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◇願い



声が聞こえる。

大好きなあの人のーー




朦朧とする意識の中、何とか目を開け旦那様の方へと視線を向ければ驚愕に目を見開く彼等の姿があった。

彼の傍らには恐怖で顔を真っ青にし、目に涙を浮かべ肩を震わせる奥様がいる。幸い2人に怪我はないようだった。

ホッとしたのも束の間、全身に熱湯をかけられたかのような熱が走し数拍あとにそれは痛みだと気付いた。


余りの痛みに、熱さに息もできない。


「っ…!!!」


霞む視界の先ではザワつき騒然とする会場を収めようと奔走する警備の者達と我先に逃げ出さんとする客の姿。

その中で見知らぬ男が拘束され床に取り押さえられる姿が見えた。どうやら直ぐに犯人が捕えられた様で安心した。

しかし、残念な事に本来ならば幸せいっぱいのこの場は一瞬にして崩れ去り、幸福であるはず時間は悲劇の時間へと様変わりしてしまった。

そのことが心底悔しく悲しいと共に…少し、ほんの少しだけ嬉しく思う自分がいることに気付き愕然とする。


だって、こんな事件が起こったのだ。

この結婚式はきっと忘れたくても忘れられない記憶になるだろう。そして、ここで私が死ねば…旦那様の記憶の中に私という存在は刻まれ一生、忘れられることは無いだろう。

それはつまり…尊敬する彼の中で私という存在は未来永劫生き続けることが出来るということでは…?


それを自覚した瞬間、頭の中が怒りで真っ赤に染る。


なんて浅ましく、最低な考えか!

なんて嫌らしい!!こんな自分が嫌になる!

やはり汚らしい孤児の私は何処まで行っても結局穢らわしい存在でしかないんだ!!!


「…っ!」


ポロポロと涙が零れる。

それは痛みからか、怒りからか、悔しさからか…

それとも、自分の卑しさを自覚してしまったからか。


こんな自分、生きてる価値もない。

せっかく拾って貰ったけれど、やはり私はあの時に孤児は孤児らしくのたれ死んでた方が良かったのかもしれない。


あぁ、本当に申し訳ない。

せっかく拾ってもらったのに…

優しくしてもらったのに…

死の直前、私はこんなに事を考えているのだから。

嬉しいと感じてしまったのだから…。


どうか、どうか忘れてくれないだろうか。


私の事なんて記憶の中から消し去って欲しい。

こんな卑しくて穢らわしい私の事なんて誰にも覚えておいて欲しくない。


…ごめんなさい、こんな私でごめんなさい。

どうか、私の事なんて忘れて。お願い…。

こんな私が言えたことでは無いけれど…どうか、どうか


ーー幸せになって。


いつの間にか、吹き飛ばされぐったりと横たわる私の傍には先程とは違う涙を流すメイド長と同僚達の姿で埋め尽くされていた。そのせいで、いやそのお陰で今日の主役である彼等の様子を見ることは出来なくなってしまった。

グワングワンと頭の中で大きな鐘が鳴り響いているようで、周囲の喧騒も合わさり誰が何を言っているのか何も分からない。


ヒューヒューと浅い呼吸を繰り返す私は、きっともう助からない。だってもう、あれほど苦しかった痛みすらすっかりなくなってしまった。


何も見えない、何も感じない。


なのに…彼の声だけは聞こえた気がしたんだ。


「ルーア…?」


呆然としたその声は確かに旦那様のものだった。

彼がくれた大切な私の名前。


ポロ…とまた、涙が零れた。


大好きな貴方に、最後に呼んで貰えるなんて私は幸せ者ね…。


たったそれだけで私の胸の中を暗くドロドロと渦巻いていた感情がなくなってしまった。

たった、それだけで許された気持ちになってしまった。


なんて単純で、馬鹿な私…。


「ルゥ!ルーア!!しっかりしてちょうだい!」


「こんなに血がいっぱい…お医者様はまだなの?!」


「ルーア!」


あの時、一人ぼっちだった私が今沢山の人に囲われている。


厳しいけど、とても優しいメイド長。

いつも明るくて、私を助けてくれた同僚達。

親切にしてくれた屋敷の使用人仲間。


そして、私を見つけて拾って下さった旦那様。


こんな役立たずの私でも最後は貴方を守ることが出来た。

卑しく穢らわしい私だけど…少しは役に立てたかな?



貴方が…皆が無事で良かった。


私を拾ってくれてありがとう。

私に居場所をくれてありがとう。

私に名前をくれてありがとう。

私に優しくしてくれてありがとう。


だからお願い、泣かないで?

卑しい孤児だった私の事なんて忘れて。


どうか、どうかお幸せに…


私は今こんなにも幸せで、満ち足りているから…。

皆に伝わるかな、伝わるといいな。


今、私はちゃんと笑えてるかな?


「ぁ…り、がと」


零れ落ちたその言葉はか細い私の声は喧騒にかき消されて誰の耳にも届かなかったかもしれない。


それでも良かった。


先程とは違う満ち足りた気持ちで、私は目を閉じた。


あれ程煩く鳴り響いていた喧騒は今では何も聞こえない。

体全体を蝕む痛みも熱さも何も感じない。


つぅっ…と一筋の涙を零して、穏やかな笑みを浮かべ私は眠りについた。



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