表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風が吹いたら  作者: 長谷川るり
15/17

第15話 新しい関係

15.新しい関係


『実家の解体の日程、決定したで』

こんなメールが兄から届く。1月30日から始まるという知らせだ。皮肉にもこの日は35回目の蒼太の誕生日だ。変な縁を感じながら、私はベランダの空っぽのプランターを眺める。夏にはここに朝顔が植えてあったのに、それもすっかり枯れてしまい、土ごと片付けてしまったのだ。今年の誕生日はどう過ごすのだろう・・・そんな事をふと思う。余計な事だと自分で自分を戒めながら、私はカーテンを閉じた。


 最後の実家の姿を見納めしておかなくていいのか、やはりぎりぎりまで迷う。きっと今の私では 過去に引き戻されるだけだ。昔の良き時代の中に迷い込んでしまうだけの様な気がする。私は行かない事を決めた。


蒼太の誕生日の一日前の日曜日、街行く人達を店の中から眺める。寒さから身を守るマフラーをお揃いでしているカップル、手を握り合って寄り添い合いながら会話を交わすカップル、腕を絡め 楽しそうに歩くカップル。一桁の気温など気にならない程二人の時間を寄せ合って笑い合っているカップルばかりだ。蒼太のお休みの日曜日、お見合いした相手とどこかに出掛けているのだろうか。今頃どこかのレストランで一緒に食事をしたり、微笑み合ったりして過ごしているのだろうか。街の中の人影に蒼太を重ねると、私の胸がぎゅっと苦しくなる。こんな考えてもどうしようもない事で頭を占領している自分にため息をつくと、私は仕事に戻った。


 1月30日、今日は朝から体が重い。実家の解体作業の始まる日だ。そして同時に蒼太の誕生日だ。何回か共に迎えた誕生日をぼんやりと思い出したりするから厄介だ。私が選んだレストランで食事をした年もある。仕事の急な残業で待ち合わせに大遅刻した年もあった。この部屋で過ごした年もある。その年その年のまだ若い記憶の中の蒼太が動き出す。蒼太は何かの節目を自分のきっかけにする事が多い。初めて結婚を意識しているという事を口にしてくれたのも、確か蒼太の誕生日だった。こんな風にきっと今日を境に結婚の話が前に進み始めるかもしれないと思うと、蒼太が結婚指輪をはめて現れる日も近い事を感じる。その日までに心を作っておかなければ。父が急に逝ってしまって、母がその現実に付いていけなかった様に、時間だけが過ぎていく中で自分の心だけ止まったままになるのは悲しい。きっと母の様に壊れてしまう。実家という建物が解体される日に、私も心を更地にしなければならない。


 一日穏やかに過ぎて行った日の7時過ぎ、私は店内を他のスタッフに任せて事務所でパソコン作業に向かう。明日が1月の〆だ。数字の見直し作業中に、メールを受信する。“KSプランニング金子蒼太”だ。開いてみると、

『いつもお世話になっております。

 その後ストールの売り上げはいかがでしょうか。

 先日お願い致しました色別の集計、明日宜しくお願い致します』

この時間まで会社で仕事をしているという事だ。私は返信を送った。

『明日閉店後、集計をお送りさせて頂きます。

 宜しくお願い致します』

すると、その後もう一通メールが届く。今同じ時間にお互いに向かってメールを送り合っている現実に少し嬉しくなる。

『ストールに関して、お客様からのクレーム、またはご意見などありましたら、お手数ですがその都度お聞かせ下さい』

『その時は、そうさせて頂きます。

ありがとうございます』

そう打ち込んだメールを又送信する。きっとこれで終わりだろうと少し寂しい気持ちを抱え、私はパソコンの作業に戻る。しかし私の頭の中は蒼太が今日この時間に仕事をしているという事でいっぱいになる。今夜は会っていないのだ。週末に会ったから?でもきっと電話位はするだろう。きっとこれから家に帰ってからかもしれない。そんなどうでもいい事ばかり詮索してしまう自分が嫌だ。


 次の日、閉店後予定通りストールの集計を出して“KSプランニング金子蒼太”宛に送信する。気が付くともう9時を回っている。店内の照明の確認をして帰ろうと椅子から立ち上がったところで、パソコンがメールを受信した事を知らせる。早くも蒼太からの返信だ。

『遅くまで作業、ありがとうございました。

 やはり店内に展示されていた色が一番出たようですね。

思っていた以上の売り上げ、ありがとうございました。

来月も宜しくお願い致します』

返信するか迷う。別に返信をしなくたっておかしくない内容だ。でもこの時間まで会社に残って待っていたのかもしれないと思うと、私はもう一度椅子に座って返信を打った。

『こちらこそ、遅くなってしまい申し訳ありませんでした』

そう送った後で、私は少しパソコンの前で待ってみる。もしかしたら又返信が来るかもしれない。『お疲れ様でした』とか、そんな何気ない言葉でもいい。ただ蒼太と同じ時間に、メールが行ったり来たりするだけの喜びが今の私にはとてつもなく大きかった。

 しかし、5分待っても10分待ってもメールは来なかった。私は小さな期待をした自分を馬鹿らしく思い、諦めて店を後にした。


 帰りの電車でふと、無事にこの一か月が終わった事に安堵の溜め息が漏れる。佐田が居なくなって不安な気持ちの中スタートした1月だったが、何とか大きな問題もなく通って来られた。今日は帰ったら、まず一本冷えたビールを飲みたい気分だなと考えながら乗り換える。乗り込んだ車内はほどほどに混んでいたから、車両の中ほどに入り、吊革につかまった。

「あっ・・・」

目の前には蒼太が座っていて、まさかと言う顔でこちらを見ていた。

「どうも・・・」

急に心臓がドキドキし始めて、表情が強張っているのが自分でも分かる。蒼太は仕事の話を出した。

「遅くまでお疲れ様でした」

「こちらこそ、遅くなってしまって申し訳ありませんでした」

一旦これで会話が途切れるかと思われたが、蒼太が気まずい間を作らないように言葉を滑り込ませた。

「だいぶ、慣れた?」

久し振りに敬語でない会話に、私の心にほんの少しだけ光が差す。

「毎日、必死です」

それを聞いて蒼太がはははと笑ったから、つられて私まで頬が緩む。私が久し振りに笑ったから、蒼太もまた笑顔になった。

 次の駅で蒼太の隣の席が空く。

「座ったら?」

「・・・はい」

蒼太との距離が近くなる事に躊躇する。でも隣だと表情を正面から見られないで済む。

 会話というのは、一旦途切れると改めて話題を見つけ出すのは大変だ。聞きたい事や話したい事は沢山あるのに、今の関係を思うと私の理性がその口を塞ぐ。

「実家・・・どうなった?」

やはり覚えていたのだ。蒼太に前ちらっとだけ話した内容を。

「昨日から・・・解体始まったみたいです」

そう聞いて、蒼太はゆっくりとため息を吐いた。

「なんか・・・寂しいね。・・・大丈夫?」

蒼太は隣の私へ顔を向けた。

「年末に荷物の整理に行ってきた時に、見納めしてきましたから」

「一人で?・・・お兄さんとか・・・誰かと一緒に?」

「いえ。一人で気ままにやってきました」

“気ままに”というニュアンスが違う事くらい分かっている。そして蒼太だって、きっと気が付いている。でも私はあえてそう言った。しんみりとした空気の中、私が聞いた。

「良いお正月・・・でした?」

「実家に帰って、のんびりしてきただけ」

『誰と?』とか『結婚の話は進んでますか?』なんて聞けるわけがない。

「喜美は?正月・・・」

「私は寝正月です」

「喪中だしね。・・・喪中だと初詣も行かないんだっけ?」

私は首を傾げた。

「行った?」

「いえ。寝正月ですから」

蒼太は又はははと笑った。

 もう次が私の降りる駅だ。せっかく偶然のチャンスも、もう時間切れだ。間もなく到着とアナウンスが流れるが、降りたくないと私の体がストライキを起こしている。電車が止まっても立ち上がらない私に、蒼太が不思議そうな顔で言った。

「降りないの?着いたよ」

「はい・・・」

昔もこんな事があった。仕事の帰り道、一緒にご飯を食べて電車に乗って帰ってきた時だ。私の駅に着いても 別れたくなくて、私が乗り過ごした事がある。あの時は蒼太の駅で降りて、色々話をしながら散歩して、また駅から電車に乗って帰ってきた思い出がある。しかし、もうそんな事は通用しない。この間だって、つい勢い余って蒼太の家の前まで来てしまって、帰り道でばったり見つかって、蒼太のお見合い話に思わず涙してしまった大反省があるのだから。

「ちょっと・・・貧血っぽくて立ち上がれなかったから・・・」

そんな思いつきに任せた嘘をつく。

「大丈夫?」

「少し座ってたら大丈夫だと思うんで。適当な所で降りて引き返します」

せっかく一緒の時間の延長が出来たというのに、蒼太が心配して会話がない。だから今度は私から言葉を繋いだ。

「会社の皆さん、お元気ですか?」

「ああ、元気だよ」

そう言った後で、蒼太が『あっ』と言った。それに反応して蒼太の方へ顔を向けると、その続きが返ってきた。

「部長・・・4月から関連会社に移動になるらしい」

私の驚きは顔に出ている何十倍だったと思う。という事は・・・蒼太の直属の上司ではなくなるという事だ。私が蒼太との結婚を諦めた理由が、近い内に無くなろうとしているのだ。しかしもう後戻りもやり直しも出来ないのだから、今更ジタバタしたって仕方がないのに。そうは分かっているが、私の気持ちは何故か落ち着かない。

「まだ内密らしいけど」

その一言でその話題は打ち切りとなったが、私の中で気になっていない筈がない。具合が悪いと言った私の様子を見ながら、蒼太はまた新たな話題を見つける。

「実家から・・・持って来た物あるの?」

この話題に触れるのは、やはり恐る恐るの様だ。

「アルバムと・・・お茶碗」

「お茶碗?」

「子供の頃、凄く気に入ってたお茶碗が残ってて・・・」

「お母さん、取っておいてくれたんだね」

「一回割れてくっつけたりしてるから、もう使えないんだけど・・・思い出があって」

「そういうの、あるよね」

「思い出ばっかり握ってたって、仕方ないんだけど・・・」

「亡くなった人との思い出は・・・もう増えないから、いいんじゃない?」

蒼太との思い出ももう増えない。そんな事を言われている気がする。

「そういえば、前に持って帰ったお母さんの日記・・・読んだ?」

ドキッとした。蒼太が今この事に触れてくるなんて。何て答えたら良いのだろう。私ははっきりとしない返事を返した。

「初めの方の何ページかだけ・・・。あとはもう少し経ってから・・・」

「そう・・・」

蒼太は何を言いたかったのだろう。そして何を知りたかったのだろう。蒼太との事についての母から想いを、私が知ったかどうかを聞きたかったのだろうか?でも・・・今更何の為に?それを知ったところで、どうなると言うのだ。

 次は蒼太の駅だ。アナウンスを聞いた後で私は言った。

「どうぞ、気にせず降りて下さい。私、大丈夫ですから」

「そういう訳にいかないよ。別に急いでないから」

「じゃあ、私も降りて引き返します」

私が立ち上がるのを心配そうに見届けて、蒼太は後に続いて降りた。反対ホームへは、一旦階段を上がらないといけない。つまり、階段を上ったところで、蒼太とはさよならだ。

「エレベーターにする?」

嫌だ。早くにさよならが来てしまう。私は首を軽く横に振った。

「もう、大丈夫です」

さっき、とっさについた嘘のお陰でゆっくり歩ける。ほんの僅かだけど、蒼太と一緒の時間が一秒でも延びる事が嬉しい。階段を登りながら蒼太が聞いた。

「こういう事、よくあるの?」

「ないです。今日はなんでかな・・・」

「疲れてるんだね・・・」

そう言いながら、また蒼太が『あっ!』と声を上げた。

「飯、食った?」


 そのまま二人は駅前の中華屋に入る。メニューを広げて蒼太が指を指した。

「レバニラ食べた方がいいよ。こういう時は絶対レバニラ!」

本当はチャーハンと餃子が食べたい気分だ。でも仕方がない。全ては自分の嘘のせいなのだから。

「俺は・・・あんかけラーメンと半チャーハンのセット」

「あ・・・」

思わず、そう声が漏れてしまう。羨ましい顔が前面に出てしまっていたのだろうか。蒼太が勘づく。

「じゃ、レバニラのライスとチャーハン交換ね」

私が『あ』と声を漏らしただけで、何が羨ましいと思ったのか伝わる感じが懐かしい。心がまた一つ軽くなる。

注文の時に、蒼太が餃子を一皿追加する。店員さんが注文を繰り返した後で、私も付け足した。

「あと、生ビール一つ」

蒼太がびっくりした顔をしている。

「誰が・・・飲むの?」

「私」

そのやり取りを聞いて、店員さんが確認した。

「お一つで宜しいですか?」

「あ、じゃあ俺も」

蒼太も便乗した。

 目の前に生ビールが運ばれてくると、早速に『いただきます』とジョッキに口をつけた。その様子にまだ驚いている蒼太だ。

「別れた男とは、絶対に酒飲まないんじゃなかったの?」

「あ・・・」

忘れていた。そのうっかりしていたと丸分かりな私の顔を見て、蒼太は笑いながらビールをぐっと飲んだ。

「だって・・・今日は帰ったら絶対ビール飲もうって思ってたんだもん」

ついつい私の語尾も緩んでしまう。心が緩んでしまっている証拠だ。それを聞いて、蒼太がまたはっはっはと笑った。

「一か月、頑張ったしね」

蒼太にそう言われると、気分がいい。昔付き合っていた頃は、よくこの台詞を聞いていた様に思う。待ちに待ったビールを一気に半分位まで飲んだ頃、餃子が来る。やはり5個だ。蒼太が3個と2個に分けた。

「いいよ、3個」

今日は遠慮しない。だって、仕事が終わる少し前からずっとビールを飲みたいのを我慢してきて、飲んだらやっぱり餃子が食べたくなる。

「じゃ、遠慮なく」

昼以来10時間ぶりの食事だ。黙々と食べて黙々と飲んでいる姿に、蒼太は少し笑いを堪えている。

「懐かしいね。その・・・食べっぷり」

あんかけラーメンのセットとレバニラのセットがほぼ同時に来る。チャーハンとライスを交換すると、私はチャーハンに真っ先に手を付けた。それを見ていた蒼太が口を尖らせた。

「まずレバニラ食えって。さっき貧血みたいになったんだから」

「食べるけど・・・チャーハン食べたかったんだもん」

言い終えると同時に、私はチャーハンを口に入れた。それを見て、安心した顔をする蒼太。

「良かったよ、元気になって」


お腹いっぱい食べたところで、蒼太が言った。

「飯・・・誘って良かった。もっと嫌がられるかと思ってたから」

「嫌がったりはしてないけど・・・」

「けど・・・?」

『けど』の後に『お付き合いしてる方への遠慮があるから』と心の中で付け足した。でも蒼太には笑顔でごまかす事にした。でも、蒼太もごまかされてはくれなかった。

「けど、何よ?」

「けどじゃなかった。嫌がったりはしてませんって言いたかっただけ」

「ふ~ん」

少し二人の雰囲気が付き合っていた頃の様に戻っていたから、私は言ってみる事にした。

「昨日・・・お誕生日だったでしょ?」

「お!覚えててくれてんの?」

そう言われると、何て答えたらいいか分からない。丁度いい距離感を保つのが難しい。だから私は、お祝いの言葉だけ伝える事にした。

「おめでとう」

やはり顔を見ては言えない。

「ありがとう」

しかし蒼太は私の顔を見て、そう答えた。

「35歳・・・いい年になりそう?」

私は遠回しにそう聞いてみる。

「転機の歳にしたいと思ってる」

私の中で、何か決定的な音が聞こえた気がした。私は必死に平静を装って答えた。

「・・・なるといいね」

言いながら私は、変わろうとしている蒼太を引き止めてはいけないんだと自分に釘を刺した。

 その時、テーブルの上に置かれた蒼太の電話が震えた。画面は裏になっているから、もちろん誰からかは分からない。

「どうぞ」

私は電話に出るよう促したが、蒼太はその画面を暫く眺めて切った。

「大丈夫。後でかけ直すから」

私の胸がきゅっと縮む。そして心の中で『ごめんなさい』と見た事のない相手に頭を下げる。

「出よ。もう帰らないと、明日も仕事あるし」

私はすぐに席から立ち上がった。


次いつまたこんな時間を持てるのか分からない。その時まで・・・いや、次がある保証もない。蒼太が結婚したら、もう外でご飯を食べて帰る事も無くなるんだろうし、ましてや奥さんにとったら煩わしい存在だ。

私は首にマフラーをグルグルに巻いて、ポケットに手を突っ込んだ。

「具合、大丈夫?」

蒼太がまだ心配している。

「ビールも飲んだし、お腹もいっぱいになったから」

私はピースしてみせた。

「また、偶然バッタリ会ったら、飯食いに行こうよ」

“偶然バッタリ”なんて、滅多にない。だから適当に返事をしたって、嘘つきにはならないだろう。

「そうだね」

「次は・・・喜美の誕生日の頃かな」

3月だ。私は動揺する自分を必死で抑制した。

「それじゃ、偶然じゃないでしょ」

「きっとその頃、また偶然会えるよ」

「・・・・・・」

期待したい偶然だ。でも『楽しみにしてるね』とは言えない。言ってはいけない。私が微妙な顔つきでもしてしまっていたのかもしれない。蒼太が付け足す様に言った。

「喜美が・・・寂しい誕生日迎えそうだったら、ね」

ん?ちょっと待って。私の耳はその言葉に立ち止まった。

「・・・どういう・・・意味?」

蒼太はごまかす様に笑った。

「一人だったら、きっと偶然が引き寄せてくれるよって意味」

私は蒼太の目をじっと見た。

「寂しい・・・お誕生日だったの?」

「・・・・・・」

「え・・・?んな訳ない・・・よね?だって・・・」

はっきりと言葉に出して聞くのは怖い。だからどこまでも曖昧な聞き方になってしまう。

「仕事してたの、知ってるでしょ?」

「ま、それはそうだけど・・・平日だしね。でも・・・休日もあった訳だし・・・」

「男の35の誕生日なんて、取り立てて祝う程そんなにめでたくないよ」 

蒼太は笑顔でそう言ったが、どうしても引っ掛かる。お見合いの相手とはどうなったのだろう。私が固まっていたから、蒼太の声が私を現実に引き戻した。

「じゃ、また仕事で」

蒼太と別れた後、私は一人電車に揺られた。遅い時間の車内は、さっきよりも空いていて、ゆったりシートに座って考え事をするには丁度いい環境だった。

 『35歳は転機の歳にしたい』と言っていた蒼太。私はてっきり結婚をして新しい人生のスタートを切ろうと思っているのだと思い込んでいた。しかし帰り際のあの様子では、お見合いの相手と過ごしてはいないのだろうか。結婚話が上手く進んでいないのか?それとも・・・。私はそれ以外の理由をひねり出す。蒼太の誕生日を知らせていないだけかもしれない。きっとそうだ。そんな風に自分の中で治まりをつけた頃、丁度駅に到着し 私は電車を降りた。


 あの日以来、どうしてだか蒼太が仕事で店に訪ねて来ても気まずくない。やはりこの間の電車での偶然が、かなり影響している。今日も蒼太がストールの売れ行きを案じて店を訪れたが、不思議と自然体で会話が出来る様になっていた。もしかしたら同じ会社で働いていた時よりも、だ。蒼太との関係が新しい形に収まり始めている気がする。そう思うと、私の心も自然と明るくなるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ