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風が吹いたら  作者: 長谷川るり
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第8話 終わりと始まり

8.終わりと始まり


 次の日、会社に心持ち早めに出勤する。そして営業部長が出勤するのを待ち構えて、私は辞表を提出した。きっと内心、ようやく辞めるのかと思っているだろうに、口から出る言葉は違っている。

「残念だなぁ。私が真剣に仕込んだ磯山が辞めちゃうなんて。次の仕事でも頑張ってね」

今後私がどうするかなんて興味がないくせに、社交辞令で最後に付け足している事くらい分かっている。

「磯山の担当先、誰に後任頼もうかな・・・。引継ぎしないといけないでしょ」

そんな話をしているところに、段々出勤してくる社員達。

「パソコンに全部データ残してあるので、それ見て頂けたら分かる様になってます」

なんとなく、私がとうとう辞めるんだという事が分かりかけた部署内の雰囲気だ。私が自分のデスクに戻ると、先輩である鳥海が声を掛ける。

「辞めちゃうの?」

「はい。色々お世話になりました」

「そうかぁ・・・。で、この後は?」

「田舎に帰ります。向こうでの就職先も、知り合いの伝手で貰ってるので」

少しだけ見栄を張った。蒼太がこちらの会話を気にしているのが分かったから。

 部長が蒼太に手招きをする。

「聞いてる?磯山から。今月いっぱいで辞めるって」

「え?そうなんですか・・・」

「あれ?知らなかった?」

「聞いてません」

蒼太の懸命な嘘に対し、しつこい部長の質問に、私は内心嫌な気持ちになる。

「で、引継ぎなんだけど・・・主任やる?」

「担当先、一旦見させて頂いて、それぞれ振り分けますか?」

「挨拶回り、磯山と一緒に行ってから、決めてもいいわよ」

「いえ。僕はデータ見るだけで。後任の担当者と磯山を挨拶に行かせた方がいいでしょう」

「じゃ、任せるわ」

薄っすらと聞こえてくるやり取りから、蒼太が私と二人にならない状況をあえて作っているのが分かる。ついこの間まで、『外回り行くぞ』とか『飯食い行くぞ』と何も考えずに誘ってくれていた日々が懐かしい。自分で考え抜いて出した結論の筈なのに、そんなささやかな事すらもう出来ないのだと痛感する。


 職場では着々と退職の準備が整っていく。私は、やはり田舎に帰ろうと引っ越しを考えていた。ネットで物件探しをしているところへ、拓磨からメッセージが届く。

『そろそろ“結婚おめでとう 喜美ちゃん!の会”のお知らせ、皆に送ってもいい頃かなと思って。着々と結婚への準備進んでる?』

私は返信に迷う。しかし、拓磨には正直に話さなければ と思う自分が背中を押した。

『結婚、断りました。会社は今月いっぱいで退社します。やっぱり田舎に帰ろうと思ってます。色々相談に乗ってくれてたのに、ごめんね』

そう送った後で、電話の着信がある。

「どうしちゃったの?何かあったの?」

「やっぱり・・・彼の上司だもん。ついて回るよ」

「・・・・・・」

「その人と上手くやれないなんて、私、彼の奥さんやる資格ないよ」

「そう言って断ったの?」

「・・・そうは・・・言ってない」

「じゃ、何て言ったの?今回は」

「ただ・・・ごめんなさいって」

溜め息なのか、唸り声なのか『う~ん…』と拓磨が声を漏らす。

「喜美ちゃん、それで後悔してないの?」

今度は私の方が『う~ん…』と唸る。

「部長の事、消化できないんだもん。しょうがないよ」

「・・・旦那の上司と、そんなに頻繁に会う機会ないでしょ?お中元とかお歳暮とか年賀状とか、そんなの顔合わせないし」

「その前に、結婚式があるじゃない」

「あ~、主賓挨拶的なやつか・・・」

「呼ばないなんて、出来ないだろうし・・・」

「披露宴しなきゃいいんじゃない?」

「私の勝手で、そんな事出来ないよ。むこうのご両親とか親戚とかの思いも絡んでくるだろうし」

「・・・なんか、釈然としないなぁ。気持ちはお互いにあるのに、それ以外の理由で別れるなんてさ」

「いいの!もう終わった事だから」

拓磨はもう一度『う~ん…』と唸った。

「さっき、田舎に帰るって言ったよね?いつ?」

「今物件探し中」

「仕事は?」

「な~んにも」

そう言って、私は身軽に笑った。

「この間の話、断っちゃったからな・・・」

「いいのいいの。平気。自分で探すから」

「・・・もう一回打診してみようか?」

「無理しないでいいって。拓ちゃんにまで迷惑掛けたくない」

拓磨が少し無言になった。そしてその後、急に大きな声を出した。

「喜美ちゃん、粉もん対決。今度は関西のお好み焼きで美味しい店案内してよ」


 突拍子もない提案から二日後、拓磨を 私の一押しのお好み焼き屋に案内した。

「自信ある。私の知ってる限りでは、都内一美味しいと思う」

カウンターの鉄板でジュージュー焼かれたお好み焼きが、二人のテーブルに湯気を上げて姿を現す。

「やっぱ、お好みは焼き方が勝負やからな。職人さんに焼いてもろた方が、格別に美味しいんやわ」

あえて関西弁でそう言うと、拓磨がニヤリと笑った。

「お好み焼き屋の息子の舌は厳しいよ~」

そう言って、拓磨は一口目を口に入れた。

「どう?美味しいやろ?」

良く味わってから、拓磨の顔が崩れる。

「旨い!超旨い!」

「そやろ~」

私もどや顔で返す。

「なんだろ、この生地。ふわとろ?ふわもち?旨いわ~」

「よっしゃー!」

私は思わずガッツポーズをする。お互いのビールがジョッキの底をつく頃、拓磨が急に箸を置いた。

「喜美ちゃん」

目の前の拓磨が 急に真面目モードになったのを感じ取って、私も思わず箸を置いた。

「うちの・・・実家の店、来ない?」

「え?これから?」

「いや、そういう意味じゃなくて・・・」

拓磨が手を首の後ろに回したりして、落ち着かない素振りだ。

「うちで・・・働くのは、どう?」

突飛な提案に、私は少し警戒した顔で拓磨を覗き込んだ。

「あっ!もしかして、関西のお好みを月島もんじゃが買収しようとしてる?」

「んな訳ないだろ。第一、なんだよ『買収』って」

「あまりにこれが美味しくて、負けを認めるのが悔しかったのかなぁと思って」

「ば~か!真面目に言ってんの」

ようやく意味を飲み込んで、私はにっこり笑った。

「飲食業に転職かぁ・・・。でも、従業員取らないんじゃなかった?」

「従業員は雇わないけど・・・」

「え?バイト?」

「う~ん・・・」

拓磨が唸りながら首をひねる。

「うちに・・・嫁に来ない?」

「え・・・拓ちゃん・・・冗談でしょ?」

「冗談じゃ・・・言わないよ、こんな事」

「・・・どうしたの?急に」

私は、この変な空気の中で はははと笑ってみせたが、やはりその声だけが浮いて消えた。

「やだ・・・拓ちゃん・・・」

「ごめん」

「あ・・・やだって、失礼だよね。ごめんなさい」

そして突如二人の間から、会話が消えた。拓磨がビールを飲み干すと、私に言った。

「出よっか」


 駅まで歩きながら、拓磨が明るい声を出した。

「急に変な事言って、ごめんね」

「ううん。いいけど・・・ちょっとびっくりした」

「考えてみてくれないかな・・・」

「・・・・・・」

「いきなり『嫁に来い』はないけど、こっちに残って、うちの実家で働く事、考えてみてよ」

「・・・ねぇ、どうして、急に?」

「この前喜美ちゃんにも言ったけど、実家の店 やっぱ潰したくないなって。だからいつか俺、継ぎたいって考えてんだ。で、そこに喜美ちゃんが居て、一緒に店やってくれたら、最高だと思った。親父とお袋みたいな夫婦になれたらいいなって」

そう言われて、私の記憶が先日のもんじゃ焼きを食べながら見た 拓磨の両親の様子に辿り着く。確かに、あんな風に年を取れたら幸せだろうと思う。

「でも私・・・ついこの間まで、別の人の事好きだって言ってたんだよ。拓ちゃん、平気なの?」

意味深な笑いを浮かべて、拓磨は空を仰いだ。今夜は満月が綺麗な晩だ。拓磨は、歩きながら急に私の手をそっと握った。

「やだ。ちょっと、待って・・・」

慌てて手をほどくと、私の足はそこで止まった。しかし拓磨はにっこり笑ってもう一度手を伸ばしてくる。

「喜美ちゃんと、手繋ぎたくなった」

「・・・・・・」

指先だけ ちょこっと繋がれた私は、その手をじっと見つめながら言った。

「拓ちゃん。私・・・今までの関係が壊れるの・・・嫌」

「うん」

「大学の時から5人で仲良くしてきて、一緒に色んな事して、卒業してからもずっといい関係で続いてきて。社会人になってから気兼ねなく話したり遊んだり出来る仲間って、やっぱ貴重だよ。皆の存在に凄く助けられてきたしさ」

「そうだね」

「友里も雅も、結婚しても家族ぐるみで繋がり続けられる仲間って 凄いと思ってるの」

「うん」

「それなのに・・・拓ちゃんと私が・・・なんか変な風になったら、それで全体の雰囲気も変わっちゃうだろうし・・・」

いつの間にか手はほどかれていた。

「変な風って・・・」

私が言った言葉をそう繰り返して、拓磨がふっと笑った。だから私もハッとする。

「ごめん。言葉の選び方間違ってるよね」

「俺ら、結婚すれば“変な風”にならないよね」

明るくそう言って、にっこり笑顔を向けた拓磨。

「拓ちゃん。私・・・拓ちゃんの事、全然わかんなくなっちゃった」

立ち話が長くなって、拓磨は歩道のフェンスに寄り掛かった。

「俺の事?」

「だって・・・私の悩み聞いてくれて、海外に行く事教えてくれたり、奈良での仕事紹介してくれようと頑張ってくれたり、元カレとの結婚に背中押してくれたり・・・。もし拓ちゃんが、私の事好きって思ってたとしたら、遠くに行って欲しくないとか、元カレとはヨリ戻して欲しくないとか、普通そう思わない?私、拓ちゃんが何考えてるか、どういう人なのか分かんなくなっちゃった」

拓磨は地面に視線を落としたまま、呟いた。

「それは、困ったなぁ・・・」

私も足元に視線を落とした。

「俺とは結婚、絶対考えられないって思う?」

そう言った拓磨の顔へ、私は視線を移した。多分私が複雑な顔をしていたから、拓磨は言葉を変えた。

「人として、無理って思う?」

「そんな風には思わないよ。友達だもん」

「分かった。じゃ、友達のままでいいよ。今まで通り」

私の頭が混乱しつつある。そこへ追い打ちをかける様にして、拓磨が続けた。

「でも、結婚は考えて」

拓磨の言ってる意味が分からない。一体どんな気持ちなのだろう。尚更不可思議だ。

「どういう事?それって」

「そのまんま」

「だって、結婚って・・・相手の事好きだなとか、大事だなって思ってないと出来ないでしょ?」

「俺の事、嫌いじゃないでしょ?」

「うん。それはまぁ、そうなんだけど・・・」

私は、別の言葉を探した。

「嫌いではないけど・・・愛してるかって聞かれたら・・・」

最後まで聞かずに、拓磨が遮った。

「お見合いだって、そうでしょ?愛してるから、結婚するんじゃないじゃない」

確かにそうだ。そう言われてしまうと、もう何も言い返す言葉はない。

「結婚相手として、ありか無しか。あとは結婚の条件を満たしてるかどうか、そういう事でお見合いって成立してるんじゃないの?」

それが凄く事務的な言い方に聞こえてしまって、何故か私の目からはじわりと涙が溢れだした。

「あ・・・ごめん、喜美ちゃん。変な言い方に聞こえたのかな・・・」

声は出ないが、首を横に振った。拓磨は寄り掛かっていた背中をフェンスから離し、私の肩に手を乗せた。

「ごめん・・・」

何故か流れた涙を拭いて、私は息をゆっくりと吸った。その呼吸を合わせる様に、拓磨が口を開いた。

「今すぐ、喜美ちゃんに気持ち切り替えてって言っても無理でしょ。だから・・・最初は今まで通り友達のまんまでいい」

私は黙って頷いた。

「こういう風に言えば、良かったのかな」

長身の拓磨が、私の顔を覗き込んで 様子を窺った。

「結婚したら、喜美ちゃんにもまた親が出来るんだよ」

私の心が急に反応する。先日見た拓磨のお父さんとお母さんの笑顔。明るくて幸せを振り撒いている様な人達。それが自分の親になるかもしれないと考えただけで、私の胸に春色の風が吹く。お母さんと呼べる人が又私にも出来るんだと思っただけで、不謹慎にも嬉しくなる。

「だから・・・考えてみて」

もう一度そう言った拓磨に、気が付いたら私は頷いていた。


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