迫りくる影
「亜獣人界で何か、変なものが発生してるのだけど」
暖かな日差しを受け、紅茶を啜りながら本を読み耽っているところに、礼無くズカズカと入
ってきた挙げ句、挨拶も無くいきなり本題を切り出す。そんな無礼な異常の報告にも全く動じ
ず、読んでいる本の頁を進める。
「・・・・・・随分と前の情報だけど・・・・・・大丈夫?寝てたりしたの?」
「寝てないから。そうじゃなくて、何か対策とかしてるのかと思って」
パタンと本を閉じ、目の前の相手に向き直る。
「対策は特にしてないわ。現時点では、だけれど」
黒い翼を背に携える小柄な女性は、慌てる素振りを全く見せない。対する銀の毛並みを持つ
狐種の女性もまた、急いている様子は無い。
「もし何だったら、私が適当に始末してもいいんだけど、どう?カナエル」
「・・・・・・その事なんだけど、実はリンナが試したいことがあるらしいから、解決に動く
のは彼女の許可が下りてからにして欲しいそうよ」
「まあ、因縁があるのはリンナだし、あの娘がそうしたいって言うなら別に構わないけど」
やる気が削がれたのか、帰ろうと歩き出す。
「魔王グリム様にとっては、やはり自分の住まう世界が汚されるのは気に入らないのかしら」
帰ろうとする女性の背に言葉を投げかける。
「いや、別に私の世界じゃないし。目障りなだけだから。」
振り返る事無く出て行く。それを見届け、カナエルは再び本を開く。
「じゃあみんな、明日から夏休みに入るけど、はしゃぎすぎて怪我したり、人に迷惑かけちゃ
駄目だからね」
夏の中節、学校という施設には、どうやら夏休みと言う長い休日があるようで、「給食」と
いう制度もお休みらしい。長い休日が嬉しいらしく、何人もの生徒が浮かれ、落ち着きなく騒
いでいる。
「先生!質問いいですか?」
ある生徒がデイ先生の挨拶に割り込む形で手を挙げる。
「質問?なーに?」
「先生、宿題はないんですか?」
その質問に、夏休み目前とあって浮かれていた多くの生徒たちが凍りついたように静かにな
る。中には鋭い目つきで「何余計なこと言ってんだよ」と言わんばかりに睨みつけている人も
いる。
「宿題?ああ・・・・・・そういえば、そうだったね」
生徒たちに緊張が走る。先ほどまでの喧騒が夢であったのかと思うほど静かだ。
「ごめんね?宿題のこと忘れてて」
ついには祈り出す者も現れた。
「宿題なんだけど・・・・・・無いよ」
その瞬間、教室のあちこちから勝利の雄叫びが上がった。抱き合い、喜びを分かち合う者、
片手を突き上げ、勝利をアピールする者など、とにかく騒がしい。
「あんまり騒がしいと、宿題出すよ?」
喧騒がピタリと止む。
「みんなもう十歳でしょ?大人になるまで後三年だし、今年からはね、自分のやりたいことを
見つけたり、やりたいことのために努力する時間として使ってほしいの。でも、折角のお休み
だし、目一杯遊んでてもいいけど、一度くらいは将来のことを考えてみてね」
は~い、とちゃんと話を聞いていたのか分からないほど元気な声で返事をする。
下校後にハイラント邸に寄るのも恒例と言えるほどの頻度となっていた。野良生活をするの
はもちろん、趣味みたいなものなので好きなのだが、やはり居心地が良いのだろう、初めの内
は気が引けて難色を示すことが多かった。だが、こうして自らの意思を以って訪れるようにな
ったのは、色々な話が聴けるという点が大きい。
中でも、グリムと言う銀色の毛並みを持つ狐種の女性は、魔獣族の王であり「魔王」と呼ば
れている事もあって、その話はとても面白いものだ。
「そういえばさあ、魔王って生き物は息をするように世界征服しようとするけど、グリムさん
はそういうのしないんすか?」
バンリが思い出したかのように唐突でとんでもない質問をする。
「世界征服ねぇ・・・・・・今は必要ないけれど、まあ・・・・・・近い内に計画を立てるつ
もりでは居る」
とんでもない質問に、全く隠す素振り無くとんでもない答えが返ってきた。場の空気が固ま
ってしまう。その空気を物ともせず、給仕者のガルが会話に割り込んでくる。
「世界征服はお一人でなさるのですか?確か、お友達・・・・・・いませんでしたよね」
もはや失礼というレベルではない発言が笑顔のままのガルから放たれ、場の空気が青ざめて
しまう程に更に冷え固まる。
「ガル・・・・・・消し飛ばすわよ・・・・・・」
凄まじい気迫の篭った眼で睨みつける。が、ガルの笑顔は崩れず、動じる様子も無い。
「そうなると、お料理もお掃除もお洗濯等はご自身でやって頂くことになりますね」
「むう・・・・・・で、でも、代わりの人を見つければいいわけで・・・・・・いや、ガルを
超える給仕者なんて・・・例え複数連れて来て掃除洗濯は何とかなっても、料理は・・・料
理の腕だけはどうにも・・・なぁ・・・・・・」
魔王が完全にうろたえ、ブツブツと呟いている。
「ガルさんって凄い方なんですか?」魔王とあろう者の動揺っぷりに見ても、そうなのだとし
か思えないのだが、一応聞いてみる。それに答えたのはつい今までブツブツ言っていたグリム
だった。
「そもそも、あなたたちは『給仕者』と『メイド』と『使い』という職業を知ってる?」
「同じじゃないんですか?給仕者さんとメイドさんって」二つの職業については何となく知っ
てはいたし、呼び方の違いだけで同じものだと思っていた。使いに関しては、フュクシンがそ
うだと知ってはいるが、実際にどういうものなのかはよくわからない。
「基本的には同じだけれど、少しずつ違うのよね。まず、どれも仕えるという意味では同じね。
それで、違いなのだけれど、簡単に言えば役割の範囲の違いね。」
「役割の範囲?」
三人は同時に首を傾げる。
『給仕者』は主人に仕え、主人の身の回りのお世話をし、主人が過ごしやすいように住まう家
を整える、主人の生活を支える仕事。
『メイド』は主人に仕え、身の回りのお世話をし、家を整え、主人の身に危険を及ぼす敵を討
ち、払い除ける、主人の生活と身を護る仕事。
『使い』は主人に仕え、主人の命により、時にあらゆる情報を集め、時に敵から護り敵を討つ、
主人の手足となりて攻めも護りもこなす仕事。
「そうね・・・・・・付け加えて言うなら、この三つは五世界に存在する職業の中でも、成る
のが難しい職業のトップ3ね」
「そ、そんなにですか!?」
一斉に二人に注目が集まる。なんとここにはトップ3の中の『給仕者』と『使い』の職に就
いている二人が居るのだ。先に口を開いたのは、ガルだった。
「確かに・・・・・・そうみたいですね。私の同期の方たちの中でも、途中で泣いて帰ったり、
放心して無言で立ち去っていったりする人が結構いましたね。三年の勉強期間を経て成る事が
できるのですが、三年で成れる人はほぼいないみたいですよ」
「そういうあなたは二年で成ったんだっけ?」
えへへ・・・・・・と照れているガルを、三人の眼には憧れのような光が宿り、一心に見つ
めている。
「成った初日に死にましたけどね」
笑顔のままの本人によって付け加えられたその言葉は、三人の眼から光を奪った。どう発言
をしたらいいのかと悩んでいると、グリムが素っ気無く聞く。
「殺されたんだっけ?」
「はい。胸部を刃渡り20センチ程度のナイフで一突きにされ、最終的に失血死という形になり
ました。」
三人の顔が青ざめていく。そして、トドメの一言。
「死体ありますけど、見ますか?」
「見ないよ!!!」
「『使い』は特定の個人に仕えたいと想い目指すものなので、その信念や情熱故に、途中で諦
めるものはそれほどいません」
「フュクシンさんはどうしてヒイカさんに仕えたいと思ったのですか?」
「それはですね・・・・・・」
答えようとした時、玄関の扉を開け放つ音と共に、小柄な狸種の女性と鳥系統の翼を持った
男性が慌てた様子で入ってきた。
「フュクシン!居るか!?」
その表情には余裕が無く、相当な事態であることが伺える。
「何かありましたか?ファルセイドさん。ポンさんも」
「ひとまず、こいつを見てくれ」
そう言い、ファルセイドが背を向けると、そこ背には天使族の男の子が担がれていた。どう
やら眠っているようだ。
「こ・・・この方は・・・・・・?まさかとは・・・思いますが・・・」
フュクシンは何かに気付いたようにうろたえている。
「気付いたか、流石だな。ああ、察しの通り・・・・・・ヒイカだよ」
その場にいた誰もが我が耳を疑う。だが、グリムだけは冷静に事の顛末を探る。
「それで、何があったの?」
ファルセイドとポンは互いを見合い、一息ついてから語りだす。
魔獣族・鷹種のファルセイドと妖怪族・狸種のポンはヒイカの古くからの友人であり、三人
だけで飲みに行ったり、遊びに行ったりと、互いに心を許しあった仲である。その日も例に漏
れず、ヒイカは使いであるフュクシンを連れず、真昼間から飲みに出ていた。
ファルセイドは普段、運び屋として各世界を忙しく飛び回っているため、たまの休みにはこ
うして真昼間から羽目をはずすのである。
「ごっごっごっごっ・・・・・・ぷはーーー!」
大型の容器になみなみと注がれた麦酒を片手で豪快に飲み干すファルセイドに対し、ポンは
両手で大人しく飲み進める。ヒイカは酒類は飲めないため、同じ器に注がれた冷茶を流し込む。
「おつかれさまでした」
労いながら、ポンは空になったファルセイドの器に麦酒をなみなみと注ぐ。
「お互い様」
ファルセイドはお返しに、まだ半分近く残っていたポンの器をいっぱいにする。
「ヒイカさんもどうぞ」
三人の器が再びいっぱになる。いつもの流れだった。いつものように出された料理を摘み、
飲みながら世間話に花を咲かせる。
そしていつも通り酔いつぶれた二人をヒイカが介抱し、それぞれの家へ送り届ける。はずだ
った。
ヒイカが厠へ行こうと立ち上がったとき、カシャリと何かが落ちた。
「ヒイカさん、これ・・・・・・銃・・・叶銃ですか?落ちましたよ?」
「ああ、すいません。最近整備していなかったので、時間があれば整備しようと思って持って
きたんでした」
ヒイカが落ちた銃に触れた瞬間だった。銃が強い光に包まれ、光が納まった時、そこには子
供の姿と成ったヒイカが倒れていた・・・・・・。
「叶銃が・・・・・・ですか・・・・・・」
目の前の机に置かれた純白の銃。まず間違いなくこの銃が原因だろう。
「きょうじゅう?って何ですか?」
この世界にとって、銃と言う物自体珍しいのに、叶銃という普通の銃とは違う物となれば、
もはや全く分からない。
「叶銃は、普通の銃とは違い・・・・・・ああ、銃自体今の若い方たちには分かりませんか」
「遠距離武器の一種だということくらいなら・・・・・・」
「そうですね・・・・・・簡単に言えば、銃とは金属の玉をものすごい速さで打ち出すことが
出来る機械で、誰でも扱えて簡単に人の命を奪ったり、致命傷を負わせることが出来る兵器で
す。それに対して、叶銃には殺傷能力はありません。しかし、この銃には力があるのです」
「チカラ・・・・・・」
「天使個人が持つそれぞれの能力を具現化した物で『信念の剣』と呼ばれる武器を天使族は持
っています。」
「それって、死神族にとっての『鎌』みたいなものなんすか?」
フュクシンは静かに頷く。
「じゃあ、ラキエルちゃんも武器もってるんだね」
ハワーが無邪気な笑顔を向けるが、ラキエルは一瞬浮かない表情を見せるが、すぐに笑顔で
はいと答える。
「・・・・・・叶銃には・・・・・・人の願いを叶える力があります」
その言葉に、ハワーとバンリは沸き立つ。
「そ、そんなトンでもアイテムなんすかそれ!!」
「それがあれば・・・・・・食べても無限に再生し・・・無くならないニンジンが・・・!」
自身の欲望に眼を輝かせる二人。フュクシンは一言付け加える。
「ただし、これを使うことが出来るのは、ヒイカ様だけですが」
その言葉で二人の眼は戻り、落ち着きを取り戻した。
「それにしても・・・ヒイカ様の意思とは関係なく、『叶銃』が起動するなんて・・・『銃』 か・・・・・・」
晩御飯をご馳走になり、泊まっていくかと聞かれたが、今は不足の事態に陥っていて邪魔に
なりそうだったので断った。
季節は夏の中節に入り、気温も暑いと無意識に呟いてしまうほど上がるようになってきた。
それに伴い、寝泊りする場所も木々が生い茂る森の中に移す予定だ。この時期になると、元々
家を構えて住んでいた人たちでも、涼しくて過ごしやすいという理由で、森に住処を一時的に
移すこともある。そうなってくると、当然人と出会うことも多くなるし、そういった人たちと
話をする機会も増えて、食料を分けてもらえることも多く、容易になる。つまりは、とても過
ごしやすい、生活しやすい時期なわけである。
帰るというより、短くともこの夏休みの間だけは過ごす予定の森は、ナーエの町を大きく離
れ、世界すら渡った先「冥界」にある。正確には、冥界に続く門がある世界だ。実質、元々冥
界の生き物である「魔獣族」が内も外も管理しているので、纏めて「冥界」と呼ばれている。
ラキエルが過ごすのは外の森だ。冥界は他の世界と比べても、最も自然豊かだ。
世界を渡るためには、冥界行きの「転移門」という門をくぐらなければならない。この転移
門は入り口用と出口用に分かれており、一対の門での行き来は出来なくなっている。
かつて、亜獣人界で利便性の高い科学が蔓延していた頃に生み出された技術を、誰にでも扱
うことができないように、より不便で専門の人物が居なければ動かせないよう改良された物で
ある。入り口門と出口門は、全ての交番に設置されている。
「夜分に申し訳ありません。お邪魔してもよろしいですか?」
ラキエルにとって、交番は馴染みの場所だ。いろいろな世界の交番でお世話になっているこ
ともあり、訪れれば笑顔で迎えてくれる。
「おお!ラキエルちゃんじゃないか!何だかすごく久しぶりな気がするなぁ」
挨拶をしながら、おまわりさんは机の上のクッキーを差し出してくる。ラキエルは遠慮する
事無く一つ手に取り、かじりつく。一つ食べ終わる前に、おまわりさんがお茶を淹れて持って
くる。
「元気に・・・・・・してたみたいだね。よかったよかった。今日は何か入用かい?」
お茶で口の中を整え、一息置いてから本題を切り出す。
「はい。冥界の方に行こうと思いまして」
「冥界?ああ、避暑だね。そういえば、もう夏休みに入ったんだったね」
こくりと頷く。
「でもごめんね~。今、専門の人が居なくて、戻ってくるのは明日の朝になるんだ~」
「そうでしたか。それじゃあ、明日また来ることにします」
いつも通り足早に立ち去ろうとすると、このおまわりさんには珍しく、真剣みのある声で呼
び止められた。
「ラキエルちゃん。話しておかなきゃいけないことがあるから、少しだけいいかな」
静かに頷く。
「うん。実はね、君の事を躍起になって探している黒い翼の天使族がいるんだ」
その情報にラキエルは目を見開く。
「そしてその人は隣町まで来ていて、直にこの町にやってくるよ」
うんともすんとも言わないラキエルを気にする事無く話を続ける。
「僕はおまわりさんで、君は僕たちの中では有名だから・・・・・・君の境遇は知ってるよ」
顔を上げると、いつも暢気なおまわりさんとは別人ではないかと言うほどに真剣な面持ちで
こちらを見つめて、言う。
「だから・・・・・・逃げて・・・・・・その人はきっと、君を・・・・・・」
「・・・・・・ありがとうございます。すいません・・・・・・」
その眼は怯えを隠せない。
交番を後にしたものの、もはや外に安全と言える場所など何処にも無い。ただ、すがるよう
に、求めるように、お屋敷を目指す。