チャプター 16:「デジャヴ」
『ねえ、凛? 出発する場所って、こっちで合ってるの?』
北へ伸びる幹線道路を走りながら、光が無線越しに質問を投げかける。
アトラスは洋上に建設されており、運搬船などの船舶は頻繁に運用されている。光には、
離島へ行く手段は船以外に考えられなかったのである。そのため、内陸部へ進んで行く凜
の意図を計りかねていた。
凜が光へ応答する。
「うん。もうすぐ着くから、ついてきて」
『はーいはい。こんなところから船に乗れるとは思えないけど、アンタの事を信じるわ。
川でもあるのかしら…………』
それ以降、光のぼやきは聞こえなくなる。車載のHUDコントローラを操作し、もう一度
位置を確認する。凜のFDには、アトラス社が調査用に打ち上げたGPSの受信装置が装備
されており、未踏の土地への探索では、凜のFDが先頭を走る事が常となっていた。
「あっ、この道…………」
幹線道路を降り、右折した凜は、今まで走っていた道路に既視感を覚える。
遠い記憶。断片的に覚えている、父と走った道路。
しかし、それが何なのか思い出せず、凜は悶々とした状態でクルマを走らせた。
暫く走り続けると、左手に大きな施設が見えてくる。
そこは、かつて民間旅客機が離着陸していた国際空港だった。機能停止から半世紀以上
経過しているその施設は、放棄された巨大施設特有の不気味な空気を漂わせている。
左折し、施設に近づいて行くと、無線から声が聞こえた。
『うわー…………なんか。うわー』
その声から、発信元は光であるとわかる。そして百合も、何とも形容し難いうめきを漏
らしている事から、良い感情を抱いていない事は感じ取れた。二人が嫌がる理由は、その
施設が大型、という事である。災害時、大型施設は緊急避難場所として
利用されていた事が少なくなかった。その為、半世紀前に息絶えた者達が大勢居る事も珍
しくない。
一般的な反応を示す二人に苦笑いしながら、凜は空港の建物を迂回し、直接滑走路へと
向かって行く。施設に入らない事を悟ったのか、後続の二人は安堵の溜息を漏らしいてた。
建物の脇から滑走路へ出ると、建物近くに二つの大きな飛行機が駐機されている。
かつて軍で使用されていた大型の戦略輸送機である。あまりの大きに、翼が無ければそ
れが飛行物体であるとは考えられない。
「おおー。おっきい…………」
凜が小さく呟いた。予め厳島から聞かされてはいたものの、現物を見るのは初めてだっ
た。大きな機械に興味津々になりながら、合図する厳島へ近づき、クルマを停車させる。
そして、着いてきていたクルマ二台に手を振ると、光と百合が凜のFDの隣に駐車し、ク
ルマから降りる。
自分の立っている場所へ歩いてきている二人へ踵を返し、凜は直立不動で立っている厳
島へ近づいた。
「紹介するね。今回の旅行を統括指揮してくれる、執事の厳島」
凜に紹介された厳島は、歩み寄ってきた光と百合を一瞥すると、小さく会釈する。
しかし、光は厳島の雰囲気に何かを感じたのか、ひきつった笑みを浮かべた。反応こそ
薄いものの、百合も近い感情を抱いているらしかった。厳島本人は礼儀正しく振る舞おう
としていると凜には理解できたのだが、光と百合には威圧的に映ってしまっても不思議で
はなかった。厳島の愛着である高級ブランドの黒いスーツ、縦にストライプの入ったワイ
シャツ。そして、ワインレッドのネクタイで襟元を締め、一般的に強面と形容できる厳島
は、とてもカタギの人間には見えない。
対面が上手く行かなかったために、凜は慌ててフォローを始めた。
「あ、あのね? 厳島はちょっと怖い顔かもしれないけど凄く気が利いて優しいんだよ?
だから、何かしてほしい事があったら遠慮なく言ってね?」
凜のキャラクターがそうさせるのか、場の雰囲気は一瞬で緩まる。表情の堅かった光や
百合はもとより、厳島すらも苦笑して見せた。
「まあ、アンタがそう言うなら…………よろしくお願いします、厳島さん」
「お世話になります」
そろってお辞儀する二人に、厳島は目を伏せ、更に深く頭を下げる。
「どうぞ、よろしく御願いいたします。お嬢様と親しくして頂いておりますお二人が満足
できるよう、我々一同、努力いたします。それでは…………お嬢様」
「うん。乗せて頂戴」
凜が合図すると、厳島は凜のクルマに乗り込み、エンジンを始動させる。
そして、開いている輸送機のハッチを登り、クルマを機内へ納め、固定を始めた。
凜が、状況を未だに飲み込めていない光と百合へ視線を向ける。
「それじゃあ、二人のクルマも積んじゃうから、厳島に乗せるの任せていいかな?」
小首を傾げ、一番に質問を返したのは光だった。
「クルマを動かしてもらうのは良いんだけど…………あの船で遠くの島まで行く
の? タイヤも沢山付いてるし、川も海も無いし。陸路で行ける所なの? それとも、あ
の船が自走して海まで行くの?」
光の質問に黙って首肯する百合。
二人の質問に、凜までもが困惑した様子で口を開く。
「えっとね? わたしもよくわからないんだけど、あの”ヒコーキ”って言うので飛んで
行くんだって。船よりずっと速いから、午後前には現地に着くらしいよ」
「…………はあ?!」
アトラスが世界のすべてである現代人にとって、空を飛ぶ、という行為は完全に未知の
領域である。あまりに非常識な凜の返答に、光は口をあんぐり空けて驚いた。
その横で、百合が何かを思い出したそぶりを見せ、凜に視線を戻す。
「ああ…………そうか! 飛行機、という奴か! かつて、そのような乗り物で世界中を
移動していたと、確か学塾のテキストに載っていた」
「そ、そんな!? あの空飛ぶ機械?!」
凜が二人の答えに首肯する。
「うん。私も乗るのは初めてだけど、厳島が運転するみたいだから安心していいよ」
そう口にする凜も、本心では心配だった。部下である厳島には全幅の信頼を寄せている
凜だが、完全に未体験の飛行に緊張していた。
しかしそれは、期待に比例した緊張感だとも自覚できていた。胸の高鳴りは、未踏の場
所へ向かって行く時によく似ていたのである。
アトラスの誰にも知られていない世界。それは、好奇心旺盛な凜にとって、最上級の楽
しみだった。
黙考しながら笑む凜に何か思ったのか、光が腕を組み、移動を開始する自分のクルマを
眺める。
「またニタニタしちゃって…………けど、それにしても。まさかクルマごと行けるなんて
夢にも思わなかったわ。どこかに置いていくと思って心配だったんだけど、ね。こんな事
なら、ガソリンももっと入れてこれば良かったわ」
「それなら心配ないよ」
凜が、機内に固定されている大きな輸送トラックを指さす。
「あれに、ガソリン千リットルとスペアタイヤ。それに、簡単な整備ができる工具が載っ
てるの。だから、安心して乗り回せるよ」
さも当たり前のように話す凜に、友人二人は達観した様子で凜を見ると、晴れた空を見
上げた。
「は、はは…………なるほど。流石凜だわ」
二人の示した反応で、用意したものに満足してもらえたらしいと考えた凜は、自分の気
遣いを喜ばれ嬉しくなっていた。浮ついた気分で、百合のFCの積み込みを眺める。
そして、いくつかの項目を頭の中で整理していた凜が、一つ伝えなければならない事を
思い出し、気まずそうな表情で光の顔を見る。そして光も、凜の様子が変わったことに気
づき、視線を合わせた。
「あのね。本当は目一杯楽しんで欲しかったんだけど、一応、アトラスから受けた正式な
調査なの。だから、クルマにカメラを取り付けて、道路周辺の地形調査を手伝って欲しい
の。勿論、厳島達も調査に出るんだけど、積載量の関係で、こちらだけだと手が足りなく
て」
これは、凜が考えた二人を連れて行ける事になった理由だった。本来は厳島達だけで十
分な調査が行えるが、なるべく自分が怪しまれないよう考えた結果である。
渋い反応を予想していた凜だが、それは杞憂に終わる。
「何よ。それくらいお安い御用に決まってるじゃない。タダであんな所まで連れて行って
もらえるんだからね。必要な分はしっかり働くから安心して」
光の返答に続き、百合も微笑しながら頷いた。
「ああ。光の言う通りだ。何でも言いつけて貰って構わないぞ? 私達はあくまでおまけ
で同行させて貰っているわけだからな」
「二人とも、ありがとう。あっ…………二人とも、ついてきて」
一番の憂いが解消された事で、凜はすっかり安心していた。気づけば、周りで作業を行
っていた人間達も殆どが輸送機に乗り込み、滑走路には凜達だけが残されていた。厳島の
合図に気づいた凜が、二人を伴って輸送機へ搭乗する。
幾つかの通路尾やステップを経由し、たどり着いたコクピットの後部座席に座ると、二
人の座席を指示し、離陸準備が完了する。
エンジン始動。
通常旅客機と違い、牽引車に引かれる事なく滑走路に移動して行く機体に、凜は興奮す
る。
初めて見た機械に乗り込み、未知の世界へ旅立つ。
凜には、それだけで状況を楽しむことができていた。心配は胸の鼓動にかき消され、ポ
ジティヴな期待だけが膨らんで行く。
「ちょっと…………ちょっと。ねえ、凜。これ、大丈夫だよね? ほんっとうに、大丈夫
だよね?!」
しかし、機体が滑走路で加速を始めると、横に座る光が、凜の右手を強く握り、脂汗を
かき始めたのである。百合へ目を移すと、光ほどではないにしろ、緊張している様子だっ
た。
二人の姿で、凜はかえって落ち着きを取り戻し、いつもののんびりとした雰囲気で笑い
かける。
「大丈夫大丈夫。ね? 厳島?」
「はい」
機体が更に加速して行くなか、厳島が静かに言い放つ。
「操縦マニュアルはしっかり読みましたので。心配は無用です」
その一言が引き金となり、光の顔から一気に血の気が抜け落ちる。
ジェットエンジン独特の加速感が全身へ襲いかかるなか、ランディングギアが路面を離
れた瞬間、光の様子急変する。
「い…………いやあああああああああああああああ! おろしてえええええええええええ
ええええええええええええ!」
光の絶叫を、コクピットに反響させながら、凜達三人は空港を後にした。




