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風が吹いたら  作者: 長谷川るり
12/17

第12話 再出発

12.再出発


 拓磨の紹介で面接を受け、それが意外にもあっさりと採用となり、再びOLの生活が戻る。店舗勤務だが、マネージメントが主な仕事だ。マネージャー いわゆる店長に値する佐田彩子が、年明けから海外赴任してしまう事から、後任としての採用だ。約二か月で仕事を覚えなければならない。ぼんやりしている暇はない。過去の思い出を引っ張り出して、悠長に浸っている場合でもない。急に忙しくなった生活に、私は新卒の頃の心地良い懐かしさを感じていた。本社が渋谷にあり、関東に店舗が3か所とイタリアに今新設予定だ。そこのマネージャーとして佐田が赴く予定だ。

佐田彩子、52歳。この業界一筋にやってきた様な人だ。結婚や出産といった いわゆる世間で言う女性の幸せを選ばず、自分の青春もエネルギーも全て仕事に注いで来た人だ。佐田に指導を受ける度に、昔自分が持っていた情熱が胸の奥底深くから湧いてくるのを感じる。と同時に、会社を辞める前半年間の中途半端な自分を恥ずかしく思うのだった。

「人は何回だってやり直せる」

佐田がある時、急にこんな事を言う。以前の職場での事など何も話していないのに、急に思いついた様に言ったのだ。思わず私は、打ち込んでいたパソコンのキーボードの上で手を止めた。すると、佐田がふふふと笑って、言葉を継ぎ足した。

「そう思って、今までやってきたの」

伝票をペラペラとめくりながら、佐田が話を続けた。

「30年以上この業界にいて、未だにこう言い聞かせてやってるの。若い頃の失敗なんて、屁でもないわよ」

こんな明け透けな表現に、私は貫禄を感じたりする。

「大きな失敗程、自分を育てる」

こうしたちょいちょい挟まる佐田語録には、ついつい耳を傾けたくなる引力がある。

「結局女性が仕事で伸びて行こうと思ったら、これくらい図々しくないと駄目ね。繊細過ぎると、いちいち外野の声が耳に入っちゃって気が散るわよ」

「・・・はい」

所々で私が相槌を打つ。

「繊細なセンスを活かすのは、お客様に対してと、お店作りに対してだけ。そう始めっから決めといた方がいいわよ」

言い切れてしまう潔さが、今の私には羨ましい。

 その佐田の接客が、また凄いのだ。ああ明言するだけあって、繊細な心遣いで接客をする。これっぽっちも自分の好みや店の都合を押し付けない。だから客も満足してリピーターになって戻ってくるのだ。そしてそれが定着して顧客となる。営業っぽさを全く感じない接客だ。売る側にとっても買う側にとっても、理想の形だ。だから伸びるのだ。佐田の行く店舗行く店舗、必ず業績が上がる。福の神みたいに陰で言う人もある様だが、佐田と話すと、それが持って生まれたものではなくて、コツコツコツコツとした誰にも褒めても認めても貰えない様な地道な努力の賜物である事が分かる。

再び私はこうやって、目標としたい人の元で働く事が叶ったのだった。


「喜美ちゃん、元気になったね」

あの夜の公園以降も変わらずに連絡をくれる拓磨だ。今日は珍しく電話だ。私の声を聞くなりこう言った。

「そう?毎日大変で帰ってくるとぐったりだけどね。何せ、怠惰な生活を何か月か送ってきたもんで」

「いやいや、いい声してるよ」

やはり、そう言われれば嬉しい。

「やっていけそう?」

「大学卒業したての頃みたいに、また頑張ろうって思ってる」

安心した声で相槌を打つ拓磨に、私は一つ謝った。

「お店、急に辞める事になっちゃって、ごめんね」

“もんじゃ しみず”の事だ。

「親父もお袋も寂しがってるけどね。仕事落ち着いたら、また今度飯食いがてら顔見せに行こうよ」

「うん」

そう返事をしながら、ん?と思う。心がそこで立ち止まる。まるで結婚した若夫婦が忙しくて実家に帰れない時の会話の様だ。もしかしたら、こうして自然と拓磨と家族になっていくのかもしれない等と思ったりする。


 12月ともなると、外の景色もめっきり冬めいてくる。色を付けた木々の葉達は次々と落ち、繊細な枝ぶりが露わになる。空に帯びる雲も厚くなる日が多い。そんな季節の晴れ間は、もしかしたら夏よりも気持ちがいいんじゃないかとさえ思ってしまう。乾燥した肌寒い風が吹くと、誰もがコートの襟を立てたくなる。しかし、そんな隙間に照らす太陽は、私達をじんわりと暖めてくれて、思わず太陽の方へ顔を向けたくなるものだ。

 

 今日はアパレルメーカーと小売店向けのカンファレンスが行われる日で、私は上司の佐田と 会場である赤坂のホテルに足を運んでいた。私の想像を超えて、時間近くになると それっぽい人達が続々と集まり始める。私の心臓が急に緊張し始める。前の会社の営業部長に再会したらどうしよう・・・そんな不安が急に胸いっぱいに広がる。都内各所から集まってくるイベントだ。私は急に佐田の後ろに少し隠れる様にして、キョロキョロした。向こうに気付かれるより先に自分から見つけたい。そして、直接の接触は絶対に避けたい。

「磯山さんの前の職場の人も来るかもね」

佐田はやはり勘が良い。

「なんで、前の会社辞めたんだっけ?」

サラッと聞いてくるあたり、こっちもついサラッと口を割ってしまいそうだ。

「まぁ、色々と人間関係に疲れてしまって・・・」

「あぁ・・・じゃ、会いたくないね」

「・・・でも、ま、仕事なんで」

強がってみせる。私は公私混同しませんというアピールだ。

 私は佐田と早めに着いて、コーヒーで暫しのくつろぎの時を過ごす。そろそろ時間が近くなり、会場へ向かう為エレベーターを待つ。私達は2階でボタンを押して待っていたが、着いたエレベーターは一階から乗ってきた参加者達でいっぱいとなっていた。ドアは開いたが二人分のスペースがなく、見送る事にする。

「もう少し早めに上がれば良かったですかね」

私がそう言うと、佐田が時計を見ながら言った。

「ま、まだ時間に余裕があるから、間に合うでしょ」

そう笑顔で言われると、やはり少しホッとする。少し待ってエレベーターが二階に止まる事を知らせるチャイムが鳴る。

「さ、今度は乗れるかな」

ドアが開くのを、まるでびっくり箱でも開くのを楽しみに待っている様な顔つきの佐田。

 ドアが開くと、先ほどとは違って、中には4~5人程でスペースがある。

「あっ!乗れた!」

おまけが当たったみたいに嬉しそうな顔をする佐田につられて、私も思わず笑顔になる。しかし乗り込む瞬間に見えた懐かしい顔に、私の表情は一瞬にして凍り付いた。エレベーターに乗っている間、佐田が何か話し掛けてはいたが、私の耳には届かない。返事のない私の横顔を見て、佐田がそっと呟いた。

「深呼吸、深呼吸」

エレベーターを降りて会場の前で受付を済ませると、決められた席に座る。佐田と私の前には会社名が立っている。見回すと、テーブルの上には会社名がそれぞれに明記されていた。“KSプランニング”・・・前の会社名を探す。同じ列の遠く離れた席、言い換えれば”顔の見えにくい席”に私は少しホッとする。強張っている私に、佐田が声を掛けた。

「居た?」

「あ・・・はい。でも・・・大丈夫です」

「そ!今日はうちの店の事だけ考えて参加して。しっかり勉強して帰りましょう」


 いよいよ会議が始まると、司会から出席者の会社や店舗の紹介がある。佐田も“JP”と会社名を紹介されると私に合図をして立ち上がった。

「JP表参道店のマネージャーをしております佐田と申します。来月からは私が海外出店準備の為現地に赴任致しますので、本日は後任のマネージャーとなります磯山と出席させて頂きました。宜しくお願い致します」

佐田に合わせて私も頭を深く下げる。まず一つ目の難所をクリアする。佐田と一緒だと何もかも全てが心強い。しかし来月からはもういないのだと思うと、正直不安しかない。

司会から『同業者の交流や情報交換の場にもお役立て頂ければ幸いに存じます』等というフレーズがあった為か、皆それぞれの会社や出席者のメモを取る。そしていよいよ、“KSプランニング”の番だ。

「KSプランニングの営業主任をしております金子と申します」

やはり蒼太の番では顔は上げられない。気まずいが、他の誰かと一緒ではなかった事だけが救いだ。正に不幸中の幸いだ。


 会議が終わった後で、皆がそれぞれ名刺交換に回り歩く。このまま何も無く帰れる事をひたすら祈っていたが、佐田は名刺入れを片手にやる気全開だ。

「磯山さんも名刺準備して私に付いてきてね」

さっきの自己紹介での情報が全て頭にインプットされている様に、佐田には何社か目当てがある様だ。

 挨拶と名刺交換、そして情報交換を10人近くと済ませ、鞄を肩にかけ直して私に聞いた。

「挨拶した時の情報、名刺の裏にメモした?」

「はい」

「オッケー。会社帰って整理ね」

それで終わりかと思っていた。すると、思い出した様に佐田が足を止めた。

「磯山さんの前の会社、何だっけ?」

「“KSプランニング”ですけど・・・」

そう言われただけで、佐田は会場の群衆の中から蒼太の顔を見つけ出す。丁度他との挨拶が終わった所を見計らって、佐田が近付いた。

「初めまして。JPの佐田と申します。磯山が以前そちらの会社でお世話になっていたそうで。今日はご挨拶だけでもさせて頂こうと思いまして・・・」

かなり腰が低い。それに比べ、私は完全に腰が引けている。

「あっ、こちらこそ、ご挨拶が遅れ申し訳ありません」

名刺交換をしている姿を見ていると、まるで別人の蒼太に感じる。二人が会話を交わす間、私は終始俯き気味だったから、最後に蒼太が私に言葉を掛けた。

「久し振り。元気そうで、安心したよ。良い就職先に恵まれたみたいだね」

「ありがとうございます」

表情一つ変えない私を見て、佐田が蒼太に言った。

「先程も申しました通り、来月には私はミラノに赴任してしまいます。まだ磯山も2か月で何かと不慣れな部分もあるかと思います。同業の者として、今後とも助言やお力添え頂けたら幸いです」

そう言って佐田は私に名刺を出す様に促す。思いがけなく蒼太に自分の名刺を渡す事となり、戸惑いを残したまま会場を出た。


帰り道、そんな私の疑問を払拭する様に佐田が言った。

「何の仕事も人脈が全て。一度縁あって出会った人は大切にね」

「はい・・・」

「何度だってやり直せる」

「・・・・・・」

「それにあの金子さん、話の分からない人じゃなさそうだった」

確かにそれはそうだ。話が通じないのは蒼太ではない。部長だ。内心そんな事を思っていると、佐田がこちらの心を読んだ様に続けた。

「こじれた糸は、機を見て 必ず修復する。これ、ビジネスの鉄則」

ビジネスの鉄則かもしれないが、恋愛の鉄則ではない筈だ。

「はい・・・」

覇気のない返事に、佐田が笑った。


それから数日後、店に蒼太がひょっこり顔を出す。私は店のウィンドウからその姿をキャッチしたから、いち早く奥に行って佐田を呼んだ。

「先日のKSプランニングの金子さんがお見えになってます」

蒼太を見るなり、佐田の声が一オクターブ上がる。

「あらぁ~、早速に」

「近くまで来たものですから」

店内を見回し始めた蒼太に、佐田が商品やコンセプトなどを説明する。

「素敵なお店ですね」

「ありがとうございます。どうぞ、奥もゆっくりご覧になって行って下さい」

私は店内に出るに出られず、在庫置きの倉庫内で意味のない動きをする。店内には客が一名いて、ベテランのアルバイトがその接客に当たっている。暫くすると佐田の呼ぶ声がする。

「お客様、お願いします」

私は店内に出ると、蒼太の脇をすーっと抜けて接客に向かう。レジを終えた私を、佐田が呼び止めた。

「磯山さんも、ちょっと来て」

奥にあるテーブルで蒼太と佐田が座っているところへ私も顔を出すと、二人の目の前には見慣れたカタログが広げられていた。

「うちの会社、ここだけの店舗ではないので、私の一存では決めかねるんです。一旦本社に通さしてもらっても宜しいですか?」

そう佐田が答えている。先日得た人脈を早速営業に生かす蒼太を、さすがだなと他人事の様に感心していると、佐田が私に意見を求めてくる。

「磯山さんはどう思う?こちらのこういった商品だったら、うちの店舗にもイメージが合うと思うんだけど・・・どう?」

「別ブランドの商品も置いたりなさるんですか?」

「基本的に今まではない。でも、小さいコーナーを設けてディスプレイするのも有りかなって。これからは、そうやってお客様に幅広い選択肢を持って頂ける事も重要かなと思ってたところでもあるのよね。実際うちの会社は、こういった小物類は品薄だし」

私の頭の中では、ふと不安がよぎる。もしこの話がまとまれば、うちは蒼太の顧客になる訳だ。つまりはKSプランニングとの取引関係になるという事だ。更に、来月から佐田が居なくなれば、窓口は私だ。蒼太との接点も増える。もしかしたら営業部長とも会わなければならない日が来るかもしれない。

 蒼太が帰った後で、佐田が浮かない顔の私をつついた。

「そんなに嫌?」

「いえ・・・そういう訳では・・・」

先日の佐田の言葉が頭の隅で復唱される。

『こじれた糸は、機を見て必ず修復する。これ、ビジネスの鉄則』

その機会が近くやってくる事を覚悟しなければならないと思うのだった。


 次の朝 店に出勤すると、佐田はもう来ていて 私が来るのを待ち構えていた感が滲み出ている。

「磯山さん。社長に聞いたらね、私に一任するって!」

昨日のKSプランニングとの件だ。

「どうなさるんですか?」

「そりゃぁ、一任して頂いたからねぇ」

嬉しそうだ。

「でもね・・・」

何か問題点がある様だ。

「来月には私は居なくなっちゃうから、磯山さんと相談して 合意の元っていうのが条件だって」

尚更気まずいではないか。

「ね!いいでしょう?置いてみようよ。きっとビジネスの可能性も広がると思うのよねぇ」

「マネージャーがそう思われるんでしたら・・・私は異存ありません」

たっぷり異存がある様な言い方しか出来ない。だって、もし今後蒼太が結婚指輪でもはめてくる様になったら、私がそこを何事もなく通過できる自信はない。しかし、それはプライベートな感情だ。公私混同は良くない。さすがにそれ位分かっている。だから、私は佐田の後について行く事にしたのだ。

「そうと決まれば、即行動!磯山さん、金子さんに電話入れて!」

「私が・・・ですか?」

「そうよ。で、早速打ち合わせしたいから、カタログ持って都合の良い時間に来て下さいって」

私は電話に手を掛けて、こっそり大きな溜め息を吐き出した。


 今日は拓磨と“もんじゃ しみず”にご飯を食べに行く日だ。就職後初めてとなる。年末も間際になると店も混むからと、年内に顔を見せに行こうと話していたのだ。いつもの様に拓磨の運転で月島に向かう車の中で、私はちょっと落ち着かない。

「仕事、慣れた?」

「うん・・・だいぶね」

「年明けには、もうそのマネージャーはいないの?」

「うん・・・」

「心細いね」

拓磨は、私の歯切れの悪い相槌をそのせいだと勘違いしている。だから私は、店に着いてしまう前に 思い切って息を吸い込んだ。

「あのね・・・」

もうその一言目で、言いにくい内容の話だという事が伝わる。いつもより小さい声になってしまったから、拓磨がカーラジオのボリュームを少し絞った。

「最近・・・うちの店と前の会社が取引する事になって・・・」

「え?!営業部長に会ったの?」

拓磨は真っ先にそれを心配してくれた。

「ううん。まだ」

それを聞いて、一瞬ほっとした顔をする拓磨だが、私の話はまだ続いた。

「・・・彼に会って・・・」

運転席から一気に音が消え去った様に感じる。

「初めから話すとね・・・」

そう言って、私は先日の再会の流れをかいつまんで説明した。

「なるほどね・・・」

そう拓磨が言った後も、ラジオのDJだけが場違いに軽快に喋り続ける。

「で?」

「で?って・・・。それだけ」

「報告って事か・・・」

「・・・うん。一応・・・」

拓磨がハンドルを握っていない方の左手で頭を掻く。

「で、どうなの?実際。喜美ちゃんは」

『どうなの?』一番答え辛い質問だ。しかしここは誤解を招かぬ様、私は凛々しく答えた。

「仕事だし・・・別に・・・。それにマネージャーが主に対応してるから」

「でも、来月からは喜美ちゃんでしょ?」

「そうだけど、仕事だし」

「・・・嬉しい?」

私は運転席を見た。

「そんな訳ないでしょ!」

「だって、仕事って名目で会えるんだよ」

「・・・そんな浮かれた気持ち、これっぽっちもないよ」

私のその言葉に、悲しい色が滲んでいたのだろう。拓磨もそれ以上言うのをやめた。


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