1-1.
続かないかもしれません。
自分の名前がヤバすぎる。
そう気付いたのは、自分が前世の記憶らしき物を持っていると気付いた数分後、即ち4才の誕生日の前日の事だった。
ああ、前世の記憶の内容については、ぶっちゃけどうでもよろしい。平凡な家庭の次男として生まれて、全国平均レベルの学力で二流大学を卒業し、アラサーで事故死した。その程度の物だからだ。
え? 神様転生? 転生特典? そんな不可思議が存在するのは妄想の中だけでしょう。
話を戻して、ここで重要なのは「名前の字面の解釈」が出来るようになってしまった事だ。
高峯花恵。
これが私の名前なのだ。高峯という姓だけ又は花恵という名だけならば何の問題も無いのだが、一纏めになってしまうと非常にヤバい。
現在保育園に通っている私は、これから先に幼稚園、小学校、中学校、高等学校と進学していく事になる訳であるが、間違いなく何れかのタイミングで「高峯花恵」と「高嶺の花」を掛けた揶揄に曝される。そして、その方向性がズレてしまえば容易に虐めに発展する。
要点は容貌と知性。
「高嶺の花」に相応しい孤高の美貌と学力があれば「名は体を顕す」で御の字。そこまではいかずとも最低限として十人並み以上の綺麗系の顔とスタイルとトップクラスの学力が有れば揶揄で終わる。しかしそれより低ければ……。
前世の記憶と共に当時の理解力、認識力、知識を得てしまった事で、そういう未来が訪れる事が予想できるようになってしまったのだ。
代々の苗字にも親が精一杯悩んだ末に見出だしてくれたであろう名前にも不満は無い。無いのだけれど、正直もうちょっと穏便な名前は無かったのか、とは思うのだ。うん。
平凡とはいえアラサーまで生きて社会人経験もあるメンタルだ。多少の揶揄ならば、ちょっとイラっと来たりはするかも知れないけれど、笑って受け流せると思う。だけど虐めはダメだ。怖い、というか耐えられそうにない。
「虐めにあったらまずは相談を」って誰に相談すればいいのか。もしも事無かれ主義の学校だったら、先生は良くて中立、悪ければ虐める側寄りだろうし、外部だと警察でも弁護士でも「親に言え」で終わりそうだ。勿論、親は味方になってくれるだろうけれど、虐める側や学校側に親よりも社会的地位が上な人が居れば、打てる手は転校くらいだし、転校しても同じように名前を揶揄する人は間違いなく居るだろうから、たらい回しと先送りになるだけだ。こればかりは時間が解決してくれるとも思えない。
うん。詰んでるね。