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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

窓越しの鳩

作者: Benima

何故か今まで付き合ってきた彼氏は一人を除けば皆、軽症喘息患者だった。いや、患者という言葉はちょっと語弊だろう。本人たちが自らそのようなことを主張するだけで、発作と息切れは元より、どこか挙動がおかしかったり、典型的な症状が現れたりすることすらなかった。要するに、せいぜいちょっと喘息気味に過ぎないのだ。或いは単なる持病の心気症の延長線上にある一種の仮病だけだったかもしれない。同情を欲していて、相手の慈悲心と良心に訴えかけて、病気を最強の武器として利用するのはいかにも人間らしいことだ。無論、無意識のうちに。でも、私はどうだろう。彼らがそばにいてくれたおかげで、長い間にわたって喘息の面影と隣り合わせていたのに、その真相や治療についてはこれといった素養を身に付けたと自慢げに断言できるかと言えば、そうではない。いや、思いやり不足と怠惰で相手の苦しみを理解しようともしなかったわけではない。かえって喘息患者という言葉を聞くや否や、ネット上で様々な専門家のブログを読み漁って、いざという時に私がどういう風に対応すべきか、そういうことを事前に知っておくに越したことはないと思っていた。しかし、蓄積した情報を確認する機会がなかったので、その知識は今では、どうも処理できそうにないガラクタの堆積でしかならない。それが一つの心残り。それ以外の元彼氏に纏わる思い出は全然煮え滾らない。そもそも恋人というのは、出来るか出来ないかのうちに、一言も言ってくれず、こちらの視界から消え去ってしまうものなのだ。どこから来たのか、どこへ行くのか、何も教えてくれないのが意中の人の正体のようだ。だから、何やら思い出を心に封じておこうと決断するずっと前に、その思い出の破片が一網打尽にやられ、忘却という牢屋で獄死を遂げるのだ。とは言え、恋人がいた頃を俯瞰してみると、喘息の苦痛だの、野鳥が嫌いだの、除菌テッシュの所持だの、心配性だの、そういった負の感情や途切れ途切れの記憶なら、どっしりと伸し掛かっており、目の前で奇妙な昆虫がのたくるようにくるくる回っている。潔癖主義者と付き合うのは本当にしんどい。交際の相手は一種の病原菌として扱われているのだから。さらに潔癖主義と喘息の間にはやはり何かしら関係性があるようだ。それらが恋仲になるのは往々にしてあることだから、やや潔癖症だった元彼氏たちの喘息の話なんかもあながち眉唾物とは限らない。寧ろ、潔癖症に意識を向けると辻褄の合う話と思う。

また、野鳥が嫌いというのも(就中カワラバトとキジバトであろう)潔癖症と結びつきやすいものではないか。うちの祖母がその著しい一例だった。因みに、祖母の喘息こそが正に本物であり、今でもあのゼイゼイ音が耳の中で木霊している。確かに衛生面を念頭において考察してみれば、鳩や鴉などはゴミ漁りをする習性を持っていて、人間の住む環境にすっかり馴染んでいるので、感染源となる可能性も随分とある。でも、どういうわけか私の母がその危険を軽んじて、祖母の意志に背いていた。野鳥を許可なしに捕まえて飼育してこそいなかったが、ドバトに餌をやったり、密かに衰弱している個体の世話をするのが母の日課だった。さらに、平衡感覚の喪失と見られる鳩などを見掛けると、愛鳥センターも動物病院もそれらを対象外の動物として扱っていて受け取れないとのことで、暗々裏に自分で治療薬を投与する。もし、既に余命幾許も無いという状態だったら、せめて苦痛から救おうとでも思っていたためか、勝手に安楽死させてやることも時々あった。どうやって誰を通して、またどこからそのような恐ろしい薬を入手したか、未だに大きな謎だ。闇市の女王というのは絶対にないが、大人になって考えてみれば、母のやっていた事はどう見ても違法であり、逮捕か罰則を免れたのが奇跡のようなものだ。倫理上、果たしてあれは批判せずにほっといて良いのかも分らない。情に脆い一般人はともかく、獣医学部に在籍していた母みたいな者にあるまじき行為なのだと思われる。情け深さだなんて言い訳になるもんか。祖母は勿論、母の活動についてよく知っていた。そして、勿論、それ受け入れることができなかった。そのせいか、元々2人の間にあった溝が次第にさらに深まっていった。私が小学5年生だった頃、2人はもう挨拶を交わすことがなくなった。周囲の目に愛嬌を振り撒く人として写っていた祖母は、母に関係ある事柄に触れて何かを言わないといけない場合は、厳つい顔をして話を必死に避けるなり、烈火のごとく怒るなり、白髪の毛先を弄りながら悪口を叩くなり、いずれにしても何等かの形で母から私を引き離すことを志していたようだ。私と話している時でも、いつも母を「お母さん」ではなく、「あいつ」か「あれ」と呼んでいたし。まるで自分の娘ではないかのように、他人にさえ母の悪評判を蔓延させるエピソードもあった。例えば、近所の柳原さんという40代の大柄な未亡人とスーパーでばったり会った日のこと。世話焼きな柳原さんは、近頃、娘さんと立ち話をしたけれど、何だか顔色が悪いように見えて体調は大丈夫かしら、病気じゃないかしら、とやら問い掛けた。すると、祖母は自分にしか見えぬ怨敵に意趣返しを図らんばかりの面持ちで「そうそう、あれは根っこから健全じゃないのよ。だって、この世にはあんな鳩好きはどこにいるのでしょうか。もうお気付きではなくて?あいつの甲状腺が少しずつ腫れてるし、そのうちに素嚢なんかが出来てもおかしくないわよね」と気味悪い皮肉混じりの言葉を発した。しかも、その口調の中には正真正銘の熾烈な闘争心が紛れ込んでいた。素嚢という用語は相手に通じたかどうかも大きな疑問だが(家では祖母が二言目には「ソノオ」というのだから、子供の私ですらその意味をよく理解していた)さすがに柳原さんも悍ましい光景を想像させられ、ほんの少しだが、身震いしていた。返事も言い渋った。そして、道理でその後暫く祖母との関わりを煙たがっていた。私も、そのような意味不明なこぼれ話を無造作にする祖母の言い回し、いや、言葉に包んだ母に対する嫌悪感、つまり深層意識に潜んでいる本音には戦慄いた。祖母は、母に死んでほしいと思っているのではないか。

一方で、母は祖母との関係については一度も愚痴を零したという覚えはない。2人の間には筆談を通してでも連絡がないので、母は自分から「これとこれお祖母さんに伝えてくれる?」と稀に私に仲立ちの役を務めさせたくらいだ。母はどこか得体の知らない人物で、私を大変可愛がっていながらも、自分のことを一切話さなかった。誰にも胸襟を開かない孤高の人だった。母と一緒にいると、板目模様か雲母を眺めてその不規則な形の曲線をなぞるような、半ばうとうとした気分になる。聞きたいことは沢山あったが、今度こそ単刀直入に訪ねてみようと思う度に、何故かその心の扉に近づく勇気がなく、口パクでありきたりな事だけ並べ立ててしまう。でも、多分聞いてみても本当のことを教えてもらわなかっただろう。私の聞きたいことは母にとって最も吐露したくない心情だから、と察知していた。一度。一度だけ、向うから「実を言うと」と祖母と母の間に何が起きたのか、なぜ鳩との接触が不和の元になっているのか、説明しはめたが、私と視線を合わせてみると、忽ち思い止まったらしく、話題を変えた。多分、「待ちに待ったチャンスなんだ」という狂おしい光が私の目をぎらぎらさせていたのを見て怯んだからだろう。その忌憚なく言えばのことは、体現化する前に崩れ落ちてしまった。今後、いくら悔恨の念に駆られていても、見逃したチャンスを取り戻すはずがない。そして、その日の出来事を帳消しにする魔法を知らない自分を顧みれば、今でも悔しくてならない。自分には一つも出来る事がない、自分は力不足、としみじみ痛感したら、深遠なる絶望感が永遠の伴侶となり、いつまでも付き纏う。別にくよくよしていたり、こんなことばかり考えていたわけではない。しかし、本当に何とか解決してほしいのだ。気になる事があるとしたら、強いて言えばこれだけだ。非力、不能、無効。これだけは振り払って弱者の抜け殻から解放したいのだ。

鳩は優れた帰巣本能に加えて記憶力の高い鳥であり、餌を与える人の顔まで覚えられ、その人の近くに定住することも少なくないらしい。人間の顔まで覚えられるなんて。それを初めて聞いた時に鳥肌が立った。相当賢いはず。きっと、今、うちの前に住み着いた15羽が遠からず20羽、45羽、65羽、そしていつの間にか100羽を超える大群になり、撃退対策を夢に見ている祖母と私は襲撃されるに違いない、とまで妄想を膨らませていた。だって、最初はたった一羽だったが、時間と共に仲間が増えてきて、今は普段見掛けるやつは、15羽にも達している。ただし、意外とその妄想にも、鳩に対する祖母の憎悪にも何の根拠はなかった。うちの裏庭の手前にある茂みの辺りに常にその集団が群がったり、近所の家のベランダなどをねぐらとして狙っていたのは、確かだが、驚くべきことに、近隣の居住者と違って私たちは鳩による被害に悩まされたことは全くなかった。この一戸建ての家の前には糞の痕跡もなく、柴垣の向うの住宅敷地に飛び込もうとか、雨樋の戸袋で巣作りをしはめようとか、そういった光景を見たこともない。祖母はいつも「あいつときたら、よくもこんな嫌らしい侵入者を寄せ付けてるのね。住み着いちゃったら、毎日、糞汚れの掃除が大変になるというのに」という繰り言を続けていたが、客観的に見れば、どうも駆除対策を案ずる必要はなかったようだ。ドバトが相手にしていたのは、母のみで、母の不在中、一羽も見当たらなかった。そして母の傍らに蝟集した時にさえ、家には近寄っていこなかった。遠心力と向心力の両方が同時に働いているように、我が家は鳩寄せの温床でありながら、鳩除けの牙城でもあった。さらに、その不可解な魔術を掛けたのは母でなくて誰だろう。母がいない時、ドバトもいない。母がいる時ドバトたちは、生来の習性に逆らって鳩らしくない相、若しくは本来であるべき姿を見せる。ある日、私は窓からこっそり覗いてみると、驚愕のあまりに思わず声の出ない悲鳴をあげたくなった。最初は単に日向ぼっこをしているだけではないか、ともうカーテンを閉めるところだったが、ふと妙なことが視野に入った。まるで敬虔なる信奉者が恭しくぬかづいているように、15羽が一斉に頭を下げて母の指令を待っているのではないか?!その後もそのシーンを何度も見たことがある。そして、当然見張るほどの驚きはなくなったが、それでも合点のゆかない、条理に沿わない情景なので、完全に見慣れてきたと言えば、決してそういうわけではない。さらに私の推察した事は間違っていた。鳩は自宅を極楽の鳩舎と見誤り、自分の住まいにする定があるのではない。なぜなら、紛れもなく母を仰望しているから。そして、紛れもなく母の精霊を乗っ取らんとするとも見える。

実は、平和の象徴である鳩は死後の世界からの使者でもある。死が平凡な日常の中で、屈託のない人間を辛抱強く待ち伏せているごとく、家鳩も街中の至るところに棲息していて、ひねもす通りがかりの人を観察している。鳩は、我々の親戚や大切な人などの臨終を知らせるために我々の身近に置かれているのだ。レース鳩や軍用鳩として用いられた時代があり、はたまた旧約聖書の創世記に描かれているように、ノアに大洪水が収まったことを仄めかしてくれた鳩というエピソードも比較的有名だ。それに昔から鳩は八幡大菩薩のお使いとも言い習わしている。何せ、道案内の役割を果たすのに長けているとすれば、死者を出迎える嘱託業務を怠っていないというのも不思議ではない。しかし、そんな任務を与えられてお使いに選ばれるのは、お馴染みのグルグル喋るドバトではない。誰かに死神が忍び寄ると、必ずあれがやってくる。そう、ごくたまに目に付くことしかない、アルビノと見間違えやすい銀鳩なのだ。私がまだ15歳だった時、母が交通事故で亡くなったが、その前日に台所で一人で冷めたブロッコリスープを飲んでいる最中に、俄然、窓の外から連鎖的にパタパタ羽音がした。最初は気にせずにいて、もう音源が遠ざけって静まり返ってきたかと思ったら、またその騒音が聞こえてきた。二分のうちに止んだり再び勢いよく鳴り渡ってくるという繰り返しだった。特にがちがちする理由がないのに、冷や汗をかいてしまい、口元まで強張っているのも感じた。やはりこの音の正体を明かさないと気が済まないと立ち上がって窓際に近づいてきた。半透明のレースカーテン越しに見てみると、面格子を通して一羽の白い鳩が珍しそうに私を見据えていた。気になるからそっとカーテンを開けた。すると、向うのお客が真っ白な風切羽を広げて、その華奢な骨格で面格子の鉄棒に体当たりしようと思えるほど、また激しく羽ばたきはめた。細身で、凛々しくみめよい姿と、この不器用な無意味な動きがいかに不釣り合いなものだったか。何という自滅かつ自傷的な行為なのだろうか。私は慄然としていた。どうしてそんなのをやっているのか。痛くないのか。羽毛が白いだけではなく、虹彩も普通のドバトと異なる。ドバト特有のやや濁った血石色を帯びている、好奇心満々たる団栗眼ではない。独特の光沢を放つ黒真珠か宝石のジェットを想起させる穏やかな瞳だった。ひょっとして穏やか過ぎるかもしれない。台所の窓に取り付けてある面格子は外からでもそんなに安易に取り外せないので、長い年月、窓は開けずにずっと生き埋めにされている。嵌め殺しではないが、隣家に柄の悪い人々が住んでいて、悪戯でもうちの窓を抉じ開けはしないかと祖母はいささか警戒していたようだから、面格子を取り付けることになった。確かにうちの台所と彼らの居間との距離がたった1メート強くらいだけで、押し入る気になれば、いつでもわけもなく暴れ込むことが出来るという有り様。その上、この二軒沿いの道に繋がる裏口を、お隣の人が無断で3メートル以上もの高さの鉄柵で取り囲んでおき、本来、共有するはずの空間を横領してしまい、扉のない物置として使っていた。もしかすると、母が野鳥保護法の違反行為をしていると警察に通報しようとやらいう恐喝で祖母に口止めしてしまったかもしれない。でなければ、どうして祖母はあの身勝手なことを知っていても手をこまねいていられたのだろう。本当の理由は家の防犯性を高めるのか、やはり民法上窓に格子を付けるのを義務付けられているのか、誰にも解き明かしてもらわなかった。自分でも判断しかねるが、閉鎖病棟の丈夫な鉄格子に似ているこのヒシクロスの面格子が窓に付けられて以来、外から入るものもいなければ、台所の方からも外にも出られないようになっている。小さな通風口だけが開閉できる。

この真っ白な鳩は多分、銀鳩だと思う。あいにく台所に入らせることが出来ない。それは吉報なのか悲報なのか、この白衣の一羽がどれの世界の使者なのかと考えに耽っている。少しだけでいいから触って、何を伝えに来たのか尋ねてみたくもなった。しかし、風通口にしか手を差し込めないし、仮に差し込んだとしても鳩がそれに止まってくれるわけがあるまい。結局、棒立ちになって窓越しに真向うの黒玉色の眼から何か読み取ろうとするしかない。銀鳩はとうとう動きを止めてくれたかと思うと、一瞬で飛び上がり、あの不気味な鉄柵を乗り越えて夕暮れの横町を曲がってから行方を晦ました。そして、翌日、母が車に轢かれて死亡したという電話が来た。まだ45歳だけだった。母がいなくなると表口の前に集っていた家鳩も遊牧民のように直ちに逐電していった。どこに移り込んだのだろうとちょっと懐古の念さえ抱いており、それらの新しい居場所を暗示してくれる手がかりがないかと早速取り調べてみた。しかし、誇り得る成果を収めることが出来なかった。昨夜の食痕もなく、長年、例の15羽がここら辺を安住の地としていた唯一の証拠と言えば、数個の死籠り卵が地面に散らばっていたということだけだ。あたかも最初から鳩がここに巣くうことがなかったかのようだった。薄ら寒い風邪がすうすう入ってきて、妖艶な黄昏と対蹠的に棚引いている雲の中から死の朽ちった長い爪を思わせる何かが現れてきた。死の跋扈する地域を広める弔鐘の音も現に聞こえたのではないか。成鳥は元住処を捨てて新宅を見つけられるのだが、雛はどうかな。卵を嘴に銜えて飛べるなんて有り得ないだろう。それとも、ひょっとしてあの15羽の中には命なんぞ宿っておらず、ただ母が何かを吹き込んだのではないだろうか。母がいる時しか鳩がこの界隈をうろついていないという事実からすれば、引き寄せてくる人がこの世を去っていったら、あの15羽には冥土か別の次元へ歩を転じるよりほかないと思っても筋が通っている。銀鳩が別世界からの伝言を残して母と一緒に連れ立っていった。内心は祖母も母の夭折を追悼したいだろうが、自分の娘の話になるとかつてと比べれば一層毒々しく辛辣なことばかり言っている。近所の人にも何の躊躇いもなく「全部自業自得なのよ。きっと。人間の法律で罰則を免れたって、天からの罰からだと身を守り切れないわね。素人獣医の遊びをやめなさいって何度もこんなに忠告してたのにさ。いつも、いつも恥ばっかしかかせられちゃったわ」とどろんとした目で相手を困まらせてしまうことが度々あった。それで暫くしたら周りからは場を弁えない人とか、娘さんがお気の毒だとかいう噂が耳に入ったりもした。時に私の気配を感ぜずに面格子の内側をじろじろ眺めながら「全くもって手に負えない子だったわよ。こっちから何を発言しようと、少しも耳を傾いてくれない、いつも自分の好き勝手なことをやってて、よくも私の面子を潰してくれたわね。あんなもののために、生みの母親と仲違いまでしちゃうなんて。私って情けない親なのね」とつぶいやいていたというのも目にすることがあった。時に私に向かって話し掛けようともするが、思い直して苦悩に満ちた表情で適当にはぐらかす。その時の祖母の目付き一生忘れられない。足の不自由な人が大声で自分の神経に「立て」と命令しつつも、その意志が伝わるはずがないと体で覚えているので、いくら足掻いても立てないんだと悟った時の失望を思わせるその目付き。ある日、また言い掛けたことを失念したようにぽかんとしてはいたが、それは3秒にしか過ぎず、何か良い事を思いついたと言わんばかりの口調で突然三宅八幡宮の話を持ち出した。私はびっくりした。なぜ三宅八幡宮なのか。まさか鳩の聖地であるあの神社に参拝するとでも言うのか。是非とも私も連れていってもらいたいとお願いしたいところだったが、それを口にする暇も与えもらなかった。祖母は既に「いや、今回だけは一人で行くことにしたわ。いくら粘ったって無駄よ。悪く思うんじゃないわよ」と律動的にコンコンと左手の指先で食卓を叩きつつ高飛車な物言いで私の口を封じた。そして暗黙の諒解で言い足す「まぁ、一人でとは言え、あの柳原さんと一緒にね。ただ、あんたは学校にいかなくちゃならないから、それに集中してほしいの。分かったわね?」と。何が「分ったわね」なのか、学校があるからと言って参拝には往復3時間前後しか掛からないので、授業への大した妨げにならないと、祖母もよく知っているはず。私なしで何かしたい事があるに違いない。こちらも分らないことはないから、粘るどころか反論する気もなかった。ただ、私が邪魔で、柳原さんが邪魔ではないというのはどういうことなのだ。

祖母は、三宅八幡宮の参拝後、どことなく態度が変わってきた。でも、具体的に何が前と違っていたかと聞かれると困る。良い方向に変化したのか、悪い方向に変化したのか、そんなことすら明確に言い切れない。正直、どういう風に参拝していたか云々、知りたくてたまらない。柳原さんに直接に質問をするか、祖母の日常生活から何かを察知するか、どんな方法を使ってもヒントを見付けようと当初、試みてはいたが、それを実現させるにはこんな私には良い智慧も読唇術の能力もないと自分の不成功を認めざるを得なかった。何だか嘆かわしい。いくら努力しても、真相を掴まずにいる。この無力感が何より嫌だ。でも、本当に何の暗示はないのだ。祖母は依然として鳩嫌いだし、極端な潔癖主義で、亡き母に対する罵倒の言葉も口からちょいちょい漏れたりする。ただ、今までと違うと思った事は二つあった。一つは、祖母はもっと無口になり、家事をしている時でもぼんやりと青雲を見上げている。それから、話すのも、主に庇の修理かスクリーンロールを買い換えていいんじゃないかしらとか、それくらいのことだ。なお柳原さんが最近、しょっちゅう寄ってくれることと、場を弁えない人といった噂はもう小耳に挟んでいないことからすると、他人には娘の陰口を言うのをもう止めただろうという考えに至った。もし、それが本当だだったら、僅かながら気分が晴れるし、祖母と2人っきりで暮らすのも陰惨なものという感じはしないと思い始めた。しかし、それは嵐の前の静けさだった。数年後、再びあの世からのお使いが我が家を訪れてきた。樹氷の林から照り返す月光を身に染み込ませたと思われるくらい白い鳩がまたもや窓の外から覗き込んでいた。言うまでもなく、銀鳩だった。面格子に埋められていない隙間を狙って窓ガラスを突いている。私ははっとさせられた。そのトントン音の拍子は、あの時の叩き音と同じではないか。祖母が三宅八幡宮へ行こうと決心する直前のあの時。やはり同じリズムに沿って今、銀鳩が奏でている旋律とそっくりだった。これが葬送行進曲というわけか。だとすれば、誰の死を告げに飛んできたのだろう。私の命が奪われるとよいが、この望みが叶わないという予感がした。そして、惜しくもそのもやもやした予感が当たり、銀鳩に出くわすと、次の日に電話で凶報を受けたのだ。一週間前から慢性好酸球性肺炎の悪化のため入院した祖母の命は助けられなかったとのことだった。75歳で亡くなるのはそれなりに長生きしていたと言えよう。と同時に、ちょっとだけ滑稽なことではないか。というのは、保菌と疑われる動物とは金輪際接触しない、消毒グッズなしで生きていられないと自らいう祖母は、衛生面で人一倍あれこれ注意していたのに、ついに寄生虫感染による好酸球性肺炎でやられてしまったから。この世では一番嫌らしいと思っていたものに襲われ、毒を盛られた。逆に母はどんなに戒められてもあまり用心せずにいたが、感染病に罹る事は一度もなかった。気を付けることが一つもなかったためか、人間には予測できない交通事故の被害者となったのではないか。それより、私の方にはその取り返しのつかぬ出来事が起こる前日に天啓をくださったお使いが現れてきた。しかも、二回も。ひょっとして私には何か出来る事が確実にあったからこそ銀鳩が送られてきたのではないだろうか。私に母も祖母も救う力があると知らせるためにはるばる遠隔地から飛んできてくれたのではないか。それを看取しなかった私とは何という無能な人間だろう。

祖母を亡くしてから、二年間のうちに引っ越ししよと決意して母の従姉の協力を得て家を売却する準備を始めた。しかし、運悪くその希望は叶わなかった。ちょうど祖母の周忌の一周間前に条件がばっちりな物件を見つけたと母の従姉から連絡があったので会いに行った。雑談している間、ずっと満面の微笑みを浮かべていて、この上なく幸福だった。やっとこの地域からは抜け出すのだ、と狂喜乱舞したいところだった。ところが、その喜びに浸る気持ちの寿命は長くななかった。家に帰ってからほうじ茶を入れようと思うと、あの聞き慣れた戦々恐々とさせる叩き音が聞こえてどきんとした。他でもなく死の息吹を報ずる銀鳩の飛来なのだ。確かめなくとも翼から滲み出る石綿の匂いに眩暈がするし、口の中では滑石の味も一杯だ。この世はことごとく真っ白になり、自分の顔も青白い。それでいて、つい来客に見とれた。この3羽目も以前の2羽に劣らず清廉潔白で、言うに言われない美しさの持ち主だ。鼻瘤まで端麗。母のそばにドバトではなく、こんな綺麗なものがいれば、祖母も許してくれただろうに。この家には私以外もう誰も残っておらず、今度こそ私に道を案内してくれるのだろうか。今度こそ、他者の命を救わなくていいから自分の力不足に悩まずに済むはずだ。瞬きもせずに鳩の目を見つめている。その中には自分の推理が正しいことを証明してくれる何かが写っていないかとひとしきり静観していた。急に銀鳩は私の焦燥に辟易したせいか、悲しげに最後の一瞥を投げて飛んでいった。自分がどのように死ぬのかなどを予想していて、夜を明かした。しかし、午後になっても私は全く無事だった。おかしいなと思って家を出て近所の公園に足を向けた。夏たけなわというのに、何だか肌寒くて、体中が震えている。咽っぽくて息苦しくもある。多分、眠れぬ夜が原因だろう。幸いに行き付けの喫茶店の隣を歩いていたので、そこで温かいゆず茶を飲むことにした。死んだら、出来れば周りに迷惑をかけたくないが、一週間も誰にも発見されていない腐敗しかけた死体になるより、人がいる場所で絶息した方がましだろう。そんなくだらない事を考える余裕のある自分に微苦笑して、お店に入った。ところが、入った途端に店員さんが注文を聞く代わりに泣き崩れて早口で脈絡のないことを捲し立てはめた。何だろう、この子。はっきり聞き取れたのは、「柳原さん」と「自殺した」という言葉だけだった。柳原さんが自殺したというのか。バカな。相手がやや落ち着いてからようやく顛末を聞かせくれたが、その打ち明け話にはぎょっとして、自分にはタイムスリップ能力がないのを非常に後悔していた。自殺した人はいた。そして、柳原さんが主役というのも本当だ。でも、自殺したのは柳原さんではない。彼女の娘さんなのだ。私よりたった一歳だけ年下で、19歳の人当たりの良いお嬢さん。遺書が見つからず自殺の理由が不明だとのこと。でも、私には分かる。実はあの小町娘は私の隣家に住んでいる男に恋をしていたが、交際中には彼はならず者である上に何とかドラッグの常習者ということには長い間、気づかずにいたようだ。そして、先日、彼の本性をよく知っている私が彼女を諭してみたら、事実に目覚めた彼女は酷い衝撃を受けた。それでも縁を切るつもりはない、彼は見た目によらず善人だから、必ず救ってみせるよと言い張った。でも、一昨日、彼女は不意に振られてしまったと、私の家に駆けこみ、事情を話した。やはり救われたくない者にとっては自分を救おうとする人は邪魔でしかならない。今の段階で別れた方がお互いの幸せに繋がると思ってみたらどう?とか彼女を慰めようとしたが、あの日が彼女の人生最後の日だとは想像もできなかった。微笑みながら家に帰っていく彼女を見て、もう大丈夫だろうと思い込んでいた。女たらしの麻薬常習者に見捨てられて自殺をするなんて。彼こそ死ぬべき者なのに。その後、死ってどれだけ醜く、しかも魯鈍な盲なのかと色々と考えていたが、不本意ながら私が柳原嬢の死に間接的に関与していること、彼女が私の助けを必要としていたが、そんな重苦しい気持ちを払拭するのは無理だった。これでもう三回目なのだ。なぜ私には何の力がないのか、なぜ何もできないのか。彼女を守ろうと思ってあの常習者の素顔を明かしたが、その結果、彼女はさらに彼に同情し、未練を感じ、情火を燃やすことになってしまった。と言っても、本当のことを話すべきではなかったとも思わない。どうせ遅かれ早かれあの秘密がばれただろう。ただ、言わなかったらとにかくまだ彼女が生きていたというのも真実だ。私は母のような魔法使いだったら、祖母のように鉄の意志を持っていたら、柳原嬢のように人を愛することが出来たら、きっと銀鳩の伝えんとすることを正確に解釈していただろう。死よりこんな私の方が盲目で魯鈍なのかもしれない。独りぼっちになった可愛そうな柳原さんが生きている間、私はこの僻地を一歩離れるわけにはいくない。それで、引っ越しの計画が台無しになったが、その反面、柳原さんの喜んでいる顔を見ていると、何となく胸が温かくなる。一緒にいるおかげで、祖母と母の不仲の要因も知った。但し、あんなに知りたかったことを知った瞬間にそれを知らない自分の方が幸せだったかもしれないとやるせない思いが込み上げてきた。2人の間に軋轢が生じたのは、私が素性の分らない女の捨て子だったから。町の北部にある元鳩舎で母が赤ん坊の私を拾ってきてくれたそうだ。


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