第二話
次の日。我らが詩人は朝ご飯を買いに外へ出て、驚いた。道路に何やら光るものが落ちている。町の清掃員が必死にモップでこすっていた。よく見てみると、何かの足跡らしい。見たこともない形で、水がかかるとグリーンがかった色に光る。色々なサイズの足跡が、あちこちについていた。
「さては昨日聞いたあいつだな」詩人は思った。避難者が大勢詰め寄ってきて、昨晩の宿屋は大わらわだった。たぶん〈それ〉が近づいたからだろう。まばらに残ったグリーンの足跡は路地裏に続いていた。
ふと、彼は考える。
「こいつの足跡つけてったら、どんな奴かわかるんじゃねぇか?」
おぉ、なんとこの詩人の勇敢な事か。彼は身の危険も顧みず、町の人々を脅かす〈それ〉の正体を見極めんとしているのである――尤も、その最たる動機は飽くなき好奇心に他ならないのだが。
奴さんの根城を見つける前に、下調べだ。
町の公共図書館に展示資料があったのは有り難かった。『〈それ〉らに遭った時の対処法』と銘打たれたその展示では、〈それ〉に関する情報が事細かに紹介されていた。痕跡や〈それ〉が吐くという酸、今まであった事件等。その姿を描いたポスターは生憎破られていた――人々には恐ろしすぎたのかもしれない。
情報が十二分に得られたところで、続いて現場を見に行くことにした。さっきの可愛らしくも不気味なスタンプを探していると、思いがけず、詩人の腕を掴む者あり。ピシッとしたスーツ姿の男だ。よく見ると、昨日の市民団体の人間だった。
「あの、そこの貴方。図書館にあった〈それ〉らの展示はご覧になりましたか?」
「見ましたが――〈それ〉と言いますと」
面倒くさく思いつつ適当に相槌を打つ。
「役所も無慈悲だと思いませんか、彼らを過剰な程に気味悪がって。我々と、同じ土地に住んでいるのに! だから私は決めたんです、彼らがありのままで、我々と共に暮らせる方法を探そうと!」
正義感に満ちた言葉で語りかける様は演劇の主人公のようだ。だがあまり事情を知らない詩人は、今ひとつピンとこない。
「……あの、俺が見たポスターでは、〈それ〉ってデカいし強酸吐くから危険だ、ってあったんですが」
「それは人間の方が彼らに失礼な事をしたからです。仕方ない事です」
賛成してくださいますなら、こちらを。スーツの男が差し出したのは、バインダーに挟まれた署名簿だった。二、三名前が書かれているが、他は全て空欄だ。
「あー、えっと……急ぐんで、失礼します」
詩人は適当に誤魔化してその場をこそこそ抜け出した。
「何だったんだ、あいつ」
詩人はさっき見つけた足跡を辿ろうとする。
不意に、首の後ろに冷たいものを感じる。ぱん、ぱぱん。小鼓を叩くような間抜けな音。
詩人は中折れ帽を取って触る。濡れていた。強いにわか雨が降りだしたのだ。
まずいな、〈それ〉が来る。どんなもんかは知らないが、とにかくまずい。
彼は慌てふためき、隠れる場所がないか探す。幸運にも昨日の公園に、大きなドーム型遊具があった。通り雨程度なら凌げそうだ。
ドームの中で縮こまって隠れていると、子供の頃を思い出す。昔遊んだ友達の事、読み聞かせてもらった絵本の事……ちょうどこんな雨の日にぴったりな童話があった筈だ。雨の森に住む怪物の話。友達が欲しくて人里に下りてきたんだっけ……
何気なく横をちらりと見た。
「そうそう、確かこんな怪物だった――」
こんな怪物?
詩人は息を呑み後ずさる。口を押えて、叫びそうになるのを我慢した。
いつの間にか隣に見知らぬ生き物がいた。
徐にこちらへ近づく生き物。歩く度に奇妙な足跡が地面につき、蛍光グリーンに光った。