女騎士は衛生兵に恋をする
俺が彼女ーー女騎士ラリーサ・マカロフと出会ったのは、血と薬品のにおいに包まれた戦場の後方、粗末な救護テントの中だった。
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『衛生兵は戦場に出なくて済むからお気楽な仕事だよな』
こんな嫌味を言ってきた王都の中から出たことのない衛兵に、心の底から叫びたい。
ー救護テントは第二の戦場じゃぁあああああああ!!!!!!
「ルカ!包帯持ってきてくれ!!」
「こっちにも頼む!」
「鎮痛薬はまだかっ!」
「手術台空けろ!」
一度に一気に言うんじゃねぇ!10人の声を同時に聞くことができる偉人じゃねぇんだよ俺は!
「包帯なら今ありったけ持ってきたっ!鎮痛薬ならイザークがさっき作ってたからもうすぐだ!手術台は俺が口動かしながら綺麗にしてるよ馬鹿野郎っ」
「さすがルカだな!」
「そんなお前に追加の仕事だ!」
「うぉおお、やってやるわぁあああああ!」
こんな感じに目をまわしながら動き続けていたら、いつの間にか夜だった。というか、前に寝てから何回目の夜だ?ずっと寝てないからもう日付がわからない。ベッドで、なんて贅沢なことは言わない、もう土の上でもいいから寝たい。だが、衛生兵は俺以外全員寝ている(寝ているというか気絶しているというか)ので俺が寝るわけにはいかない。状態が急変したり、急患が来るかもしれないからな。じっとしていつの間にか寝落ちするわけにもいかないし、薬草の点検でもしてくるかな。そう思って立ち上がったときに、来客があった。
「すまない、治療を頼みたいのだが」
「みんな寝てっから俺が見るよ。こちらにどうぞ」
近くにあった椅子(テント付近に生えていた木を切ったもの)を引き寄せ、全身に鎧を纏い、顔には武骨な兜をかぶっていた騎士を俺の前に座らせる。見たところ足取りもしっかりしているし、欠損部位もないようだが、如何せん鎧で全身が見えない。どこが患部かこれではわからない。鎧には血がこべりついているが、おおよそは返り血だろう。何せこの騎士、戦場では敵国からは赤鬼と恐れられているほど強いからな。赤鬼の由来は察しの通り、鬼のような強さで戦場を駆け、己を敵の返り血で真っ赤に染め上げているからだ。
「患部を見せてくれ」
「了解した」
騎士はゆっくりと両手を顔の横に動かし、そのまま容貌を隠していた兜を上に持ち上げる。兜の下から出てきたのは肩くらいで切り揃えられた、澄み切った空をそのまま切り取ったかのように綺麗な青い髪。まるで建国神話に出てくる空の女神みたいな綺麗な顔だ。今は瞼で閉ざされているが、瞳の色は一体何色だろうか?って見惚れている場合じゃない。目を閉じているということは・・・
「返り血が目に入ったか?そんな状態でよくここまで一人で来れたな」
「あぁ右目に返り血が入ってしまってな。まぁ目に頼るような戦い方はしていないから、ここまで来るのも苦ではなかった」
「そりゃすごい」
目が見えなくても戦えるってすげえな。嗅覚とか聴覚を頼りに動いてるってことか?それとも第六感か?・・・うん?右目?
「なんで両目つぶってるんだ?返り血が入ったのは右目だろう?」
「っそれはだな、あの、えっと」
「もしかして左目も痛いのか?見せてみろ」
思わず手を彼女に伸ばす。
「そうじゃない、そうじゃなくて!右目を閉じようとすると左目も勝手に閉じてしまうのだっ」
彫刻のように白かった顔に赤みが差す。なるほどな。右目と一緒に左目も閉じちゃうのかぁ。
「ぷっ、それは災難だな、ぶふっ」
「笑いたければ笑えっ」
「ぶはははっあっははははは!」
笑いすぎて腹痛ぇ!あの赤鬼が、泣く子も黙る赤鬼様が、ウィンクできないなんて誰が思うかよ。はぁ笑った。こんなに笑ったの久しぶりだな。
「すまない笑いすぎた、くくっ」
「すまないと思うのなら笑うのをやめろ!」
「悪い悪い。あんた可愛いな」
「なっ!なななななんだいきなり!」
「それじゃあ右目見るからな」
「無視するな!」
連日の激務で思ったことが思わず口から出ちまった。いけねぇいけねぇ。しかも赤かった顔をさらに赤くさせるもんだから、つい強引に話を変えてしまった。いや、俺は悪くない、あんなにかわいい反応をする赤鬼が悪いのだ。
「そういえばあんたの名前聞いてなかったな」
「ラリーサだ。ラリーサ・マカロフ。見ての通り女だが、初見は大抵私のことを男だと思ってこの顔を見たら驚くのだが」
「ラリーサか、いい名前だな。俺はルカ・スミルノフ。これでも衛生兵だからな、腰の位置やら肩幅やらで女だってのは入ってきた時からわかってた」
「やはり見る者が見ればわかってしまうのだな」
「なんか事情があるみたいだが、先に治療をするぞ」
「そ、そうだな」
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久しぶりに目を開けた(といっても左目だけだが)ときに最初に目にしたのは、夕日を流し込んだかのような優しい榛色の瞳だった。そうか、彼の、ルカの瞳の色はこんな色なのか。髪は薄い茶色で、短く切られた髪は衛生兵らしく清潔感がある。見た目は20歳くらいかな。もしかしたら同い年なのかも。ここに来る前、いや、ルカに会うまでは正直目が治らなくても良いと思っていた。今年18歳になり成人した第六王子の護衛として戦場に赴いたが、殿下が戦場に出たことは一度もない。救護テントよりもさらに後方、もはや戦場とも呼べないような安全な場所にいる。では、なぜ護衛のはずの私が前線に出て剣をふるっているのか。それは殿下の我が儘である。王族に逆らったら一族郎党皆殺しだ。だから「お前の顔は醜い」と言われた時には兜を着け、「女の騎士を連れていると舐められる」と言われたときには全身を鎧で固めて女だとわからないようにし、「俺の代わりに敵将の首を取ってこい」と言われて私は一人、戦場に立っている。このまま目が見えなくなって、殿下の顔を見ずに済むなら失明するのも悪くないと思っていた。
「患部を見せてくれ」
とルカに言われたとき、あぁこの人も「女のくせに騎士を名乗るな」とか言うのかな、と少し身構えながら兜を取った。しかし予想に反して彼からは蔑みの言葉は出なかった。聞いていると心が落ち着くような優しい声音で、私を心配してくれた。心配されるのはいつ以来だろうか。なぜだろう、彼の声を聞くたび、彼と会話を重ねるたびに胸が高鳴っていく、心が弾んでいく。早く、早く彼の顔が見たい。
「よし、目の洗浄はこれで済んだ。痛みが引くまでは眼帯でも着けとけ。あとこれ目薬な」
「助かる」
「今日はもう遅いしここで休んでくか?」
これで彼と会うのは最後か、と気分が沈んでいたところにこの発言である。飛びつかないわけがない。
「ぜひっ頼む!」
「お、おう」
嬉しすぎてつい前のめりになってしまった。落ち着け私すーはーすーはー。
「血生臭くて少し狭いテントと薬草臭くてめっちゃ狭いテントどっちがいい?」
「・・・後者で」
「りょーかい、ついてきな」
座っていたからわからなかったが、ルカは私より頭一つ分背が高いのだな。私の身長は男性の平均と同じくらいだからルカが高いのだろう。男性の顔を見上げるというのはなんだか新鮮である。
「おいっイザーク起きろ!交代だ」
「あと5分、いや3日待って~」
「薬品の調合手伝ってやんねえぞ」
「起きます、今起きました!」
「それじゃあ後頼んだ」
「は~い、ってえぇ!せ、せんぱいそのお方は・・・」
イザークと呼ばれていた17,8の殿下と同い年くらいの青年がこちらを指さしている。まるで目の前に神が現れたかのような顔だな。寝惚けてるのだろうか?
「あ~お前にはまだ早い」
「なんすかそれどういうことですか」
「ラリーサ行くぞ」
「あ、あぁ」
スタスタと口をあんぐり開けている後輩を放置して歩いていってしまう。今のは何だったんだ?というかルカに名前を呼ばれるのは嬉しいな。気分が高揚するのを感じながら救護テントを出る。
「綺麗だな」
「いっいきなりなんだ!」
そ、そんな綺麗だなんて。こんな眼帯つけて鎧つけて化粧つけてない女のことを。あー!こんなことなら化粧道具買って持ってくればよかった!髪ぼさぼさじゃないかな?汚い女だと思われたらどうしよう。
「ラリーサも見てみろよ」
ほら、と天に向かって指をさしている。つられて天を見上げると、そこには満点の星空があった。
「綺麗・・・」
思わず言葉が出てしまった。それほどに美しい星空だった。どれくらい星空を見上げていただろうか。頭が外の空気を吸って冷静になっていくにつれて顔を正面に戻せなくなっていった。
ー綺麗って星空のこと!?私とんでもない勘違いを!勘違い女だって思われた!恥ずかしすぎて死ねる・・・。
「耳、真っ赤だな」
「~~~っ」
「綺麗だよ、ラリーサ」
「・・・へ?」
さっきみたいに笑われると思っていたのに。思わず正面に顔を戻してしまった。まずい、自分でもわかるくらいに顔が熱い。なんだこの男、息するように綺麗だの、可愛いだの。
「誰に対してもそういうことを言うのか?」
「そういうこと?」
「き、綺麗とか」
「あー別に誰にでも言ってるわけじゃない。俺は思ったことしか言わない」
「・・・そうか」
墓穴を掘った気がする。むしろ穴を掘って埋まりたい。
「なぁラリーサ」
ルカには愛称で呼ばれたい。愛称なんてだいぶ前に亡くなった両親からしか呼ばれたことはないが。
「ラーラで構わない。親しいものは皆そう呼ぶ」
「じゃあ、ラーラ」
「なんだ?」
思わず口元が緩んでしまう。このあふれだす気持ちはなんだろう。答えなんて初めからわかってた。だが、この気持ちに名前をつけてしまったら、もう戻れない気がする。数時間前の、心を殺して生きてきた私に。幸せがこんなにも怖いなんて。怖いものなんて何もないと思っていたのに、こんなにも弱くなってしまった。これ以上弱くなる前に、ここを去るべきだ。そう頭では理解していても、体は心に正直で。
「星が綺麗だし、このまま外で話しながら夜更かししないか?」
「ふふっ楽しそうだ」
それからいろいろ話した。本当は騎士ではなく、花屋さんになりたかったこと。両親が死んで親戚中をたらい回しにされ、騎士学校に入ったこと。殿下の護衛として戦場に来たこと。話しただけで心が軽くなる。自分は今まで辛かったのだと、寂しかったのだとルカに話して初めて自覚した。
「聞いてくれてありがとう。さぁ今度はルカの番だ」
「どういたしまして。俺は、そうだなぁ・・・」
ルカの実家は代々薬師で、薬屋を営んでいるそうだ。ルカから聞く家族の話はとても楽しくて、私が昔憧れた、家族の形そのものだった。
「もし、俺たちが普通に街で花屋の娘と薬屋の息子として出会ってたらどうなってたんだろうな」
空が白んできたころに、ぽつりとルカがこぼしたそれはまさに夢物語で。今、言葉を発したらきっと私はここから離れることができない。聞こえなかったふりをすることしか、できなかった。
夜が終わり、朝が来る。私の淡い気持ちは夜とともに置いてきた。
さようなら、ルカ・スミルノフ。唯一の人よ。
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朝になりきる前に彼女は去ってしまった。きっと彼女はもうここには来ない。いや、救護テントなんて来ないほうがいいんだろうが。そういうことではなくて、瞳が背中が、さようなら、と告げていた。あぁ俺は意気地なしだな。交わった時間はわずかだが、「この人と一生を添い遂げたい」と思ってしまった。運命なんて言葉、信じちゃいなかったが彼女に出会った瞬間俺は確かに運命の人だと思ったのだ。きっと俺は生涯彼女を忘れることはできない。あーあ、俺一生独身コースだな。
そろそろあいつらたたき起こさないとな。あの血生臭いテントに戻るか。彼女と語り合った場所に背を向けて歩き出す。
さようなら、ラリーサ・マカロフ。運命の人よ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー8years later
「ラリーサちゃん!そこの花、裏口に持って行ってくれる?」
「わかりました!」
あの夜から8年後、2年に及ぶ戦争は私たちの国の敗北により幕を閉じた。あのバカ王子、じゃない、第六王子が、敵国と繋がり戦場の後方から大量の敵兵を招き入れた。後方には非戦闘員しかいなかったため、すぐに後方は殲滅された。彼のいた、救護テントも私がそこに到着したときには既に火の海で。生存者を探したが、もはや何が何かも分からないくらいに燃えて燃えて、すべて灰になってしまった。そこからは体が鉛のように重くなり、敵兵に捕まっても、されるがままになっていた。
ではなぜ、捕虜の身であった私が花屋でこうして働いているのか。記憶が定かではないが、私が捕まった時は、いつも身にまとっていた鎧を着けてはおらず、非常にラフな格好であったため不本意ながら敵国に、無体を強いられた哀れな女性と思われたようだ。返事も返さず抜け殻のようになっていたのも加わり、完全に被害者扱いになっていた。そしてそのまま釈放され、元敵国の(今は自国だが)の下町の花屋に住み込みで働いている。それから何度か交際の申し込みを受けたが、すべて断っている。私はこのまま老夫婦が営む花屋を継いで、後継者を見つけて、一人で死んでいく。あの夜の思い出を胸に、これからも一人で生きていく。
「ラリーサちゃんにお客さんよ~」
「はーい」
また交際の申し込みかな?28の年増の女の一体何がいいんだろう?裏口から正面の店先に足を動かす。
「どちらさまで、っ!!!」
誰何を問おうとしたまま止まってしまった。あぁこれは夢だ。あの夢の続きだ。私はいつの間にか死んでしまったのだろうか。それでも構わない、と思えるほどに幸せな夢だ。
私の目の前に彼が、ルカ・スミルノフがいる。夕日を流し込んだかのような優しい榛色の瞳が熱を持ってこちらを見つめている。この夢が、醒めなければいいのに。
「ラリーサ・マカロフさん、俺はあなたを愛しています。俺と家族になってください」
ようやく会えたのに、涙で視界がぼやけて彼の顔がよく見えない。言わなきゃ、今度こそ。あの夜とともに置いてきた気持ちを。もう二度と後悔はしたくない。ずっとずっと言えずにいた言葉を。
「愛しています。私も8年前からずっとルカ・スミルノフを愛しています」
本作品「女騎士は衛生兵に恋をする」のスピンオフ作品「第六王子は敵国のメイドに恋をする」を、5月17日に全3編投稿します。名前だけチラッと出てきた第六王子が主人公の作品です。女騎士や衛生兵も登場しますので、ぜひご覧ください。なぜ再会までに8年かかったのか、明らかになります。(追記)5月31日に「モノクロ王女は薬学教師に恋をする」を全2部構成で投稿します。ちなみにイザークくんがヒーローです(ぼそっ)