第二話 怖い女上司が企画コンペでデレを本領発揮し始めたかもしれない。
「高橋君!ちょっとこっち来てー!」
いつものように俺は柊主任に呼ばれる。
今日の柊主任はいつもと同じで怒っている…わけではなさそうだ。
柊主任は足を組み、冊子になっているプリント用紙をめくって読んでいる。
「はい。なんでしょうか…」
「二週間後に企画コンペがあるのはもちろん知ってるわよね?」
「はい…一応把握はしてます」
柊主任は足を組みなおす。
一つ一つの所作が優雅で華麗で色気を帯びている。真夏でも履いているタイツはいつ見ても見足りない。
「プレゼンの用意はどれくらい進んでる?」
「え?えーと、今日も良い黒ですね」
バチン。
今日のノルマ達成。
実際プレゼンの用意はというと全く進んでいない。
今回の企画プレゼンは夏に出す広告の企画出しだ。うちの広告代理店は今夏にデパートで出す広告を手掛けることになった。
広告を出すデパートの名前は花丸デパート。モニターに出すCMと、張り出すポスターに出すキャッチコピーやらなんやらを募集している。
まあ、俺はまだ手を付けていない。
「まぁ、えーと、イイカンジっていうか。もうちょっとで五合目みたいな」
「何言ってんの。その感じだとどうせ何もしてないんでしょ」
「ご名答」
「どうせバレるのに嘘つかないの」
「すみません。俺ってあれなんです。夏休みの宿題とか締め切り過ぎてからやり始めるタイプでして…」
「それで?」
「まだ実家にあると思います」
「出してないじゃない。それ。」
「…なんで毎回嘘言ったの分かるんですか」
「…教えないわよ」
「そうですか、じゃあこれで」
「はい、お疲れ様」
「失礼します」
「違うでしょ」
俺は柊主任に腕を掴まれてデスクに引き戻された。
「企画書締め切りは7日後。プレゼンは9日後よ。時間がないわ、ちゃんとまとめて提出してね」
「一週間後ですか…」
「今日から!ちゃんと!やること!企画コンペは夏休みの宿題じゃないのよ。わかった?」
「…はい」
「もっと元気よく」
「イエスマム!」
「ふざけてるの?」
「すみません。精一杯頑張ります」
「それでいいのよ」
というわけで、俺はデパートのキャッチコピーを一週間で上げることになった。
五日後
「それで?最近どうよ」
今、俺は久しぶりに日下部と飲みに来ている。
前回日下部と飲んだのは先月か。ずっと残業の後直帰してゲーム三昧だったからな。
最近発売になった沖ノ鳥島監督のゲームが面白くて…この一週間はずっとゲームやってたな。
それもあって、今日は久しぶりのお酒だ。
「そうなんだよ!あのシンプルなゲームシステムであれだけの没入感と緊張感。BGMの入りのタイミングの完璧さなんてあの監督にしか生み出せない!」
「あーうん。わかったわかった。その話何回目だよ。」
日下部はけだるく虫を払うように顔の前で手を払う。
「違うんだって、こっからが凄いんだよ」
「もーいい。俺が聞きたいのはお前のゲームの話じゃなくて、企画コンペの話!」
「企画コンペ?なんだそれ」
「あるだろデパートの企画コンペ!一週間と二日後。あれ俺が話しつけてきた案件なんだよ」
えーと、話を聞いた途端体中の血の気が引いて行くのに気づく。冷や汗が出てきて、先に進まない同じ話を何回もしていたことに気づけないくらいの酔いが一瞬で覚める。
「…あれ。今って西暦2012年?」
「おいちょっと待て。現実逃避でタイムスリップするのはいいけどせめて2週間以内にしてくれ」
柊主任の怒号を想像すると意識が遠のいて…いや。想像するのはやめよう。
「口を開けばゲームの話だからそんなことだろうと思ったよ」
「やばい…」
「んで?全く手を付けてないのか?」
「…はい」
「はぁ…どうするんだよ。もう時間ないぞ」
「何とかするしかないか…」
「俺が持ってきた仕事だったんだから頑張ってくれよ…」
「すまん…そういやお前が持ってきた案件って言ったよな?」
「ああ。そうだけど」
「お願いだ。花丸デパートのこと教えてくれ」
日下部は、何も言わず肘をつき、目で何かを訴えてくる。
「なんだよその目」
「…」
「…」
「…」
「わぁったよ。焼肉おごるよ」
「叙々苑」
「牛角」
「叙々苑」
「安楽亭」
「分かったよ」
「游玄亭」
「おいしれっとランク一つ上げんな。…まあでも分かったよ」
「ほい来た何でも教えてやるよ」
「お前…調子いい奴だな」
そうして俺は日下部から花丸デパートがどんなテナントを持っていて、どんな客層をターゲットにしていて、どこの店が売り上げ一位か、オーナーはバーコード頭であるかなどの詳細な情報を聞いた。モノの物々交換で利益を上げる、質屋ビジネスが世間でも珍しく話題らしい。
そこから、俺たちのキャッチコピー会議が始まった。
「名前は花丸デパートだろ?お店に来てもらうことが第一目的なんだから一回見ただけでで頭に残るインパクトのあるキャッチがいいよな」
「よし、じゃあ『あなたのショッピングに花丸を』ってのはどうだ」
「うーんそれじゃあありきたりすぎるな。」
「じゃあ『はなまるマーケット』だな」
「パクリじゃねえか」
「『オーナー自ら割引価格!みんな大好きバーコード社長!』」
「ハゲが過ぎるわ。インパクトはあるけど購買意欲のかけらもねぇ。お前真面目に考えてくれよ」
「すまんすまん…ってなんで俺が考えさせられてるんだよ!企画出すのお前だろ?」
「いいじゃん。游玄亭おごるんだからさ」
「まあ…そうだけど。でも大切な仕事なんだから他人任せにすんなよ」
「…どうすっかなぁ」
その日はうまくいきそうなアイデアは生まれず、情報収集だけをしただけで終わった。
あ、あとなんか焼肉奢ることになったな…
次の日、二日酔いで会社に行くと、柊主任に呼び出された。
「高橋君。一応聞くけど、明日の朝までのキャッチはもうできてるのよね?」
「えーと…まあ。ハハハ」
「嘘でしょ?」
「でも、あれですよ?ちゃんと情報収集はしましたから」
「本当に?」
柊主任は俺の顔を覗き込んでくる。
「それじゃあ企画も大丈夫そうね。企画意図とかターゲット層やらなんやら細かいことまでちゃんと書くのよ?」
「はい。承知しております」
「それじゃあ頼むわよ」
締め切りは目の前だ。さっそく取り掛かることにしよう。
自分のデスクチェアに腰掛け、パソコンをつける。今日のお供はブラックコーヒー。これから仕事に励む硬派なサラリーマンにはぴったりの飲み物だ。オフィス特有のプラスチックのカップ音が心地良い。頭の中ではワルキューレの騎行が流れている。あの、ヘリ乗ってるシーンのやつ。あの映画見てないけどなんかかっこいいじゃん。軍用ヘリで出勤してみてぇ。
ロープ降下で屋上に降臨したい。
…まあいいや、やるか。
カタカタと指を動かす。企画意図、ターゲット層、スケジュール、経費計算など。
情報収集の甲斐もあってか、アウトラインの機械的な作業はどんどん埋まる。
しかし、一番大切なキャッチコピーが…思いつかない。
何度も何度も『はなまる』を書いて消す。
やばいなぁ。思いつかないなぁ。どうしようかなぁ。
【キャッチコピー案】とだけ新しいページに入力してイメージを膨らませるが、何も思いつかずコーヒーを飲んで物思いにふける。
椅子の背もたれに寄りかかり、目を瞑って五秒数える。
1…2…3…よn「高橋ぃ!お前今日までの書類はどうした!」
「あ……あ!すみません!忘れてました!」
「またかお前!早くやれ!」
不味い。今日までのデータ入力の作業を忘れてた。
こっちの作業はいったん置いておいて、先にデータ入力を終わらせないと…
保存しようとしたプレゼン資料がコピー機から印刷されて出てきた。
それに気づいたのは俺ではなく美人の上司だった。
はぁ…やっと終わった。
急いでデータ入力の作業が終わらせたものの、また別の仕事を押し付けられてしまい、その後また別の部署でと、たらいまわしにされてしまった。
そして結局…もう十時。
んー…はぁ。今日も頑張って社畜したなぁ。疲れた疲れた。
背もたれに全体重をかけて伸びをする。と、天井を仰いだ時、目の前が真っ暗になった。
「はい。確認しといてあげたわよ」
目に乗せられたコピー用紙を見てみると、それは俺が途中で間違えて印刷したプレゼン資料だった。
「これ…どうして?」
「印刷したでしょ?」
「いや、えーと印刷してないですけど…」
バチンッ
その時、一瞬にして社内全体が停電した。
カチッ…ブウォン。
停電の時間は一瞬だけですぐ回復した。
だが、俺は嫌な予感がした。
急いで資料作成ソフトを立ち上げる。【開く】タブを押し、製作途中のプロジェクトファイルを開こうとする。しかし、見つからない。
締め切りギリギリに一日で一気にやる癖が仇になった。オートセーブも付けず、一度も保存せずにノンストップでやったから、全部、消えた。
幸か不幸か印刷した資料はあるので、そのまま打ち直せばそこまでかかるわけじゃない。
しかし一番大切なキャッチコピーが全く思いついていない状態で打ち直すっていうのは、かなり余計に時間がかかってしまう。
然も締め切りまでもう時間がない。だって明日だから。
まあ!分かりやすく要約すると!
「まずい!」
「わぁ!びっくりしたぁぁ」
心の中で叫んだつもりが口に出てたらしい。俺の大声で驚いた柊主任が胸に手を当てて「すぅーはぁー」と深呼吸をして心を落ち着かせている。
「主任って…結構怖がりなんですね」
柊主任は腕で顔を隠し、必死に弁解をする。
「べ、べべ別に怖がりじゃないわよ!」
「わ!」
「きゃぁぁ!」
「やっぱり怖がりなんじゃないですか」
「もう…馬鹿!」
また顔を腕で隠す。
「あの、主任。耳が真っ赤なのを隠せてないですけど」
「ううぅ…」
柊主任は真っ赤な耳を隠す為に耳に手をかぶせた。
「あの今度は顔が丸見え…」
バチン!
特大のデコピンを食らい、柊主任は後ろを向いてしまった。
優位に立てることなんてほとんどないので、ここぞとばかりに責めてみる。
「怖がりの柊主任~こっち向いてくださいよぉ」
「…」
「主任~」
「…」
「しゅn「いい加減になさい」はい。すみません」
振り返った柊主任はいつもと同じ厳格で真面目な顔に戻っていた。
俺は調子に乗って優位に立とうとしたことを悔やんだ。
「はぁ…見たところプレゼン資料保存してなかったんでしょ」
「はい…」
「じゃあもう時間ないんだから早くやって。打ち直すだけなんだから。キャッチはもう思いついてるんでしょ?」
「いや…それが、あのー。へへへ」
「そう…人をからかうのならちゃんと仕事終えてからにすることね」
「すみません…」
柊主任は襟にかけてあった眼鏡をかけた。
「ほんっとに手がかかる部下ね…ほら、手伝ってあげるから早く片付けるわよ」
「いいんですか…?」
「部下の責任は上司の責任よ。打ち直し手伝ってあげるから、先に終わらせちゃいましょ」
「ありがとうございます!」
「ふふ、いいのよ」
その時少し見えた柊主任の優しい微笑みは勤続二年目で初めて見た笑顔だった。
感情を持たない無機質な蛍光灯が、その時は意思を持ったかのように主任の顔を綺麗に映し出した。
もし、彼女が絵画の時代に存在していたのなら、後世に残る人物画のモデルはすべて彼女になっていたのだろう。そう思った。
えーと…あと、彼女の優しさはまさに聖母のようだ。あとは、あとは…えーと。まあいいか。どうにかしてその時の衝撃を文字で表そうとしてみたが、日本語では限界がある。
とにかく、何が言いたいかというと、めっちゃかわいかった。
前言撤回。日本語って素晴らしい。
そこからの打ち直し作業は二時間ほどで終わった。そのあと、キャッチを考える作業が始まった。やはりすぐには思いつかない。あれだけ考えて思いつかないんだから当たり前っちゃ当たり前なんだが。
コトン。
目の前にプラスチックのコーヒーカップが置かれた。
「はい、どうぞ」
「あ…主任、ありがとうございます」
「いいえ。ブラックで良かったのよね?」
「はい。よく知ってますね」
「ま、まああなたの上司ですからね」
カップを傾け、熱いブラックコーヒーを口に運ぶ。唇に触れた瞬間に心地良い甘みが疲れた体中に染み込んでくる…甘み?
「甘っ!」
「苦っ!」
俺が甘さに叫んだと同時に、正反対の言葉を叫ぶ人がいた。
「主任…これ」
「ごめんなさい…そのカップ私のやつ…」
「すみません!間違えちゃって…というか主任ってもしかしてブラックコーヒー飲めないんですか?」
柊主任はカップを顔の前にもってきて、上目遣いで言った。
「飲めないわけじゃないわよ!飲めないわけじゃないけど…苦手だし、甘いのが好きなのよ…」
「そうだったんですか…じゃ、じゃあ、交換します?」
「こっち飲むから良いわよ」
「そんな無理して飲まなくても」
「だって…今交換したら、その」
「?」
もじもじしている意味が分からず困っていると、柊主任は残ったカップの甘いコーヒーを一気に飲み干して言った。
「はい!飲み切った!交換もなし!」
「何をそんなに必死に…」
「いいから!早く飲んで作業するわよ!「なんでそんな怒って」いいから!余計な口答えはしない!」
「…御意。」
柊主任がパラパラとめくって読んでいる、赤ペンで添削済みの第一版プレゼン資料が目についた。
俺は近くのごみ箱に赤ペンで添削された後の紙が捨てられていることに気が付いた。
ごみ箱の中の紙を拾い上げる。【キャッチコピー案】とだけ書かれた紙に大きな花丸と「よくできました」の文字が書かれていた。
「主任、これは」
「えーと…つい勢いで、柄にもないこと書いちゃったのよ」
「これですよ!これ!」
「え…?」
「これ、いただきます!」
「ええと…はい。お粗末様でした?」
次の日の朝、デスクで寝る俺の横に、置手紙が添えてあった。
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プレゼン資料作成お疲れ様。締め切りに間に合ってよかったわ。
私は一度家に帰ります。みんなが出社してくる前に身だしなみは整えておくこと。分かったわね。
Ps.あなた嘘をついているときにハエみたいに手を動かすのやめた方がいいわよ。
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最後には特大の花丸マークが添えられていた。
『感謝と感謝の物々交換。今日の買い物、よくできました』