祟り姫は恋をして 6
生きていた頃の事をあまり覚えていない。
わたしのこと
お婆ちゃんのこと
そして、私を殺したあいつらのこと
それだけを私は覚えてる
村での生活
所々朧気に思い出す一緒に遊んだ友達
あった筈の記憶が無いと気づいたのは村に住む事になった後だった。
ものを腐らせる、何処から来たとも分からない私を受け入れてくれた人たちを見ていた、あぁそういえばを思い出してみた。でも、腕を伸ばした指先が見えない霧が頭の中に広がっているようにしか思い出すことが出来なかった。
私が生まれ育ったのは、王都から村を通った先にある隣国、角を持つ狼が守護するシーグ王国の小さな村だった。どことなく覚えている村の風景は、この村に似ている気がする、そんな村の外れに建つ素朴な家。そこで私は祖母と二人で暮らしていた。
家の隣には、祖母と二人でなら充分な大きさ名の畑があった。畑で採れる作物、お婆ちゃんが森から得た薬草を使った薬を売った代価で贅沢ではないけど幸せな生活を送っていた。
二人での暮らしに何の不満も不安も無かった。
食べ物にも困らない、村の人たちとも覚えていないけど仲良くしていたと思う。
お婆ちゃんの、よく関係の分からない年の離れた友人という人たちが頻繁に訪ねてきて、色々な面白い異国の話をしてくれたし、珍しい食べ物をくれたりした。
ただ、私が成長するにつれてシャキシャキとして背筋を伸ばしていたお婆ちゃんがベットから起き上がることが少なくなり、食欲もない日が多くなっていってしまった。
私が16歳になった頃、お婆ちゃんが何日もの間、ベットの上に起き上がるどころか目を覚まさないという日が続いてしまう時が訪れた。
驚き怖くなった私は、知らされていた方法でお婆ちゃんの友人の一人に連絡をとった。その人が慌てた様子で訪ねてきてくれた時にはお婆ちゃんは目覚めてくれたけど、あの時の恐怖は鮮明に覚えている。
数時間、お婆ちゃんとその男の人が言い争っている声が畑仕事をしていた私の耳にも届いていた。言い争う声が消えた時、お婆ちゃんは静養する為に友人さんの家に行くことになっていた。
それでお婆ちゃんが助かるのなら、と私は後押ししたけど、何となくお婆ちゃんの顔や男の人の顔を見ていたら、お婆ちゃんと話を出来るのはこれが最期かも知れないと予感があった。
お婆ちゃんが「何かあれば、すぐに呼べ」と何度も何度も言いながら村を後にした数日後の事。村に、仰々しい馬車を中心にした一団がやってきた。
何処のお貴族様だろうと皆で見ていたけど、貴族の馬車とかには絶対にある家紋というものは無く、分からなかった。
だから、その馬車から降りた二人の、キラキラした綺麗な青年たちが私の家に真っ直ぐ向かって来た時はドキドキした。そして、何だか嫌な予感がした。
「お前がアデライトか?」
絵物語に出てくるような王子様が家から顔を覗かせた私に言った。
その声は、ものすごく不機嫌そうで、とても怖かったのを覚えている。
「い、いいえ。アデライトは祖母です。」
「なんだと!!?」
そう、アデライトはお婆ちゃんの名前。
そう言えば、王子様は耳が痛くなる程の大きな怒鳴り声を出して、私を睨みつけてきた。何がそんなに気に食わないのか。王子様の隣に立っている、眼鏡をかけた男の人も凄い顔をしていた。
「アデライトは何処にいる。」
「お婆ちゃんは友達の所に静養に行ってます。」
「どういうことだ!」
王子様が近くにあった桶を蹴り飛ばして、眼鏡の人に怒鳴りつけていた。
「どういうことだと言われましても。それが予言ですから、ね。国の繁栄と守護聖獣を取り戻す為です。アデライトを次代の妃にしなくては。」
「だが、年寄りだぞ!」
「それでも、アデライトを連れ帰り、王太子妃に添えねばなりません。それが、繁栄を取り戻す守護聖獣を得る方法なのですから。」
「聖獣など、よくよく考えてみれば国の発展を妨げている古き存在だぞ。他国を見れば分かるだろうに、父上は何を考えているのか。」
「殿下、そのような事を仰っては。」
「真実じゃないか。どんな便利な技術が作られても、聖獣が許可しなければ使えない。お前だって分かっているだろう。」
「確かに、魔術においても聖獣たちが気に食わないと言えば、有無を言わさず封印されます。それが強力な効果を生み出す術だとしても。」
「この国は聖獣が居なくとも、聖獣を掲げる国々と渡り合ってきたんだ。これからも必要だとは思えん。そんなものの為に、俺は年寄りを妻にしなくてはいけないと言うのか!…あぁ、そうだ。この娘を連れて行こう。」
難しい話を始めた二人を、私はただ見ていることしか出来なかった。
けれど、その矛先が突然私に向けられた。
「殿下?」
「同じ血を持つんだ、これにだって聖獣を招けるかも知れないだろう。聖獣が来なかろうが、困ることなど無いだろう。」
「…ならば、余計なことを言えぬようにしなくてはいけませんね。」
意味の分からない話を二人で交わし、嫌な笑いを浮かべている顔だけを覚えている。
それが、間近で見た唯一の顔だった。
覚えているのは、鍵の掛かった扉で閉ざされた広い部屋の中だった。
気づいた時には、屋根のついたベットとソファ、テーブルが置かれた広い部屋の中で、お婆ちゃんが作ってくれた服ではなく、サラサラとした布のドレスを着ていた。
一つだけあった窓からは、建物がたくさん建ち並ぶ町並みが見えた。
見た事もないような光景だった。
呆然としている間に部屋に入ってきた綺麗な服を着た女の人。目を合わさないまま部屋の中で作業をしている女の人に、此処は何処なのかと聞こうにも声が出てこなかった。喉を押さえて泣いている私と、一度も目を合わせず女の人は去っていった。
それからの日々は、ただ流れていくだけだった。
一日三度、女の人は食事を運んできた。でも、目を合わせず、声も出さずに早々に部屋を出て行った。
掃除をする人もいた。でも、その人も私の事が居ないもののようにして部屋を出て行った。
ただ、部屋でジッとしている日々。
あまり、あの部屋での事は覚えていない。
時折、人が来て話しかけてくれることもあったようだけど、それが女の人だったような気がするだけで、はっきりとしない。
記憶がはっきりとし出すのは、彼女が現れた後だった。
あの時から、黙々と部屋にやってきて私の身の回りを世話してくれていた女性が来る回数が減ってお腹が空いて仕方が無かった。窓の下にある大きな庭で、一人の女の子を中心に、あの時家にやってきた二人を含んだ人達が話をしたりしている姿を見るようになった。
今思い返せば、おかしい事だと思う。
私の居た部屋は高いところにあった。窓は締め切られていた。
なのに、私には彼らが何を話しているのか、すぐ傍で聞いているように聞こえていた。
その内容を今でもちゃんと覚えている程に。
女の子の名前は、サキ。
ここではない世界の人。
突然、王子様の前に現れた。
この世界では知られていない知識があった。ほんの少しだけ彼女からもたらされたそれを試した所、それはとてつもない効果を生み出した。
サキのおかげで、豊かで強い、皆が幸せになれる国になれる。
私が知ることが出来たのは、それだけではなかった。
段々と、私は城の中でされている話を耳にすることが出来るようになっていった。
この場所が、隣の国の王城だと知った。
『予言の聖獣』の予言によって、お婆ちゃんが必要とされていた事を知った。
この国を護り、三代前の王様の時に離れていってしまった『羽ばたく翼の蛇』を再び守護聖獣とする為の予言だった事を知った。
私はその時、ようやく自分が連れて来られた理由を知った。
そして、未知の知識をもたらした彼女が『聖女』と呼ばれ始めている事を知った。彼女が王城の中で愛され始めていることを知った。
彼女に言えば、何でも願いが叶うと言われていた。
新しい予言が下ったことを知った。
「城の中に、滅びをもたらす者と救いをもたらす者がいる」
城の人々は、彼女を救い、私を滅びだと考えているらしかった。
私は近々、排除される。繁栄をもたらさなかった。だから、処分されるのだと噂されていた。
反対したという皇太后や王妃は国に返された。
何もかも、悪い事は全て私のせいなのだと言う。
あまりな様子に、思わず声の無い笑いを上げてしまった。
ある日、彼女は私の部屋にやってきた。
「こんな所で寂しくないの?私達、友達になろう?」
そんな事を言っていた気がする。
『聖女』は願いを叶えてくれる。
私は必死になって、出ない声で「村に帰して」、そう縋っていた。
その後も記憶が無い。
気づいたら、私を殴り、蹴る、王子様の顔を見上げていた。
私は、彼女を苛めたそうだ。
笑顔が美しい彼女を泣かせていたのだそうだ。
彼女に危害を加えていたのだそうだ。
そして、私の処刑が王子様から告げられた。
救いをもたらす聖女を害する、災いをもたらす者だから。
それが処刑の理由だった。
城中の人が、「あぁ良かった。」そう安堵している声を聞いた。
晴れた日に、処刑台に上った。
覚えているのは笑い顔。
処刑台を見上げる人々の顔には嬉しいという笑顔が浮かんでいた。
最期に言うことは?
そう聞かれて、声が出ないのにと思った。
だから、私は心の中で最期の言葉を言った。
「おばあちゃん」って。
赤黒い空気
ぶ厚い雲に彼方まで覆われた空
真っ黒い雲の中に何故かはっきりと見える蛇の尾のように動く存在
絶えず地上に降り注ぐ雷
そして、私の前に立っている獣の頭を持つ人たち。
「おっ、気がついたか。」
「これで最悪の事態は回避出来ますね。」
獅子の顔
鷹の顔
猫の顔
トカゲの顔
豚の顔
狼の顔
ボロボロになっている異形たち
でも、なんだか懐かしさを感じた。
「じゃあ、後はあいつを止めるだけか」
彼らが見上げた先には、真っ黒な雲の合間から雷と共に降りてきた空を飛ぶ蛇の顔。
「おばあちゃん?」
何故だか、その蛇を見てお婆ちゃんを思い出した。
「サキ。」
久しぶりに自分の名前を呼ばれ、一瞬反応出来なかった。
それが自分の名前だと認識して、空に浮かぶ蛇から目の前に視線を降ろした。
そこには、お婆ちゃんの友人達がいた。
「もう分かるだろう、俺達が何なのか。」
分かる。
とても強くて怖い、そんな存在感が彼らから感じられる。
それに、最初に彼らが見せていた異形の頭は、近隣の国々の守護聖獣と同じだったから。彼らが守護聖獣たちであることに気がついた。
「おばあちゃんも?」
「そうだよ。彼女は、この国を護っていた聖獣だった。契約を交わした王に裏切られ、契約から逃れる為に体と名前を捨てて人に宿った。人の体の寿命と共に、卵の殻を破るみたいに元に戻る途中だったんだよ。死んだ君を救い上げる為に無茶をして、暴走した。」
「私達は今から彼女を止める。」
「私達の国にまで被害が及んでいるからね。」
「何より、これ以上はアディが危うい。」
人の姿から、獣の姿に変じ空に飛び上がっていく。
「サキ。君は好きにするといい。」
最期に残ったのは、角の生えた狼。
それは、懐かしい故郷の守護聖獣。
「今の君は、悪しき存在だ。国や人を憎悪し存在するだけで全てを破壊してしまう。思う存分、気の向くままにすればいい。でも、この国から出るのだけは駄目だよ。僕たちの護る国に害を加えることは許さないからね。」
だから私は、この国の中を歩いて回った。
足を踏み出せば、土が腐った。
水に触れれば、水が腐った。
人に触れれば、人が腐った。
色々な所を回った。
私が死ぬ所を笑ってみていた顔が浮かんで、腐っていく人達を見ても心は痛まなかった。それが関係の無い人たちだと理解していても、心は痛まなかった。
だって皆、私の為に暴走したと守護聖獣たちが言っていたお婆ちゃんのことを悪く言うのだもの。私を殺したあいつらの事を褒めるんだもの。
どんなに優しそうな人達でも、どんなに善良そうな人達でも、次の瞬間には厭わしくてたまらないものになった。
国中を回った後、そんな話を聞くのも嫌になっていた私は山に入った。
山の中なら、聖女の話も、祟り姫の話も聞こえなかったから。
山の中で数日、数ヶ月、私はただ歩いていた。
「こんな所で何をしてる!!?」
久しぶりにあった人間。
それが、デュークだった。