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チャプター 02:「ガーデン」

 アトラスに存在する、とある居住区。

 富裕層が多く住むその区画の中で、通常の手段では入る事のできない特殊なフロアに凛

は住んでいた。

 朝日から注ぐ白い光が、カーテンの隙間から室内に差し込む。明かりの消された薄暗い

部屋は広く、無機質な雰囲気も手伝って、季節を感じられないような肌寒さを感じる空間

だった。

「うう…………ん………………」

 かすれ声を上げながら、凛は薄い掛け布団の中で身をよじる。外界から空間的に切り離

され、施設内の温度管理も行われているアトラスではあるが、取り入れられた太陽光の強

さによって四季の温度変化が存在する。

 身体を包む布団の薄さもあってか、凛のシルエットは挑発的で、垣間見える凛の肢体は

艶めかしい。

 何度も寝返りをうった後、自分が横になっている右脇を手で探ると、何かに気がつき、

目を薄く見開いた。

「あれ…………厳島(いつくしま)? どこ…………」

 名前を呼ぶが返事はなかった。室内を満たしている空気に流れもなく、人の気配もない。

 凛は仰向けになり、一度大きく背伸びをすると、ゆっくりと身体を起こし、カーペット

の床へ降りる。

 寝間着どころか下着すら身につけていない凛だが、恥らう様子はない。一糸纏わぬ姿で

立ち上がると、部屋の扉へ向けて歩き出した。

「うわ…………まぶしい」

 扉を開け広い廊下へ出ると、天窓から煌々と降り注ぐ太陽光に目を細める。そして、ア

トラスの町並みを見下ろせるバルコニーを一瞥した後、凛は目当ての人間を探して再度歩

き始めた。

 しかし、探すとは言っても彼女の足取りに迷いはなかった。階段を降り、吹き抜けのリ

ビングを通り過ぎると、ダイニングへ続く廊下を進んで行く。

 そして、すりガラスの嵌め込まれた扉を開けると、室内にスーツを着た男を見つけた。

 凛と目があった男は直ぐに立ち上がり、恭しく頭を垂れた。

「おはようございます、お嬢様」

「うん。おはよう、厳島」

 全裸の凛に全く動じた様子のない厳島が、凛の入室後、用意されていたバスローブを差

し出す。

「これを。服は直ぐに持って来させます」

「ありがとう」

 傅かれる事には慣れているのか、凛は当たり前のように差し出されたローブを羽織り、

厳島の引いたダイニングチェアへ腰を下ろす。

 そして、対面に腰掛けた厳島へ視線を向けた。

「もう。一人で起きないでって何度も言ってるのに」

 口を尖らせて拗ねる凛に、厳島は表情筋を微塵も動かさず座ったまま小さく頭を下げた。

「申し訳ございません。お嬢様が心地よくお休みになられている所を、私などがお邪魔す

るわけには」

「そういのはいいの。朝起きて、セックスの相手が居なくなっちゃってたら、心細くなる

んだから。愛されてないのかな、って」

 「申し訳ございません」と再度頭を下げる厳島に、凛は拗ねながら深呼吸をする。

 厳島が先に起きる理由を良く知っているだけに、凛は強く言えず、苦笑しながら許す素

振りを見せた。

「…………では、お嬢様。定例の、御報告を」

「うん。始めて」

 整理されていた二束の書類のうち、一方を凛の前へ差し出す。手元へやってきた書類の

幾つかを流し読みした後、厳島へ視線を返す。

「では、先ず始めにアトラス社の運営状況から。一ページ目をご覧下さい」

「うん」

 凛が目を落とした書類には、幾つかのグラフや数字の羅列が印刷されていた。その意味

を理解しているのか、凛は目を薄く開けたまま、小さく頷く。

「第五十一期が始まり、既に半年以上が経過しておりますが、経営は順調に黒字を計上し

ております。循環プラント、発電設備、公共交通機関、アトラス外装の修繕。全て、極め

て安定的に進められております」

「そのようね。続けて」

「また、民間の商業、工業もようやくバランスを取り戻し始めています。今期の初め、サ

ービス業の開業、営業が人工比率に対して過大の状態でしたが、製造業への開業支援が効

果を表し、電子製品などの供給が安定し始めています」

 凛が笑みを浮かべ頷き、納得した様子で口を開いた。

「なるほどね。最近やっとタブレットコンピュータの数が増えてきたのは、そういう事だ

ったのね」

 厳島が頷き、続けた。

「はい。基本的な技術支援はもとより、製品開発に必要な雛型を多数提供した事が増加の

要因かと」

「設計図さえあれば、全自動工作工房(ファクトリー)で誰でも作れるんだけどね…………

その設計をする技術が中々習得できないものね。既存製品の権利を買うだけでも、何億円

と掛かっちゃうし」

 「その通りです」と続け、厳島はほぼ全てのページを飛ばしてめくると、最後の一枚を

取り、凛を見た。

 目が合った凛は、既に同じ書類を手に取り、厳島を見つめ返している。

 凛が自分の意図を汲み取っていると判断したのか、厳島は静かに息を吸った。

「続きまして。ガーデン(・・・・)の活動状況を御報告します」

 首肯する凛に促され、厳島は続けた。

「今月、老朽化したガーデン構成員の装備を一新致しました。精鋭部隊には、改修された

短機関銃や突撃銃、各ケースに対応可能な装備を調達しました。また、一般構成員の火器

も新調しております。より制圧力の高い拳銃と、防刃繊維を織り込んだベストを調達致し

ました」

 凛が関心した様子で頷いた。

「アレ、ね。滅多に動かさないとはいえ、いざと言う時の実行力に不備があっては大変だ

わ。この判断はとても良いと思う。それに、アトラスが徴収した居住料を市場に戻す意図

もあるんでしょ? 流石ね」

 「恐縮です」と口にした厳島は、表情を変えないながら、僅かに照れている様子だった。

 それに感づいた凛が、イヤラシイ笑みで見つめると、厳島困った様子で眉間にシワを寄

せた。

「お嬢様の仰る通り、デフレーションの兆候が見られましたので、小額ではありますが、

注入の必要があると判断しました」

「うん。あとは?」

 書類に書かれている項目を指でなぞりながら、凛は続きを促した。

「…………夏季に入り、活発化していた薬物の売人を数名処分しております。どうやら、

特別生産プラントで、コカインを密造していたようです」

「へえ…………特別生産プラントはIDによって入場制限がある筈よね?」

 凛の質問に首肯しつつ、厳島は続ける。

「現在調査中ですが…………医療用に生産しているコカの取れ高を偽り、不足分を増産す

る形で差分を懐に入れていた可能性が最も高いかと思います。

 しかし欲が出たのか、数十キロ単位で誤差が出始めた為、不審に思ったガーデンの監視

員が調査し、判明致しました」

 ぼんやりした表情が崩れない程度に、凛は驚いて見せた。

「数十キロと言えば…………全体の10%を超えるわよね? 随分と大胆な事」

「はい。流通ルートも同時に抑え、ほぼ全ての販路を消しました」

 厳島の言い回しに、凛は初めて目を見開き、本心から驚いた。

「珍しいわね。貴方が曖昧な言い方をするなんて。今回の報告だって、現在進行形の問題

よね? いつもならば、全て終わってから綺麗に纏めて見せてくれるのに。このレポート

も、情報が断片的で要領を得ない部分があるわ」

 凛から視線を外し、視線を落として思案する素振りを見せた厳島は、数瞬黙考した後、

静かに息を吸う。

「大変、申し上げにくいのですが。情報のもみ消し方が、素人のそれではないのです。も

しもプラント労働者だけならば、我が諜報部もここまで苦労しません。これは――」

「ガーデンにも協力者が居る。もしくは、これの首魁」

「はい」

 凛は厳島から机に視線を落とし、大きくため息をついた。

 そして、凛の薄く見開いた瞳に冷気をたてそうな程の冷たさが浮かぶ。

「…………徹底的に、厳しく処分して頂戴。薬物の氾濫はいとも容易く統治の破滅を呼ぶ。

もしもお父様の代から仕えてくれている人間でも、これだけは許せないわ」

 厳しい視線で凛を見返していた厳島も、動揺した様子で視線を落とすと、深く深呼吸し、

もう一度凛を見る。

「私も、同じ気持ちです。先代…………(りょう)様は心を砕いてアトラスを御護りして

いらっしゃいました。これは、秩序を護る我々ガーデンの構成員にあるまじき行為。今回

は、私も覚悟を決めております」

 「そのように」、と一言呟いた凛は、頬杖をついて落ち込んだ。

 幼少時から親しみ、育ってきた組織の内部に、裏切り行為を働く人間が居る。彼女には

それだけで辛く、心苦しかった。

 凛の気分が悪い事にばつの悪さを感じているのか視線を泳がせた厳島だが、もう一度深

呼吸すると、ゆっくり口を開いた。

「もう一つ御報告がございます………………現在、医療用の冷凍バンクに保存されている

臓器について、です」

「うん。続けて」

 厳島と目を合わせようとしない凛に、厳島は落ち着いて続ける。

「臓器の登録される量が、妙に増えてきております。事故や重病で死亡した人間から提供

される量よりも多いのです」

「…………それは、処分した人間(・・・・・・)の分が増えてるんじゃないの?」

「それらも含めておりますが、全ての計算結果が、偽装されているようなのです。また、

今期に入り、外界(アウター)へ出た人間の行方不明者が続出しております。外界へ出た住

民がどのような事故に遭おうとも自己責任ではありますが…………この二つの要素は、関

わっている可能性があるかと」

 ぼんやりと聞いていた凛だが、頭を小さく動かし、何度も頷いた。

「そう、ね。コカインは局部麻酔にも使うし。併せて、しっかり調査をお願いね」

「かしこまりました」

 話が終わると、凛は直ぐに立ち上がり、羽織っていたローブを脱ぎ捨てる。

 そして、機を見計らったかのように扉を開けて入出してきたメイドと目を合わせる。

「お嬢様。いつものお召し物で宜しいでしょうか」

「うん、ありがとう」

 メイドが両手に抱く下着やジーンズパンツを素早く身につけた凛は、気持ちを切り替え、

微笑を浮かべた。

 扉に近づき、キーリングから鍵の束を掴んだ凛は、その下に置かれた肩掛け鞄を手に取

りながら、厳島へ振り返る。

「それじゃあ、いつもの所に行ってくるわ」

 厳島は落ち着いた表情を崩さず、立ち上がり凛へ頭を垂れる。

「はい、行ってらっしゃいませ」

 厳島に送り出され、凛は玄関代わりに設置されたエレベーターへと歩き始めた。


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