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その10 ええよ 塵労
ええよ
「ええよ」
と義父は言う
食べ物を勧められて
「ええよ」
飲みものを勧められて
「ええよ」
遠慮を嗜みとして
教えこまれた世代か
大食漢の義父が
「ええよ」
と言うのは
口先だけであると
その後の飲食ぶりが示していて
変な遠慮は
かえって嫌らしい
と憎まれて
「ええよ」
は飲み食いばかりではなく
便所の前の廊下で鉢合わせ
「お父さん、便所? 」
「ええよ」
先にすませてスーとして
悪かったなと思う気持に
ふとゆかしい
「ええよ」
塵労
職場から帰る
電車の座席で
足を組むと
ズボンに汚れ
チョークだけではないよ
ズボンだけでもないよ
指で払いながら呟く
走っていれば
新車もいたむ
生きていれば
少年も老いる
無垢でありたいと
願っても
この世にあることが
許さない
面皮もいつしか厚くなり
堆まれた汚れは
背骨の底でも
腐らせたか
その辺りから
鈍痛が伝わってくる




