◆名前
雪の中、満月色の瞳にを持った彼女。
目を覚ました時、君は一体何を思うだろう?
その瞳に私を写して紡ぐ言葉はどんな音色を奏でるのだろう?
私の天使、君の名前はなんというのだろうーー?
◇◆◇
家にその子供を連れ帰ったあと、すぐ様医者を呼びつけた。
屋敷の者達は私が突然連れ帰ってきたボロボロの、見るからに孤児と分かる子供に心底驚いていたが快く世話をやき看病してくれた。
医者の見立てでは軽い凍傷を起こしているが、奇跡的に命に別状はないということ。それよりも栄養失調による身体疲労が大きく、恐らく空腹で倒れてしまったのだろうとの事。
命に別状はないと聞きホッと息をついたのも束の間。
子供はなかなか目を覚まさず…死んだように眠り続ける姿に気だけがはやる。
早く、早く目が覚めないものかと。
その美しい瞳で私を見つめてはくれないかと。
どんな声をしているのだろう?
きっと鈴を転がしたような可愛らしい声なのだろう。
私を見たらどう思うのだろう?
また、あの笑顔を見せてくれるかもしれない。
名前はなんというのだろう?
彼女に見合ったとても可愛らしい名前かもしれない。
あぁ…早く、早く目が覚めないものだろうか。
◇◆
彼女が眠り続けて3日がたった。
漸く彼女が目を覚ましたと連絡が入った瞬間、私は仕事を放り出し彼女のいる部屋へと向かった。しかし、いざ部屋の前に来るとなかなか部屋の中へはいることは出来なかった。
どう、声をかければいいのか…。
ノック、そうだ。ドアをノックしなければ…。
優しく、驚かせないように…そっと。
ドキドキと高鳴る胸を抑えて、深く深呼吸をした。
数度、軽くノックをしたあとメイドの声だろう。返事があり恐る恐る…しかしそうとは見えないように部屋の中へ入る。
そこには日の光を浴びて輝く可愛らしい天使がいた。
汚れてみすぼらしい姿だった面影はどこにもなく。
黒曜石のように黒く美しい髪は肩口で切りそろえてあった。
そして、あの時初めて私を映した金の瞳は驚いたように目を丸くしていたけれど真っ直ぐ私に向けられていた。
「ぁ…」
か細く、思わずといったように盛れたその声は少し掠れていたけれどやはりとても愛らしい耳に心地よい声をしていた。
「あら、旦那様。もういらしたんですか?」
「あ、あぁ。漸く目が覚めたと聞いて…気分はどうだい?」
「あ、えと…その」
「慌てなくていい…あぁ、そうだ。自己紹介がまだだったね。私の名前はルーク。この屋敷の主人なんてものをしている」
「旦那様が雪の中倒れていた貴女を拾いここまで連れてきてくれたのですよ」
まだ眠たげなその瞳をじっと私に向けていた彼女はその言葉を聞いてコテンと首を傾げた。
「ご主人…さま?」
「そうですよ」
「ルークでいい」
思わずそんな言葉が口を割いていた。
しまった…思わず本音が出てしまった。
慌ててそれらしい理由を並べて知らぬ顔をしたが…
上手くごまかせたろうか?
「旦那様?ですが…」
「彼女はこの屋敷の使用人ではないし、いいよ」
私の言葉にメイド長は難色を示したが、渋々了承してくれた。
ただし、人前ではしないようにときつく言われてしまったが。
「えっと、る、ルーク…さま」
「なんだい?」
「あの、命を助けてもらいありがとう、ございます」
そう言って、彼女はフワリと微笑んだ。
ドキン!と一際高くなる胸と何故か耳が熱くて仕方がない。何とか平静を装ったけれど、彼女になんて言葉を返したのか思い出せない。
暫くボンヤリとしてしまっていたらしい。
メイド長の声に漸く意識が引き戻された。
「…ま。ルークさま?」
「はっ!あ、なんだ?」
「いえ…なんだか固まっていらしたのでどうしたのかと」
「いや、なんでもない…と、ところで君の名前は何と言うのだろうか?」
慌てて話を変えると、彼女は心底困ったように俯いてしまった。
「…えっと、」
「どうした?」
「ごめんなさい…名前教えられないです」
突然の拒絶に目の前が真っ暗に染った。
わ、私は彼女になにかしてしまっただろうか?!
名前を教えるほどの価値もないと…警戒されているのだろうか?!
あまりのショックに狼狽えるも、次の言葉によりそれは否定された。
「な、なぜ?」
「…名前、ないんです」
「ない?」
「…物心ついた時からずっと一人で、名前なんて呼ばれたこと無かったから…ごめんなさい」
取り敢えず、私が何かしたという訳ではなかったようで少しホッとしたのも束の間。悲しそうに、申し訳なさそうに俯く彼女の姿にまたしても狼狽えてしまった。
「謝ることではない!だが、そうだな…名前が無いのは不便だろうから…よし、私が付けてあげよう」
咄嗟の思いつきだがなかなかいいアイデアではないだろうか?
私は早速彼女の名前を考え始める。
横でメイド長が驚いているが…取り敢えず無視することにした。
済まない…今はこちらの方が重要なのだ!
「旦那様?!」
「何が言いだろうか…好きな物はあるか?色は?食べ物は?」
「あ、の…?」
驚き目を真ん丸に見開く彼女は何だか猫のようで愛らしい。
それにしても名前…名前か。
彼女の満月色の瞳に因んで…ルナ?ルア?いや、セレナとか。
いやいや、黒曜石のように輝かしい髪に因むのもいいかもしれない。
それだとしたら…そうだなネロ?オブシディアンでシディとか?
うーむ、うー…あ!
なんて、色々の考えたけれど私の口から出たのは全く予想外にしなかった言葉。
「うーむ…むむ?そうだ!ルーア!ルーアなんてどうだろうか」
ルーア…なかなか良い名前ではないだろうか?
私の名前と酷く似た名前だが…それは、あれだ。私の我儘というか…私と共有する何かも持っていて欲しいという欲望が出てしまったとかそんなことは無いはず…多分。
「…ルーア?」
「あぁ!…その、嫌か?」
そ、そうだよな!私の似た名前なんてそんな!
他、ほかの名前名前…。
「私の、私だけの…名前。っ!嬉しい、です…とても」
その瞬間、彼女は…ルーアはボロボロと泣き始めてしまった。
泣きながら、何度も何度もありがとうと。嬉しいと。
そう口にしながら…満面の笑みを私に向けたのだ。
フワリと、暖かい気持ちが心を包む。
彼女の涙は美しく、その笑みは私を魅了してやまない。
愛おしい…その言葉はきっと、彼女の為にあるのだろう。