第14話 片思いの決断
14.片思いの決断
年も明け、仕事始めの日。いよいよ今日からマネージャーとして独り立ちの時がやってくる。不安と緊張でいっぱいの胸を抱え 出勤する。今日から朝礼も私の仕事だ。背伸びせず、足りないところは周りの人に補ってもらおう。そんな気持ちで、私は仕事に臨むことにしたのだ。
開店30分としない内に、蒼太が店に姿を現す。きっと自分の担当の取引先に新年の挨拶周りをしているのだろう。
「おはようございます」
本来なら『明けましておめでとうございます』と言うところ、蒼太はそう言った。私が喪中だと知っているからだろう。仕事は仕事、プライベートな事情は関係ないのに、そういう細かい配慮も蒼太らしい。
「本年もどうぞ、宜しくお願い致します」
蒼太がこう挨拶をしたので、私も同じくらい頭を下げて挨拶をした。
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
「で、早速なんですが、こちらのストール この春の新色が出まして、是非ご検討頂ければと思いましてお持ちしました」
そして鞄から商品サンプルを取り出す。
「本日はこちらの見本をお持ちしましたので、是非ディスプレイにお使い下さい」
最後に色見本を渡すと、蒼太は帰って行った。
近くに他の従業員が居なかったのだから、仕事以外の事を話そうと思えば話せた状況で、蒼太は一切そういう話題を出しては来なかった。それどころか、まるで今までの事なんか何もなかったみたいな素振りで、当たり前だけど・・・それを望んできたけれど・・・身勝手に私の心が苦しくなる。蒼太の置いて行った新色のストールを、店内のトルソーに無造作に巻いてみる事にした。
年明け3日に“もんじゃ しみず”に行く約束をキャンセルして以来初めて、拓磨からメッセージが届く。
『仕事始まったでしょ。どう?マネージャー業は大変?』
なんで急に行けないって言い出したのかを、この間も今日も聞いては来ない拓磨に、私は少し気まずさを覚える。
『私の出来る事から頑張ろうって思ってる』
そう当たり障りのない返事を返す。本当は『元彼と会った?』とか、『なんで急に店行かないって言ったの?』とか、そういう事を聞きたいんじゃないかと思うのに、本音を言わせない雰囲気が私にあるんだろう。
『お袋が心配してたよ。兄貴と会わせて結婚どうのって話した事で、喜美ちゃん傷付けちゃったんじゃないかって。やっぱりもう来にくいのかしらって』
『そんなんじゃないよ』
『俺もそう言ったんだけど、信じてもらえなかった。急に仕事決まって、それ以来暫く顔見てないから、ね。嫌じゃなきゃ、近い内行こうよ』
多分、今の状況で拓磨だけに誘われていたら、きっと断っている。しかしお母さんの事を出されたら弱い。本当にお世話になったから。
日曜の仕事帰り、駅で待つ私を拓磨が車で拾って“もんじゃ しみず”を訪れる。閉店30分前に店に到着する。のれんをくぐって、懐かしい店内に入るや否や、拓磨の母親が慌てて駆け寄って喜びの声を上げた。
「いらっしゃい!良く来たねぇ」
まるで遠くに行ってた娘が何年か振りに帰ってきたみたいな喜び様だ。
「お腹減ってるでしょ?明太チーズまず持って来るから。あ、ビールも飲んでよ」
私の前に良く冷えたビールを持って来た母親が、また立ち話をする。
「仕事忙しいの?お正月はどうしてたの?奈良に戻ってた?」
すると向かいに座る拓磨が笑った。
「そんないっぺんに幾つも聞いたら答えにくいよ」
「ああ、そうね」
そう言って、懐かしい笑顔の花を咲かせる。
他の客が皆引いた頃、焼きそばをテーブルに持って来て、母親は空いている席に座った。
「元気だった?」
「はい」
「お正月も顔見せに来ないから、心配しちゃったわよ」
「ごめんなさい」
「今年のお正月はどうしてたの?ご実家の方戻ったりした?」
「年末に荷物の整理に・・・」
その間、拓磨は焼きそばを食べている。そして母親は、多分ずっと気にしていたであろう事を口にした。
「前にお兄ちゃん、ここに呼んだ時あったでしょ?あれで・・・喜美ちゃんに嫌な思いさせちゃったんじゃないかって、実はずっと気になってたのよ。ごめんね」
「いえ・・・全然気にしてないから」
「あの後、お父さんにも怒られたの」
そう母親は少し小さい声で肩をすぼめる様に言った。
「慶磨の事は、気にしないでね。だから今までみたいに、気軽にうちに来てちょうだいね」
帰りの車の中で、拓磨はニコニコと言った。
「お袋めっちゃ嬉しそうだった。ありがと。仕事で疲れてるのに来てくれて」
「こっちこそ。拓ちゃん明日から又1週間仕事なのに、遅くさせちゃって。どっか駅で降ろしてくれていいよ。いつもみたいに家まで送ってくれたら、拓ちゃん家着くの、凄く遅くなっちゃう」
「途中でなんか降ろせないよ。こっちが来てもらったのに」
結局拓磨の言う通り、途中で降ろす様子はまるでないまま道を走る。
「あれから、どう?彼は・・・店、来た?」
いよいよ私の家の近くに差し掛かると、拓磨がそう聞いてきた。私は、少し迷った挙句に『うん』と言った。
「・・・どう?普通の感じ?それとも・・・」
「仕事だから・・・別に全然・・・」
しかしその後車内がし~んと静まり返る。正直、こういうの苦手だ。音がないと、私の心を丸裸にされて見られている気がしてならない。もしかしたら拓磨は これが聞きたくて今日一日タイミングを見ていたのかもしれないと思う。この静まり返った沈黙の間に、一体何を考えているのだろう。私は話題を変えようと、流れるラジオに耳を傾けた。
「この曲、懐かしい~」
「うん」
乗ってこない拓磨を見て、私は一旦口を閉じた。正直、早く家に着いて欲しいと願う。そして私は鞄の中から電話を取り出して、暫く間を埋める様に画面を操作する。すると拓磨がその様子を暫く見た後で言った。
「連絡先とか・・・まだ入ってるの?」
私は思わず拓磨の顔をじっと見てしまう。
「とっくに・・・2年半前に消してある」
「そう」
これで一旦話が終わるかと思いきや、拓磨がもう一言言った。
「でも・・・向こうからは掛けて来られるんでしょ?」
「むこうだって掛けてなんか来ないよ。こっちもブロックしてあるし」
私は思わず溜め息を漏らしそうになる。だから それを飲み込んで、今度は拓磨に質問した。
「拓ちゃんは?元カノと、今でも連絡取り合ってる?」
「取り合ってないよ」
「じゃ・・・たまには会いたいなって思う?どうしてるんだろう、とか」
拓磨が黙る。ちょっと突っ込んで聞き過ぎたかなと反省していると、拓磨が運転しながら軽く笑った。
「偶然見かけた事あるよ」
「声掛けた?」
拓磨は前を見たまま、またふっと笑った。
「ベビーカーに赤ちゃん乗せて歩いてた」
思わず私も声を失った。自分への追及を止めたくて話題を変えたつもりだったけど、軽い気持ちで触れてはいけない内容だった。拓磨のその時のショックは、大体想像が出来る。2~3年後に街で蒼太が子供を抱っこして歩いているのを見たら、私は平気でいられるのだろうか。今でさえ、いつ蒼太が結婚指輪をはめて店を訪ねてくるか怯えているというのに。
「ごめん・・・辛い事思い出させちゃって」
「いいよ。平気。懐かしいよ」
そう言っている拓磨の表情は変わらない。
「それ・・・いつ頃の話?」
「いつ?いつかな・・・?去年・・・かな?」
時間がその衝撃を癒したのだろうか。だから今それを平然と話せるのだろうか。拓磨は相手が結婚したのを知ったから、自分も吹っ切って結婚する気になったのかもしれない。だとしたら私も、蒼太が結婚したと聞いたら吹っ切れるのかもしれない等と、都合の良い事を思う。
店内のトルソーに巻かれたストールを、従業員が見て言う。
「この色綺麗ですよね。お客様の目も引くみたいですね。入って来られるお客様の殆どが、この前で一回立ち止まられてます。どの色入れるか、もう決めたんですか?」
「色見本頂いたから、それ見て皆で決めようかと思ってたの」
先日蒼太が来た時に『何かありましたら携帯の方にご連絡下さい』と言っていたその番号が、裏の小さな事務所に貼ってある。それをいつも遠巻きにしているのだ。蒼太に直接通じる電話は、やはり仕事と言えども掛けにくい。だから次に来た時にでも・・・そう思っているのだ。しかし、従業員からのストールの評判が大変良い。今の時期からでも、こんな風に合わせたらいい 等とどんどんアイデアが出る程だ。こうして蒼太を待っている時には なかなか来ないものだ。私は店の電話を手に取り、意を決してその番号を押した。
「はい、金子です」
耳元で聞こえる蒼太の声に急に緊張が強まる。
「ストールの発注をさせて頂きたくて」
「早速にありがとうございます」
その電話から30分後に、蒼太は店に姿を現した。パソコンで済んでしまう内容なのに すぐ飛んでくるのも蒼太らしい。私が新入社員で蒼太に付いて営業に回っていた頃、こういうところを細かく仕込まれた記憶がある。あれから何年も経っているのに、仕事に手抜きをしないところも尊敬している。
「お客様の反応いかがでした?」
店内のトルソーに巻かれたストールを見て、蒼太は私に聞いた。
「色も綺麗だと評判が良くて・・・」
「そうなんです。今回は染料と素材の相性にこだわり抜いて作られた製品ですので、発色がとても綺麗なのが売りの一つです。あとはやはり肌触りですかね」
「はい」
こうして話していると、段々に蒼太とも普通に話したり出来る錯覚に陥る。色見本を挟んで、それを覗き込んで発注していると、ふと蒼太との距離がびっくりする程近くなっている。テーブルが小さいせいもあるだろう。それに気付いた途端私の心臓が飛び出るかと思う程激しく脈打って、私は静かに椅子ごと離れた。メモを取りながらカタログに見入っている蒼太は、きっとこの事に気付いてはいない。少し安心すると、私は自分を落ち着かせる様に深呼吸をした。
「商品の納入は来週の月曜か火曜になります。社に戻って詳細が決まりましたら、追ってご連絡させて頂きます」
“追ってご連絡”・・・蒼太から電話があるという事だ。そして来週、きっと又納入の日にも蒼太は来る筈だ。業者任せに等しない。私は、そんなささやかな予定に心を明るくするのだった。
しかし納品の日、商品だけが届き蒼太の姿はない。しかも昼食から戻ると、従業員が不在中の連絡をする。
「KSプランニングの金子様からお電話ありました。ご注文頂きました商品は無事届いてますでしょうかって」
「あぁ、そう・・・」
少しがっかりする。
「もし数や色の手違い等ありましたらご連絡下さいって」
間違いなく注文した通りの物が注文した数届いている。蒼太に電話をする理由は何もない。都合良く電話や会える事を期待していた罰だと、私はすぐに反省して、うっかり心を躍らせた一週間を封印した。
それから二週間程した頃、蒼太はまた店に顔を出した。
「いかがですか?ストールの売れ行きは」
「お陰様で。他の商品の販促効果にもなっています。うちのスタッフが皆、洋服とのコーディネートをしてお薦めするのが上手なので、助かってます」
「良ければ、一か月毎の色別の売り上げの集計を頂きたいんですが、可能ですか?」
「はい」
「じゃ、末締めでメールでお送り下さい」
本当に蒼太とは仕事の話しかしない。でもきっと、これでいいのだ。これが一年三年五年と続いたら、多分社長と佐田マネージャーみたいになれるんだと思う。そう思うと複雑な心境だ。早くそうなりたいと思う自分と、なってしまいたくない自分の両方がいる。思わず無意識のうちにため息が漏れた。鞄に手帳などをしまっていた蒼太が、私の溜め息に驚いて顔を上げた。私もその顔を見て、初めて自分が溜め息をついた事に気が付いた。
「・・・お疲れ・・・ですか?」
「いえ・・・すみません」
私は目を逸らしたが、蒼太の顔はまだ私を見たままだ。その後店を出る間際に、蒼太が振り返って言った。
「担当・・・替えましょうか?」
「え?」
「担当を別の者に代わった方が良ければ、次回からそうしますが・・・」
「いえ、大丈夫です」
蒼太は私の目をじっと見ている。昔よく私の『大丈夫』と言う言葉の奥の本音を探る時も、蒼太はこうしてじっと私の瞳の奥を見ては判断していた。今の私の目からは、どう判断されてしまうのだろう。これで あの溜め息が蒼太と仕事をする事へのストレスと伝わってしまったら、もう次回からは別の人の担当になってしまうのだ。だから私はもう一度言った。
「ごめんなさい。溜め息なんてついてしまって。ちょっと別の事を考えていたものですから。このお仕事について、何の不満も・・・いや、不満どころか有り難いお話だと思っています」
思わず必死になってしまう。ちょっと必死になり過ぎた感は否めないが、仕方がない。すると蒼太がちょっと考えて言った。
「わかりました。じゃ、また伺います」
それだけ言うと、意外にあっさりと蒼太は背中を向けて帰って行った。その後ろ姿を見ながら、私は取り残された様な 何とも物寂しい気持ちになるのだった。
その晩、家に帰ってからも あの蒼太の素っ気ない態度が忘れられない。にこりともせず、ただ『わかりました。じゃ、また伺います』とだけ言い残して店を後にした蒼太の後ろ姿。こんな事を繰り返していたら、何も感じなくなる日は一体いつになったら訪れるのだろう。前に拓磨が『もう会わない方がいいよ』と言ったけれど、本当にそうかもしれない。自分の気持ちに区切りをつけられないでいるのに、会ったらもっと忘れられなくなる。もうこうなったら、とことん未練がましく思い続けるって手も有りかもしれない。誰にも言わず、何も求めず、ただ自分の中で想い続ける。永遠の片思いだ。きっとその内私も歳をとって、恋愛自体するエネルギーがなくなっていった時に初めて諦めがつくのかもしれない。その日を待とう。それが20年後なのか30年後なのか分からないけれど、その日に向かって進んでいこうと、今夜の3本目のビールが答えを出した。




