運命の出会いは何の変哲も無く
がさがさごそごそ。
季節は春の節に移り変わり、少し暖かくなってきたとはいえ、やはり夜ともなるとその寒さ
は身に染みる。背中に携えたの翼の動きも少しぎこちない。
がさがさごそごそ。
学校も始まり、そこに通うようになってはや一節。十の歳になって初めて通い始めた、その
「学校」と言う施設は別に、行きたいと思っていたわけではない。が、新鮮な感覚であり、日
々の彩りになるのは確かだ。
どさっ。
建物と建物の間に敷き詰められたゴミの詰まったゴミ袋のベッド、その上にカラのゴミ袋に
自分の身体を入れて横たわる。そして最後にゴミの詰まった、程よい重さのゴミ袋を布団代わ
りにして、明日のことに想いを馳せながら目をつむる。
と、鋭い光が突然目の辺りに突き刺さり、思わず起き上がる。
「なんだ、君だったのか~」
安堵したかのような調子でしゃべりかけてきたのは、この町のおまわりさんだ。
「いやー、びっくりしたよ~。暗闇に何かもぞもぞしている影が見えたから、おまわりさん、
確かめようか逃げようかちょっと悩んじゃったよ~。はっはっは」
「驚かせてしまったようですみません。今晩の寝床を整えていましたので。」
「そっかぁ。それじゃあ就寝のお邪魔をしてしまったみたいだねー。ごめんね?僕は帰るから
ゆっくり休んでね~」
そう言って、おまわりさんはそそくさと去っていった。
世界名「エヴァー・ラスト」そう名づけられたここは、元は別々だった五つの世界から成る。
「創生界」「亜獣人界」「天使界」「死神界」「冥界」の五つ。住まう人々も様々で、
「妖怪族」「亜獣人族」「天使族」「死神族」「魔獣族」の五種族が存在し、その中にも「種」
と称される動物の耳や尾を持つ者たちがいる。これらの世界が一つの共同体となったのは、こ
こ約三十年来の出来事である。
暦は全世界で共通。春の上節を一年の始まりとし、春の上節、中節、下節、夏の、秋の、冬
のと続き、冬の下節が終わると春に還る。一年は十二節で構成され、一節は三十日である。
ここ、ナーエの町はそれほど大きくないが、この亜獣人界「ティーア・ライヒ」に住む人々に
とっては、「平和の象徴」と呼ばれているリンナ様のお膝元であるため、お祭りの時期ともな
ると、他の村々や他の世界からもたくさんの人々が訪れる。
天使族のラキエルがこの村に来たのはつい一節ほど前のことになる。
もともと、別の町で野良生活に勤しんでいたのだが、心配したおまわりさんが、学校への編
入を取り付けてくれたようで、野良生活の場をこのナーエの町に移すこととなった。
朝、いつものように川岸で火を起こし、水浴びをする。朝食には前日の内に獲っておいた木
の実や、おまわりさんや町の人が分けてくれたお菓子を頬張る。その後は火を消して学校へ向
かう。
「よっ!おはよう」
教室に着くなり声を掛けてきたきたのは、死神族・狸種のバンリちゃんだ。おはようの挨拶
を返し、自分の席に着く。前の席にバンリが座り続けて話しかけてくる。
「知ってるか?最近この世界に異常が、真っ黒でもやもやした何かが発生してるらしいぞ。」
漠然とした話だが、その顔は嘘をついているようには見えない。
「えっと・・・そのもやもやには何かあるんですか?」
漠然とした話に戸惑いながらも、続けて情報を聞き出してみる。
「ああ。取り憑かれると・・・・・・」
そう言いつつ身体を縮こまらせて少し溜めた後、一気に両手を襲い掛かるが如く振り上げる!
「ガーーーーーッ!てなる・・・・・・らしい」
「がぁー・・・・・・ですか?」
「違う!ガーーーーーッ!・・・・・・だ!」
傍から見れば朝から何やってるんだと奇妙に、それこそお前たちが異常だよと言われてしま
いそうなやりとりを繰り返していると、そこに担任の先生が入ってきた。
「ハイハイみんな~!おはようーーー!」
その声を聞くや否や、生徒たちは皆自分の席に戻っていく。
「それじゃあまず、最近この世界で起こってる異常についてお話しするね」
いつも元気でニコニコしているデイ先生が少し真剣な面持ちに切り替わる。
内容はバンリから聞いていたものとそれほど変わらなかった。とにかく分かったのは、どこ
から出てくるのか分からないという事と、とりあえず近づかない方が良いということぐらいだ
った。
授業の科目は主に史学、道学、語学、算術、体育の五つだ。基本的には教室だが、外に出て
実物を用いての授業も多い。まあ、担任の先生の気分しだいだけど。
私たちの先生であるデイ先生は、野外での授業が多いタイプだ。それは普段から明るく元気
のいい先生なので、らしいと言える。そしてその娘である魔獣族・兎種のハワーちゃんも負け
ず劣らず元気がいい。「帰ろー!」と、授業中は居ないのではないかと思うほど静かな彼女が
元気よく駆け寄ってくる。一緒に帰るとは言っても、道が同じなのは校門までなのだが。
「これから私の家に来ない?」
校門で別れようというところでハワーが口にした。
「私の家って言っても、下宿なんだけど。まだみんなの家で遊んだことって無かったよね」
「そうだけど、お前の下宿先って確か・・・・・・ハイラント邸・・・・・・だったか?」
「うん、そうそう!私の可愛い妹も紹介するよ!」
このまま帰っても、何かすることがあるわけでもないし、ラキエルもバンリも一人暮らしで
あるため、異議も無く向かうこととなった。
ハイラント邸は、このナーエの町で唯一のお屋敷である。しかし唯一とあってか、周りの雰
囲気とは一線を画すものとなっており、どこか、お化け屋敷のようなおどろおどろしい感じさ
えする。
そんなお屋敷の格子状になった門の前に立つ。でかい。門が。ラキエルたち十歳の少女たち
の身長の三倍か、あるいは四倍もあろうかというほどだ。これを開けるとなると、さぞかし大
変な労働になることだろうと、呆然と門を見上げていると、ハワーが二人を手招きしている。
がちゃり。
思わずぽかんとしてしまうほど簡単に開いてしまった。ただし、門の一部だけが、だ。大人
が少し屈めば通れるほどの門が、門の中に造られていたのだ!
あ然とする二人を尻目に、どんどん中へ進んで行くので、慌てて後を付いて行く。
「あれがお屋敷だよ。」と門をくぐってすぐに指された方を見ると、確かにあった。というか、
門の外からでも見えていただろうという位置にあったのだが。門の大きさに驚いて見逃してい
たのであろうそのお屋敷は、二階建てのようで、精神的に門の方が大きいのではと思えるもの
だった。
「えと・・・・・・何か、感想とか無いの?」
と、門を目の当たりにしてから途端に無口になった二人に対し、ハワーが不安そうに質問を
投げかける。それに対して、バンリが頭の中を整理しながら口を開く。
「うん・・・・・・門はすげえ驚いたけど、なんだ・・・・・・お屋敷は正直そうでもないな。
いや、きれいなのはきれいなんだけどさ」
と、若干の不評。次いでラキエルは、
「お家って、お掃除とか、管理するの大変じゃないですか?」
と、野良天使と呼ばれている彼女らしいとも言える、根本的な感想だった。それら二つの感
想は、ハワーにとっては予想外であったらしく、不機嫌な顔になってしまった。
そうこうしている内に、玄関まで辿り着いた。
「それじゃあ改めて、いらっしゃい!私の家・・・・・・じゃなくて下宿先に!」
ギィィと、歴史を感じさせる音を上げながら、ゆっくりと扉が開く。
まず目に飛び込んできたのは、幅の広い階段だった。その周りにはソファーやテーブルが並
んでいる。ここが居間にあたるのだろうか。
「おかえりなさいませ、ハワー様。お友達ですか?」
突如背後から声がし、驚いて振り向くとそこには、三人より一回りほど小柄な、給仕服を身
に纏った少女が立っていた。
「ただいま、ガルさん。こっちの天使族の子がラキエルちゃんで、こっちの狸種の子がバンリ
ちゃん。私のお友達だよ。んで、二人に紹介するね。こちらはガルさん。このお屋敷で長年
給仕をしてる、亜獣人族・狼種の方だよ」
紹介され、軽く会釈をするが、違和感を覚えたので質問を投げかけてみる。
「長年・・・ですか?」
魔力を持ち、魔法も使えて、ある程度姿も変えられる魔獣族ならまだしも、亜獣人族が子供
の姿のまま何年も変わらないというのは普通ではない。彼女はこの質問に対し、笑顔で答える。
「はい。およそ五十年ほど前から、このお屋敷にお勤めさせていただいております。肉体が無
いので姿も変わらず、死んだ当時のままの姿という訳なんです」
なにやらさらっとすごい事を口にした気がするが、深く追求しない方がいい気がしたので、
へぇ~と軽く相槌を打って話題を変える事にする。
「そ、そういえば、妹さんがいらっしゃるんでしたよね?今おいくつなんですか?」
「今?六つだよ」
「六歳か。だったら今は一年生なんだな。」
そんな話をしていると、一人の兎種の少女が階段を降りてきた。おそらくあの子がそうなの
だろう。彼女は目が合うと、ぺこりと頭を下げておそるおそるこちらに近づいてきた。
「こん・・・・・・にちは・・・・・・・・・ミーニ・・・・・・です」
それだけ言うと、姉の後ろに隠れてしまった。
「ごめんね。この子人見知りだから。・・・・・・でも、かわいいでしょ?」
自慢げに胸を張るハワーに、
「そうだな。お前と違って可愛いな!」
そう答え、したり顔になるバンリだったが、
「そう!そうなんだよ~~~!みーちゃんは全世界一かわいいんだよ~~~!」
バンリの発言を意に介さず、妹に抱きつき頬ずりする様は、あ、妹馬鹿だと理解するに易か
った。ふへへと、だらしない笑顔で頬ずりする姉を赤面し、必死の形相で押しのけ振り払い、
ミーニは階段を駆け上がって行ってしまった。逃げられた姉の方は、達成感に満ちた、いい顔
をしている。
ハイラント邸。このお屋敷は元々から、下宿用に造られたものであったらしく、その内装は
豪華や豪勢などという装飾は見られなかった。一階、二階の双方に個室が数え切れないほどい
くつも設けられており、それらすべての部屋が、すぐにでも使える様に整えてあるという。
「晩御飯も食べていってはどうですか?」
そう誘ってくれたのは、このお屋敷の主人・・・・・・ということになっているという、ヒイカ
という天使族の男性だ。見た目、纏っている雰囲気共にとても優しそうな人だ。その傍らには、
巫女装束を身に纏った、狐種の女性が寄り添うように立っている。
「迷惑では・・・・・・ありませんか?」
ラキエルは少し戸惑いながら答える。
「あたしは助かるけどな。夕飯の用意しなくてもいいし」
一方のバンリは誘いに甘える気だ。
「気にする必要はありませんよ。どうぞ食べていってください。ああ、もちろん、お二人が良
ければですけど」
「あたしはご馳走にならせていただきます!ラキエルもいいだろ?あたしら二人とも一人暮ら
しだしさ」
「おや、一人暮らしをされているのですか」
「そうなんですよ。あたしは・・・・・・まあ、いろいろ・・・・・・家庭の事情とかで・・・
ラキエルの方は野良生活してるんですよ?あたしなんかより相当たくましいんですよ」
「野良生活?・・・・・・そうですか、あなたが最近よく聞く『野良天使』なんですね」
ラキエルはどうやらこのあたりでは有名になっているらしい。
「差し支えなければですが、その事についてお話を聞かせて頂けませんか?」
一瞬、ラキエルの顔が曇るが、すぐに笑顔に戻り、応じる。
ラキエルが野良生活を始めたのは四歳の時。原因は、両親が死んだためだった。一度は近所
の家が引き取るだのという話があったらしいが、ラキエル自身がそれを拒否し、自らの意思で
野良生活を始めたのだった。
元々住んでいた天使界から世界を渡り、各世界を転々として、最後にこの亜獣人界にやって
きた。そして、育みの里で野良生活をしている時に、警備のおまわりさんに心配されて、この
ナーエの町で学校に通うことになった。
「翼、触ってみてもいいですか?」
野良生活の話を簡単に話し終えた後、ヒイカがラキエルの翼に興味を持った。だが、天使族
にとって翼はとても大事な部位であるため、他人に、特に他人に触れられる事を嫌う。ラキエル
も当然これには戸惑いの色をを隠せない。
「ああ、すいません!野良生活をしているという事なので、翼の手入れはどうしているのか気
になってしまって・・・・・・」
そう、獣種が毛並みを気にするのと同様に、天使族もまた、自身の翼の手入れには気を使う。
もし少しでも怠れば、すぐに手触りが残念なことになり、純白がくすんだりしてしまった日に
はもはや、目も当てられないのだ。
「じゃ、じゃあ・・・・・・フュクシンちゃんなら・・・・・・大丈夫、かな?」
傍らに居る狐種の女性に目を向ける。その女性はこくりと頷くと、ラキエルの元に歩み寄り、
しゃがんで目線を合わす。
「ラキエル様。申し訳ありません。翼に触れさせていただいてもよろしいですか?」
とてもお堅い雰囲気の女性で、だからこそ変な事はされないという安心感がある。
「ど・・・・・・どうぞ・・・・・・」
「・・・・・・失礼いたします」
さわさわ。さわさわさわさわ・・・・・・。
フュクシンさんの堅い雰囲気に当てられ、まるで身体検査をされているかのような感覚にな
る。なぜだか緊張してしまう。
「・・・・・・ありがとうございました」
実際は一分かそのくらいだったのだろうが、とても永く感じられた検査は、その言葉と共に
終わりを迎えた。「どうでしたか?」と答えを求める彼の元に戻ると、なぜか耳打ちをする様
なたいせいになった。そんなに悪かったのだろうかと不安になってしまう。
「ほら、そんな伝え方しちゃったら、悪かったんじゃないかって不安にさせちゃうから。普通
に報告してくださいね」
ヒイカが諭すと、女性はしゅんとして謝る。
「結果ですが、少しばかり痛んでいるかと、私は判断いたします。」
その結果を聞いてまず口を開いたのは、バンリだった。
「手入れしてもらったらどうだ?取り返しがつかなくなる前にさ。んで、ついでに晩御飯もご
馳走になって、泊めてもらったらいいんじゃないか?」
その図々しい提案に難色を示していると、
「いいよーーー!」
と、なぜかハワーが元気良く承諾する。その流れにヒイカはクスリと笑い、
「ええ、構いませんよ」
「じゃあもう決っまり~。ということで一晩、よろしくお願いします!ヒイカさん!」
どうやらラキエルに決定権は与えられないようで、従う外なさそうだ。
晩御飯は豪勢、少なくともラキエルの目にはそう映った。だが実際は、一般家庭のものと大
差ない料理であったのだが、最終的にラキエルはもちろん、常識をわきまえているバンリでさ
え、豪勢だと判断するに至ることになった。味である。
今まで食べてきた中で間違いなく、一番おいしいと言える。
「お口に合いますか?」
そう尋ねられたが、答えることが出来たのは、すべて食べ終えた後だった。
「すげーおいしかったです!本当にご馳走様でした!」
満面の笑みで答えるバンリに対して、ラキエルの表情は芳しくなかった。
「あら、ラキエルさんのお口には合いませんでしたか?」
「いえ、そういうわけではなく・・・・・・ただ・・・・・・」
「?」給仕者のガルは首を傾げる。
「ただ、こんなに美味しいものを、味を知ってしまうと、他の食べ物が美味しくなく感じてし
まうようになってしまうのではないかと、不安になってしまって・・・・・・」
そんな心配性っぷりに呆れ顔のバンリ。
「お前・・・・・・心配性過ぎだろ!そんな事言ってたら、上手いもん一生食えなくなるだろ!」
「そうだ!ラキエルちゃん。だったら、ラキエルちゃんもここに住んだらいいんだよ!」
ハワーの突然すぎる提案に、ラキエルは流石に即断ろうとしたが、
「いいんじゃないか?」とバンリが賛同する。
「いつまでも野良生活ってわけにもいかんだろ?だったらせめて、翼の状態が元に戻るまでの
間くらいは、ここでお世話になってもいいんじゃないか?」
まさかの賛同する意見に、ラキエルは断りにくくなり、考え込んでしまう。
「まあまあ。そんなに答えを急ぐことはありませんよ。それより、お風呂でもどうぞ。みんな
でゆっくりしてきてください」
ヒイカが間に入り、話題を変える。
「そうそう!お風呂入ろーよ!お風呂屋さんみたいにおっきいんだよー!」
「湯上り、用意しておきますね」
「お願い!ガルさん。みーちゃんも一緒に入ろ?」
ミーニは恥ずかしそうにこくりと頷く。やはり決定権は無く、お風呂へ向かう。
ハワーの言うとおり、まるでというか、お風呂屋さんそのものと言っていいほどのものだっ
た。更衣室も棚の数が無駄に多く、無駄に広い。これでは下手をすると、着替えを入れた場所
を忘れてしまいそうだ。
かぽーん。桶の音が心地よく響く。ラキエル、バンリ、ハワー、ミーニ、フュクシンの五人
が浸かってもかなりの余裕がある。「・・・・・・」四人が無言でじ~っとうらやましそうに
見つめる先には、この中でただ一人の大人であるフュクシンがいた。いかにも『大人の女性』
というべき膨らみが、未だ未来が見えぬ四人の関心を惹いていた。横目でちらちら見る者、正
面から釘付けになっているかのようにまじまじと見る者、目を閉じて来たる未来の像を想像す
る者、自分のものと比べつつ「まだ、まだだ・・・・・・まだわからない」としきりに呟く者。
その異様で非常に居心地の悪い状況に耐えかねたフュクシンが、たまらず注意をそらそうとす
る。
「あの・・・・・・そろそろ・・・・・・ラキエル様、翼を洗わせていただこうと思うのですが・・・・・・」
「え?ああ、そうですね、よろしくお願いします」その言葉で現実に戻ってきたラキエルは湯
船からあがる。
ワシャワシャワシャワシャ。フュクシンが慣れた手つきでラキエルの痛んだ翼をやさしく洗
っていく。
「加減はいかがですか?」
「は~~~・・・・・・気持ちいいです・・・・・・」
この手馴れた感じに一つ、疑問が生じる。
「フュクシンさん」
「はい、何でしょうか?」
「フュクシンさんは日常的にヒイカさんのお背中を流していらっしゃるのですか?」
このお屋敷に住んでいる人の中で、翼を生やしているのはヒイカだけだった。
「い、いえ、それは」
否定しようとする声を遮って、湯船から引き続きフュクシンを目で追っていたバンリ茶茶を
いれる。
「あっ・・・・・・そうか!そういう間柄だったんすね!」
「ちが・・・・・・」
普段から冷静で、取り乱したりしなさそうなフュクシンが慌てて手と首を横に振る。ここに
住んでいて、関係性を知っているはずの二人は湯船からニヤニヤした顔をこちらに向けている。
「違います!」
大きな声が響く。当然、目の前に座っているラキエルは驚き、肩をすくませる。
「す、すみません・・・・・・ラキエル様・・・・・・」
はーっと大きく深呼吸し、改めて弁明にうつる。
「私とヒイカ様はそういった・・・・・・男女の関係では・・・・・・ないのです」
「じゃあ、どういう関係なんすか?」バンリがにやけながら追求する。
「私は『使い』です」
「使い?」
「はい。主君をお護りしたり、望む情報を仕入れたり、要は主様の命令を遂行してお役に立つ
ことを生業とする存在です」
一同は「へ~」と感心するような相槌を打つが、あまりよくは分からなかったようだ。そん
なこんなで、話をうやむやにしてこの場を切り抜けた。
お風呂から上がり、ある程度タオルで翼の水分をとった後、いよいよ翼の手入れをしてもら
うこととなった。手入れをしてくれるのは、どうやらフュクシンではなく、ヒイカらしい。あ
からさまな不安を示す雰囲気を感じ取ったヒイカは、申し訳なさそうにこちらに近づいて来る。
「えっと・・・・・・やっぱり、フュクシンちゃんの方がよかったですよね・・・・・・?」
「・・・・・・」ラキエルはしばし考える。ヒイカ、という人物。見た目は優しそう。雰囲気
もこれといって怪しい、何か含みがあるとも感じない。では、信用できるのか。・・・・・・
何とも言えない。今日初めて会ったばかりで、大して会話もしていないし。唯一の判断材料は、
彼に仕えているというフュクシンだ。彼女のことは、その所作から信用してもいいと、私自身
そう思う。
ヒイカからの問に無言のままあれこれ考えを巡らせている、その間、その時間が、信用のな
さを物語っており、申し訳なさそうなヒイカの精神を削っていた。その様子を見兼ねてか、
フュクシンが助け舟をだす。
「ラキエル様、確かに私でも翼の手入れをすることは可能です。ですが、その術はヒイカ様に
教えていただいてのものですので、ヒイカ様にしていただいた方が効果も高いと思われます」
俯き、思案していたラキエルは、その言葉を聞いて初めて顔を上げ、ようやくヒイカが精神
的に疲弊しているのに気付き、慌てるように了承する。
「あっと・・・・・・そ、それじゃあ、ヒイカさんにお願いしてもいいですか?」
「うう・・・・・・僭越ながら・・・手入れのお役目、務めさせていただきます・・・・・・」
お風呂上りで程よく湿った翼に櫛が通される。これまた絶妙な力加減で梳かれていく。つい
先ほどまで不安で、渋っていたとは思えないほど今は心が安らいでいるのが自分で良く分かる。
「痛くはないですか?」というヒイカの問に軽く首を横に振る。
思えば、いつ以来だろうか。翼を梳いてもらうのは・・・・・・。そう、あの頃、まだお父
さんもお母さんも生きていた、平穏な一つの幸せの中にあった頃。毎日梳いてもらっていた。
いつも笑顔であふれていた我が家。それ以来だ。自分の目の前で二人が血に染まった、その日
以来なのだ・・・・・・。
涙はなかったが、雰囲気の変化を感じ取ったのか、ヒイカが心配そうにこちらを窺う。
「大丈夫ですか?」労わるように優しい声。まるで、こちらの想っていることを理解している
かのように感じる。
「能力・・・・・・ですか?」その不思議な感覚にもしやと思う。
天使族には、人それぞれの異なった能力がある。相手を物理的に傷つける類のものではなく、
人の心に関する能力である。すべての人が目覚めるわけではなく、目覚めない人もいる。
「・・・・・・すいませんね。」
「・・・・・・」見られたのではと、強い不安を感じる。
「ですが、安心してください。『願い』の声が聞こえるだけですから。」
声。どんな声が聞こえたのか聞きたかったが、聞くのが恐くて迷っていると、今までソファー
でくつろいでいたハワーとバンリがこの話に食いついた。
「ヒイカさんって、能力持ってるんすね!珍しくないですか?」
「最近少ないって言うよね!」
能力に目覚める天使族は、年々減少してきている。
「そうですね。いろんな世界と繋がって、いろんな種族と共生するようになりましたからね。
それで、純血の天使族が減ってきているのもありますね。」
「それ以外の理由もあるんですか?」
運よく話がそれたことに乗っかり、ラキエルはこの話題を広げる。
「そうですね・・・・・・。昔、『神』という存在に天使族が仕えていたことがあるんですが、
その頃はその加護によって、能力を持つ者が多かったんです。」
「神?なんすかそれ?」
「う~ん・・・・・・神とは・・・・・・難しいですね。私の友人の中に、当時のことを知っ
ている方がいるのですけど、その方が言うには、『神とはクソわがままで無能なゴミくずやろ
う』だと言っていました。」
「お、おおう・・・・・・ヒイカさん・・・・・・言いますなぁ・・・・・・」バンリが少し
引いている。
「いや、私ではなく、友人の言葉ですからね!?」
「そのクソ神ってどうなったの?」ハワーがどぎつい略し方をする。
「く、クソ神!?え、あ・・・・・・ああ、ええと、その友人が仲間と共に始末したらしいですよ」
「じゃあ、もういないんだな」
会話をしている間に、どうやら手入れが終わったようで、翼を動かしてみる。
「あ・・・・・・軽い・・・・・・それに、空気をすごく感じます!」
思わず感嘆の声を上げる。
「結構ボサボサになってましたからね。ちゃんと整えてあげるだけで大分違うでしょう」
今までとの違いを堪能するように、うれしそうに何度もバサバサと翼をはためかせる。
「ありがとうございました!ヒイカさん!」
今日一番の笑顔だ。
結局、泊めてもらうことになった。空き部屋ではなく、ハワーの部屋に三人で寝ることとな
った。ハワーは妹であるミーニもしつこく誘っていたが、最終的に温厚であるミーニに突き飛
ばされ、逃げられてしまった。
「片付いている・・・・・・だと・・・・・・」
部屋に入るなり、衝撃を受けたかのようにバンリが呟く。「それってどういうこと!?」と
異議を唱えるが、ラキエルの顔にも驚きの様相を呈していた。
「・・・・・・私のこと、そういうヒトだと思ってたんだね・・・・・・」
不貞腐れた表情で横目に二人を見る。
「悪い悪い。何となくそんな感じに思えちゃってな」
「ヒドイなぁ・・・・・・もぅ。自分で片づけくらいできるよぅ」
「すみません。そうだったんですね。あの給仕者のガルさんに片付けてもらっているというわ
けではなかったんですね」
その言葉をきいた瞬間、ハワーの肩がピクリと動いた。それを二人は見逃さなかった。
「ほぅ・・・・・・ハワーさんや。もう一度、言ってもらえるかな?自分で・・・・・・何だって?」
「どれくらいの頻度で、片づけをされているのですか?」
ハワーは、口笛を吹いて惚けようとするが、無言で見つめる二人からの圧力に耐えかね、つ
いには跪く。
「あ・・・・・・ありません・・・・・・」
「もっと大きな声で、はっきりとどうぞ」
「一度も・・・・・・したことは・・・・・・ありません!」
自白し、うなだれるハワーを二人は、無言で抱きしめるのだった・・・・・・。
「楽しそうですね」ふふっと笑いながら給仕者ガルが、二人分の布団を運んできた。
「えへへ・・・・・・自慢の友達です」
ハワーが照れながら改めて紹介する。そんなハワーを尻目に、にやりと笑ったバンリがガル
に伝える。
「これからは自分で片付けるそうですよ」
「待って!?言ってない!言ってないよ!」
「じゃあ、やらないんですか?」
「そ、それは・・・・・・」
「なるほど。片付けなんて、給仕者がやって当然だ、と言いたいのですね?」
ガルの止めの一言に、ハワーは再びうなだれ、観念する。
柔らかな布団は、驚くほど気持ちが良い。だが、あの頃の日々を想い出させ、どうにも落ち
着かない。むしろこの気持ち良さが、心を締め付ける。自分の目の前で血に塗れた両親。私が
幼く、まだ何も知らなかったがために起こってしまった事件。両親の血を被ったその時のこと
を鮮明に思い出す。こみ上げてくるのは、悲しみではなく、後悔。忘れる気は無い。その罪を
背負い生きて行くと、いつものように決心し、目を閉じる。
雲一つ無い夜空に、眩しいほど輝く月。だが、そんな強い光ですら、その女性の持つ翼の黒
を取り払うことはできなかった。何かを求め、彷徨うがごとく歩む。その身に漆黒の霧と憎悪
纏いて、呟く。
「お前の人生も・・・・・・見つけ出し、滅茶苦茶にしてやる・・・・・・ラキエル・・・・・・」
夜明けは、まだ遠い。