すぐに、忘れる
桜は散って葉桜となり、心地よい風を頬に受けながら、赤井宏人はぼんやりと行き交う人々を見ていた。
正確に言うと、大学の授業が休講になったので、暇つぶしに好みの男を物色していた、ともいう。
あれは背が低すぎる。
できればもっと腕に筋肉のある男がいいな。
髪型がちょっと…マイナス。もったいない――。
などと勝手に評価していた彼は突然体を起こして、正門側から入って来た青年を見た。
完璧なくらい、自分好みの青年だった。
目はぱっちり、背丈も自分より少し低い170センチ程度。痩せすぎず太りすぎず、筋肉はそこそこついている。髪型もパーフェクト。アイドルのような華やかさはないが、彼なら誰が見てもイケメンと答えるだろう。
こんな男、いたんだ…。
宏人は見ているだけでは満足できず、ベンチから立ち上がると急いで後を追った。
「ねえ、ちょっと」
「ん?」
呼ばれた青年は立ち止って振り向く。そして、宏人を見て目をぱちくりさせた。
「いきなりごめん、俺、赤井宏人。君は?」
「僕ですか? 黒木涼です…けど…?」
「リョウってどんな字を書くの?」
「涼しいのリョウだけど…」
「おい、涼に何か用事か?」
涼くんが説明をしている途中、突然、背後から男らしい声がして振り向くと、宏人と同じくらいの長身でかなりのイケメンが立っていた。
宏人は男好きだが好みがある。顔がよければOKなわけじゃない。
よって、突然現れたイケメンは好みじゃなかった。
「えっと、あんた誰?」
「俺は立花桃也。こいつの友達」
「あ、どうも…」
この男のせいで、涼くんに声をかけたことをちょっと後悔した。正直、面倒くさいな…と思う。
立花はじろじろと宏人を見ている。たいてい友達というのは、すぐにじゃあな、といなくなるのに、立花は動かない。
「こいつに何か用か?」
「あ、うん。俺が声をかけたのは彼であって、君じゃないんだけど…」
そう言うと、立花の目が吊り上がった。
真ん中の涼くんは困った顔で二人を見ていたが、ため息をついた。
「立花くん、何か用事ですか?」
「お前が困っていると思ったんだ」
「困るとはどういう意味でしょう」
何だろう。この会話。
宏人は、涼くんの口調がやたら堅苦しいのに驚いた。
「まあいい。もうすぐ授業が始まるぜ」
「えっ」
涼くんはサッと腕時計を確認すると、頷いた。
「確かに君の言うとおりですね。ごめんなさい、赤井くん、もう行かなくては」
「ああ、うん。ごめんね。声をかけたりして」
「いいんですよ。それでは」
涼くんは、急ぎ足で校舎の方へ行ってしまった。立花がひと睨みしてようやく去る。
取り残された宏人はキョトンとして息をついた。
なんで声かけちゃったんだろう。
でも、残念…。
次はないな。
宏人は肩をすくめた。
自分でも信じられない行動で首を振った。
まったく…何考えてたんだ? 俺。
しかし、その後、校内で涼くんをよく見かけるようになった。
顔を把握したからだろう。
廊下ですれ違ったり食堂で見かけるたび、立花が一緒だった。
ある日、涼くんが一人でいるのを見かけた。
食堂でラーメンを食べている。
宏人は自分もラーメン定食を頼むと、トレーを持って隣に座った。
「こんにちは」
「ん?」
涼くんは横を向き宏人に気付いても、顔色一つ変えず頷いた。
「ああ、赤井くんですね。お久しぶりです」
丁寧なあいさつに面食らう。
「一人?」
「はい。立花くんは用事があるとかで」
「ふうん。いつも二人でいるよね」
「……そうですか? 意識したことありませんでしたが」
「その言葉遣い疲れない?」
「よく言われますけど、楽なんです」
涼くんは苦笑すると、ラーメンを食べ始めた。そして、汁を残して器を置くと、水を飲んだ。
行ってしまうかな、と思ったが、彼はその場にとどまり、水のお代りをした。
「赤井くんもラーメンですね」
「俺の事、宏人って呼んでくれないかな」
「えっ」
涼くんが目をパチクリさせる。
「どうしてですか? 君とは会ったばかりなのですが…」
「あー、ヤなんだよ。その赤井くんとかっていうの」
「分かりました。宏人…くん…?」
「いやいや、やめてそれ。もっとヤダ。宏人って呼び捨てでいいんだよ」
「宏人?」
名前を呼んでもらうと、ドキッとした。
宏人は、なんとなくもぞもぞしたが嬉しくて笑顔になった。
「その方がいいな」
「分かりました」
なんかすごく新鮮な感じ。
中学生の時、やたら真面目な奴がいたが、ここまで堅苦しくはなかった。大学生にもなって、彼はまだ少年っぽさが抜けていない。
涼くんの顔をマジマジ見ると、目が大きくて鼻筋の通っている事に気づく。
顔は好みなんだよな。
と、宏人は納得した。
だから、声かけずにいられなかったんだろう。
「涼くんの趣味は何?」
「趣味ですか? えっと、映画鑑賞です」
「ふうん。俺、映画観に行ったことないや」
「たまには映画館もいいですよ。僕は邦画が好きなんです」
邦画ねえ…。好みの男優が出ているなら観てみよっかな。けど、エッチシーンはないんだろうな。
「ふうん…」
宏人はラーメンを食べ続けた。その間も涼くんはただ隣に座って待ってくれていた。
「ごちそうさま」
宏人が手を合わせると、涼くんがくすっと笑った。
「どしたん? 何で笑うの?」
「いえ、美味しそうにラーメンを食べるんだなあって思ったんです」
「普通だけどね。涼くんはこれから授業?」
「はい。この後は経済学が入っています」
「そう」
自分も授業があるが、コースが違っていた。
「それでは、お先に失礼します」
涼くんはトレーを持つと行ってしまった。
宏人は空になった器を片付けるために立ち上がった。
涼くんがいなくなると、途端に退屈になる。
映画かあ…。どこが楽しいんだろ。理解できんな。
一人で肩をすくめると、自分も授業を受けるため食堂を出た。
出たところで、スマホにラインが入った。
見ると、男友達だった。授業が終わった後、飲みに行こうと誘いの連絡だ。
もちろんOKだ。飲みに行った後は自分の部屋でお泊まり。いつものパターンだ。
返事を返している時には、すでに涼くんのことなど忘れてしまっていた。