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そして目覚めて 5

えぇっと、これは止めるべきかな?


聖獣にとって、距離はあまり意味を成さない。特に、走ることを得意とするシグルスにとっては人が一月掛けるような道のりも、空を駆けることで数刻も掛かりはしない。

そうして辿り着いた山奥の村の一角で、シグルスは困った顔を浮かべていた。

気配を消し、人々の隙間から覗くのは、可愛い孫が男性からキスされようとしている光景。

祖父と孫であると告げたことはない。あまり深く関わったことも無い。数少ない交流も、祖母を訪ねてくる友人という立場でのものだけ。だが、それでも可愛い孫であることは変わりなく、こういった場合、人の親、祖父ならばどう行動するのだろうか。

そんな事を考え込んでしまい、シグルスは動きを止めていた。


止めるべきだよね。


"目"を飛ばし、常のサキの様子は窺っていた。

それらを鑑みれば、サキは彼に好意を持っていたし、彼もサキに好意を持っている。サキが祟り姫と分かっても見捨てなかった、守ったところを見れば、何があってもサキを守ってくれる人間だと信頼することも出来た。

だが、今はどうみてもサキが嫌がっている。


「き、キスしたって効果なんてある訳ないでしょぉ!!」


割り込んでいくのに丁度良い訴えを、サキが上げた。

自分へと迫るデュークの顔を手で遮り、サキは必死になって迫る口付けを止めている。その顔は本当に真っ赤で、拒絶しているというよりも、恥ずかしがっているのだと、シグルスは感じた。


「そうでもないな。口付けには力がある。」

気配を消し、周囲の人間達の意識が向かないように仕向け潜んでいたシグルスが、村人達を掻き分けるようにしてデュークとサキの下に歩み出る。

にっこりと笑い、ひらひらと手を振って、まるで今来たばかりだと見せる。


「誰?」

「おじさん?」


突然現れた男。デュークは首を傾げ、それが敵だったらという考えから、抱き抱えていたサキに回した手は力を増した。

デュークに強く抱き締められたサキは、見知った存在の登場に驚いて、目をパチパチと瞬きさせた。

「知ってる人?」

サキが怖がっている様子も、怒っている様子も見せない事から、デュークはそれが敵ではないのだろうと判断した。

「う、うん。よく家に遊びに来てた、お祖母ちゃんの…えっと、友達?」

聖獣だと言っていいものか分からず、サキは"友達"と言うことにした。

「あぁ、それ、ちょっと訂正させて。」

"友達"。

サキのその表現でいえば、個性溢れる同胞達も"友達"ということになる。噴出しそうになるのを堪えながら、いい機会だとシグルスは、サキと自分の関係を明かすことにした。

「俺は、サキのお祖父ちゃんなんだ。」


「……へぇ。」


「えっ、反応薄くないかな?」

他人であり、シグルスのことを知らないデュークを始めとする村人達は、ただ固唾を呑んで一時の静寂を耐えた。だが、とうの本人であるサキは数秒程の沈黙をもたらした後、小さく、何ともいえない相槌を打つに留まり、シグルスを困らせただけだった。

「おばあちゃんが、お父さんやお母さんの話はしてくれても、お祖父ちゃんの話は全然してくれなかったから…おじさんがお祖父ちゃんだったって言われても、どう反応したらいいのか分かんないよ。」

「あっ、うん、そうだね。」

自分のことを話にも出していない。分かっていたことだが、可愛い孫娘の口から直接言われてしまえばダメージは大きかった。


「祖父?人間じゃないのか?」


青年、としか見えない姿のシグルスに、サキの姿などには臆することのなかったデュークや村人達も、流石に驚いたようだった。

「俺は、この山を越えた先にある国の聖獣だよ。」

契約した王族以外に姿を見せるのは、あまり良いこととは言えない。だが、相手はサキを助け、サキを支えてきてくれた人間達だ。祖父であるシグルスは礼を尽くさねばならない。

「シーグ王国の聖獣ってことは、『角ある狼』…」

知識のある村人が口を開いたので、シグルスは自身から生える影だけに本性を反映して見せ付けた。

大きな顎に牙、頭から覗く角。

その影を見た村人達からは驚きの声があがり、そして次いで感嘆の声が上がった。

聖獣を間近に見た、と年老いた者はシグルスに向かって手を合わせ、拝み始めてさえいた。


か、変わった村だな、本当に…。


聖獣といいながらも、それが間近にあり、その獣としての脅威を見せ付ければ恐怖に慄く、それが普通の人間が見せる今までの反応だった。

だというのに、この村の人々は喜んでさえいる。

さすがは祟り姫の状態のサキを受け入れただけはある、とシグルスは口元を小さく引き攣らせた。


「あぁ…で、話を戻そうか。」

コホンッ

シグルスは咳払いして、微妙な方向へと曲がっていた話題を終わらせることにした。

「口付けには力があるよ。掛けるのも、解くのも、昔から多くの逸話が残っている。」

実をいえば、シグルスがアデライトと番となり、娘を作ることが出来たのは"口付け"でアデライトを一時とはいえ惑わすことが出来たからだった。

契約を無理矢理に、ただ一方的に破棄されたアデライトは暫くの間、正気とは言い難い状態になっていた。そもそも王族と聖獣が結ぶ契約は強く激しいものなのだ。それを、人間の側から破棄するなど、全ての聖獣にとって想定外であり、驚く事態だった。

元より強い力を誇っていたアデライトだからこそ、正気を保つことが出来ないという程度で留まれた。若く、力の弱い聖獣であったなら、狂気に呑まれ暴走し、大地を焦土と化し、そして己を消滅させていただろう。

アデライトは、暴走しそうになっている自分を戒める為、人の娘となった。

魂は確かに聖獣であるアデライトだったが、その体は人のもの。普通であったならば、自分自身を酷く弱らせるその行為は、彼は全力を持って制止したことだろう。

それぞれ違う国へ守護を与えていた聖獣でありながら、シグルスはアデライトに恋をしていた。ずっとずっと昔から。

だから、そんな状態のアデライトを目にして制止するどころか、好機だと感じてしまった。

通常でなら在り得なかっただろう、彼女が加護を与える国土の上で、彼女の不意を突いて口付けし、力を注ぐ。二人は結ばれるべき番なのだと、共にあるべき二人なのだと、アデライトに植え付ける。

シグルスにとって最高に幸せだった時間が始まり、シグルスを番であるという考え以外は通常の状態であったアデライトも、その日々に笑顔を取り戻していった。

誤算だったのは、娘が生まれた事でアデライトがシグルスの力を打ち破った事だ。

酷く怒りに怒ったアデライトは、シグルスを家から叩き出した。人の身で出来る限りの、聖獣としての力を発揮して。それはシグルスにとっては脅威でもなんでもない攻撃だったが、自分が悪いことは理解していたから逆らわず、引き下がった。

遠くからアデライトの姿と娘の成長を見守る毎日。

とても楽しい、そして少しだけ寂しい日々だった。時折、父親なんだし、と主張して家にも出入りした。アデライトは酷く機嫌を悪くしたが、娘が「父さん」と懐いていたのだから止めることは無かった。

とてもとても楽しい、光に溢れた充実した幸せな日々だった。


娘はもう居ない。

人として生き、人として死ぬのだと、父母から受けた聖獣としての在り様を拒絶し、助けの手を伸ばしたシグルスの手を笑って跳ね除け、完全な人間である夫と共に事故によって死んだ。

だが、サキは残された。シグルスやアデライトにとって、可愛い孫だ。

完全な復活を遂げたアデライトと、悲しい過程はあったものの聖獣となり得たサキ。

二人さえ居てくれれば、シグルスの幸せな日々はもう一度戻ってくる。


「サキ、俺と共に帰ろうか?といっても、元の家には戻れないけど。もうすぐ、本来の姿に戻れる筈だし。アデライトが戻ってくるまでの間、俺の下に居ればいい。」




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