筋の涙を流し…ルーアは眠りに着いた。
「ルーア?」
血にまみれ、ボロボロの彼女は酷く安らかな表情を浮かべていた。
けれど、ついぞその瞳が開くことは無かった。
「る、ルーア…頼む、起きてくれよ。なぁ、いい子だから…
目を、あの時みたいに…ルーア…っ!ぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!!!!」
慟哭の叫びが響く。
それは喧騒と鐘の音に包まれ消えていった。
◇◇
リーン…
ゴーン…
教会の鐘が鳴る…しかし、それは幸せを知らせる鐘では無い。
ーー悲劇の鐘が鳴る。
それは終わりを告げる鐘だった。