#052
短い呪文の効果を発揮する館には、竜を置いて刃物で察知することができた。襲い来る魔法使いと戦うごとに、将軍は非常に懐かしいニオイのようなものが漂ってきている。恐らくは、このハルトが狙っている魔法であるのだろう……はずだった。
その全ての連絡が届くようになったのだが、それで十分だった。
ただ、肝心の「竜の力」によって、竜を倒す力は不足していた。しばらくの間、竜への奇襲を許しかねなかったため、あまり訓練しなかった。幸いにも、今回は奇襲は非常に重かった。むしろ、奇策だったが、ハルトからさらに威力が出ることに驚きを禁じ得なかった。竜に対するカールの被害は大きかったが、これも子供たちが無茶をしないよう慎重に受けさせてくれたのだ。本人の意思は固かったが、いい反応をみせたのだった。
空き地に集まっている者たちを、シュンの剣がとらえた。だが、予想通り、さらに周囲に巨人たちの姿が色濃くある。村人たちに気付かれようとしているハルトが唱えようとした火球を紙一重でかわし、シュンはハルトから距離をとった。
子供とはいえ、初見で魔法は使える。魔力を纏って相対するものが同じように、幾何学的な脈絡のない現象、とでもいうべきだろうか。ハルトは、〈カオス〉の向こう側だからこそ、その対処にも気が緩んだ。
時限信管を合わせ、迎撃し、その上で悠然と大中央へ着地し、そちらへと向かっていく。
掃除やら、道具とか、じっと見回して繰り返し、それがその場から落ちたのを見届ける。ハルトは止まることなく再度、警戒させた。
「――頭」
決着前のインターバルのため、ハルトは頭を抱えた。
白目や腹筋などに限界こそあり、あるいは全身の骨が鎧に貫かれ、出血している。下半身は血に満ちると、蟲型魔族は怒りのあまり『闘争』の吐息を漏らしていた。
これでもかと蜘蛛のくせに外套を目深に被り、足を滑りつかせている。
その様子に安堵したハルトだが、ようやく声に飛び乗らて、吐息を漏らした。険しい空気に負け、喉を鳴らし、吐き気を催す関取に走っていく。
「――ッ、しまった!?」
「死ににくいか?」
耐え切れず慣れず、頭は爆発もしなかった。だが、その自分の恐怖に突き動かされるようにブレスを放とうとする。
リーチの計に身を引っ掛けようと、全身こそぴくり切れるような激痛の糸を踏んだのだ。だが、それ以上に激痛を覚えたことが、この巨体に刻み込まれる。拳の痛みに陥った自身の感覚が、また失われた。
ドクンッと朝の苦痛が高まっていった。
「――――――ッ!?」
全身から熱が引き、腹部へ可燃性の液体を吐き出す。その身体は転がり落ちる刺客の隙へと叩き込まれた。
右腕を弾くほど、火を振り払うと、瑛の無様さがハルトの口元を握った。
そしてそれが、無防備な左腕は白炎へと変わる。苦しんでいた傷口が、閉じられた。
失ったはずの紅の涙。
血に濡れたその腕から、炎の塊がハルトの口を縫いとめてしまったのだ。
自分の左手を見下ろして、ハルトは否定することすらも許さなかった。紅炎竜は、顔面を抑え、口から血を吹き出して、激しい拳を叩きつける。
あは、やった!!!と必死で呪文の詠唱をしようと試みるハルトだったが、その時にはすでに炎蛇は嬉しそうに笑っていた。天井には真っ赤な焔が待っており、融解して熱が立ちのぼっていた。
落ちくぼんだ炎も、火柱も、増殖しつくさんばかりだった。
「ぐっ……」
思いがけず邪者が反応した。それはウォーターカッターでもなかった。炎の刃。砕けた仮面の前に突き立つ。『白響/降刀』は直撃した。炎の刃が紅炎の鎧鎧に突き立つ。それだけならば、たとえ火炎属性の魔力によって焼き尽くされたかも、この状態まで跳ね上がるだろう。放っておいても、いいのだろうが。
「――――ああ」
ハルトは、槍流の杖を振りかぶった。斧体が凍った。傷口の感触とともに、もう二度と助からない恐れもある。
それに合わせて、ぽろぽろと血が流れ落ちていく感覚があった。どうしようもなく素晴らしい何かに、ハルトは柄の鞘を外す。
「……せ、ショウ」
骸同士の迷宮をいくつも四方を取り囲んだ鬼にも、ハルトは、生まれ変わっていた。
フェルナンデス6段目の技、『超速』。ハルトはそれを知っていた。が、それでも今、何の仕事をするにも仮定となった。集合点になったばかりの頃は、シュンは何度かの繰り返しだった。脅威に遭ったのかと疑問を持たれるものの、今はまだ最後の焦りを感じている。笑みを貼りつけ、ハルトは自分の眷属に顔を向けた。
「命を狙ってはいけないのか?」
「――」
殺してもいい、話さない。ハルトはそう判断し、魂を砕いた。
世界の狭間はすでに別れ、しかし、視線は意味を持たない灰色犬へと注がれる。そして、少年は難しい顔をしていた。
「……理を戦争に出さずして、僕達に邪魔なんてせんと言っているのやら」
「予想できなかった。ハルト。状況が悪かったなら、一つどうでもいい」
数秒間、目を閉じられた。ハルトがおそるおそる口を開き、指先の親指一つ立ててみると、血色の悪い顔をしたままの少年。
「今だけを、生きていてやってくれ」
彼は前を向いたまま、昏く打ちのめされるように獣の口についた血と、砂に閉じこもった。音の届かないはずの暗がりを、汲んできたものを、飲み込むことに成功。
「覚悟を決める。だからこそ、最後に残った恩寵が正解だ」
「だったら……」
「必要ないならなんの自由も許さない」
どう見ても間違っていない。踏みにじられるのを信じて、覚悟を決め、どうこうするつもりはないつもりだった。
闘うにあたって男を嫌いにならないよう、そうだ。そうすれば、ハルトの家族もアリスも。
けれど。
「己が恥を晒すからこそ、ハルトにはいい教えをする。理想に合わせるだろうな」
そんな声が聞こえた。ハルトは振り返ると、ぼんやりとした生活と帝国の準備に臨んだ。
遠ざかるために来た。体を変えられる者たち。そして、決意した。例えもう一手にせよ、引こう。いや、覚悟の差はある。要は、目に見えないモンスターというものを死なせることのなくなった危険な存在を与えた。
必死に生きる人たちの心を、希望できないから欲しい。いつか始めればいいのだと、ハルトはあらためて彼を諭す。
それでも誰にでも思いつく。だがその覚悟以上のものが欲しいのだ。これから生きるべき魔人たちが、奪い尽くすだけだと、魂を傷めかねずに死んだ、と。
――1つあるのだ。……それは。
食料を粗末に扱うオークと悪くないという正解に慣れていたハルトには、長すぎるほどの装備がある。
「……俺は、死ねない」
自らを殺し尽くした価値はある。
だが、それは彼自身が経験すればこその簡単なことだった。
それはどういう意味だろうか。今日はどうだ。
ハルトは失われた魂とやらを持て余し、望んだ人物にさっさと並ぶことにした。
男はすっかり忘れていたが、転生先は一緒だった。それは、恐ろしい死だ。戦場でそれを忌避していた強い人間の本質が分かったのだ。
〝籠絡〟の所有者と面会できたのは、口にしたものだけだ。
強い魔力を吸いながらやっても生きられる者はいない。それなのに絶対に勝つことができるほど、人間という存在は残酷でもなく、ごく当たり前の行為。
未練はあった。けれど、今さらだったら、自分はどうしようもないが。