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チャプター 08:「安堵」

 レース終了後、配当を受け取った三人は、行きつけの高級料理店で恒例の宴会を催して

いた。高級料理とは言っても、完璧なテーブルマナーや、相応の服を要求されるような店

ではなく、ラフな身なりでも入店できる、カジュアルな店だった。

 凛達三人は、育ちが良い事もあり、マナーに関しては全く問題が無い。コース料理を提

供する料理店も選択候補に入るのだが、凛が窮屈な格好を嫌い、味だけは一級の、この料

理店を選んでいるのである。

 凛達がついているテーブルには、しゃぶしゃぶの高級コースが三人前並べられていた。

「しっかしねえ…………無事に勝ってくれて良かったわ」

 コップに注がれた麦茶を飲み干しながら、光がしみじみと言った。声色から、本心から

そう口にしているとわかる。

 しかし、友人の一言に百合が顔をしかめる。

「なんだ…………やっぱり心配だったのか。人を散々煽っておいて」

 百合の尤もな指摘に、光は顔を引き攣らせ、防御姿勢を取った。

「い、いやいやいや! 勿論、百合の腕は信頼してるよ? でも、ホラ。レースになると、

何が起こるか判らないし」

「まあ、それはそうだが」

 辛うじて誤魔化す事に成功した光を眺めながら、凛は皿から摘んだ大きな牛肉を鍋に入

れ、ゆっくりと泳がせる。

 そして、油が飛ばないよう、丁度良いタイミングで肉を上げると、手元のタレに肉を浸

し、口いっぱいに頬張る。

「んーほいいい」

 柔らかなしゃぶしゃぶ肉に満足し、満面の笑みで声を上げた凛に、話していた他の二人

も頬を緩めた。

「アンタってさ。本当にいつも、おいしそうに食べるよね」

 光の意見に、今日の勝利者である百合も同意した。

「それが凛の良い所だ。常日頃から会社組織のドロドロを見ている人間からすれば、凛の

純真さには、心が洗われるようだな」

「うわー、やっぱり。アンタの会社…………アトラス社ってそういうの多いの? 百合は、

あんまり地位に拘らないタイプだと思ってたけど」

 光から質問を受けた百合は、手元の焼酎を一口あおり、苦味を帯びた笑みを作った。

「私が、というわけではないさ。アトラス社のような大企業ともなれば、事業内容も様々

だからな。アトラス住民達の生命を護る仕事に貴賎はない…………と、私は思うんだが。

やはり、幹部になると所得が段違いに増えてくるからな。その分、裁量も、責任も大きく

なるが」

「まあ、そうね…………」

 経営者として共感できる部分があるのか、光はしみじみと頷いた。

 尚もしゃぶしゃぶ肉に夢中の凛に微笑を向けながら、百合は続ける。

「正直、今は普通の平社員に戻りたいよ。課長なんかになっていなければ、光や百合と、

もっと出かけられるのにな。一般社員でも、アトラスの給料なら、クルマで遊ぶ事くらい

はできる。その上、課長の椅子を狙ってくる奴やら、妬みからか嫌がらせを仕掛けてくる

奴まで居る」

 百合は息継ぎついでに、グラスに残った酒を飲み干し、空の器を静かに置いた。

「後者は別として、だ。私個人としては、上を目指す向上心のある人間こそ、幹部職にふ

さわしいと考えているんだが。コレが中々、上の人間に話が通らない」

 百合の吐露に、光は苦笑した。

「アンタの上司、見る目があるじゃない。野心家は組織の代謝を促進できるけど、変わる

事で安定性は損なわれる。でも、百合の話を聞く限り、アンタは日々の仕事を淡々とこな

しているみたいだし。ええっと………………リサイクルプラントだったわよね? その施

設の管理は、百合が適任だって思ってるからじゃないの?」

 喫茶店チェーンのオーナーらしい鋭い指摘に、百合は感心した様子で頷き、黙考する。

 しかし、結局答えが出なかったのか、落としていた視線を光へ向けた。

「やはり、ままならないものだな。私より課長にふさわしい人間は居る筈なんだが」

 苦笑する百合に、光も同じような表情で頬杖をついた。

「そういうもんなのよ。長い付き合い、とは言えないけど、今まで私が見てきた限りでは、

百合は要領も良いし、判断力も高いと思う。だから、人材と計画を管理するのは適任なん

じゃないかな?」

「そう言ってくれるのは嬉しいんだが、な。私はそこまで有能ではないよ。どうしても仕

事に向いていない作業員をクビにしたことも、有能な部下に無理をさせる事もある」

 自分の能力に納得できていないのか、百合は自信のない様子で呟いた。

 その様に、光は穏やかに笑い、目を細めた。

「だから。そういう所が評価されてるんだよ。私だって同じような経験はあるから………

…でも、そうしなければ他の従業員も店も護れない。慈善事業でやってるわけじゃないん

だから」

 光の言葉に、百合はただ、黙って首肯した。

「例えば、うちの本店に居るハルカって知ってる?」

「ああ。あの、ふわふわした子だろう。少し、凛に似てる」

 百合の評価が妥当だと判断したのか、光は吹き出して笑い始める。

 そして、息が落ち着くと続きを話し始めた。

「あの子ってあんな雰囲気だけど、計算をさせたら凄いのよ? 実際に、あの子が店長に

なってから、店の収支比率はチェーンの三店舗で一番。凛が常連である事を差し引いても

凄い事よ。だから、今は店の仕事はほぼ丸投げしちゃってるわ。ハルカが算盤弾いてる方

が、儲かるんだからね」

「そうなのか…………凄いな」

「それに、さ。あたしがやってる店なんてたかが知れてる規模だけど、百合がやってるの

はアトラスの住民全員に影響する施設の管理なんだよ? 実績もない人間に任せるなんて、

できるわけがないじゃないの」

 尚も励ましてくれる光に、百合は漸く納得した様子になる。

「そう、だな。アルコールのせいか、少し弱気になっていたのかもしれない」

「そうそう! 今日は大勝したんだし、肉もこんなに沢山…………って、何コレ?!」

 光がテーブルを見渡すと、そこには空になった銀の皿が置かれているのみ。美しい牛肉

は、全て平らげられていた。

 無論、犯人は凛である。

「ちょ、ちょっとアンタ?! いくらなんでも遠慮しなさいよ! 稼げたからって、お肉

が無ければ食べようがないじゃないの!」

 凛が、光に叱責されているのが自分だと気づいたのは、それから三秒後の事だった。最

後に湯通しした肉を頬張り、声を出す。

「あいよおふ。あい――」

 発音をコントロールする舌が食事に使われている為に、凛の発した言葉は意味不明なも

のになっていた。間髪入れず光にはたかれ、口を止める。

 無論、肉の租借は続けたまま。

「ほんっとうにアンタは! 黙って食事してればお上品なのに。口にモノを入れたまま喋

らないの!」

 素直に頷いた凛は、ゆっくりと肉を嚥下し、静かに息を吸う。

「…………大丈夫だよ。入る時に店員さんに確認しておいたから。今日は、あと十皿くら

いなら提供できるって」

 凛の物言いに、光は目を細め、訝しげな様子で凛を睨んだ。

「そういうところは抜け目ないわね、凛は………………た、だ、し!」

 光が身を乗り出すと、凛の鼻先へ指を突きつける。突然の行動だが、凛は動じた様子も

なく、緊張感のない表情で光を見つめ返していた。

「このお肉、一皿で十五万するのよ? 幾らレースで勝ったからって、そんなに食べられ

るものじゃないんだから!」

 凛の胃袋へしまい込まれてしまった牛肉は、年間生産数が数十キロの高級肉である。オ

ッズが三倍まで伸び、光は四十万円以上の配当を手にしていたが、値段が値段だけに、何

杯も食べられるものではない。

 しかし、何故怒っているのかわからなかった凛は、口を尖らせて抗議した。

「そんなに怒らなくてもいいのに…………だって、まだいっぱいあるんだよ?」

 的外れ、とでも言わんばかりの光は、眉間にしわを寄せ、額に手を当てた。

「そうだけど! 今日のアンタの勝ち分で払い切れるの?!」

「うん」

 即答する凛に、光が顔を引き攣らせる。

「凛。今日、いくら賭けた?」

「ええっと………………幾らだっけ」

 箸を置き、鞄からカードを取り出した凛は、自分のタブレットに備えられたリーダーへ

そのカードをかざす。

 そして、表示された数字を読み取った凛が、光と百合を交互に見た。

「えっとね。払い戻しが百三十五万円だから、多分、五十万円かな」

「な………………なんですって?!」

 光は、あまりの衝撃に椅子ごとひっくり返りかける。平時にはポーカーフェイスの百合

ですら、目を見開き、呼吸が震えている。

 しかし、自分達を訝しげに見る凛の姿に、二人は深いため息と共に気を落ち着けた。

「…………そうよね。凛はそういう子だったわ。涼しい顔して、とんでもない爆弾発言を

してくるんだから」

「ああ、全くだな…………それならば、肉を追加しようか」

 肯定の意を表した光が、呼び鈴を使って店員を呼び、追加で三人前の肉を注文する。

「それじゃあ改めて。頂きましょうか」

 頷いた百合と共に、皿を手元へ引き寄せ、護るように食事を始める。凛は四皿目へ手を

つけ始めており、自分に割り当てられた肉に夢中だった。

 暫し、静かな食事が行われ、先に平らげた凛が、二人の食事の様子を眺める。それを、

自分の肉を狙っているのではないかと感じた光が、手を使って皿をガードした。

「ふう。ごちそうさま」

 食事を終えると、頃合いを見計らった店員が飲み物のサービスを持ってきた。

 冷えた麦茶を受け取り、店員が個室の引き戸を閉めると、三人は背もたれへもたれかか

り、深く息を吐いた。

「…………そういえば、百合は明日、休み?」

 同じように腰掛けていた百合は、静かに肯定した。

「ああ。幸いにな」

「それなら、明日の昼に、外界へ出てみない? 久しぶりに、宝探し(サルベージ)でもし

ようよ。私のクルマは、当分慣らさないとエンジンが回せないから」

 光の提案に、百合は納得した様子で首肯した。そして、背もたれから背中を離し、テー

ブルへ手を載せる。

「そうだな。何か面白いものがあるかもしれない。やっぱり今回も、クルマ屋跡を巡る予

定なのか?」

 この質問が出るのには理由があった。エンジン車を好む三人は、有効なパーツデータや

書籍を求め、あらゆる自動車関連施設を漁っていた為である。

 しかし、百合の問いに光は首を横に振る。

「今回は、もっと遠くに…………北のほうに行ってみようと思うの。噂では、現存する鉄

橋があるらしいから。川を渡って、未開の場所を探検してみようかなって」

 二人で相談する様子を、凛は不満げな表情で眺めていた。

「私も行きたい」

 不満を洩らした凛に、光は悪戯を成功させた少女のように笑って見せた。

「はいはい。アンタは最初から数に入ってるよ」


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