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そして目覚めて 3

「邪魔?邪魔ねぇ?」

クッククッ

口元を手で覆い、シグルスは笑う。

王妃の言葉が余程ツボに入ったのか。シグルスの笑いは収まることを知らなかった。

「俺達からすれば、お前が邪魔なんだよね。」

にっこりと笑顔を浮かべ、辛辣な言葉を王妃へと投げ掛ける。

ゆっくりと開かれたシグルスの目には凍てつくように冷たい光が込められていた。


この世界に来てから数年。

優しく愛してくれる人々に囲まれ、彼女の知識を求める人々だけと正妃は出会ってきた。

シグルスが浮かべる、そんな眼差しに晒されたことがなかった王妃はヒッと息を呑んで崩れ落ちた。

しかし、誰も、夫であるローレンでさえ彼女を支える事は出来なかった。彼女の目の前にいる が放つ怒気があまりにも凄まじく、ただの人間でしかない身には瞬きする事さえ苦しみを覚えていた。


「この世界には、この世界の仕組みがある。そして、時間の進みがあるんだ。お前はそれを否定しているんだよね。この世界で人々が生きていけるようにと俺達聖獣は力を貸してあげている。そんな俺達を否定するって事は、人々に苦労しろ、苦しめって言ってる事だと本当に分かっているのかな?」

ん?顎でシグルスは王妃の言葉を促した。

「だ、だって。だって。皆が困ってるっていう事でも、聖獣が駄目だって言うから何も出来ないって。皆何もしようとしないもの。そんなの、そんなの…。」

促される事で絞り出した声は涙に震えている。そして、最期まで自分の考えを明かすことなく声は萎んでいった。

シグルスは、その様子に笑っていた。

聖獣に対して声を失う程の恐れを抱くのなら、睨まれただけで動けなくなるのなら、聖獣を怒らせることをしなければいいのに。

なんと愚かな奴等なのか。

こんな愚かな奴等のせいで、大切な人を危険に晒させ、大切な子を奪われかけ、大切な血筋と国を危うくさせねばならなかったのか。

苛立ちはとうに越して、ただただ笑いだけが込み上げていた。


王妃が言った事にシグルスは心当たりがあった。

それは、このセイルの国で王妃が行なってきた事だった。


王妃がまだ聖女としか呼ばれていなかった頃。

異世界の知識を蓄えている聖女の下には、その恩恵に預かろうと国中の貴族達が押し寄せていた。あれをこうしたい。領地を潤す為にどうしたらいいのか。

聖女は、あまりにも多い相談の数々に、当時はまだ王子だったローレンや他の取り巻き達と共に招かれるがままに様々な領地を訪れた。

そこで聖女が見たものは、守護聖獣の言葉を守り、昔ながらのやり方で作業している民の姿。聖女からすれば、もっと効率が良く、もっと利益が出る方法があるにも関わらず、それを伝えても変わろうとはしない民達の姿だった。

聖女は貴族達に率先して技術の知識を与えた。

聖獣の言うことなんて聞いていては駄目だ、と。

セイル王国はそれを、喜んで受け入れた。

長きに渡り姿を見せない、守護を与えてもくれない守護聖獣を彼等は必要性を感じていなかったのだ。何故消えてしまったのか、その原因を忘れていた。


そうして興ったのが、産業改革という、一部の貴族達に利益をもたらしたものだった。


「守護聖獣が止める事に意味があると思わなかったのかな?」

何故、元からあるものに意味があると思わなかったのか。

守護聖獣が口を出すのなら、それには意味があることだ。国の為、人の為、契約している血筋の為。全ては護る為に守護聖獣は動く。その視線は人よりも永い時間を見据えているのだ。

「な、なによ、それ。そんな訳ない。だって、皆、体が痛いとか疲れるって言ってた。大した儲けにならないって言ってたもの。」

聖女が与えた、機械という存在。

それは民を作業による苦痛や疲れから解放した。

しかし、作業を機械に奪われた民達は職を追われ、日々の生活さえも送れないまでに追い詰められていった。

聖女に与えられた知識によって変化が起こった領地からは出て行くことでした、彼等に生きる術は無かった。そうして辿り着いたのは、国境を越えた先。

多量に辿り着いた人々は辿り着いた先にあった村や街、国の情勢を圧迫した。

土地に食料、仕事。

セイル王国が機械化を進めれば進める程、他国は大きな影響を受けていた。

それは年々酷くなる一方だった。


「国を放り出した形になってまで助けてやったのに、お前らはそれを仇で返した。お前達は俺達の大切な国を壊そうとした。そんなお前等にもう一度、助けの手を差し伸べる聖獣が居るとでも思っているのか?」


次に伸ばされるのは、破壊の手だ。


「そんな!?」

シグルスの無慈悲な言葉に、ローレンを始めとする、王妃の知識を使ってセイル王国を良くしようと考え実行していた者たちが悲鳴を上げていた。

良かれと思ってしたことが間違っていたのかと絶望して。



「迷惑極まりないんだよ、本当に。サキの為にも、さっさと…」


「サキ?サキの為にと言うのなら!!」

ローレンが驚きの声をあげ、王妃とシグルスの顔を見比べていた。

そして、僅かな希望が出来たのか、と目を輝かせ…


「は?何を…。」

シグルスにしてみれば、ローレンの反応は奇妙なものだった。

それまで絶望していたくせに、何かに縋ろうとしている姿。

そして、思い出した。

シグルスにとって大切で愛らしい名前を持つ、可愛い子供から名前を奪い、命を奪った存在の事を。

「あぁ。そういえば、君もサキって言うんだっけ?」

サキという名前の王妃に一瞥を向けた後、シグルスはローレンに鋭く尖らせた目を向けた。


「気安く、その名前を口にするな。お前の女に興味は無いし、その名前を名乗っている事さえ厭わしい。俺がサキと呼んで可愛く思うのは、あの子だけ。」

「あの子?」

ローレンにして見れば、サキという名前を持つのは愛しい妻だけ。ローレンに素晴らしい知識と栄光を与えてくれた聖女だけだった。


そのローレンの態度に、シグルスは怒りを抑え切れなかった。

ローレンは最初から最期まで、サキの事をアデライトと呼び、その存在は無視し、縛り続けた。サキ自身に心があったなど、幸せになる権利があったなど、何一つ思い至りもしなかった。


「お前らは。愚かなお前等のせいで。

母親と同じように、人として生きて人として死ぬことが出来たあの子をこちら側に引き込みやがって。そんな事を、俺もアディも、仲間達も望んではいなかったというのに。人で無いものになってしまった、それだけじゃない。今や憎悪の心に捕らわれた彷徨えるモノになってしまっている。あんな姿、見たくもなかったのに。」


グルルルル


シグルスの喉が鳴る。

人の姿をとっているというのに、怒りのあまりにその本性である狼の姿へと変化しようとしていた。



「止めよ。妾の獲物を奪うのならば容赦はせぬぞ、シグルス?それに、それらはまだ妾の守護を欠片とはいえ受けている。禁忌を起こす気か?」


シグルスを止めたのは、周囲を血の海に沈め終わったアデライトだった。







「ねぇ、デューク兄。」

「なに?」

絵本を腕の中に抱えた一人の少女がデュークの服を引いた。

デュークが振り向くと、少女の後ろには何人もの少女達がワクワクと目を輝かせ、膨らんだ期待を抑えきれそうにない様子でデュークと、その膝の上で横抱きにされたまま、引っ張られた首を摩って痛みを消そうと試みているサキを見ていた。

涙目で痛みに気を取られているサキは、少女達の視線も、デュークが少女達の方に向いている事にも気づいていなかった。


「悪い奴に掛けられた呪いは、こうやって解くんだよ。」


無邪気。子供の悪気の一切ない、純粋にそう思っただけだと言う考えは、少女が持っている絵本のラストにあった。絵本を抱えて持ってきた少女に邪な考えは無いだろう。だが、その後ろに立っている年上の子供達は、きっと分かっていて少女に言わせている。

デュークはしょうがないなと苦笑を浮かべた。


「サキ。」


「えっ、何?」


デュークに呼ばれ、サキは顔を上げた。


「ふぇ?」


サキの顔に、デュークの顔が降りていった。


「「「きゃぁぁ」」」

サキの戸惑いの声と、少女達の黄色い歓声が沸き起こった。

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