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チャプター 06:「777(スリーセブン)」

 生暖かな風と、それに乗る、アスファルトの冷えて行く匂い。

 午後七時を回った頃、凛達三人は定期開催されるストリートレースの会場へやってきて

いた。

「うん。今日も賑やかだね」

 クルマから降り、ディーラーの元へ集まる参加者達を見ながら、凛は楽しそうに呟いた。

「さて…………今日も儲けちゃおうかな!」

 揚々とクルマから降りたのは光。そして、凛と光の間に駐車した百合は、湿った風が鬱

陶しいのか、ドアを閉めると、ため息と共に髪をかきあげた。

 三人がオッズの表示される電光掲示板へ近づいてゆくと、集まっていた参加者達の視線

が集まる。

「おい、777(スリーセブン)が来てるぞ」

「今日はここなのか…………俺、今日は止めとこうかな」

 凛達に向けられたのは、期待と畏怖の声。そしてそれがいつもの事なのか、気にした様

子もなくディーラーへ近づいてゆく。

 月明かりと星の光だけが頼りの外界だが、レースが行われる場所だけは煌々と明かりが

煌めき、アトラス内の繁華街と変わらないような明るさだった。

 光が歩を止めた場所は、レース賭博を管理するディーラーの目の前だった。ディーラー

は古めかしいデザインのサングラス掛け、黒いドレッドヘアの男。

 凛達の姿を認めたディーラーの男は、困った様子で笑う。

「おいおい……俺の所に来たのかよ。今日はベットだけにしてくれねえか? アンタ達が

出ると賭けにならねえんだよ。まあ…………参加者が増えるのは嬉しいけどよ」

 ふてぶてしい男の態度に、光は腕を組み、不敵に笑ってみせる。

「何言ってるのよ。レースは出るから楽しいんじゃないの。勿論出るつもりだけど………

…今日は、面白そうな奴来てる?」

 諦めた様子で、その日のレースにエントリーされている人間のリストを渡すディーラー。

光はそれを受け取ると、目を細め、内容を流し読みする。

「ふうん…………ああ、どうしようかな」

 その内容に、光は落胆した様子で呟いた。後に立っていた凛がそれを覗き込むと、羅列

された情報に納得した様子で苦笑した。

 毎週、決まった場所で同時開催される、夜のレースイベント。

 レギュレーションが存在しないストリートレースではあるが、ギャンブルのスリルを味

わえるよう、各参加者には格付けなるものが存在する。Bクラス、Aクラス、Sクラスの

順に格付けされ、レースは基本的に同ランクの者としか行う事ができない。個々人のクラ

スはレース場によって別々に決められているが、クルマのスペックやオペレーターの実力

によって、どの場所でもほぼ同じになっていた。

 そして、凛と光は当然のようにSクラスに居た。外界に存在するレーサーの中でも特に

実力が高く、内燃機関(ロータリー)車を操る事から、三人は有名人だった。

「私はまだ慣らしが十分じゃないから…………凛。アンタ、走る?」

 つまらない、と言った様子の光に話を振られた凛は、苦笑しながら首を振った。

「ううん。私も、いいかな」

 二人が不参加を表明した事で、ディーラーの男はほっとした様子だった。凛や光のクル

マとまともに戦える人間は五指に満たない。そしてその夜は、彼女らに比肩しうるレーサ

ーは一人も参加していなかった。

 光が参加者を見回しながら口を尖らせる。

「あーあ。今日は他所にすれば良かったかな」

 テンションの低い光を他所に、凛は黙ったまま事を観察する百合へ目を向けた。視線に

気がついた百合が、凛を見つめ返す。

「ねえ、百合。今日、さ」

 凛の穏やかな表情に、百合は表情を硬直させる。

 百合には、凛の口にする台詞を直感しているようだった。

「レースに出ない?」

 百合はぎょっとした様子で口を開ける。

「い、いや…………私は」

 百合は、断る口実を考えているそぶりを見せる。それもその筈で、777の中で彼女だ

けが唯一、レースを好まなかった為だ。ロータリーエンジンを好む、同好の志と思われが

ちな三人だが、そのベクトルは三者三様である。

 大鑑巨砲主義的なハイパワー車を好む光に対して、百合はスタビリティを重視する傾向

にある。愛車のFCは、三人のクルマの中で最低出力。

 百合はクルマを気持ちよくドライブするためにチューニングを施すドライバーだった。

 そのため、他者とバトルすることにあまり乗り気ではなく、三人の中で最も対戦経験が

少ない。

 そして、エントリーシートに自分と同じAクラスの対戦相手がいないことに気がついた

百合は、なるべく気まずい雰囲気を出しつつ、期待の視線を向ける凛へ視線を合わせた。

「ああ。まあ、たまには出てみても良いとは思う。だが、今日は生憎、Aクラスの参加者

が他に居ないようなんでな」

 難を逃れられたと安堵する百合だが、凛は、それを待っていたかのようにいやらしく笑

った。

「別に良いと思うよ。百合なら、もうSクラスの相手でも勝てると思う」

「なっ…………何?!」

 驚く百合を他所に、凛はディーラーの男へ近づいた。

「ねえねえ。Aクラスのドライバーを、Sクラスに参加させてくれない?」

 また、妙なことを言い出したとでも言いたげなディーラーの男は、自分のドレッドヘア

ーを撫でると、大きくため息をついた。

「あのな。規定タイムとクルマの馬力をSクラスに合わせてくれなきゃ、参加できない事

くらい知ってるだろ? 無茶言わんでくれよ」

 凛は、男の言い分に得意げに胸を張る。

「以前に、百合の参加したバトルのタイムって残ってる?」

「そりゃ、ログは全部――」

 慣れた手つきで端末を操作していた男は、目の当たりにした数字に目を瞠った。

「お、おいおい。こんなクルマで、こんなに速く走れるわけがねえ! 申告した馬力、間

違ってるんじゃねえのか?!」

 男が驚く百合のタイムは、Sクラスの平均に匹敵する数値だった。一般的な電気自動車

でも出す事が難しいタイム。百合は百馬力以上の差を埋めていたのである。

「こんなクルマとは。随分と礼を欠く言いようだな」

 ディーラーの男に食いついたのは、自分のクルマを馬鹿にされた百合だった。その様に、

凛はしめしめと言った様子で笑む。

「私のクルマの馬力は、二百六十三馬力から変わっていない。しかし」

 百合の冷たい視線がディーラーの男を射抜いた。

「エンジンパワーが速さの指標だと思っているのなら…………今日はその認識を叩き壊し

てやる」

「ああ、いや……だが…………」

 凛達が参加することを良く思っていないのか、ディーラーの男は、なおも食い下がる。

 あと一押しが必要だと感じた凛は、踵を返し参加者達を見回した。

「ねえ、みんな、聞いて! 今日、〝777〟の滅多に走らない子がエントリーするの!

 Aクラスの子がSクラスの相手に立ち向かう下克上バトル、見たくない?」

 凛の一言に、初めこそ反応は薄かったものの、その意味を理解した者たちが興奮し始め、

会場は一層騒がしさを増した。

 場の空気が塗り変わったことで、ディーラーの男は肩をすくめた。

「わかった…………わかったよ! Aクラスドライバーの参加を認める!」

 胴元が認めたことで、一層強い歓声が沸き起こった。

 凛が不敵に笑むと、まんまと乗せられてしまったことに気がついた百合は肩をすくめ顔

をしかめた。

「…………やられたわ。ディーラーがあんな言い方をしなければ!」

 うそぶく百合に、凛は得意気に笑った。

「ふふん。たまには、百合もレースした方がいいと思ったから。沢山競争してるとね? 

クルマの新しい発見があるの。凄く楽しいよ」

「そうそう! それじゃあ…………あたし達はいつもの所に行ってるから。レースが終わ

ったら、今日はしゃぶしゃぶでも食べに行きましょう!」

 すでに勝つこと前提で話を進めている光に、百合は肩を竦めた。

「勝てるかどうかわからないのに、お前はいつも強気だな」

 百合の一言に、光は目を吊り上げる。

「はあ?! 勝てるように頑張りなさいよ! あたしは当然アンタに賭けるんだから! 

ねえ、凛。アンタも何か言ってやりなさいよ!」

 怒る光をよそに、凛は親指を立て、ウインクしてみせた。

「楽しく、ね? いつも通りの百合なら、今日の相手くらい目じゃないよ」

「…………あんだあ? 舐めてるのか、クソアマ共!?」

 突然浴びせ掛けられた怒声に、三人は男の声がした背後へ視線を向ける。

 そこには、金髪のロングヘアを左右に分けた男が立っていた。

 顔つきから、年齢は二十代後半から三十代前半。派手好きなのか、胸元には無数のアク

セサリーがぶら下がり、襟口の大きく開いたアロハシャツを着ていた。

 そして、男が誰なのか理解した光が大げさにため息をついてみせた。

「ああ。なんだ、子守(こもり)か。アンタ、今日も出てるわけ? あたしらに散々やられ

て、懲りないもんね」

 光に挑発的な言葉を浴びせられた男は、額の血管を浮き立たせる。

「ふざけるな! 毎度毎度、運だけで勝ってる様な連中が調子に乗ってんじゃねえぞ! 

ああ、いや…………」

 何か思いついたらしい子守が、気味の悪い笑みを浮かべた。

「そんなに自信があるならよお。俺とお前らで、賭けをしないか?」

「へえ。どんな?」

 売り言葉に買い言葉。光は即座に受けて立った。

「勝ったほうが、負けた方の言う事を何でも聞く。一つだけだ」

 その提案に、光は大げさに歯を剥いて笑う。

「面白そうじゃないの。いいわ、受けて立つ! アンタが負ければあたしが、あたしが負

ければアンタが、ね?」

 子守が頷いた。

「ああ、そうだ。ヒヒヒッ…………それじゃあ、のんびり走りながらお前に何をさせよう

か考える事にするぜ?」

「そうね。楽しみにしてるわ。あんたに何をさせるのか」

 言い終わると、子守は自分のクルマへ向かっていった。

 光の視線が、百合へ向く。

「それじゃ、頼むわね」

「光…………なんて約束を」

 光の暴走に、百合は呆れ果てている様子だった。

 しかし、光は腰に手を当て、胸を張る。

「大丈夫よ。凛が大丈夫と言うならね。百合は普通に走っていれば負けやしないわ」

 もはや反論が無意味だと知っているのか、百合は自分のクルマへ向かって歩き出す。

 しかし百合がいなくなると、光の自信を持ったオーラがあっという間に霧散した。

「ね、ねえ、凛? 本当に、大丈夫、かな?」

 凛は穏やかに笑う。

「大丈夫。百合は、百合が思ってるより遥かに上手なんだから」


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