第10話 婚期
10.婚期
秋が深まる頃には、週末の“もんじゃ しみず”でのアルバイトにも慣れてきた。店は、平日の昼間は比較的空いている。その分週末に客足が集中するが、秋の長雨ともいうこの季節、やはり天気によって大分左右する。しかし、静かな日の、その時に話すお父さんやお母さんとの会話が楽しくて、あっという間に清水家に溶け込んだ気がする。土曜日の夜実家に泊まらせて貰うのも、拓磨が居なくても何も気まずさを感じなくなっていた。むしろ、居ない時の方が気楽でいい様な気さえする今日この頃だ。
今日もそんな静かな日曜で、早くに客が引いて店を早々と閉めた。いつもより少し早い時間の賄いを頂いている時だ。
「拓と喜美ちゃんは大学の同級生だったよね?」
「はい」
「友達?」
「・・・はい」
「そう・・・」
お母さんが何を言いたいか何となく分かるから、私はおかずに視線を落とし 黙々と食べ続けた。
「喜美ちゃんは、彼 いるの?」
「いえ」
「そう。結婚とか、今まで考えた事ないの?」
「・・・ありますけど・・・結局縁がなくて・・・」
この話題を終わりにしたくて、私はわざと笑ってみた。
「ごめんね、変な事聞いて」
お母さんは、その話題を打ち切った。ほっとしていると、暫くして又口を開いた。
「拓・・・今誰かいるか、知ってる?」
「いえ・・・」
「そう・・・」
少し肩を落とした母親に、私は声を掛けてみる事にした。
「やっぱり・・・心配ですか?」
「うち、拓の上にもう一人息子がいるんだけどね、二人とも結婚してなくて・・・上なんかもう35になっちゃうのに・・・」
「男の人は、出産っていうタイムリミットがないから、のんびりしてるんですかね?」
頷きながら、ご飯を口に運ぶ母親。
「大学卒業してからだったと思うんだけど、拓にね彼女がいたのよ。結構長くお付き合いしてて、うちにも遊びに来たりして。でも何でか急に別れちゃって、それからぜ~んぜん そういう話しなくなっちゃった。それにしても もう4~5年経つと思うんだけどねぇ」
「へぇ~、初めて聞きました」
「あら、そう。聞いた事ない?」
「卒業した後も、一年に一回皆で会ってましたけど、そういう話自分からする人もいれば、しない人もいて・・・。拓ちゃんは、自分の話 あんまりしない方です。どっちかっていうと、いつも聞き役」
納得する母親の横で、黙々とご飯を食べる父親が言った。
「したくなったら、するだろうよ」
そこへ店の戸がガラガラッと開いた。拓磨だ。
「今日はもう閉めてんだ?早いね」
「拓、お腹は?空いてたら何か作るよ」
「いい、いい。飯、済ませて来たから」
「じゃ、何しに来たの?」
「雨だから、喜美ちゃん車で送ろっかなぁと思って」
「え?!わざわざ?!」
電車で全然平気なのに・・・そう思ってしまう私がいる。
何故か少し嬉しそうな母親といつも通りの父親に見送られ、私は拓磨の車に乗る。
「どう?慣れた?」
「うん。楽しくやらせてもらってる。お父さんもお母さんもいい人達だから」
「困った事あったら、いつでも言ってよ」
ワイパーがしきりにフロントガラスの雨をはけるのを眺めながら、いつもの様にラジオに耳を傾ける。その隙間を見て、私は思い切って聞いてみる事にした。
「拓ちゃんの前の彼女って・・・どんな人?」
拓磨は私の方へ、驚いた顔を向けた。
「・・・どうしたの?急に」
「拓ちゃんのそういう話、そういえば聞いた事ないなぁと思って」
「・・・気になる?」
「聞かれたくなかったかなぁ」
「・・・・・・」
私は運転席の拓磨の横顔を確認すると、もう一度言った。
「嫌なら、いいよ。無理に話さなくて」
「別に。もうとっくの昔の話だし」
「そうなの?」
「そうだよ。25ん時に別れたから・・・もう4年か」
「どこで知り合ったの?」
「友達の紹介」
「へぇ~」
「何?そのリアクション」
「いや~、新鮮だなぁと思って。拓ちゃんのそういう話聞くの」
この際勢いに乗せて、色々聞いてしまおうと思っているが、こちらのテンションと拓磨のテンションが違い過ぎる。少し気になりつつ、私はもう少しその続きを聞いてみた。
「長かったの?」
「社会人になってすぐ知り合ったから・・・3年位か」
聞けば答える。でも前から視線を外さないし、にこりともしない。やはり訳ありの匂いがする。
「なんで・・・別れちゃったの?」
今までポンポンと答えてきた拓磨が、無言になる。もしかして、いきなり地雷を踏んでしまったか。
「あ・・・マズい事聞いちゃった感じ?」
「今日はやけに色々聞くね」
「ごめん。なんか一個聞いたら、次々気になっちゃって」
「気になったって、どういう意味?いい意味に受け取っていいのかな?」
しまった。どう説明したらいいのだろう。丁度いい答えがすぐに浮かばないから、私は質問自体を取り消そうと躍起になる。
「ごめん、ごめん。深い意味はないから、気にしないで」
二人の間の沈黙を、再びラジオが埋めた。それから暫くして、拓磨が言った。
「俺の浮気」
「えっ?!」
驚いて、いや、驚きすぎて拓磨へ向けた顔が釘付けだ。すると私の顔を見て、面白がる様に言った。
「信じる?」
「え・・・本当?」
「だから、信じる?」
私はじっと拓磨の顔を見て、考えた。迷う。まさかと思うが、人は何がきっかけでどうなるか分からないものだ。しかし、今まで大学時代から見て来た拓磨という人物と浮気という単語が、どうも結びつかない。
「・・・信じ・・・ない」
「へぇ~」
「え?!へぇ~って?」
私は答えを探る。一体どっちなのだ。
「拓ちゃんの事、私知ってる様で知らないし・・・」
「あ、俺が浮気したって、信じ始めた?」
「からかわないでよ~」
運転席の拓磨が大きな口を開けて笑った。余裕だ。きっと触れては欲しくない部分だったのだろう。私はそう解釈して、その話題を終わりにした。
多分私の予想では、拓磨自身 前の恋愛での傷を引きずっている様に思う。もしかしたら、まだその彼女の事を忘れられないでいるのかもしれない。でも、親の事を考えたら結婚して、実家の店を継いで 安心させてやりたいという気持ちから、私に その話を持ち掛けたのではないか。そう考えると、全てつじつまが合う。だから、結婚話をしておきながら、私の事を『好き』だとは一度も言っていないのだ。奇しくも彼がこの間言った様に、お見合い結婚と発想は一緒だ。彼は恋愛をしたいんじゃない。結婚がしたいのだ。言い換えれば恋愛は必要ないのだ。そんな風に思ったら、少し気が楽になる。過去の後悔を引きずっている者同士が、お互い結婚から得られる物があるんだとしたら、拓磨が言っていた通り、友達関係を続けて その先に結婚がある様な気もする。それが果たして良いのかどうかは分からないけれど、今はそこで納得しておこうと思う。
家の前に拓磨の車が到着する。シートベルトを外しながら、私は拓磨の目を見てにっこり挨拶をした。
「わざわざありがとう。気を付けて帰ってね」
こんな風に自然と言えたのは、本当に久し振りだ。拓磨もにっこり笑顔を返してくれる。
「今日はなんだかご機嫌だね」
「そう?」
私は鞄を抱えて、言葉を付け足した。
「今日は、拓ちゃんの事少し分かった気がした」
「・・・なら、良かったけど」
「ちょっと、安心した」
「安心?」
「安心って・・・変だね、言い方」
私は慌てて『おやすみ』を言って、車を降りた。
すっかり本格的な秋を思わせる様な虫の声が、夜な夜な聞こえる。窓を開けていると心地良い夜風が入り込む。そろそろ次の仕事を探さなくてはと、私の心が焦りだす。そんな時、メッセージ受信の音が耳に届く。拓磨だ。最近は3日に一回位のペースで連絡が入る。
『そろそろ次の仕事の心配してるんじゃないかと思って。その辺どう?』
私の考えている事がまるで見えているかの様なタイミングに、ちょっと驚く。
『そうなの。でもこの年齢だし、未経験の職種は無理だろうから、そうなるとやっぱアパレルかな。でも、営業以外で、と思ってる』
『アパレルなら、紹介出来そうな知り合いいるよ』
私は返信に迷う。どこまで拓磨に甘えていいのだろう。ワーキングホリデーや奈良での就職先を教えてくれた時とは、状況が違う。
『詳しくは今週末ね。今度の土曜、俺も店手伝いに行くから、車で一緒に行こうよ』
なんだか、やはり落ち着かない。この感じ、友達と言えば友達だ。別に同じ場所に行くのに一緒に行っても 何ら不思議ではない。でも、恋人みたいと言われてしまえば、否定も出来ない。何かしらの口実を作って別々に行こうと言ったところで、きっと拓磨には見透かされてしまう気がする。拓磨の心の中には昔の彼女がいて、恋愛をしたいんじゃない・・・と自分に言い聞かせて、私はその日を迎える事にした。
「この間言ってた仕事の話、店舗勤務で、販売かマネージメント業務の募集してるんだって」
拓磨の仕事上の知り合いらしい。営業だけあって、拓磨は人脈が広い。
「気が進まない?」
やはり鋭い。私は首を傾げた。
「もう少し考えてもいいかな?」
職種や条件に悩んでいるのではない事くらい、きっと拓磨には分かってしまっているのだろう。
赤信号で停車している間、拓磨が私の方へ顔を向けた。でも何故か黙っているから、私の方から話を始めた。
「店舗勤務だと、土日来られなくなっちゃうよね・・・」
拓磨が少し嬉しそうに微笑むから、車の中の空気がほぐれる。
「気にしなくていいよ。したい仕事すればいいって」
「うん・・・」
「ま、親父とお袋は寂しがるだろうけどね」
毎週お店の手伝いに行かせてもらう様になって、二人とは まだ両親とまではいかないが、最近は親戚のおじさんとおばさん位の親しさになっていた。
その日、店を閉めた後のいつもの賄いの時間だ。テーブルを4人で囲んでいる光景を、母親は何とも嬉しそうに眺めている。拓磨もきっと、結婚してこんな親孝行を望んでいるのだろう。
「喜美ちゃんがさ、そろそろ仕事探さないとって思ってるんだけど・・・仕事始めたら、今までみたいに来られなくなっちゃうと思うんだよね」
すると両親の箸を持つ手が止まる。
「そうよねぇ。うちのバイト代だけじゃあねぇ」
「もう、まるっきり来られなくなるって事かい?」
父親も予想以上に寂しそうな顔を見せる。私の返事を待たずに、母親が言った。
「やりたい仕事があるの?」
「・・・別にそういう訳じゃ。ただ、そういつまでもフラフラしてはいられないなと思って」
「生活の心配してるんだったら・・・結婚とか、そういう事考えてみるのもいいんじゃない?」
「またぁ。そういう事言ったら、喜美ちゃんここに居づらくなっちゃうだろ?」
父親がブレーキを掛けるも、効かない。
「拓とはそういう風に考えられないって言うなら、お兄ちゃんと会ってみてよ。35で・・・ちょっと頑固なところもあるけど、悪い子じゃないから・・・」
変な方向に話が進んでいくのを恐れて、私は落ち着かなくなる。
「何、急に言い出すの?」
拓磨も驚いている。
「だって・・・」
「急にそんな話したら、喜美ちゃんだって拓だって、びっくりするに決まってんだろ」
父親にもそう言われ、母の声が大きくなる。
「だって、丁度その話が出たから良い機会でしょ?」
そこへ、タイミングを計った様に、店の戸がガラガラッと開く。そこへ姿を現したのは、拓磨と同様に長身の男だ。
「兄貴?!」
「おう、お前も来てたの?今日、店終わる頃来てってお袋に言われてさ」
皆の視線が母親に注がれる。
「今日喜美ちゃん来る日だったから・・・」
聞き慣れない名前と私の顔を照合する兄が、ぶっきらぼうに挨拶をする。
「どうも」
「はじめまして、磯山です。こちらのお店で最近お世話になってます」
私は椅子から立ち上がってお辞儀をすると、拓磨が付け足した。
「俺の大学ん時の友達」
「あぁ、そうなんだ」
「あんたも、ここ座んなさいよ」
そう言って母親が、自分と私の間に椅子を準備する。
「慶磨、自己紹介しなさいよ」
「え?俺?ちょっと、まずビール貰ってもいい?」
そう言って、コップを取りに立ち上がる。瓶ビールの残りが少ないのを確認すると、母親が私に言った。
「喜美ちゃん、ビールもう一本出してきてもらえる?」
当然の流れとも言うべきか、栓の抜いたビールを持って来た私が慶磨のグラスにお酌する事となる。その様子を皆が見守る変な雰囲気だ。
「慶磨です。弟がいつもお世話になってます」
それ以上の会話が続かず、母親が紹介を足す。
「拓より6つ上だから、今35なのよ。一日中パソコン相手の仕事してるからぶっきらぼうでねぇ、全くぅ」
確かに客商売をしている夫婦から生まれたとは思えない、ちょっと毛色が違う雰囲気を醸し出している。
「確かに・・・拓磨さんとも・・・感じが違いますね」
『拓磨さん』なんて呼び方、変な感じがする。
「兄貴はプログラマーだから、頭脳派なんだよね」
拓磨の説明に私が頷くと、慶磨が喋る。
「俺は営業とか接客とか向いてないから。だから、申し訳ないけど、この店も継げないって言ったんだ」
確かに本人の言う通り、客商売には向いていないと思う。
「何?お前ら結婚でもして、ここ継ぐって話?」
「いや・・・」
真っ先にそう返事をしたのは拓磨だった。
「違うの?今日その話で、俺呼ばれたのかと思った」
すると呼び出した張本人の母親が口を開く。
「別に喜美ちゃんと拓は付き合ってるって訳じゃないんだって。ここんとこ毎週土日 欠かさずにお手伝いに来てくれてる喜美ちゃん、紹介しておこうかなと思ってね」
「あ~、そういう事?な~んだ。俺てっきり拓が結婚するって話かと思った」
「拓よりあんたでしょ?もう35なんだし」
その台詞にふと私は蒼太を思い出してしまう。30代半ばで独身、更にはその気配も無いとなれば、そろそろ親が本気で心配し始める。今の時代、30代半ばの未婚男子なんて そう珍しくもないが、親の世代は違う。きっと蒼太の両親もこんな気持ちだったのだろう。2年前に別れた後も私が同じ職場に居たりしたから、蒼太の婚期を遅らせてしまったのだろう。やっぱりもっと早く辞めておけば良かったのだ。数か月前よりも、申し訳なさが増してくる。
「俺が焦ってないんだから、お袋が焦ったってしょうがないだろ?」
「あんたが焦ってくれないから、私が余計に焦るんじゃないの!」
「結婚が全て良い訳じゃないでしょ。俺今自由だし、充実してるし、結婚とかパートナーとか必要としてないっていうかさ」
「そんな事言ったって、50や60になってから子供生まれたら大変なのよ」
「じゃあ50、60で結婚したくなったら、若い嫁貰って金残しておくよ」
「全くぅ!」
テーブルの上のおしぼりを、母親は慶磨の前にバンッと音を立てて乱暴に置いた。そのやり取りに、私は思わず笑ってしまう。こんな雰囲気の中、他人の自分が笑ったりして場の空気を壊してしまってはいけないと必死で堪えていたのだが、耐えきれず吹き出してしまったのだ。一瞬、皆の視線が集まるのを感じたが、次の瞬間 拓磨もそれに乗っかった。笑っている二人に、母親も力が抜ける。
「もう、何か馬鹿馬鹿しくなっちゃった!」
「だろ?」
また慶磨がそう言うから、母が癪に障る顔をする。
「あんたが言うんじゃない!」
ようやく和やかな家族団らんの席に戻った。




