プロローグ
ネカマとは――『ネットおかま』の略語。
♂か♀か判別できないネットワーク社会における匿名性を利用し、♂が♀になりすます行為をする者達のことである。それは古来インターネット初期から存在し、依然としてネット上の至るところで確認されている。
厄介なのはその性質。ネカマは基本、モテない♂をターゲットに各々目的に沿った利を得ようとしてくる。それは、ちやほやされるためだったり、嘲笑うためだったり、貢がせるためだったり……。年々膨大な犠牲者を出し、正体を知った際には(社会的に)命を落とす者も少なくはない。
非モテの♂は実に無力である。♀を知らないからこそ、それが本物の♀と信じてやまないのだ。故にあるのは絶望、後悔、羞恥、憤怒のみ。そんなリスクを考慮して尚、♂どもはネット上の♀を追い求める。
そこにロマンスがある限り……!
◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆
あるところに悪しきネカマを極めし王がいた。
ネカマの王は僅か数か月の間に、とあるオンラインゲームで絶対的な地位を築き上げる伝説を残す。その伝説の裏には♂であることを絶対に悟られない事由が存在し、徹底され尽くしていた。
具体的な内容について。チャットにおける対話ネカマスキルのマスターは前提のもと、化粧品知識の網羅から始まり、服や下着のサイズを細かく取り決めた。♀らしい休日の過ごし方を豊富に取り揃え、よく遊ぶ架空の♀友達を20人ほど作り上げる。好きな♂芸能人(という設定)のSNSや愛読している♀雑誌(という設定)は定期的に隅々までチェックし、その他、生理周期、経験談、裏アカまで完璧に仕組んでいった。
非モテの♂どもはネカマの王の話術によってすっかり虜となり、ワンチャン……否、お近づきになりたいという欲望から高価なアイテムや装備を貢ぐようになっていく。プレイスタイルはもちろん姫プレイ。非モテの囲い達が守ってくれるのをいいことに、レベル差関係なしにガンガン高難易度クエストへ行き、レア素材アイテムを一人で掻っ攫っていく。
更には、彼の為だけの100人定員のギルドが三つ分までいっぱいに作られ、一軍二軍三軍までのランク付けをし、貢献度上位者にはネカマの王直々のご褒美を設けてモチベーションを高めさせた。
そんなこんなでネカマの王のステータスは、いつしか全プレイヤー中で一位まで上がり、事情を知らないプレイヤーからはチート扱いされるほど脅威な記録を残したのだった。
最高なネトゲ生活を手に入れたネカマの王だったが、ある日突然、自らによりその生活に終止符を打った。キャラクターネームと同じ『みゆ』という放送者名で、自慢の可愛らしい萌え系♀声によって、毎週行っていた生配信をしていた時のことだった。
「下僕のみんな! こんばんみゆみゆ~っ! みんなのご主人様、みゆだょ☆」
生配信のコメントには、
『こんばんみゆみゆ!』
『みゆちゃんちゅっちゅ(*´з`)』
『BBAキメェwww』
『こんばんわ』
『おかえり、俺のみゆ』
と、いつも通り信者とアンチが9対1の割合でコメントが溢れかえっていた。
「あ……あのね? みゆね、今日はみんなに大事なお話があるの。じっ、実はね……はわわ、や、やっぱり言えないよぅ……ふえぇ~……」
『みゆちゃん大丈夫!? 無理して言わなくてもいいよ……』
『困ってるみゆちゃんも可愛いけど、おぢさん心配だなぁ(^_^;)』
『きっつwww』
『大事なお話って何ですか?』
『何かあったなら俺に言えよ? 守ってやるから』
放送画面には2Dのオリジナルキャラクターが映し出されており、身体や口が連動されるように動いていた。ネカマの王、もといみゆは、数分程わたわたとしながら変な鳴き声を続けたところで、ついに大事な話をする決心をする……もちろん全て演技で。
「えっとね、言うよ? 下僕のみんな、驚かないで聞いてほしいの」
『無理しないでみゆちゃん……』
『ゆっくりでいいよ(^-^)』
『はよ言えゴミww』
『とても気になります』
『悩み事か? 俺に話してみろよ』
「み、みゆね。本当はね……みゆ……じゃ無くて、俺ぇ! 実は♂なんだよねぇー!!」
可愛らしい萌え声は途中から徐々に低音の♂声へと変わっていき、薄汚れたゲスな笑い声が全国配信で響き渡る。衝撃の告白にコメントは一瞬止まったが、直後勢いよく流れ始めた。
『コミュ抜けます』
『え? 嘘? みゆちゃん、嘘だよね?(°_°)』
『wwネカマとかきっsy……は? マジ? は??』
『おしまいだ……死のう……』
『ふざけんな! ぶっ殺すぞ!!』
「げぇーっへぁっはっはっは!! あー苦しっ! 腹いてぇ! 毎度毎度、このネタバラシの瞬間は最高にたまんねぇぜ!!」
大量のコメントが画面上に映るキャラクターに覆いかぶさり、画面は流れる文字で見えなくなっていた。画面は文字でいっぱいで、汚い笑い声がただただ聞こえてくるという、かなりカオスな絵面がしばらく続いた。
『信じられない……。もう何もシンジラレナイ』
『いや、待てよ。みゆちゃんと他に誰か男がそこにいるだけって可能性も……。って、どっちにしろクソみたいな状況じゃねぇか、畜生!!』
彼が一通り笑い終える頃には、コメントの数もぽつりぽつりと少数流れる程度まで減ってしまっていた。残ったのは、騙された腹いせに罵詈雑言を並べるコメントか、事実を受け入れられずに絶望し尽くすコメントだけとなった。
「っはぁー! 笑った笑った。お前ら、たった数か月の間だったけど楽しませてもらったわ! じゃ、またな! まっ、もう会うこと無いと思うけどなぁ!! げぇはははは!!!」
その言葉通り、既に8割以上のリスナーがコミュニティの登録解除をし、彼がやっていたオンラインゲームでは彼の通報祭りが行われ、その影響でアカウントはBANされていたため、本当に会うことは無いのだろう。といっても、これっきりで全部辞める予定だったネカマの王には痛くも痒くもない行為だった。
生放送は未だ混乱しているコメントをよそに、ぶちっと唐突に切られた。
「ふぅ、今回のネカマプレイもこれで終わりかぁ。……あーあ、俺、20も超えて何やってんだろ」
冷静になって考えると得るものは何もなく、ただただ虚しさだけが残るのだった。こうなることは何度も経験してわかっているはずなのに、騙す瞬間の快感が忘れられずにこうして何年もネカマを繰り返してしまう。いつしか彼はネカマの王として、誰もが信じる完璧な♀へと化していったのだ。
「はぁ。そろそろ俺もネカマ界から足を洗おうか――ん?」
放送が終了してもコメントを流すことは可能で、まだ画面上にはコメントが流れていた。普段ならアンチコメントなど気にもしないネカマの王だったが、一つだけ気になるコメントが流れてきた。
『裏切った貴方を僕は許しません。貴方を殺し、僕も死にます』
「何だこれ。殺人予告ってやつ? 怖えな。まぁ、今回は顔出しも身バレする要素も無かったし、問題はないと思うけど……。前にオフ会した時は色々あって散々だったからなぁ。結局引っ越すことになったし」
そう言いつつ『みゆ ネカマ バレ』という検索ワードでエゴサをしている様子から、やはり信者たちのその後の動向が気になるようだった。ざっと流し読みをし、エゴサが大体終わった頃にはそんな不安感も薄れていた。
「うーん。まっ、大丈夫か! それより今日頼んでおいた新作ゲームまだ来ねぇな。だいぶ時間過ぎてんだけど」
ネカマの王はその日、新たなネトゲを始めるために宅配を頼んでいた。生放送が終了する予定の時間から丁度1時間後に着くように依頼していたのだが、到着予定時刻からもう30分以上も音沙汰がない。いっそのこと、こっちから連絡してやろうか。そう思っていた時だった。
ピンポーン。
静かな部屋に耳に付くチャイムが鳴った。
「はー、やっと来たわ。頼んでた新作、グラフィックがめちゃくちゃ綺麗で、割と楽しみにしてるから早くして欲しいよね。へへ、次も姫プレイでトップまで楽して上り詰めてやるぜ!」
ウキウキの足早で印鑑を持ち、外に誰がいるのか確かめもせずにドアを開けた。部屋の中にいると全然気づかなかったが、外は小雨が降っていた。
そこには透明ビニールのレインコートを被り、ぽたぽたと水滴を垂らしながらも俯く中学生くらいの少年の姿があった。
「……おい、お前誰だよ」
予想外の来訪者に、咄嗟にドアを閉めようとする。
しかし、少年は物凄い力でガッとドアをこじ開け、無理やり部屋に入ってきた。思わず後退りするネカマの王だったが、少年の持つキラリと光るある物を見て、その場から動けなくなってしまう。
「それ、包丁か? やめろ。マジ笑えないから。こっち来るな!!」
「貴方が悪いんですよ? 何度も何度も何度も何度も、人を騙して。信じてたのに。性懲りもなくまた人を騙して。許せない。許せないいいい!!」
ネカマの王は必死に記憶を辿っていた。先程のリスナーであることは何となく察しはつくが、それよりも前に見たことがある気がした。
……それもそのはず。
その少年は純情故に長年に渡り、幾作品において彼に騙され続けてきた信者。彼がネカマを始めるきっかけとなった人物。
そして、前にオフ会でネタバラシした後、毎日ストーカーのように迷惑行為を繰り返してくるようになったため、やむなく引っ越すことになった根源とも言える人物だった。
「お、お、お、落ち着けって、な? 今まで騙してきたことは謝るし、もうしないから! だからその持ってるもんしまえって。な? な?」
「……黙れ。僕はお前を殺す。そして、僕も死ぬ。もう決めたんだ」
人間、一度決意が固まると時に物凄い力を引き出すのだろう。相手は自分より一回りも小さな少年にも拘らず、彼は全く力が及ぶと思えなかった。
話しは通じないし、腰は抜けて動けないしで、死を覚悟した時には既に腹部から熱を帯びていた。
強烈な激痛が走る。
今まで体験したこともない痛みに声も出ず、唸りを上げるが、間髪入れずに何度も何度も何度もめった刺しにされていた。
『あー、くそ。段々痛みも意識も無くなってきた。こりゃ死んだわ。はぁ、こんなゴミみたいな死に方するんだったらネカマなんてするんじゃなかったな。……せめて来世では……真っ当に生きよう……』
ネカマの王は後悔しながら絶命したのだった。
◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆♂♀◆
ネカマの王がハッキリ意識を取り戻すと、そこに見慣れた景色は無く、異世界ファンタジーお馴染みの中世ヨーロッパ風の世界が広がっていた。ネカマの王はこの手のライトノベルにも、似た世界観のMMOにも精通していたため、直ぐに置かれた状況を理解し、すんなりと受け入れた。
そして、こうつぶやくのだった。
「これが異世界転生かぁ」
今いるのは盛んな街のど真ん中らしい。偶に見かける獣人や、見たこともない生物が空を飛んでいたりと、元いた世界とはかけ離れた場所であることが見て取れる。とはいえ、何故彼がここにいるのかという経緯まではわからなかった。
そこで、しばらくあてもなく歩いていたところ、丁度お店の売り物で大きな鏡があり、今の自分の姿が映ったのだった。その姿は前世の冴えない青年とは思えないほど、目がクリクリと大きく、中性的な顔立ちで、肌ツヤがいい美♂だった。
感心するようにまじまじと自分の顔を眺めるネカマの王。やがて、いつも通り性懲りもなくある決意をするのだった。
「……よし、俺はこの世界でも♂をたぶらかして生きていこう」