表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

EP/4:真夏の通り雨


《chapter:4-1》

「あの、さっきから、一体、何が終わるって言うんですか?」

「ん?あぁ、今の時代、何事も時間短縮が望ましいとされているからな。オレ達も時代に乗り遅れないよう、同時進行でいかないとな。」

セイトカイにはオレの言葉の真意が見えないのだろう。セイトカイは手に持った荷物を強く掴んだまま、怪訝な表情を隠せない様子でソファに座りなおした。

「シンブンブが、彼女が今ホケンイのところに行っているのは知っているな。あっちの話し合いが終わり次第、オレたちもホケンイのところに向かって合流する予定だったんだ。まぁ、おそらく保健室ではなく別の場所で落ち合うことになるのだろうけどな。」

「え、そ、そんなっ!」

あまりにも予想しなかった言葉にセイトカイはかなり動揺した様子だが、オレは先ほどセイトカイに淹れてもらったコーヒーをゆっくりと飲み、PCの画面を眺めて『彼女』からの連絡を待っている。計画が無事に進んでいれば、時間的にそろそろ連絡が来るだろう。

「その前に、こっちも話を詰めてしまおうか。」

「……。」


セイトカイの表情が少し歪んだのを、オレは見逃さなかった。

タイミングはやはり今しかない。これ以上、過激な方向に向かう前に。


「少々お前には酷な内容になるかもしれないが、そのまま座って聞いていてくれ。こちらからキミに質問することはほとんど無い。あくまで、今回の案件の確認だ。」

セイトカイの無言を承諾として見なし、オレは調査報告書を見ながら話を続ける。

「今回のホケンイからのストーカー被害の相談、オレは当初、男子生徒への誘惑の噂がその原因なのかと思っていた。その純粋な心を弄ばれたことによる恨み、あるいはそういった類の怨恨が今回の事件を引き起こしたものだと思っていた。しかし、オレ自身の調査やシンブンブにより生徒への聞き込みで得た情報は、その予想とは違っていた。もちろんどの生徒も噂話については知っていたようだが、実際にそういって経験をした者や具体的にどういったことがあったか知っている生徒は誰もいなかった。おそらくこのホケンイの噂は、犯人によるホケンイの日頃の行動へのけん制が目的で行われたものだったと考えられる。そんな噂が広まればホケンイは自然と生徒との距離に気を使うだろう。ホケンイ本人の性格からすれば、その距離をとる方法はおのずと見えてくるというものだ。そうなればホケンイ自身にムダな世間話をしにやってくる生徒も減る。ホケンイも一人の時間ができれば反対派としての個人的な行動も増えていく。しかもホケンイの手元にはもう【聖者の密告書】があったわけだから、隙さえあれば自ずと書類作成に取り掛かるだろう。まぁ、実際その犯人がそこまで考えてなかったとしても、結果的にあの噂はかなりの効果だったというわけだ。」

セイトカイは静かにオレの話を聞いている。一応、セイトカイが機関室から走って逃げてしまう事も考えてはいたが、どうやらそういった予兆は見られない。

「実際のところ、オレもホケンイが反対派の人間だと知ったのは、シンブンブが捕獲された後に行った経過報告のカウンセリングの最中だ。オレが挑発とも取れるような質問をしたのも悪かったのだが、それがきっかけで今回の問題の本質に辿り着くことができた。それと、調査によって浮上してきたホケンイがここの学生だった頃の交際相手と会う事が出来たのも大きかった。彼はこんな時間が経ってしまった今でも、ホケンイの事を心配していたよ。もちろん、当時放火に遇ってしまったその家族の事も。その人がいろいろ話してくれたんだ。ホケンイの弟さんが、反対運動の際に投げられた火炎瓶がきっかけで亡くなったこと。その復讐で、ホケンイがその投げた反対派の人物の家に放火をしたこと。」

「……。」

セイトカイ自身もこの先オレに何を言われるかはもうわかっているはずだ。

しかし、それがオレの話す気持ちを軽くするわけではない。

「そして、その放火先がキミの家だということもわかった。当時、あの反対運動の先陣を切っていたのは、当時のセイトカイ、つまりはキミのお兄さんだったんだな。」

オレはそこで一度話を区切ると、少しぬるくなったコーヒーを口にする。

少しの間の沈黙。外の雨の音だけが機関室を包んでいた。オレがもう一度コーヒーを飲もうとグラスに手を伸ばした瞬間、セイトカイは小さな声で話し始めた。

「あの日は、ボクと両親で母の実家に行っていたんです。兄は反対運動の為と言って、家に残っていました。今思えば、無理やりにでも引っ張って連れて行くべきだったのかもしれません。兄は、あの火事で大きな火傷を負いました。幸い、命こそ助かりましたが、今でも顔には大きな痕が残っています。そのせいもあって、その後の学校生活では酷い仕打ちを受けたそうです。ついこの間まで肩を並べていた人たちが、急に兄をぞんざいに扱うようになりました。あんな火傷の痕があれば、就職先でも白い目で見られてしまいます。しかもその傷痕の原因には、機関設置の反対運動があるわけですから。兄は今も死んだような顔でずっと生きています。部屋からも出られず、閉じこもったままです。反対運動の思いも叶わないまま、ホケンイのせいで、あの火事のせいで兄の人生は大きく変わってしまったんです。」

バックを握りしめたまま、セイトカイは話し続けている。話し始めた時とは少し様子が違い、段々と言葉の一つ一つに熱がこもり始めているようだ。

「それから兄は、機関の反対運動には一切口を出さないようになりました。もちろん、ろくに会話もしていませんから、ボクがその話をしても、なにも反応しなくなりました。制度が変わって、公には活動しづらくなりましたし、反対派の活動形態もネットやSNSが中心になりましたから、兄としてもそういった変化についていけていないのかもしれません。だからボクが、兄に代わって活動を始めたんです。」

セイトカイには言っていないが、その後のオレの調査で、セイトカイとその兄はかなり年齢が離れている事がわかっている。おそらくは当時まだ幼かったセイトカイ頃に両親が離婚している事が背景にあるのだろう。セイトカイ兄弟はどちらも父親に引き取られている。

「あのホケンイがこの学校に赴任してきた時は、なにかの運命なんじゃないかと思いました。だって、兄の意志を継ぐ活動と、兄の復讐が同時にできるなんて、こんな偶然、誰かが導いてくれているとしか思えなかったんです。」

セイトカイはまるで何かに取り憑かれたかのように目を爛々と輝かせながら話し続ける。

「兄の願いの為にも、ボクはすぐに【聖者の密告書】を取り寄せることにしました。こんな機関ができたせいで、兄はあんなことになったんだ。今ボクが書いているのだって、もう二通目です。一通目の報告書がとても良い出来栄えだと評価してもらえたんです。【ブロウズ】の活動内容をよく調べられていると。とても嬉しかった。兄の活動と、ボクの活動が認めてもらえたんです。今回の報告書がまた評価してもらえれば、ボクだって彼らの、『聖者』の一員として認めてもらえるはずなんです。」

「わかった。もういい。」

「ボクだって、普段は大人しくしているけれど、やればできるんですよ。学校での信頼を勝ち取る為に委員会の仕事だって人一倍頑張ったんです。それもこれも、全ては【ブロウズ】の調査をしているなんて思わせない為と、もし何か問題があったとしても、自分に疑いの目が向かないようにする為でした。そんな時、ホケンイの噂を耳にしました。これを利用しない手はないでしょう?兄をあんな目に遭わせたホケンイが、今じゃ生徒の間で淫乱教員だって言われているんですよ。そんな奴が書いた報告書なんかより、ボクの書いたものの方がずっと良いはずなん」

「もういい、と言っているんだ。」

二度目のオレの制止でようやく気付いたのか。セイトカイはハッと気付いたような表情でこちらを見ている。無意識のうちに話していたのか、自分の吐きだした言葉をおもいだして、後悔しているようだった。

「キミがどんな気持ちで活動していたのかも、何を目的としていたのかもわかった。オレにはそれを否定するつもりも権利もない。だから、もういいんだ。これ以上ここで話さなくても大丈夫だ。少なくとも、オレには、な。」

「少なくとも、ですか。ここから先は警察ですか?それとも、機関としての独立性を使って、ここで処罰を下すんですか?」

オレの言葉に反応するセイトカイの声には、まだ若干ではあるが熱がこもったままだ。今まで抑えつけていた蓋が、ゆっくりと開き始めているのかもしれない。

しかし、これで良い。

オレの目下である限りは、それが一番良いはずだ。

おそらく彼女の方も、同じ状態になっているはずだ。

オレは彼女からメールが来たことを確認すると、椅子から立ち上がり、セイトカイの目を見て話した。

「残念ながら、そのどちらも違うな。今回はあくまでオレ個人としての公的校的機関の活動範囲の問題だ。支部や本部の認可によって行う処罰はもっと先の話、そもそもキミにそんな書罰が下るかどうかも定かじゃないんだ。キミが今まで抱えていた事の、さっきの言葉の続きは、キミが本当に言いたい相手の目を見て言って来い。」

「どういう、ことですか?」

やはりまだセイトカイはわかっていないようだ。オレはPCの電源を落とし、コーヒーを飲みほして機関室のドアノブに手をかける。ここからが、作戦の核だ。

「今からホケンイたちと合流するぞ。直接、ケンカしてこい。」

そう言って不敵に笑うオレを、セイトカイは今日一番の怪訝な表情で見ていた。



《chapter:4-2》

 雨は先ほどよりも少し強くなってきているようだった。

多少の雨の中でも練習を行っていた部活は、この雨足で練習を切り上げ始めているようで、体育館からは雨から一時避難をしている生徒たちが集まっているようで、いつもより多い声が多く聞こえてきている。オレとセイトカイ、彼女とホケンイのペアは、そこから少し離れた体育館と校舎を繋げる長い渡り廊下で向かい合っている。オレがセイトカイに話した内容を彼女もホケンイに伝えたようだ。

「よう、どうやら無事だったみたいだな。」

「えぇ、そちらも。無事で何よりだわ。」

オレの気の抜けた声掛けに、彼女もいつものように答えた。そしてオレと彼女は二人から少し離れた、渡り廊下の端に移動する。その場に残され、向かい合ったセイトカイとホケンイは気まずそうな顔をしてこちらの方を見ている。

「あぁ、キミたちはそのままそこから動かないで。いいかい、二人ともそこから動かないでくれよ。これから何があっても、その場から一歩でも、今以上に、お互いに近づいてはいけない。これは絶対だ。二人とも、ここに来る間にその条件は聞いているはずだ。その約束が守れない場合は速やかにこちらも処罰を施行する。セイトカイには保護者と警察への連絡を。ホケンイには機関支部から反対派の団体、および警察への公務妨害の通報だ。お互いの進路と仕事と、目前まで迫っていた各々の念願成就の為にも、これだけは守ってもらうぞ。自分がどういう判断をするべきかわかるはずだ。いいか、何があってもだぞ。それだけは約束してくれ。」

オレは今回の作戦の要である「二人を直接対面させる」という、あまりにも無謀な条件をそろえる為に、セイトカイとホケンイが自身の行動で警察のお世話になる過去や問題があることを理由にして、オレはこの条件で2人を立ち会わせることにした。公的機関の立場を利用した強引な方法ではあるかもしれないが、オレはこうするしかないと思っていた。初めにこの作戦を彼女に伝えた際はさすがにシンブンブも彼女も反対したが、そこはどうしても譲れないと言い張り、半ば強引に納得させたのだ。自身の立場を考えれば特権乱用も甚だしいが、今回の問題を完全に解決させるにはどうしても二人を直接対面させる必要があったのだ。

「ホケンイには全部、話したのか?」

あの二人には届かない声で、オレは彼女の顔を見ずに話す。彼女もその意味を察したのか、オレの顔を見ずに落ち着いた声で答える。

「えぇ。全て話したわ。自身の放火の罪を誰が背負って貴女の前から姿を消したのかも。自身が放火した家のお子さん、今回の全てのきっかけになったあの火炎瓶を投げた張本人の弟さんが今、どこの高校で生徒会に所属しているかも。全部ね。」

「そうか、わかった。いろいろと、すまなかったな。」

彼女はオレが言った謝罪の言葉になにか思う事があったのか、ちらっとこちらの顔を見てきたが、すぐに視線をあの二人の方向に戻し、柔らかい声でいいえ、と一言だけ答えた。

「さぁ、ここが正念場だ。今までもずっとギリギリの作戦だったが、ここだけは一瞬たりとも気が抜けない。お前はホケンイの方を頼むぞ。」

オレは彼女にそう言い残すと、大きく息を吸った。


おぉい、聞こえるかぁ。


オレの声に反応した二人が、ほぼ同時にこちらを振り向く。


お前らがずっと、ずっと言えなかった事を!

心の奥に押し込んできた本当の思いを!

自分の目の前にいる人間に!

もっと早く話すべきだった相手に!

直接目を見て!直接言い合うんだ!

陰でコソコソするな!

何かのせいにして逃げるな!

名目でも復讐でもなく!

自分の意志を伝えるんだ!


オレは二人にそう言い終えると、小さく咳払いをしてあの二人の方を見つめた。横で彼女がオレを見て小さく笑っているような気もするが、今はそんなの気にはしない。もしかすると他の生徒たちにも聞こえてしまったかもしれないが、教室のベランダや廊下の辺りをみても、覗きこんでいる生徒や教員はいないようだった。オレの言葉はあの二人にもちゃんと届いたようで、お互いにチラチラと目を合わせては背け、本当にそんな事をしていいのかと迷っている様子だった。二人とも反論してこないところを見ると、セイトカイもホケンイも、お互いに言いたい事が無いわけではなさそうだ。


雨の音は段々と強くなってきている。

やがてセイトカイの方が先に口を開き、声を出す。

どうして、あんなことを。

それに答えるホケンイの声。

それは、こっちのセリフだわ。


お互いだけが聞こえるような声の会話がいつしか、二人はこちらにも届くほどの大きな声で、ぐしゃぐしゃに泣いて、わんわんと嘆きながらも決してその場を動かずに、まっすぐに言葉をぶつけ合っていた。

今日まで自分を突き動かしていた過去を。

押し殺してきた感情を。決して許すことのできない相手に。

決して許す事の出来ない人間の弟に。


人殺し!人殺し!あの子を、弟を返して!返してよ!

アンタだって!兄ちゃんの人生返せよ!なんで家に火なんか!


「ねぇ、ひとつ聞いてもいいかしら。」

二人のやり取りを見守りながら、彼女はオレに声をかけてきた。オレもあの二人から目を離さないまま、なんだ。とだけ答える。

「あの時は貴方がどうしてもと言って聞かなかったから、それ以上問う事はなかったけれど、どうしてあの二人を直接会わせたの?」

彼女の言葉は一般的に考えれば真っ当な質問だろう。こういった加害者と被害者の関係である二人を、過去に因縁を抱えている二人を面と向かって話させることは、機関の解決方針からしても好ましくない方法だ。実際、最悪の事態も起こりうる内容だった事もあり、このことは正直に機関の志部長にも報告書ではなく電話で直接報告をした。オレが描いた無茶な作戦に、支部長は電話越しでも呆れている表情が想像できたが、オレの話を最後まで聞いて、どうにか納得してくれたようだ。ただ、万が一の可能性を考え、支部長も機関側でしっかりとしたバックアップや非常事態に備えての受け入れ態勢を整えてくれているようだ。

「んー。なんて言えば正しく伝わるか、わからないんだがな。」

オレはポリポリと頭を掻きながら、自分なりの言葉で彼女に話す。

「あくまでオレの意見だけど、人間同士の関係が悪化する理由なんてものは、ほんの些細な事がきっかけなんだ。癇に障るとか、礼儀がなっていないとか。今風に言うと空気が読めない、なんて理由もある。でもそういうことって、本人や相手に直接言えないだろう?仮に言えたとしても、それは予め言う側が人数を揃えて言う場合が多い。注意を促すのではなく、警告と言う形でな。そしてそれとほぼ同時に相手を虐げるような行動を起こしている事も多いんだ。ハッキリ言えばいじめってやつの始まりだな。そして総、そういった行動を起こす理由は総じて些細な悪意と言うか、面白そうだからとか、あいつムカつくからなんていう主観的な考え方が大半だ。もちろんそれがすべてではないが、要は当人同士が直接やり合わない状況が続いていくことになる。昔よりケンカが減って、荒れている故fどもが減ったなんて意見もあるが、その一方的で、静かで陰湿な暴力が増えているんだ。拳や武器を使うのではなく、嫌がらせとしての暴力がな。」

彼女はオレの言葉一つ一つに小さく、うん。とだけ相槌を打っている。

「その被害者は、相手に直接やめるように訴えることなんてできないんだ。その反論がさらに状況を悪化させてしまうかもしれないという恐怖でな。周りの人間も、どんなに強い人間だって、自分が被害者になるのは怖い。助けたくても、その被害者に声をかけることすらできなくなってしまう。仮に被害に遭っている人間が、勇気と正当性を武器に対抗しても、その行動によって被害が無くなることは極めて稀だ。それに協力した者や関係が近しい者も巻き込まれてしまい、結局は被害者から離れざるを得ない状況になる。悲しい事だけどな。」

人として正しいと思える行動。不当な被害への抗議。大人になれば当たり前のようにわかる間違った事でも、思春期と呼ばれる年齢の生徒たちにとっては普段通っている学校がその世界の全てであり、ルールなのだ。そしてその世界で自分の居場所がなくなるという事がどれだけ恐ろしいことか。それは大人でも理解するのは難しいだろう。逆に言えば、学校の居場所を無くしてしまった子どもたちに、外の世界の存在を見せてあげる事もまた、大人にしかできないはずだ。

「セイトカイの兄さんやホケンイ自身が味わったそれは、まさにそんな状況だったはずだ。そして、その言えなかった過去の恨みや悲しみの矛先は【ブロウズ】に向けられた。でもそれは、根本的には何の解決にもならない。本当にやらなきゃいけないのは、お互いの中にある思いを相手と言い合うことだろ。周りの人間を巻き込まず、一対一でやり合うべきなんだ。今のご時世じゃそう上手くは行かない事も多いが、ケンカが多かった時代ってのは、そうやって解決してきたんだ。だからと言って、当人同士を殴り合わせるわけにもいかないからな。今のオレにできるのは、こういう場を設けるくらいしかないんだよ。」

加害者と被害者。どちらがホケンイで、どちらがセイトカイなのかはわからない。どちらも被害者で、加害者なのかもしれない。過去に行われてきた、オレの様な立場の人間が間に立って、別々で話を聞いて、中立案を提示して、どうにか納得してもらうなんて方法では結局は何も変えられない。特に自分の家族が傷ついていて、亡くしてしまった二人に関してはなおさらだ。しっかりと条件さえ合わせれば、今の二人のように本気で本音をぶつけ合えるのかもしれないのに。

「そうね。まぁ、かなり強引な荒治療かもしれないけど。でも、それができなかった人も、今もできずにいる人だって多いはずですものね。そんなことできるのはきっと、貴方……」

「ん?なんて?」

彼女が最後の方になんと言ったのか聞こえず、つい耳を近づけて聞き返してしまう。彼女は小さなため息の後に、なんでもないわ。と微笑みながら答えた。



《chapter:4-3》

「や、やめなさい!」

ホケンイの発した声は、さっきまでの言い合いとは違う、緊迫感に満ちたものだった。オレがほんの一瞬、誰かの視線を感じて機関室の方を向いていた時のことだった。セイトカイが何かを手に、ホケンイに向けている。セイトカイは右手にそれを持ち、ホケンイに向けて腕を前に突き出している。遠目から見たところ、ナイフや凶器の類ではなさそうだが、ホケンイはそれが何なのか分かっているのだろうか。ゆっくりと後ずさりをして距離を取っている。セイトカイの方も、ゆっくりと近づいていっているようだ。先ほどまで大事そうに抱えていたカバンは、渡り廊下から投げ出されたような場所で雨に濡れていた。

「おい、なにを持っているんだ、あれ。」

「さぁ。ここからはハッキリと見えないわ。ナイフとかスタンガンのような明らかな凶器ではないにしても、そうじゃないだけに、なおさらアブナイのかも。」

彼女は普段通り冷静なように見えるが、先ほどよりも身体に緊張感をまとっているようだ。オレの身体にも、嫌なざわつきが走る。通信機の類とは違う、シンプルな構造のモノのようだが、今の位置からではそれを確認できない。オレは彼らに近づきながら、声をかける。

「おぉいセイトカイよ。何を持っているのかは分からないが、それはルール違反じゃないのか?お互いに近づかないって条」

「近づくなぁあ!」

セイトカイの金切り声に、オレはその場で足を止める。感情のコントロールができていないのか。かなりの興奮状態らしく、その手に持っているモノをオレに向けて叫んだ。

「コイツがボクの家に火をつけたように!ボクだってホケンイに!ホケンイに!同じことを!兄ちゃんと同じ目にあわせてやる!」

セイトカイは再びホケンイの方を見て、ゆっくりと近づき始める。

「本当は、こんなことになる前に決行するつもりだったんだ。でも保健室にはコイツだけじゃなくて、シンブンブさんもいたからどうしても使えなかった。本当はホケンイが一人の時を見計らう為に保健室の音を傍受していたんだ。まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。シンブンブさんは、他の人間はどうしても巻き込みたくなかったんだ。でも今ならこれを使っても問題ない。」

セイトカイが「使う」と表現したそれは、小さなテレビのリモコンのようにも見える機械に、短いアンテナの様な金属の付属品がつけられているモノだった。

「兄ちゃんの頃は火炎瓶なんてものしかできなかったけど、今はこういうもモノだってネットで調べればすぐに作れるんだ。これなら、どこにいたってあれを爆破できる。」

爆破。たしかにセイトカイは、はっきりとそう言った。迂闊だった。通信機はすぐに見つけることはできたが、オレはそれ以上異物がないか探すことはしなかった。

「まったく、これだからネットってやつは。」

オレがセイトカイに近づけず、小さな声で悪態をついていると彼女は静かにそれをフォローしてきた。

「あら。バカと挟みは使い方でしょ。」

彼女への反論は山ほどあるが、今はこんな呑気な会話をしている場合じゃない。セイトカイはまだ、ホケンイにじわじわと歩み寄っている。

「このリモコンは、あの保健室にある爆弾に繋がっている。そんなに威力の高いものじゃないけど、保健室を炎上させるくらいならできる。あの機関員の確認が甘かったお陰で、ボクが一気に優勢になった。どうしますか先生。どうしますか、ボクと同じ【洗礼を受けた者】よ。このままじゃ、アンタが書いていたあの報告書は燃えてなくなる。あの保健室には、他にもいろんなものが置いてあるのでしょう?」

ホケンイが何かを思い出したように、保健室の方を見る。

「戻っても良いのですよ?まだ途中の密告書も、捨てられなかった大切な思い出のモノたちも、仕事道具と一緒に鞄に入れている弟さんの写真も、今から取りに行ってもボクは止めませんよ?アンタが保健室に着くまでは待ってあげますよ。さぁ、どうしますか。」

「お願い、やめて。それは私だけじゃなく、この学校全体に関わることなのよ。」

ホケンイも必死に訴えるが、リモコンを握ったままの当人には届いているとは思えない。

「おいセイトカイ。そろそろ、いい加減にしておけ。」

横から入ったオレの声に、セイトカイもこちらを見る。機関室での目とは違い、覚悟ではなく、もはや自暴自棄になっているような目だ。

「今、お前がいる場所なら、そこからならまだ引き返せる。いいか、オレの言っている言葉の意味はわかるな。今、キミの足元には見えない線が引かれているんだ。オレ達キミと同じ線の内側にいるんだ。もしキミがその線を踏み越えたら、踏み越えてしまったら、もうオレ達はキミに手を伸ばせない。伸ばしても、届かなくなってしまう。お前自身の意志ではもう引き返せなくなってしまうんだ。」

こういった場合、具体的な事を言うよりも本人に考えさせる方が得策だろう。

「うるさいうるさいうるさい!【ブロウズ】の人間は黙っていてくださいよ、もともとはこんな組織ができたからなんですよ?それにこれは、ボクとこの人の問題なんです。コイツさえいなければ、兄ちゃんはあんな目に遇わなかったんだ!ボクや兄ちゃんは!家も思い出も!何もかも!燃えてしまったんだ!」


彼は、手に持っていたリモコンを両手で持ち直した。

その瞬間、ホケンイは保健室に向けて走り出す。

オレはホケンイを追いかけるように走り出した。

彼女も同じタイミングで、セイトカイに向かって行く。


小さな花火のような音を合図に、保健室の窓が飛び散った。

一人の高校生が、見えない線の向こう側に行ってしまった。

大きな声で笑いながら。

子どものように泣きながら。



《chapter:4-4》

 炎が窓から顔を出すまで、そんなに時間はかからなかった。おそらく保健室の窓側に仕掛けられていた爆弾は、保健室の窓を全て破壊し、中にある看護用のベッドに引火したらしく、雨黒く焦げた煙が雷雲のように湧き出できている。校舎内では火災報知機が反応し、サイレンの音が学校中にけたたましく鳴り響いている。体育館で部活に勤しんでいた生徒や雨宿りをしていた者、校舎内にいた生徒たちも悲鳴を上げながら外に逃げ出してきている。教員たちは慌てた様子で保健室の様子を確認し、生徒たちを避難誘導し始めている。近くにいた数名の生徒と教員がオレ達に気づいたらしく、体育館の方からこちらに向かって走ってくる。

「お前はここに残っていろ!今こっちに向かってきている教員に状況を説明!校舎内に残っている人を体育館に避難させるように伝えろ!無暗に校舎に近づかないように!あとは消防と機関支部にも連絡頼む!」

「わかったわ、でも貴方は?」

「ホケンイを止める!そっちの事は任せる!お前も避難していろよ!」

オレは爆発現場に向かって走っていくホケンイを追いかけて走り出す。スタートが遅れたせいか、ホケンイの姿はもう見えなくなっていた。オレは急ぎ足で避難している生徒や教員たちとすれ違いながら保健室に向かった。



あの人がホケンイさんを追いかけて行ってからそのほんの数秒後。私は近くまで来てくれた教員に事情を話すと、コントローラーを握ったままで渡り廊下に崩れ落ちているセイトカイの胸倉を掴み、彼の耳が私の口元に触れそうなところまで引っ張り上げた。セイトカイは、私の細い腕ででも簡単に振り回せそうなほど脱力してしまっていた。

「ねぇ、聞こえているかしら。これもあなた方の言う【聖者の行進】の一環なのかしら。こんなことになっても【グングニル】を掲げて正義と意義を語るのかしら。あなたはもう向こう側の人間なの。あの人の最後の忠告も、ホケンイさんの善意すらも無視してしまったのよ。覚悟はできているのよね。」

私の言葉が耳に届いたのか、目の前で起きている現実を徐々に認識して正気に戻っていくセイトカイは、怯えたような顔で私の目を見ている。私は胸倉を掴んでいた手を離し、そのまま地面に崩れていくセイトカイを見降ろす。

「正直なところ、私はあなた達の恨み合いにも、その駄々をこねるような醜い復讐劇にも興味なんてないの。私はあの人ほどお人好しじゃないのよ。でもね。もし私の、私たちの大事なあの人になにかあったら、その時はたとえ誰とどう刺し違えてでも、何を失ってでも、あなたを殺すわよ。」



保健室のある南側校舎の廊下には、すでに焦げた匂いと黒い煙が充満していた。

「おい止まれ!怪我じゃ済まなくなるぞ!」

オレは全力で走って、ようやく見えたホケンイの背中に向かって叫ぶも、ホケンイはオレの声を完全に無視して、白衣を脱いで保健室の中に勢いよく入って行った。

「くそっ!少しは躊躇くらいしろってんだ!」

火災の中心となっている保健室の前は、もはや煙と炎の壁のようになっており、中に入るのは不可能な状態だったが、ホケンイはこの中に飛び込んでいったのだ。上手くいけば窓から脱出できるかもしれないが、それと同じ可能性の分だけ、もう二度と出て来れないことも考えられる。オレは廊下に置いてあった消火用バケツに入っていた水を頭からかぶり、炎の壁にダイブした。

「おい!早く出るんだ!聞こえているか!?」

保健室だった空間の奥、燃えずにいるデスクの横で、ホケンイは床に四つん這いになって懸命に何かを探していた。服はすでにすすけてきており、煙の影響で咳も激しくなっているようだ。

「おいおいなにやってんだ!!死にたいのか!」

「ないの!鞄が、鞄がないの!」

ホケンイが言っている鞄と言うのは、先ほどセイトカイが言っていた鞄のことだろう。先ほどからデスクだったものの周囲をグルグル見渡しては、しゃがみ込んで探し回っている。もし先ほどセイトカイが言っていたように、その鞄にホケンイのすべてが入っているのであれば、一刻も早く回収してここから出なければならない。しかし、あの爆発とこの炎の中ではそもそもその鞄が形をなしたまま残っているかもわからない。

「いい加減にしろ!命より大切なものなんかあるか!」

「命と同じくらい大切なの!あなたにはわからないかもしれないけど!」


キィィン……


こんな最中なのに、急に耳鳴りが強く響いた。

ホケンイのその言葉が引き金になったのかもしれない。

でも、そんなことはもうどうでもよかった。

鼓動が早まっているのがわかる。火のせいではなく、体温も上がってきている。炎はどんどん強くなって、まるで渦のようにその勢いを増してきているが、今ならまだ窓から出られそうだ。幸いなことに雨もまだ止んでいない。オレは後ろからホケンイの方を掴み、力いっぱい引っ張って窓側へと連れて行く。

「離して!離してよ!あなたなんかに何がわかるの!」

「うるせぇ!よく聞け!」

バタバタと抗って騒ぐホケンイの肩をぐっと掴んで、オレの顔の前まで持ってくる。

「オレは今ここでお前を死なせるわけにはいかないんだ!お前の無事を待っている男がいるんだぞ!自分のことよりもお前を優先にした男が!前を向いて!自分の人生を生きてくれるよう願っているんだ!ここで死んだら!今度は彼がセイトカイを焼き殺しにくるに決まってんだろ!そんなことはもうたくさんだ!お前らが一番わかっているはずだろ!」

ホケンイはオレの言葉や口調に驚いた様子だが、やがて少しずつ冷静な眼に戻っていく。そのタイミングで、オレの耳鳴りも少し落ち着き始めた。

「オレが必ず鞄を見つけてやる。必ずだ。だから早くここから出ろ。そんでもって、直接、彼に報告しに行くんだ。絶対だぞ。」

ホケンイはまだオレになにかを言いたそうにしていたが、結局は小さな声で「お願い」とだけ言い残して窓から飛び出していった。空気すら音を立てて燃えていく中、外からはホケンイを救出に来たであろう教員のたちの声が聞こえる。建物に残っていた人たちもどうやら無事のようだ。オレは改めて、後ろで赤く燃え盛る壁と向き合う。もはや入ってきた方面には戻れない状態だ。

「さてと。こりゃあ、どうしたものかな。」



割れた窓の枠からホケンイさんが飛び出してきたのを見て、私は救護に向かう教員たちと一緒にホケンイさんのもとに走った。幸いなことに大きな火傷はないものの、かなりの量の煙を吸っていることから今すぐ救急車を呼ぶ必要があるのは明らかだった。教員たちに抱えられて、火が届かない場所に避難した後、私はホケンイさんの火で少し焼けた服の胸倉を強く掴んだ。

「あの人は?あの人はなぜ一緒に出て来ていないの?あの人になにをしたの?」

「ゲホ、さ、先に逃げろって、そう言ったわ。私の代わりに鞄を、私の大切なものを探してから行くって。」

苦しそうに答えたその言葉を聞いた瞬間に、私は無意識にホケンイさんの頬を打っていた。小気味のいい乾いた音が響いて、驚いた周囲の教員に取り押さえられる。それでも私は教員たちの制止に逆らいながらホケンイさんを睨んで、襟元を目一杯の力で掴んだ。

「自分たちを正当化して、戻らない過去に執着して、周りを巻き込んで、被害者面であの人を傷つけて、今どんな気分なのかしら!?」

「っ……。」

打たれた頬に手をあてて、ホケンイは何も答えずに俯いている。もしこれで反論なんてしてくるものなら何発だって打ってやるつもりだったが、教員たちに抑え込まれて身動きが取れなくなり、私はこれ以上動けなかった。取り押さえていた教員たちにも謝罪をし、俯くホケンイの横にしゃがみ込んだ。

「問答無用で平手打ちしたことは謝ります。ごめんなさい、とにかく無事で何よりです。でも敢えて言わせてもらいますが、今はこれで勘弁してあげます。もしこれであの人が戻らなかったら、その時はあのセイトカイと一緒に直火で焼き殺しますから、どうかそれだけはお忘れなく。わたしは、やると言ったら必ずやります。」

私が本気でそう思っている事を察したのか、ホケンイさんは怯えたような表情で私を見ている。

「でもまぁ、あの人の事ですもの。どうせちゃんと生きてあそこから出てくるのでしょうね。」

「貴女、一体なんなの?どうしてそこまであの男を信じられるの?」

遅れてきた教員たちが持っていた消火器を一斉に噴射し、その横では生徒も混ざってタイミングの合った掛け声に合わせて火元にバケツリレーで水をかけている。避難していた運動部員や顧問教員たちも総出で消火器を抱えてこちらに向かってきているのが見える。おそらく鎮火できるのも時間の問題のようだ。

「そうね、別に大それた理由ではありませんの。今のホケンイさんと同じく、私も以前に命を助けてもらったの。少し前の話ですけれど。あの人には私とあの子の二人の命を助けてもらって上に、これから生きていく目的を与えてもらったの。」

野太い掛け声を合図に、運動部員たちが一斉に消火器を発射する。その凄まじい数による勢いと、絶え間なく続けられているバケツリレーによって火は徐々に勢いを無くし、ようやく燃えていた保健室の中が確認できるような状態になった。

「で、でもそれとあの男が無事に出てくることは、関係ないんじゃないの?」

「あら、そんなことはありませんわ。」

ホケンイさんの問いかけに、思わず笑ってしまいそうだったが、私はなんとか我慢できた。


保健室を覆っていた火は完全に消火され、保健室だったその空間からは消火器による粉が風で舞い上がって、まるでステージに使われるスモークのようになっている。


「信じていますの。あの人を。あの人の全てを。それ以上の理由なんてありません。」


鎮火に喜ぶ歓喜と安堵の声が、消火粉が薄くなって行くにつれて笑い声を含んだ歓声に変わっていく。ホケンイも、笑っていた。もちろん私も笑っていた。


消火器から噴射された大量の粉と、浴び続けたであろう水のせいで、見るに堪えない姿になっている男の手には、パンパンに膨らんだ「茶色の鞄」が掴まれていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ