EP/2:遠雷は鐘の音のように
《chapter:2-1》
質問:ホケンイの噂、知ってる?
(二学年 女子 ビジュツブ 購買部前)
もちろん、知ってる知ってる!ていうかもうみんな知ってるんじゃないの?今日だってクラスの友達と話したんだもん。いろんな部活の男子、しかもエースとかキャプテンじゃなくて、微妙な立ち位置の奴を狙ってるっていうじゃん。やり方がエグいよねぇ。実際のところどうなのかはわからないけど、やっててもおかしくないんじゃない?そんなことより、シンブンブってあの機関の人と仲良いよね。付き合ってるの?結構な歳の差よね?
(三学年 男子 セイトカイ 生徒会室前)
あぁ、ボクもそれは聞いたことはあるよ。公的どうしても機関の人には聞けないって理由で、こっちの私書箱にも依頼が来たこともあったからね。実際?うーん、聞けば聞くほど胡散臭いっていうか、みんなヘンな映像とかマンガの見過ぎだって。まぁ、本当の事を言うと、ボクもかなり気になってはいるんだけどね。そんなことより、今はあの機関の先生の手伝いしてるのか?むしろボクはそっちの方が詳しく知りたいんだけどなぁ。ネットで調べるより、直接話を聞いた方が間違いないだろ?
「今日は、どういったご用件でしょうか。夏休み期間とはいえ、こちらにも仕事がありますので。あまり長い時間の拘束は困ります。」
シンブンブの生け贄☆陽動作戦が決行されてから二日が経った。今朝方の雨のせいで一段と蒸し暑さに拍車がかかる中、それ以上に何故か歓迎されていないであろう態度で、ホケンイはオレにぬるい麦茶を出してくれた。
「あぁ、えぇ。一応シンブンブへの事情聴取が終わりましたので、以前もお伝えしたように、報告も兼ねてのカウンセリングに参りました。あなたから正式に依頼があった以上、これも規則なので。どうかご協力をお願いします。」
ホケンイはデスクの書類に向き合ったまま、小さくため息を漏らし、そうですか。と一言で答えた。以前とは違ってしっかりとした表情と反応ではあるが、それに比例するかのように距離感もしっかりとしている。今日はちゃんと無精髭も剃ったし、シャツも比較的新しいモノを選んだつもりなのだが、やはり原因は別にあるだろうか。あまり気にしても仕方がないので、これ以上は考えないようにする。
「ご理解ありがとうございます。では早速ですが、いくつか質問と確認をさせて頂きます。もちろんお仕事は、そのまま進めて頂いて構いませんので。」
(一学年 男子 ヤキュウブ 部室棟前)
え、あれってやっぱりホントなんスか?いや、ジブンのクラスの奴の知り合いの先輩が、実際いろいろあったって言ってたらしいんスよ。でもその内容が曖昧というか、どうも胡散臭いんスよね。確かその人、バスケ部だったはずっスよ。あの、そんなことより、シンブンブ先輩って彼氏とかいるんですか?あの機関の人といつも一緒にいますよね。実際どうなんですか?それもそれで学校中の噂になってますよ。
「……身に覚え、ですか。それは、どういう意味でしょうか。」
機関支部の提出する報告書に記載されているいくつかの質問事項、無機質な作業に変化が見えたのは、その七つ目の質問だった。ホケンイは相変わらずの表情と態度で机に向ったままだが、オレの質問に対して返事以外の反応を見せるのはこれが初めてだった。
「あぁ、もし気に障ったのなら謝ります。しかし、この質問は今回のような被害にあった全ての方にさせていただいています。今後の再犯防止の対策にも繋がる大切な項目なので。どうか、ご理解いただければと思います。」
オレがホケンイにカウンセリングを始めてまだ一時間も経過していないが、まるで一日以上拘束された後の尋問の様な、そんな風に感じてしまうほどの重たい空気に包まれている。先ほどから教室の入り口で運動部らしき男子が数名、入ろうにも入れずにウロウロとしているようが、それはおそらく楽しそうに談笑している二人の邪魔ができないのではなく、むしろその真逆で、傍から見ても重苦しい雰囲気が原因だろう。ほんの少しの間、ホケンイは無言だったが、やがて小さい声で、そうですか。と答えた。
「今回の私が依頼した件を考慮しても、その質問は依頼者に対して道徳的に、そして個人的にはあまり今後に繋がる質問とは思えません。わたしにそんな身に覚えがあるとお考えだったのですか?」
小気味のいいリズムでパソコンでの仕事をこなす手が一瞬、ほんの一瞬だけ鈍ったようにも見えたような気もするが、その後はすぐに、先ほどまでと同じようにカタカタと良い音を響かせ始める。先日の雰囲気とはかなり違う印象だが、むしろ今の方が自然体なのだろうか、とオレは考えた。
「いえ。大変、失礼しました。そしてご指摘ありがとうございます。何度も言うようで恐縮ですが、あくまで皆さんに聞いている形式的な質問と確認ですので、どうかあまり深く考えずに。普通に考えれば、思い当たるがあるのであれば、初めから話して戴けていますよね。ハハハ。あ。では次の質問ですが、これは今回の案件にのみ関する質問にはなります。オレ自身も生徒伝いで聞いた、あくまで噂話のようですが。念のため確認させていただきます。」
(三学年 女子三名 バレーボールブ 職員室前)
あ、シンブンブちゃん。やっぱりそれ調べてるの?よかった、実はね、さっきも丁度その話で盛り上がってたの。ついに出たのよ、体験者が。なんかね、授業で使った用品を戻しに行った2年男子が、あのホケンイに放課後来るようにって呼び出されたって話だよ!やっぱり噂はホントだったのねー。シンブンブちゃんに会ったら話さなきゃって言ってたところなのよ!ねぇねぇ、真相わかったら教えてよ?ていうか、私たちはあの機関の人の連絡先も知りたいんだけどなぁ。シンブンブちゃんは知らないの?あの機関のお兄さん、けっこうモテてるんだよ。シンブンブちゃんもうかうかしてられないねぇ。
(二学年 男子 バスケブ 視聴覚室前)
え?呼び出し?あぁ、それ俺じゃなくて、隣のクラスの奴じゃないかな。たしかそんな話を女子たちが話していたぜ。いいよなぁ、あんなきれいな先生にお相手してもらえるなんて。普段はオレには素っ気ないんだけどな。あ、それより今度、バスケ部の取材してくれよ。次の試合に勝ったら全国大会なんだ。皆に応援してほしいし、お前の記事、最近ゴシップばっかりじゃん。たまにはちゃんと部活とか取材しろって。な、頼むわ。
「噂話、ですか。」
ホケンイの声は、カウンセリングを始めた時よりますます低くなっている。本来ならストーカー被害の依頼者にこんな話をするのは公的機関の人間としても、それ以前に一人の男性として失礼なのは承知している。とはいえ、ここまで今回の相談内容や真相に関係がありそうな話題、言うなれば根本の原因として考えられる項目が他にないのも事実だ。オレ個人としては本当になんでもない、ただの噂話であることを祈っている。健全な男子高校生たちの為にも。その真相を下賤な表情で調査していたであろう、あのアホの子の為にも。
「えぇ。まぁ、はい。今回の調査を進めていくにあたって、学校内での聞き込みを行いました。校内で不審人物の目撃情報や、ホケンイさんの周辺でそういった話を聞いたことはないか、という内容でも聞き込みでした。残念なことに不審人物については何の情報もありませんでしたが、多くの生徒からその噂についての話題が挙がりました。これについては以前もお伝えしたように、あくまで高校生同士の噂話ですので。」
「……。」
カウンセリングを始めてから、二度目の沈黙だった。
「その噂話というのは、私が放課後に運動部のなそうな目立たなそうな男子生徒を呼び出しては、この保健室で良からぬ行為をしているという、あのくだらない噂のことでしょうか。」
「あら、そこまでご存じだったのですね。」
ホケンイの返答に不意と同時に先手も打たれたような気がした。生徒の他愛もない噂話が、まさかそこまで具体的に当事者の耳に届いていたとは。先ほどの質問への態度は、このこともあってのことだろうか。だとすれば尚のことデリカシーのない質問だったかもしれない。最低限とはいえ、一応その言葉使いには気をつけていたつもりだったが、それもあまり効果的だったとは思えない。やはりこういった事態に備えて、質問の項目は何種類か用意しておくべきなのかもしれない。過去に別の相談者やシンブンブからも、内容に合わせた質問を用意するべきなんじゃないかという指摘を受けて、オレからも支部宛に意見書を出した事はあるのだが、検討する。の一言で片づけられてしまったのだ。
「先週、部活の練習中に足を捻挫した男子生徒の手当てをしたのですが、その時、その生徒が勇話してくれました。先生、そんな噂、気にしない方がいいですよ、と。詳しく聞けば聞くほど、頭が痛くなってくると言いますか。あまりにも品のない学校だったのだなと感じています。」
そう言ってホケンイは、廊下から中を覗いていた野球部らしき生徒たちを睨みつけた。小窓からヤベッ!という表情をして、生徒たちは音を立てて素早く走り去って行った。彼らの存在のも気づいていたところをみると、周囲への洞察力も高い方なのだろうか。それとも、広まった噂の影響で、ああいった生徒たちの扱いは慣れてしまったのだろうか。
「お気持ちはわかりますが、彼らは今、そういった話題に関して敏感というか、一番多感な時期ですので。オレからもそう言った噂を話している生徒を見かけた際は注意していくつもりです。」
オレの必死のフォローにもホケンイは、今までと同じようなイントネーションとタイミングで、そうですか。と答えた。この流れでオレの立場から何を言おうが、相談者にとっては業務的なマニュアル対応に聞こえてしまうのかもしれない。ただ先ほどと大きく違ったのは、そう答えたホケンイタイオイングの手を止め、オレの方を見てハッキリとした口調で話しを続けたことだ。
「まぁ、品がないと感じるのは決してこの学校や生徒に対してだけではありませんので、わざわざそんなこと、品のない機関の貴方にしていただかなくても結構ですよ。」
(三学年 男子 サッカーブ 体育館前)
あ。 おい、シンブンブ。ちょいちょい、こっちこっち。は?告白?何言ってるんだ。そんなことよりお前さ、今あのホケンイのこと調べてんだろ?ってことは機関のおっさんもお前が取材してるのはわかっていんだな?なら早いうちにやめといたほうがいいぜ。ホケンイさんもずっと調べてたみたいなんだ。え?バカ、違うよ。お前らのことだよ。特に機関のおっさんに関しては相当入念に調べてたみたいだぜ。俺さ、見ちゃったんだよ。ルーズリーフみたいな、なんかの報告書みたいな紙にさ、びっちり書かれてたぜ。お前のこととか、あのおっさんのこと。なんだか怖くなったから詳しくは読んでないけど、なんかやばいって。みんな気づいてないだけでさ、ちょっとやべぇよ、あの人。
「ホケンイさん。あの、それは、あの。どういう意味でしょうか。」
「あら、あまり頭がキレるタイプではないのね。そんな偉そうなエンブレムのバッジまで作って、賢者の鳥なんて名乗っているのに。」
日差しが厚い雲に覆われ、空が急に暗くなり始めていた。数人の生徒が走ってくる音と、キャーキャーと騒ぐ声が聞こえる。どうやら、雨が降り出したようだ。弱く響く耳鳴りと、遠雷の光が重なっているのがわかる。
「そのままの意味ですよ。可哀そうな、籠の中の子鳥さん。貴方の場合は、ずいぶんとかわいらしい子犬も飼っているようですけどね。」
《chapter:2-2》
【the Bird Raised Of Wise】頭文字をとって、BROWZ
都合良く和訳するのであれば「賢者によって飼育された鳥」となるこの組織名は、政府によって認可された立場が象徴された、ある意味でよく考えられた名称だ。発足についての詳しい話はオレも完璧に把握している訳ではないが、学校内で起きた問題や事件の被害者家族やその被害者当人たちが立ちあげたのがきっかけだと聞いている。オレ達は機関の構成員は本部から支給される身分証明の手帳やエンブレムのバッジが支給されていり、その手帳には檻の中で「奉仕」の言葉を持つオキナグサの花を咥えた白い鳥のエンブレムが刻印されており、組織の在るべき思想や立場が表現されている。しかし、国会で設立が可決された今でも、その存在に反対している人々が多いのが現実だ。
「籠の中の鳥、なんて文学的に気取った呼び方も、正直な事を言えば、私はどうかと思っているけれど。」
ホケンイは椅子から立ち上がり、オレに鋭い言葉を放ちながら、俺の襟元についている機関のエンブレムのバッジに手を伸ばしてくる。オレは一瞬だけ身をこわばらすが、ホケンイの目はオレではなく襟元にしか向かっていないようだ。
「こんなエンブレムも、個人的にはなんの象徴にもなっていないと思うのよね。二図から存在意志のない機関だと名乗っているだけだと感じるわ。」
誰に言っているでもなく、まるで独り言のようにそう呟くと、ホケンイは右手の中指でエンブレムのバッチをピンッと弾いて、また先ほどまで座っていた椅子に戻っていった。ホケンイの表情には、どこか勝ち誇ったような、【ブロウズ】を心の底から軽蔑にしているような感情が見て取れる。どれが正解なのだとしても、結局はオレに対しての敵対心を隠す様子はもう無いのだろう。点と点が線になるとは、こういう気分なんだな。
この学校は、機関設置の条件の中でも反対と推進の中立に位置する為、他の学校よりも多くの賛否両論が交わされやすい環境ではある。もちろん、オレがこの学校に赴任する際も、そういった言葉や活動が目の前で起こりうることを頭に入れておくようにと支部長から言われていたが、ここ最近は平和な時期が長く続いていただけに、恥ずかしながらオレは少し面を食らってしまったようだ。
「とはいえ、隣町の過激派のように伝書鳩や意志のない弓矢なんて呼ぶのも失礼過ぎるとは思っているの。だって、曲がりなりにも意志を持って行動しているわけでしょう?」
ホケンイが失礼と言うこの呼び名たちは、反対派の中でも過激派とされる集団によって名づけられた【ブロウズ】への嫌悪と嫌味を込めたあだ名である。こういった場合は「仇名」と書くのが正しいのかもしれない。そして何事もないかのように放たれた隣町の様に、という言葉。それだけで、反対派の地域に配属された機関員がどんな待遇をうけているのか十分すぎる程に伝わってきた。隣町の学校は、反対派の多い設置地域だ。
「なるほど、そういうことでしたか。なかなか刺のある表現をしておられましたが、なにもオレは別に犬を飼っているつもりはありませんでした。まぁ、もしかすると傍から見ればそういう関係性に思われているのかもしれませんね。しかし、以前からずいぶんと分厚い壁を造ったまま相談にいらっしゃったので、なにか原因があるのかと考えていましたが、なるほど。そういうことでしたか。今、納得できました。」
今のオレでは、おそらくこれが精一杯の返答だ。どんな法案や意見においても、それがどんな規模の話し合いでも、全員が満場一致で賛成することは間違いなくありえないのはわかっている。そういった反対意見が現状をより良い方向に向かっていく為に必要なことも、十分に理解しているつもりだ。なんだ。たとえオレが全財産を賭して、ありとあらゆる手段を使って身だしなみや体臭を整えたところで距離が縮まるわけではなかったのか。なんて気を紛らわすように、オレは心の中で呟いた。そして頭の中からその微々たる勘違いを消し去り、改めてホケンイと向き合うことにした。
「では一つお伺いします。これは今回のカウンセリングの本質とは少しだけ逸れてしまいますが、そもそもなぜ、ご自身が存在を認めていないその【ブロウズ】であるオレに今回の事を依頼したのですか?」
今この場で、オレとホケンイの縮まらない距離の原因や解消方法を探ったところで、おそらくしっかり理解し合えるまでにはかなりの時間が必要になるだろう。依頼された相談の内容がまだ解決していない以上、今オレがホケンイに問うべき項目はそれしかない。
「そうね。ここで機関の存在意義について語るよりかは、その質問の方がずっと効率的だわ。やっぱり貴方、頭は良い方なのね。ほんの少しだけ、見直しました。」
初めてカウンセリングを始めた頃より、ホケンイは声も言葉もハキハキとさせている。今まで言えなかった事を直接オレに伝えたことで、どこか吹っ切れたのだろうか。ホケンイの言葉にオレは無言で小さく頭を下げる。いくらオレに直接公言してきたとはいえ、今まで見てきた過激派の連中とは違い、このホケンイはそこまで感情的で好戦的ではないことがこの空間において唯一の救いだ。
「でも、それはそれでどうなのでしょうか。学校内でストーカー被害にあっている事実以上に、貴方の機関に依頼する理由なんてあるのかしら。考え方は様々あるのでしょうけど、否定することと利用しないことは、必ずしも同等ではないと思っているわ。」
「まぁ、えぇ。ごもっともで。」
オレは曖昧に答えながらも、当初の冷静さを取り戻す為に、先ほどまで手にしていたバインダーに目を落とす。ホケンイの返答一つ一つには、どういう角度からでもオレや【ブロウズ】への刺々しい意志が込められている。このままでは、いつオレが感情的な言葉を返してしまうかわかったものではない。オレは自分自身に冷静さを保つよう発破をかけ、ホケンイの言葉の一つ一つを頭の中でもう一度整理する。これまでのやり取りの中に、その態度を除いた言葉による回答でホケンイが反対派であることに気づけるヒントはあったのだろうか。過去に一度、反対派の人物とこういった議論を交わす機会はあったが、その人物はホケンイとは真逆、わかりやすく言えば、議事記録を取って相手の上げ足を取ることよりも、釘バットがメイン装備のタイプであった。自分の配属先、しかも目の前に依頼者として反対派が現れるのは早々に起こり得ない。オレは不自然ならないよう、報告用紙の備考欄があるページを先頭に「機関設置反対派」と殴り書くようにメモした。ここから先のやり取りは、問題解決だけではなく、今後の機関にとって良い資料となるだろう。そうなってもらわなくては困る。そう言い聞かせてオレは再びボールペンをノックする。
「我々へのお気づかい、感謝します。では改めてカウンセリングを続けます。」
「えぇ、構いませんよ。まったく、つくづく礼儀を知らない機関ね。貴方たちの、そのデリカシーのなさに、過去何人がこんな思いをしてきたのかしら。」
「……。」
「あら、都合の悪いタイミングでは囀らないのね。」
オレはあくまで冷静に、自分は今、公的機関の名を背負っていることを頭の中で念仏のように繰り返しながら淡々と質問事項をこなしていく。一刻も早くこのカウンセリングを終えて、支部への報告をしなくては。なかなか手に入らない反対派の意見を直接聞き取ってきました、と。だから来週の査問会では評価値をプラス査定でお願いしたい、と。可能なら、オレからの有給申請をいい加減に受理してほしい、と。
「ねぇ、カウンセリングなんてもっともらしく名乗るのはやめて、せめて「ヒアリング」とにでも変えたらどうかしら。これじゃ一方的過ぎて、まるで捕虜にでもなった気分ですよ、これ。まぁ、言葉遣いが丁寧な分、尋問ではなさそうですしね。」
「……。」
ホケンイは、オレが回答を記録している間も何かしらの意見を放ってくる。あくまでそれも回答の一部であるかのように自然と話してくるので、カウンセリング自体はとてもスムーズに進んでいるが、こちらとしてはその優しく突き刺さる圧迫感に押しつぶされてしまいそうになる。
いつの間にか、オレの頭には耳鳴りが響いていた。
「ご協力、ありがとうございました。こちらからお伺いしたかったお話は以上です。お忙しい中、ありがとうございました。」
「いいえ。こんな意味のない一方的な会話は久しぶりでしたので、逆に楽しかったです。依頼者への意見なんて、本当はどうでもいいんじゃありませんか?」
「そんなことありませんよ。後になって、あの時は話し出せなくて、どうしても言えなかった事がカウンセリングの際に話せた。という場合が多いんです。」
ホケンイなりに【ブロウズ】の問題点をあぶり出そうとでもしているのか、ホケンイの口調はどんどん挑発的というか、好戦的な言葉が多くなってきている。しかしオレ自身も、こういった雰囲気でのカウンセリングが過去になかったわけではない。どうしてもこちらに心を開けず、つい突き放してしまうような言葉でしか反応できない生徒とも多く会ってきた。まぁ、そういった生徒は往々にして、最終的には普通に対応してくれるようになるのだが、残念なことに、ホケンイの場合、それは望めそうにない。
「そうですか。能天気な依頼者もいたものですね。貴方たちからすれば、そういった生徒や教員の方が、都合はいいのかしら。」
「ははは、厳しいお言葉ですね。」
耳鳴りのせいか、ホケンイの嫌味にも、あまり上手く対応できない。
おそらく今、オレが何をどう返してもこの調子が続いていくのだろう。質疑応答を記録した紙を裏返してバインダーに挟みなおす。これは機関室以外でのカウンセリングの際に行う、個人に関するプライバシーな内容の保護を目的とした行動だ。本来なら機関室でのカウンセリングが多い為、普段は依頼者を前にしている際はあまり行わないのだが、今回は支部に報告する内容も記入されているため、今回はこちら側のプライバシー保護も含めて行う。
「ねぇ、ホントにこんな一方的な行為を日頃から行っているの?」
「……。」
「だって、こんなのおかしくありませんか?私は依頼者で、被害者なんですよ?機関に報告するために根掘り葉掘り聞き出して、あんな生徒の悪戯のせいにして、これが解決になるとは到底思えないのですが。」
「……。」
「しかもその子、日頃から貴方の調査に協力していたらしいじゃありませんか。生徒に公的活動の補助をさせておいて、バレたらその生徒のせいにして、今までそうやって依頼を解決させてきたのですか?」
オレはバインダーを右手に抱え、ゆっくりと立ち上がってホケンイに背中を向ける。多少の時間消費と心労はあるが、今から報告書を作れば十分に、今後の対策を練れるはずだ。
さっきより耳鳴りがひどくなっている。
たしか、機関室に耳鳴り止めの薬がまだあったはずだ。
どこに置いたんだっけ。たしかキッチンの方だった気がする。
「自身の立場と命が無事なら、他はなんでもいいのですか。」
「……。」
「雉も鳴かずば撃たれまい、ですか?本当に賢い鳥なのですね。貴方は。」
さっきまで遠くで聞こえていた耳鳴りが、頭の中で落雷の様に響いた。
「飼い犬に伝書鳩、ついには雉か。アンタって案外動物好きなんだな。」
「……なんですって?」
遠くで鐘の音が鳴っているような気がするが、そんなことは、どうでもよくなっていた。
「おや、聞こえませんでしたか。それはそれは、ご都合のいいお耳をお持ちですね。」
《chapter:2-3》
急な雨のせいで、先週かけた縮毛矯正が今朝よりもウネっている気がする。他の人から見ればそんなの気にならないだろうし、仮に気づいたとしても普段と大差ないから気にすることないよ、なんて無責任なことを言い出すのだろう。今日の午前中に話を聞いた運動部の男子たちなんかは特に、そういうベクトルを間違えた優しさを振りかざしてくる奴が多い。しかし、アタシたち麗しき女子高校生が自分の髪形に、どれだけの手入れと、気遣いと、時間をかけているかも考えもせずによくもまぁそんな事が言えたものだと思ってしまう。ついでにアタシ個人の意見を付け加えるのであれば、髪が湿気でウネっている時は、周囲に気づかれないくらいのボリュームでそっと忠告してほしいものだ。
「まったく。だいたい、どいつもこいつも二言目には彼氏だの彼女だの部活の大会だのって。夏休みって響きと気温の高さで頭の中身も沸騰しちゃってるんじゃないかしら。こっちだって真剣に取材活動をしてるっていうのに。なんだか冷やかされているみたいでイヤになっちゃうわ。」
アタシはそう言って、先月の半ば新発売になった良い粒のナッツの入ったチョコスナックを頬張った。
今日からまたホケンイの噂の検証を再開し、午前中に運動部と生徒会を取材していたのだが、思いも寄らぬ方向から、これもまた思いの寄らない種類の情報が入手できた。気になってさらに調べてみたけれど、この情報はおそらくアタシ一人で抱えて良いものではない。本来こういった取材活動において、目的の情報以外には興味を持たないようにしているのだけど、『アイツ』に関わることなら話は変わってくる。最近は他にやることが多く、まだアイツ本人にもそこまでしっかりとした取材できているわけではないけど、あの機関には、まだまだ学校外部の敵も多く存在しているらしい。この間の張り込みの時も何の気なしにネットの掲示板で調べてみると、驚くほど多くの反対意見が書かれた掲示板を見つけてしまった。その内容は概ね一方的な誹謗中傷が多く、まともに読めたものではなかった。政治的な理由以外にも、あの機関の存在を望んでいない人がようだ。しかし、アタシがアイツにどれだけ必死に、懇懇とそれを伝えても結局は
ははは、そういうのには慣れているよ。
とかなんとか言うのが安易に想像できてしまう。柳に風、って、あの事なのだろうな。張り合いが無いったらありゃしない。
「とにかく、早いところアイツに報告しなきゃ。まさかこういう風に繋がってくるなんて思いもしなかったなぁ。ていうか、そういう背景がある問題なら、事前に説明してくれればよかったのに。もしアタシの推理通りなら、このまま放っておくのはヤバいわ、うん。」
アタシ個人の経験上、アイツの組織の反対派でまともな人間とは今まで出会ったことがない。狩詞最初は冷静でも、最終的には背中から金属バットを取り出すような、とにかうすいった類の人間が多かった。最悪の場合を想定すれば、どうにかして今すぐに得た情報を伝える必要があるのだ。
「でも確か、昼からカウンセリングの予定だって言ってたのよよねぇ。別に戻ってくるまで待っていてもいいんだけど、それじゃ時間の無駄だし、でももし万が一、それでカウンセリング戻ってこなかったら……うっ、こういうこと考えるのって、あんまり良い気分じゃないわね。」
たとえ過去に、真冬の凍えるような教室に軟禁され、夏休みの補修担当に引き渡され、ようやく手に入れた人気のゲーム機を没収された恨みがあるにしても、それ以上に恩義のある人間が事件に巻き込まれ、火炎瓶の炎に包まれていくような想像は迂闊にしない方がいいと痛感した。
とにかく今は、自分の目の前にある問題を整理するべきだ。
ホントは、明日の小テストの勉強をしなきゃいけないんだけど。
「ブンちゃん、その新商品、美味しいかぃ?なにかブツブツ言っていたようだけど。」
「ああ、ごめんごめん。なんでもないの。うん、コレなかなか美味しいわよぉ。コーヒーよりかは、ミルクティの方が相性よさそうって感じかしら。でもオバチャンって、こういう新作が入ってくる時に試食とかしないの?」
アタシが座っている丸イスには、レジカウンターも兼ねられたテーブルが組み合わさっていて、ちょっとしたカウンター席のような構造になっている。そのテーブルの上には、今回入荷になったお菓子の試作品たちが開封され、紙パックのミルクティと並んで、ガラスのコップにはく腰前に注がれた麦茶が置いてある。
「そんな面倒なことしないよ、だいたい高校生のアンタたちが試食して判断してくれた方が業者の言葉なんかよりよっぽど真実味があるんだよ。それとも、ババァの好みで購買部に濡れ煎餅ばっかり入荷しても良いのかぃ?」
棚の奥でケタケタと笑いながら『オバチャン』は、またいくつか小さな菓子袋を持ってアタシの横に座った。小柄だが姿勢はよく、軽くパーマのかかったベリーショートの髪に口にはずっと禁煙パイポを咥えている。威勢よくハキハキとした喋り方をしており、この購買部が設立さされた時からずっと勤務しているという、いわばこの学校の裏ボス的な存在だ。男女問わず生徒からは人気があり、特に女子生徒からの信頼は厚い。恋愛相談や、女性特有の悩みに的確なアドバイスと硬い他言無用の約束をくれると評判であるが、なによりも大の噂話好きの情報ツウとしても有名なのである。
「せっかくの夏休みなのに精が出るこったね。あのホケンイさんのこと、まだ調べてるのかい?この間、センセイたちに見つかってしょっ引かれたらしいじゃないか。」
「まぁね、でも笑い事じゃなかったんだよ、あれ。ちょっと派手にやり過ぎちゃってさぁ。」
アタシのリアクションに、オバチャンはまたケタケタ笑っている。
オバチャンは、アイツのことを『センセイ』なんて呼んでいる。
アタシのことをブンちゃんと呼んでくれている。
オバチャン曰く、シンブンブって長くて呼びづらいんだって。
なんというか、アタシにとってオバチャンは年上の頼りになる友達っていうか、同じ情報を扱う者としてなんとなく負けてられないというか、妙に居心地がいいというか。理由をあげればまだまだあるのだけど、とにかくアタシはなにかある度にここへ来ては、話を聞いてもらうついでに仕入れた情報の交換をしている。
「で、倉庫に泊まり込んでまで調べてわかったのは、ホケンイさんがセンセイのいる組織に反対してるってことくらいなのかぃ?」
「うーん、それはそうなんだけど、なんて言えばいいのかな。それだけじゃないから、ちょっと困っててさぁ。アタシじゃちょっと荷が重いというか。どうしたもんかなって。こういう時こそ報道部としての本領が試されるのにねぇ。やっぱりこういう時の為に後輩の一人や二人、自分の手駒としてキープしておくべきだったかしら。なんだかアタも後輩たちの間で噂になってるみたいだし。なぁんてね。」
真剣な話を真剣な表情で話しているはずなのに、手元にあるナッツチョコとミルクティを口に運ぶアタシの手は一切止まる気配はない。向かいに座ってるオバチャンもそれは同じのようで、濡れ煎餅が静かに避ける音と、冷たい麦茶を啜る音がテンポよく交互に聞こえる。アタシは昔から、真剣な話を真剣なまま続けるのどうも苦手で、こういう時につい、飲み物を飲むペースが速くなったり、話を少し茶化してしまう事がある。
「なんだい、一丁前に悶々と悩んでるみたいじゃないか。耳年増なブンちゃんでも、一人の大人が背負ってきた過去を背知るのは気が引けたかぃ?」
う、あっさりと見透かされている気がする。
「でも、アタシが自分から望んで手伝っているわけだし、投げ出さないとは決めてるんだ。アイツ、普段は温厚なくせにキレるとなに言い出すかわからなくてさ。そういうのもフォローしてあげないとね。一応、アイツの相棒、だと思ってるから。」
話して行くうちに妙に恥ずかしくなってしまったアタシを、オバチャンはひひひ、とはやし立てるような笑い声を出して、優しい顔をしてアタシを見ている。
たぶん、普段なかなか友達に相談できない事をお母さんに相談するのって、こんな気分なんだろうな。アタシはお母さんの事イマイチ覚えてないけど、そんな風に感じた。
「そうかい、じゃ。センセイに言う前に、あたしで練習していったらいいさ。」
「いつもありがとね、オバチャン。」
アタシはそう言って、自分が調べ上げた情報を、オバチャンに話し始めた。
「……そうかい、ホケンイさんに、そんなことがあったんだねぇ。」
アタシが一通り説明し終わると、オバチャンはそう言って、本日四杯目の麦を啜った。アタシが飲んでたミルクティも話している間に買い置きがなくなってしまったので、アタシもオバチャンと同じものを飲んでいる。
「うん、別にそれでホケンイさんが教職に向いてないとは思わないし、そんなことを記事にするつもりもないけど、どうしてもアイツの立場とかが関わってくるから、ちゃんと話さなきゃとは思ってるんだ。」
アタシもオバチャンに話したことで、頭の中の情報整理もできた。自分の調査で辿り着いたことで、まさかこんなに考え込んでしまうとは思わなかったけれど、アイツがカウンセリングを終えて戻ってきたら、必ず伝えなきゃ。
「さっきまでは珍しくモジモジしてて、なんというか、ずいぶん気味が悪かったけど、ようやっといつものブンちゃんに戻ったね。」
「今さらっとひどいこと言ったよね。泣いていいかな。」
オバチャンはやれやれ、小さく呟くと椅子からスっと立ち上がり、購買室の奥にある換気扇を回して煙草に火を着けた。この学校の職員の禁煙に対する意識の低さは記事にしても良さそうだ。その件についても、アイツに取材してやろう。
「しかし、そんな二人がカウンセリング中だなんて、本当に大丈夫なのかね。前にセンセイが怒った時の姿はよぉく覚えてるけど、まるで別人みたいになるじゃないか。」
去年の冬に起こった通り魔事件の時、通り魔の犯人を捕まえる最後の作戦にオバチャンも協力してくれていた事もあり、オバチャンはアイツが本当に怒った場面にも立ち会っていたのだ。当然、アタシもその徳の事はよく覚えている。あの真冬の合宿以上に、アイツが怒った時の様子は脳裏に焼きついている。
「……うん。そうだね。あれからアイツも我慢強くなったし、いきなり殴りかかるなんて事はなくなったとは思うけど、今回の状況じゃ、我慢できなくなっても仕方ないと思う。」
「なら、こんなところでお茶なんか飲んでて大丈夫のかい?」
オバチャンはこちらを見ずに、煙草の煙を換気扇に向かって吐き出している。
「アンタの相方が今、一番苦手な相手と一人で戦ってるんじゃないのかい。」
「うん、そうだよね。」
アタシが、助けてあげなきゃ。
まだ、なんの恩返しもできていないアタシが、アイツを助けてあげなくちゃ。
2人で、そう決めたじゃん。アタシたちで、助けてあげなきゃ。
「オバチャン、ありがと。ちょっくら相棒助けてくるわ。これ、もらってくね。」
アタシは新商品のお菓子を手帳の入ったカバンに詰め込んで、購買部から保健室に向かって走った。
《chapter:2-4》
「それは、どういう意味かしら?」
ホケンイは驚いたような表情でオレを見ている。先ほどまでの自由な発言が嘘だったかのように、急に何かを不安がっているようだ。外はまだ雨が音をたてて降っている。雷は鳴っていないようだが、降り始めた頃よりも雨脚は強まっているらしい。
「あぁ、どうやら、あなたはあまり、頭がキレるタイプではないのですね。あれだけいろいろと、好き勝手に喋っていたのに。」
「くっ……」
ホケンイ明らかに悔しそうな目でオレを睨んでいる。偶然とはいえ、自分が言った言葉を、その言った相手から返されるというのは、よほど悔しいことの様だ。もちろんオレは敢えてその言葉を選んだのだが、普段ならこういう悪趣味な返しはしないようにしている。なのに、今はその歯止めが利かなかった。もしかすると、利かせなかったのかもしれない。
「あら。ご都合の悪い時は、喋りにはならないのですね。」
「……っ」
ホケンイの顔がだんだんと赤くなっていく。今の言葉で確信したが、オレは自主的に言葉選びのフィルターを取り払ってしまっているようだ。こんなに冷静で自己俯瞰もできているのに、肝心な自分自身のコントロールができなくなっている。
オレの頭の中では、響いていた耳鳴りが徐々に強くなっている。
それに合わせるように、身体中の血が沸騰しているのがわかる。
バインダーを掴んでいる手には力が入り、じっとりとした汗をかいている。
「な、鳴かない雉が、今度はオウム返しのつもりかしら。」
ホケンイも自分が言った言葉を上手く使って返してはきたが、オレはもはやその言葉に何も感じなくなっていた。
「そんな、オウム返しなんてとんでもない。的確な言葉を使って、わかりやすいようにお伝えしているつもりですよ。自分にとっての嫌味と相手にとっての嫌味が、必ずしも同等の言葉である思えませんが。」
「……!」
こうしている間にも、耳鳴りはますます強くなっていく一方だ。
今まで抑えていたモノが、蝶番のカギをドアごと蹴破って、濁流のように流れてくる。
止めなくてはいけないのは、オレが一番わかっているのに。
それをオレ自身が望んでいない、不思議な感覚だ。
理論や思考より先に、身体と感情で行動している。
ホケンイは、先ほどよりも明らかな怒りを、その無言に込めて睨みつけてくる。オレはその様子を見て、何の躊躇もなく、ホケンイに向けて言葉を吐いた。
「なるほど。雉も鳴かずば撃たれまい、ですね。訂正します。やはりあなたは、とても賢いようだ。少し見直しました。」
おそらく今、オレは笑っているのだろうか。
「あれ。この会話、以前もどこかでしましたっけ?」
「なんて失礼なっ……!」
ホケンイは何かをオレに言いだそうとするが、その怒りのあまり上手く言葉として出てこないようだ。唇を噛み、量方がわなわなと震えている。やはり以前遭遇したタイプの反対派とは違い、すぐに飛びかかってくるような実力行使型ではないようだ。カウンセリング中はそれに救われていたはずなのに、今はそれを利用してオレがこうやって好き放題に言葉を選ばず話してしまっている。本来であればこんなことは許されることではないのだが。自制がきかないというのが正直なところだ。
「今回のカウンセリングで答えて頂いた内容を踏まえてなのですが、やはり腑に落ちないことが多いように感じます。例えば、機関室にで相談された際におっしゃっていた視線を感じるようになった時期と、あのシンブンブが活動していた時期がどうも合致しないのです。先ほどは、オレの飼い犬のせいだとおっしゃっていましたが、果たして本当にシンブンブの仕業だったのでしょうか。もちろん追って調査は行いますが、ご自身の過去の行いに、本当に身に覚えはありませんか?」
「な、なんですか、それ。そちらがあの子のせいだと言ってきたんじゃないですか。じゃあ、犯人は他にいるって言うんですか?それとも、私がこうやって本当の気持ちを言わなかったら、そのままあの子の仕業として終わらせるつもりだったんですか?やっぱり、やっぱり、貴方がた【ブロウズ】はそういう手段を平気で使うような組織だったんですね。あの飼い犬も」
ホケンイがそう言った瞬間、オレは持っていたバインダーを左手の甲で強く叩いていた。驚いた様子のホケンイの隙を見て、オレは言葉を続ける。
「シンブンブに関しては、オレから別件で調べてほしい事を依頼していました。当初はその過剰な調査が原因だと思い、彼女を捕まえました。しかし実際は、オレが彼女に依頼した時期よりも前に、あなたは〈視線を感じるようになった〉とおっしゃっていました。だからこそ、こうやって、その時期のズレの原因を探していたんです。そしてこれは余談ですが、オレのことをどんなモノや鳥に例えようが構いませんが、年頃の女子高生を飼い犬呼ばわりするような品のない表現は納得いきません。」
「……っ!」
生徒に対してという部分で、ホケンイ自身も迂闊な発言だったと気付いたようだ。ホケンイハ先ほどより多少落ち着いた表情でオレの事を見ている。
「依頼者である相手の過去を、無理やり思い出させるような、辛かった出来事を引っ張り出すような質問が多かったのなら謝ります。そして、オレの説明に言葉が足り負かった事も。ですがこれは、目の前の問題解決の為だけではなく、これをきっかけにして依頼人の精神的被害や負担の解消も繋げていく為のものです。したがってヒアリングではなく、カウンセリングと銘打って実施しています。今後は今よりもっと依頼者の気持ちを考慮した質問事項や対応になって行くよう努めていきます。ですがそれは、依頼者の協力が合ってこそ成り立っていくものです。ですが。」
気がつくと先ほどまでの地響きのような耳鳴りは、遠のいていた。
あの不思議な感覚もなくなって、今は冷静に話せている。
ホケンイも、今は黙ってオレの話を聞いてくれているようだ。
「たとえオレは、ホケンイさんの言うような、デリカシーのない言葉を使ってしまって依頼者を怒らせてしまうような事があっても、依頼人が望む完全な問題解決の為なら、嫌われようが疎まれようが構いません。事実を有耶無耶にして原因を忘れたふりをして、臭いものに蓋をすることを解決とは言いません。。」
「……。」
「まぁ、その考え方自体に反対しているホケンイさんに、こんなこと言っても仕方がないとも思っていますが。しかし仮にもシンブンブは自分の働いている学校の生徒でしょう。オレと関わっているからといって、犬呼ばわりは許せませんな。あいつは多少アホの子ではありますが、お互いの利害が一致することも多い、いわば、オレの相棒でもあります。毎回手伝わせるわけにはいきませんが、校内の問題解決に協力的なのも事実です。もしまた同じことを言うようなら、次はホントに怒ります。」
自身の発言に多少なりとも反省したようなホケンイを横目に、オレは小さくお辞儀をして保健室を後にする。保健室のドアを開けた時、誰かがさっきまでいたような、誰かが遠くに走っていく足音が聞こえた気がしたが、教室の前には誰もいなかった。
「うーん、言い過ぎたかな。あいつのことも軽くバラしちゃったし。」
冷静さを取り戻したオレはバインダーを片手に廊下を歩きながらいろいろ考えはするが、熱くなっていた反動のせいか、自分のやったことについてグルグル考えてしまい、何も思い浮かばない。そして、こういうタイミングで腹が鳴る。
「とりあえず、なにか食べるか。オバチャン、まだ購買部にいるかな。」
なに、なんなの。あの男。途中までは私が、今まで奥の奥にしまっていた想いを吐きだしていたはずなのに。急にあんな、態度が変わったように感じたわ。キレた、とでも言うべきなのかしら。それにしても様子が変だった。あんな一面もあるなんて思わなかったからつい、たじろいでしまった。きっとこういう事も報告書に書けば、きっと報告書の効果も高まるはずだわ。機関員が情緒不安定な一面がある、と。
でも、あの男はどうして。
どうしてあそこまで、組織に関しての言葉で怒ったのかしら。
どうしてそこままで、あの子への言葉に反応したのかしら。
【ブロウズ】とあの子に、どんな関係があるのかしら。