チャプター 21:「帰還」
時刻、十七時三十分。
強烈な日差しがようやく収まり掛けた頃、光達三人は輸送機に乗りアトラスへの帰路に
就いていた。軍用機でありながらコクピットや客員室の静音性は民間機並であり、低いエ
ンジン音が聞こえるものの、機内での会話は不可能ではない。
「ううん……むう…………」
ぼんやりと窓の外を眺めていた光は、旅行の企画者である凜の寝言を聞くと、優しくは
にかんで見せた。視線を移した先の百合も、同じように光を見つめ返し、苦笑する。
その後、百合と数瞬見つめ合った光は、気持ちを吐くように口を開いた。
「ホント、さ。今でも…………信じられないよ。長い夢を見てたみたい」
思いは同じなのか、百合は噛みしめるように黙って首肯する。
「あの遺跡で紙を見つけた時は、自分でも抑えきれないくらい見てみたい気持ちがあった
のよ。でも…………ね。アトラスに帰って、自分の部屋でそれを見てみたら、あまりにも
現実離れしてて絶対無理だと思った。だって、何百万人も居るアトラスの住人は、その一
パーセントも外に出たことが無いんだよ? 精々数千。全部の世代を合わせても、五万人
にも満たない人間しか、外の世界を知らないの」
「…………そうだろうな。囲まれた世界とはいえ、アトラスの浮遊島そのものは本当に大
きい。その浮遊島がいくつものセクションに分かれて経済活動を行っているんだ。食べ物
も、日用品も、娯楽品や趣向品も。欲しいものは殆どが手に入る。わざわざ外に出るよう
な奴は、無法地帯のスリルを味わいたい、命知らずばかりさ」
自身が、その"命知らず"である事を自嘲するかのように、百合は苦笑混じりに話す。
光も、苦笑いとともに何度も頷いた。
「そうそう。そんな危険地帯でもなければ、クルマに乗れないんだもの。あの日、儲かる
データが無いかと工業区に行ってしまったのが運の尽きだわ」
「ほう。光は、工業区でクルマと出会ったのか」
光が苦笑混じりに頷いた。
「工業区の集会場で職員の人と話してた時に、クルマの話をしてる人たちが居たの。それ
が気になって、おっちゃんの工場を教えて貰ったのよ。そこで製造カタログを見せて貰っ
てね? 何だかそれが、私には凄く魅力的に見えた。乗り物を自分で操作するなんて、考
えたこともなかったから」
「なるほどな。それからクルマを、ね」
興味深げに頷く百合が、続きを促している事を察した光は、提供されていたアイスティ
ーを一口飲むと、静かに息を吸う。
「初めてなら電気自動車がおすすめだって言われたんだけど、他の人と一緒は絶対に嫌だ
ったの。だから、アトラスで誰も乗ってないクルマを、って言ったら、SAの図面をくれ
たのよ」
光の指が、紙コップの端についた滴に触れ、それをコップの表面で弄ぶ。
「あたしが何も知らないからって、おっちゃんがいろんな事を教えてくれたわ。初めてク
ルマを作った時は、一から十まで付き添ってくれて。完成したてのクルマでドライブした
時は…………本当に感動した。SAに乗って、どこへでも行けるんだ、って。運転は今よ
りずっと下手だったけどね」
恥ずかしさで、顔をわずかに赤らめながら話す光に、百合は優しく笑いかける。
ネガティヴな感情が一切無い、優しい笑みだった。
「そうだったのか。それなら、凜との出会いはその後なのか?」
光が首肯した。
「そう。ノーマルのままで満足できなくなった事をおっちゃんに相談したら、待ちかまえ
ていたかのように改造プランをいくつも提示してくれてわ。今思えば、そうやって利益を
上げる作戦だったんじゃないかってくらい用意が良かったわね」
「どうだろうな…………黒川さんは、単純にクルマが好きなだけだと思うが」
自分と意見が一致した光は、百合に対して頷いて見せた。
「勿論。あたしだってその頃から商売人だったし、パーツの製造にどのくらい掛かるのか
くらい知ってたわよ。おっちゃんの提示する金額から見ても、薄利でやってくれてる事は
明らかだわ。あんなボロ事務所なのに、どこからそんなお金が出ているのかしら」
光が口を閉じた直後、輸送機が僅かに揺れる。近くのハンドルを握り、その揺らぎに抗
うと、光の疑問に対して百合がレスポンスした。
「そこはうまくやってるんじゃないか? 電気自動車も含めれば、ユーザーは私達だけじ
ゃないだろうしな。殆どは電気自動車専門の業者ばかりだが、工業区画にあるのはおっち
ゃんの工場だけじゃないからな」
「それは、そうなんだけどね。ああ…………」
シートに座りながら、光は膝の上に肘をのせ、頬杖をついた。
「あたし達、こんな所までクルマの話ばっかりね。せっかく夢のリゾートに行ってきたの
に」
百合が自嘲気味に笑む。
「まあ、それが私達らしいと言えばらしいんじゃないか? 調査も少しばかり手伝っただ
けで、日程の殆どはドライブで使ってしまっただろう?」
「そうね。それと――」
口を噤んだ光の表情から何かを読みとったのか、百合は黙って光の言葉を待った。
「凜の、クルマ。本当に凄かった。百合はどうだった?」
百合からの言葉は無かった。代わりに、達観したかのような表情で静かに頷いた。
「本当にね。あれだけのクルマを、あんな上手く、豪快に、丁寧に運転するなんて、人間
業じゃないわよ。後ろから凜を追いかけるより、ずっとショックだったわ。きっと、別次
元ってああいうのを言うのね…………でも」
光が不敵に笑うと、それに合わせたように百合が同じ表情を作った。
「おかげで、今まで見えていなかったものが見え始めたわ! あたしのクルマに足りない
もの。あたしのクルマに必要ないもの。そして、あたし自身に必要なものが」
「ああ。私にも見えてきた。今まで両立が不可能だと考えていた要素が、あのクルマには
備わっていたんだ。同じロータリー車に、できない筈がない」
光は百合に頷き返すと、相変わらず寝言をつぶやきながら眠る凜の鼻先を人差し指で抑
え、その友人に聞こえないよう宣言した。
「見てなさい。これから、アンタを負かすクルマを仕上げてやるんだから!」




