第16話 偶然のバッタリ
16.偶然のバッタリ
冬の空はどんよりと曇っているイメージが強い。でも実際そうでもない。雪が降りそうな日なんて、ほんの何日かだけだ。その証拠に、今日も抜ける様な青空だ。私は夏のいかにもな青空より、春のそれらしい青空より、冬のこういう青空が意外にも一番好きだ。澄んだ空気と太陽の温もりを存分に感じられるからかもしれない。
そんな大好きな冬の晴れた空の下で、私は土手の芝生に寝転んだ。太陽の光が眩しくて、マフラーの端を顔に被せた。休日の何も予定のない昼間、こうして過ごすのは久し振りだ。思い返せば、多分蒼太と付き合っていた頃以来だ。話している内に、いつの間にか眠ってしまった私が目を覚ました時には、高かった日が西に沈みかけていたのだった。広く茜色に染まった空に飛び起きた私を、優しい笑顔で迎えた蒼太に安心感を覚えたあの感覚は、今でも鮮明に思い出せる。今はもうその蒼太は隣に居ないけれど、私の周りでじゃれる様に遊ぶ風と共に、父や母が傍に来ている気がする。目を閉じると、今ここが東京だという事さえ忘れて、気持ちは地元の懐かしい景色へと飛んでいける。
私は気が済むまで空を眺めると、ゆっくりと立ち上がって服に付いた枯れた芝生を払った。
その晩、仕事帰りの拓磨と待ち合わせる。東京タワーの展望台に昇る。暫く東京の夜景を眺める。
「ここからじゃ、私の田舎見えないな・・・」
そう呟いた言葉を、拓磨が拾った。
「奈良の盆地は、どこに行ったって見えにくいよ」
からかう様に言われたから、私も却って笑い話にしやすい。
「拓ちゃんの実家の方は、見えるね」
「都内だからね」
「私達の大学は・・・」
そう言って少し移動しながら拓磨が指を指した。
「あの辺かな」
「昼間だったら、もっと良く見えたかもね」
「今度また、昼間来ようよ」
私は黙って人気の少ない窓辺に移動した。
「拓ちゃん・・・」
窓の外の夜景を眺めながら、私はそう切り出した。
「私やっぱり、あの人の事好き。この後どうもならないかもしれないけど、それでもいいの。自分の気が済むまで想ってみる事にしたの」
私は拓磨の方を向く勇気はない。
「やっと認めたんだね」
続けて拓磨が言った。
「いつそう言えるかなって思って見てた」
「拓ちゃん・・・」
拓磨は静かに笑いながら、私の顔をじっと見た。
「喜美ちゃんが決めたんなら、応援するよ」
私は拓磨の言葉に胸が詰まり、俯いた。
「拓ちゃんには、本当に感謝してる。お父さんとお母さんにも」
きっと拓磨は 私がどんな気持ちでいるのか、全部分かっているのだろう。だからあえて言わなければと、私は深く息を吸った。
「ごめんね」
その一言で今まで漂っていた中間色が その場から消えた。それと同時に黒でもない、もちろん白でもない目に見えない色をしたヴェールが二人を覆った。すると拓磨が私の腕をポンと叩く。それに合わせる様に、今まで二人を包んでいたヴェールが剥がれ落ちた。
「何言ってんの?俺は喜美ちゃんが一生結婚できなかったら可哀想だからって、そう思ってただけだよ」
私の悲しい瞳を払拭する様に、拓磨は言った。
「10年以上友達やってんだよ。仲間に何かあったら、今までだってこれからだって全力で力になるよ」
拓磨の優しさが胸の奥まで染み渡る。それが私の涙腺のスイッチを入れそうになっている。だから、拓磨は次の一言で そのスイッチを切った。
「葵が悩んでたって、同じ事言ってるかもよ」
そこまで込み上げた涙は、笑顔に変わった。
今年の冬は雪が2回降った。ちらついた程度も含めれば、もう少し多い。意外に3月に入ってから降ったりもする。
今月も月末に先月同様、ストールの売り上げの集計をメールした。そしてその日の内に蒼太から返信が来る。こんな同じ時間で繋がっている感じだけで満足だ。1月はその日の帰りの電車でバッタリ会ったのだ。同じパターンを期待したが、蒼太が前に言った『偶然ばったり』は無かった。
この間拓磨には あんな風に言ったけれど、私は決めている。蒼太が結婚したら、その時はもうこの想いは封印すると。ま、言い換えれば 期限付きの片思いだ。
2月が終わると、私の誕生日も近い。3月4日だ。子供の頃は母がよく お雛様を片付けながらニコニコこう言っていた。
『喜美はいくつでお嫁さんに行くんやろ』
『お母さんはいくつでお嫁さんになったん?』
『23や』
『ほな、喜美も23や』
『ほな、早よお雛さん片付けないかんな』
そう言って必ず母は毎年3月4日の私の誕生日にお雛様を片付けていたのだ。今思えば、きっとあれは迷信だ。30歳を迎える私がまだ独身だなんて、きっとあの時の母が知ったらがっかりするだろう。先日実家から持って来た小さなお内裏様とお雛様を見ながら、そんな事を思う。
3月に入ってからの通勤電車は、少しドキドキする。『寂しい誕生日だったら、きっと偶然が引き合わせてくれるよ』という蒼太の言葉を真に受けている自分がいる。
雛祭りも過ぎて3月4日の日付に変わると、拓磨からお祝いのメッセージが届く。そしてそれに続く様に、大学時代の友達からもメッセージが届く。
『ようこそ、30代へ』
『これで皆、三十路、揃ったね』
『仕事の後、暇なら飲みに行こうよ』
『集まれる人だけで、決起大会しよう!』
『30代を謳歌する為にね』
思わず笑顔になる。大学時代、いつもゲラゲラ笑いながら過ごした日に戻ったみたいな気持ちになれる。
仕事の後、私は渋谷に向かう。急遽飲み会が決まると、皆が『去年の夏に会えなかったから一昨年以来だ!』と盛り上がって、5人全員が時間を都合つけて集まる事になったのだ。
もう皆が集まっている店に1分でも早く着こうと、気持ちが逸る。足早に改札を抜けると、せわしなく動く人ごみの中に拓磨の姿を見つける。
「拓ちゃん!」
「おう!今着いたの?」
「良かったぁ。拓ちゃんと一緒なら、店の場所迷わないで済みそう」
道玄坂の近くにあるという店に向かって歩く足取りが、心なしかさっきより遅くなる。拓磨と合流できた安心感からかもしれない。
「昨日の今日で、よく皆出て来られたよね」
「そんだけ喜美ちゃん、皆に愛されてんだよ」
拓磨がそんな嬉しい事を言うから、私もついつい笑顔になる。そんな笑顔の私を見て、拓磨が言った。
「昔の喜美ちゃんに戻ったね」
「え?良い意味?悪い意味?」
「良い意味だよ!誕生日に会っていきなり駄目出しはしないでしょ」
私は再びケタケタと笑った。
ふと前を見ると、蒼太の姿がある。まさかという信じられない気持ちで目を凝らす。自分の目を信じたくないが、やはり蒼太だ。蒼太もこちらを見ている。前も一回こんな事があった。その時も私は拓磨と一緒だったのだ。
「どうも」
蒼太はすれ違い様に少し歩くスピードを落として、軽く会釈をしながらそう言った。
「あ・・・」
思わず喉が固まってしまった。声が出ない。拓磨が蒼太の顔に反応して足を止めた。お互いすれ違ってから足を止め、気まずさと迷いを胸いっぱいに抱えながら少しだけ振り返る。“偶然のバッタリ”が今日この瞬間だなんて、私は自分の運の無さを恨んだ。
「こんな時間まで、お仕事ですか?」
「あぁ。今日はちょっとオープンしたての店でバタバタ色々あって」
「そうでしたか・・・。大変でしたね・・・」
それ以上の会話など生まれては来ない。だから私の口からはつい言い訳が飛び出す。
「大学時代の友達・・・」
「以前もお会いしましたよね?」
「はい」
「じゃ、ごゆっくり」
蒼太の方から頭を下げて、駅に向かって歩き出した。言いたい事が遮られてしまって、伝わらなかった私はさっきまでの勢いを失ってしまって、足が重い。なんで今日なの?なんでこのタイミングなの?偶然バッタリをどれ程楽しみにしていたか分からない。それなのに、それが今このタイミングだなんて。私の様子を気にして、拓磨が声を掛けた。
「行ってきたら?皆には俺、上手い事言っとくよ」
そういう訳にはいかない。昨日の夜中に決まった急な予定なのに、既婚組も含め皆がそれぞれの都合をつけて久し振りの私の為に集まってくれているのだ。私は首を横に振った。
「いいの、いいの。今日は皆と約束してるんだから」
私は自分の運の悪さを吹っ切る様に、再び勇み足で坂を上って行った。
あの日の事を思うと、どうしても心が塞ぎ込む。だから正直、あまり思い出さない様にしている。ただ、あの日の蒼太の疲れた顔だけがどうしても気になっていた。いつもなら10日と間を空けずに顔を出す蒼太が、あれから暫く現れない。そんなある日、蒼太からメールが届いていた。
『ご無沙汰致しております。
なかなかそちらに運ぶ時間が取れず、申し訳ありません。
その後商品について何かお客様からのご意見等ありますでしょうか。
どんな事でも結構ですので、何かありましたらメールにてご連絡下さい』
オープンしたてのお店で何かあったとこの間言っていた。そっちで今忙しいのだ。その時はそう思って納得したのだが、帰りの電車でふと思い出す。どんな時だって時間を作って得意先を欠かさず回ってきた蒼太だ。『運ぶ時間が取れない』なんて、もしかしたら口実なのかもしれない。この間の渋谷での偶然に、拓磨との仲を勘違いして 私との距離を取ろうとしているとしたら・・・。再び蒼太の言葉を思い出す。
『寂しい誕生日迎えそうだったら』
『一人だったら、きっと偶然が引き寄せてくれるよ』
仲間のお陰で、一人でもなく寂しくもない誕生日だったから、蒼太と二人っきりで会える偶然が 私には与えてもらえなかったのだ。誕生日プレゼントは一つで充分だ。幾つもは贅沢だ。私と蒼太には時間が無いというのに、こんな事で会える機会が減るのは寂しい。お見合いの場合、結婚までの平均期間は半年から一年と何かで読んだ事がある。もしそれが蒼太にも当てはまるとしたら、春にはきっと半年が経ってしまう。蒼太が急に指輪をはめて現れたら、その時点で私は潔く気持ちを終了させる事が出来るのだろうか。父が亡くなった時も母が亡くなった時も、突然の出来事に気持ちが付いていけなかったではないか。
3月も半ばに入り、一ヶ月近く蒼太が店に顔を見せていない。毎週の様に顔を合わせていたのに、ぴたりとそれが無くなってしまい、ぽっかりと心に穴が開いた様だ。本当に人間とは勝手なものだ。プロポーズを2回も断っておきながら、同じ職場を自分から辞めておきながら、暫く会えないと寂しいと思うなんて。きっとこんな事、蒼太が聞いたら『勝手な事言うな』と怒るかもしれない。だから絶対に言えない。最後の瞬間まで、この想いは心の中に隠しておくのだ。
3月に入ると、綺麗な春色ストールは売れ行きが伸びる。月半ばの報告をメールで送ってみる。しかし今日はすぐの返信はない。仕方がない。月末ではないのだから、半月分の集計が来るとは知らず きっともう会社には居ないのだ。月末のメールのやり取りは、蒼太が今どこで何をしているかが分かるだけで嬉しかった。
次の日に返信は来たが、
『ありがとうございました』
の一言だけで、あまりに素っ気ない。しかし元気でいる事に変わりはないのだろう。私の心はやはり、冬の分厚い雲に覆われた空の様だった。
いよいよ次回最終回です
お楽しみに。。。




