祟り姫は恋をして 3
その夜、サキはデュークと共に村唯一の食堂兼酒場で食事をとっていた。
テーブルとイスが置かれたホールには、ほとんどの村人たちが揃っていた。日頃ならば夜に出入りすれば鉄拳込みの説教を受ける子供達の姿もあった。
それは、クフトがやってきた日にお馴染みの光景だった。
クフトがやってきた日には、クフトが持ってくる外の情報を聞いて娯楽にしようと、村人たちは示し合わせずとも、この店に集まってくる。
普段ならば、行儀に五月蝿い者も、立ったまま食事を取る事を黙認する。それだけ、ホールは人で溢れかえっていた。
「ほら。サキ。これ上手いよ。」
デュークが皿の上で山盛りになっている果物の一つを手に取って、サキの口元に差し出した。
デュークの隣に座っていたサキは、サキ専用の、石で作られたコップからジュースを飲んでいたのだが、差し出された一口大の果物を口に入れられてしまった。
木で作られた食器を腐らせてしまうサキの為に、サキが村に住み始めた頃に作ってくれた。木のコップしか無かった為、水を飲むにも人に手伝ってもらっていた。そんなサキを見かねて一時間もかけない早さで、このコップは作られた。誰に言われるでもなく作ってくれたのは、壁際のテーブルで言葉少なめに顔を顰めて酒を飲んでいる白髪混じりのガースだった。サキの頭をギリギリと握り締めた男だったが、根は優しくて良い人だとサキはちゃんと知っている。
もぐもぐ
デュークが言う通り、甘い果汁がたっぷりと入った果物は美味しかった。
その味を堪能しながらも、サキは少しだけ眉を顰めた。
「…突然、口に入れないでよ。」
サキが文句をつけるのだが、デュークは耳を貸さずに次の果物を手に取っている。
その顔は、ほんのり赤らんでいるのをサキは気づいた。
よ、酔っ払ってる。
そう思い、それを指摘して注意しようと口を開いたが、再び差し出された果物を口に放り込まれ、言葉を封じられてしまった。
「次は、お肉にしようか?」
最初のものより少し大きな果物だったせいで、まだモグモグと口を動かしているサキに笑顔を向けたまま、デュークは自分の前にあった皿に乗っているステーキを切り分け、フォークに刺して、サキに向けてくる。
「じ、自分で食べるよ。」
ようやく果物を飲み込んだサキは、自分のフォークを持って見せた。
それは柄の部分が石で包まれている。これも、ガースが作ってくれたサキ専用だ。
サキは金属をゆっくりと腐らせる。一回の食事の間ならば大丈夫だろうと言える速度ではあったが、ここは辺境の小さな村。金属は貴重なものだし、そもそも村で使われているフォークは木で作られているものがほとんどだった。どうしようか、と悩んでいた村人たちを横目に、ガースはさっさとフォークの柄を差し込める石の筒を作っていたのだと、サキはこっそりと教えられていた。
「いいだろ。遠慮しないで。もう刺してるんだ。ほら、食べて。」
サキの口に、デュークはさっさと肉を放り込んだ。
「お姉ちゃん。お姉ちゃん。」
放り込まれた肉を噛み締めていると、背中を突かれた。振り返ると、今年8歳になったカリンという少女が本を差し出してきていた。
「これ、読んで。」
それは、サキが説明してもらった紙で出来た本だった。
「どうしたの?」
噛み締めていた肉を飲み込んで、サキは聞いた。好奇心が強いカリンは、色々なことを知りたがり「なんで?」「どうして?」が口癖の子だった。サキも今まで色々と質問された事もあったが、本を読んでと言われたのは初めてだった。
「今日ね、買ったんだけど読めないの。お姉ちゃんなら読めるってお母さんが言うから。」
村人の中でもスラスラと字が読める大人は少ない。
サキは読めるということは皆が知っている。触ると腐ってしまうから書けないが、手紙を読む程度のことを頼まれることがあった。
「いいけど。えぇっと、どうしようか…」
サキは本を持てない。
本を読むには、誰かに本を持ってもらい捲ってもらわないといけない。
どうしたら、カリンもサキも見やすいように本を広げられるだろう。サキは頭を悩ませた。
人に触っても大丈夫。
何度も試して、その事は分かっているのだが、もしかしてと考えてしまうと、出来るだけ接触を避けなければと考えてしまう。
「ほら。カリン、大人してなよ?」
「うん。」
サキが悩んでいると、隣で様子を見ていたデュークがサキの承諾も得ずにカリンを抱き上げて、サキの膝の上に座らせてしまった。
「ちょ、」
「何度やっても大丈夫だったじゃないか。悩まなくてもいい。」
「……」
実験に付き合ったデュークに言われてしまえば、サキは何も言えない。
ニヤニヤと笑っているデュークは、それを分かって言っているのだろう。
「お姉ちゃん。」
何も言えないまでも、デュークに対して睨みつけておく。
そんなサキに、カリンは膝の上に大人しく座り、本を開いて待っていた。
「ほら。カリンが待ってる。早く読んであげなよ。」
「…うん。」
サキの睨みを受けているのに、デュークはニヤニヤと笑ったままだ。
サキはカリンが広げた本に目を落とした。
「聖女?」
カリンが広げたページの始めには、その言葉が綴られていた。
人々の営みを愛する『予言の聖獣』がセイル王に予言を授けた。
セイル国を救う救いの姫がいる。
彼女を王子の妻に。そうすれば、セイル国は以前のような栄華を取り戻せる。
王達は歓喜した。
年々、目に見えて減っていた大地の恵み
守護聖獣を失う以前から、三分の一にもなってしまった領地
最早直接知るものなど誰も居ない、セイル王国が近隣諸国の頂点に君臨した繁栄の時代。
それを取り戻せるのだと、違えることのない予言と下す『予言の聖獣』が言ったのだ。
王は予言を信じて、授けられた姫を探した。
そして、小さな村から王都に招かれた少女を、王は王太子の妻にした。
王太子妃となった少女は、自由気ままに周囲を振り回した。
あれが欲しい。それが欲しい。
多くのものを望み、彼女が繁栄を取り戻すと信じていた王は彼女の思うがままを許した。
けれど、それは間違えだった。
彼女は、予言の少女ではなかったのだ。
彼女の本性は、邪悪な魔性『祟り姫』だったのだ。
予言を耳にした王太子妃は、先回りして予言の姫を殺し成り代わった。
そして、何食わぬ顔をして王太子妃となったのだ。
自由気まま、贅沢三昧、人々を苦しめることを好んだ王太子妃。
人々には止める事も出来ない、そんな彼女を世界が許さなかった。
世界は、聖女をセイルに降臨させた。
彼女は、殺されてしまった予言の姫がする筈だった、セイル王国の繁栄の手助けを国にもたらした。
それに歓喜したのは王や王太子たち。
王太子妃に疑問を抱き始めていた彼らは、聖女を喜んで迎え入れた。
それを危惧し、邪魔をするなと怒り狂ったのは王太子妃だった。
王太子妃は人を操り、聖女を亡き者にしようとあらゆる術を講じた。
けれど、聖女にはその穢れた手は触れることも出来ず。
ついに、王太子は捕らわれ、人々の前で処刑されることになった。
命を落とす直前、王太子妃は怨嗟の声を上げた。
「この国に災いあれ!」
その言葉は現実のものになった。
天変地異が世界を襲った。
魔性の姿となった『祟り姫』が、多くの命を奪っていった。
聖女は守護聖獣たちの助けを求めた。
嘆き悲しむ清らかな聖女の姿に感化された守護聖獣たちは、その求めに応じて『祟り姫』と三日三晩戦い続け、その末に封印することに成功した。
戦いが終わり、聖獣たちが眠りについた世界で、聖女は幸せの種を蒔く。
それが芽吹く時、世界がより一層幸せに満ちるように、と。
「面白いね。」
読み終わった後、お礼を言ってカリンが去った後も驚いて呆然としているサキに、デュークは感心しているような声をあげていた。酔いが覚めたのか、頬の赤らみが消えている。
「知っている話とは随分と違う。」
「…うん。」
「あぁ、それは今の王都では主流だよ。」
驚いていたサキたちの下に、クフトがやってきた。
そして、サキたちが何を思っているのか察していた。
「これが?」
「そう。聖女様を讃える話の方が喜ばれるからね。」
それは誰が喜ぶからなのか。
そんな事、深く考えなくてもサキたちには理解出来た。
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なかなか面白いものだね、人間達は。
あいつは何時も余計な事を人間に教えて騒ぎを起こすけど、また余計なことをしそうだよ?
どうしようか、もう見捨ててしまおうか。
まぁまて。
そんな事をすれば、俺の民まで被害を受けるじゃねぇか。
でも、ねぇ。また馬鹿な騒ぎが起こって、あの子が傷つくようなことがあれば、今度こそどうしようもない事態になるんじゃないかな?
そうだな。俺達が抑えておけるのも限度があるぞ?
あぁ嫌だね。
アデライト。
アディ。
早く正気に戻らないと、今度こそ大切なものを失うよ?