[8]樹の上でお話しましょう
ハトリおねえちゃんがくれた藍色の石は、光を発すると熱を持った。
まさか爆発はしないと思うけれど。
ただ、あたしを包んだその光は、あの時、キリュウに連れ去られた時のものと酷似していた。
これって――深く考える間もなく、あたしの体は光に攫われた。
そうして、一瞬の浮遊感を味わった後、あたしは体が落下していることを認識した。
「わぁああ!!」
あたしは空中に放り出されたらしい。
ただ、そのすぐ下には木の枝が広がっていた。常緑樹なのか、冬のはずなのに緑は豊かだった。辺りはすっかり夜だけれど、街灯らしき明かりのお陰でちゃんと見える。あたしはとっさにその木の枝にしがみ付いた。ナマケモノのようにぶら下がっているという情けない格好だけれど、地面に叩きつけられるよりはいい。この樹は高く、今いる位置は学校の二階くらい。打ちどころが悪かったら死んでしまうかも。
心臓がバクバクと破裂しそうに痛んで、頭から血が下りて行く。手が、痺れた。
いつまでもこんな状態が続くわけがない。腕が震えて力が入らない。
なんで、こんなことになったんだろう。
ううん、そんなことどうだっていい。怖い。
「たす、けて……」
消え入りそうにかすれた声でつぶやくと、嫌な声がした。
「助けを求めるくらいなら、こんな馬鹿なことをするべきではないと思うのだが?」
どこからともなくキリュウの声がする。
文句を言う気力もなくて、指が滑る。
木の枝にしがみ付いていられなかったあたしは、結局落下するんだ。痛いだろうな、死ぬのかな。涙が宙を舞ったのを最後に、あたしはまぶたを閉じた。
そんな時、パリン、と何か硬質なガラスが割れるような音がした。それがなんなのか、気にしているゆとりもなかったけど。
ただ、固くまぶたを閉じて体を強張らせてたあたしは、どういうわけだか落ちる気配を感じてなかった。むしろ、フワフワと浮いているような気になる。
なんで?
恐る恐る目を開くと、あたしの体は本当に宙に浮かんでた。
「ええ!!」
慌てて手足をばたつかせるけど、あたしは上昇を続けてた。少なくとも、これはあたしの意思じゃない。UFOキャッチャーのぬいぐるみになったような心境だった。
樹の上へと再び浮き上がったあたしを待っていたのは、大樹の枝の上でふんぞり返っているキリュウだった。キラキラと全体に光をまといつつも、その目はどう見ても呆れ返ってる。
「夜分に迷惑なやつだ。私の貴重な魔力と睡眠時間と『触媒』を消費して助けてやったのだから、この借りはいずれ返してもらう」
『触媒』。
ノギおにいちゃんも言ってた。魔術のもとになるアイテム。
どんなものだか知らないけど、お金で払えってことだろうか。借金がかさんで行く……。
宙にぶら下がっているあたしを見据えると、キリュウは更に眉を寄せた。あたしの泣き顔がぐちゃぐちゃだとでも言いたいんだろう。
それでも、あたしはなり振り構わずに涙を流した。がんばって声は出さなかったし、瞬きも我慢したけれど、あふれた涙はこぼれてしまう。
ふわり、と体がもう一度大きく動くと、あたしは枝の上に下ろされた。浮遊感はもうない。あたしはキリュウの隣で枝の上から脚を下ろして腰かける形になった。冷え切った枝でお尻が冷たい。
ようやく涙を拭うと、キリュウの説明臭い言葉が聞こえた。
「どこで手に入れたのかは知らぬが、お前が扱ったものは、『翼石』といって、使用者を目的地へ運んでくれるアイテムだ。魔力がなくても使用することができるように設計されている。私が瞬時にこの宮殿に戻ったのも、それの効力だ。……けれど、あれを使用するにはいくつかの決まりごとがある」
無言のままキリュウに顔を向けると、キリュウは静かに言った。
「目的地を正確に思い描かなければ、暴走しておかしな場所に飛ばされることがある。便利な反面、注意が必要なのだ」
ハトリおねえちゃんはあたしが連れて行かれた後、困った時には自分を頼って来てほしいという意味でこれを渡してくれたのかも知れない。ちゃんとした説明もなしに、あたしが扱えるわけもないのに。
ほんとに優しい人だったけど、ちょっと空回りしてる。
あたしがぼんやりとそんなことを考えていると、キリュウは小さくため息をついた。
「大方、お前は自分の世界に戻りたいと願ったのだろう。けれど、『翼石』にそこまでの性能はない。その結果がこの暴走だ」
だって、帰りたい。
それがあたしの願いなんだから。
また、ぽろりと涙がこぼれる。
キリュウはそんなあたしにうっとうしいとでも言うのかと思った。けれど――。
「そんなにも帰りたいと願うのなら、お前の国は素晴らしいところなのだろうな」
柔らかな口調でそんなことをつぶやいた。
あたしは驚いてキリュウに顔を向ける。
「国というか、家族や友達がいるから帰りたいんだよ」
「家族や友達――庶民の暮らしにそうした当たり前の幸せがある。充実した生活がある。それはまず国という基盤があってのことではないか?」
……この人は、やっぱり皇帝なんだ。今更ながらにそう思った。
あたしとは違うものを見据えている。あたしからは想像もできないようなものを。
「私が統べる国も、そうした豊かなものであってほしい。誰もがここに帰りたいと、ここに住まいたいと感じるような……」
皇帝というのは、自分のことだけ考えてちゃいけないんだ。自分が治める国の、国民の幸せを守らなくちゃいけない。――大変なお仕事なんだ。
そんな風に真剣に考えているキリュウは、部外者のあたしにはひどいけど、この国の民にとってはいい王様なのかも知れないな。
夜空を見上げるその整った横顔に、あたしはそっと声をかける。
「ノギおにいちゃんとハトリおねえちゃん、幸せそうだったよ。少なくとも、あの二人には居心地のいい場所なんじゃない?」
すると、キリュウはクスクスと笑った。初めて、笑った。
「まあ、私が治めているのだから当然だ」
え? 何それ。
やっぱりこの人って傲慢だ。あたしが呆れているとキリュウは再び空を見上げた。
あたしは気持ちが少し落ち着くと、そっとつぶやく。
「助けてくれてありがとう」
すると、キリュウは少し驚いた風だった。
「礼節を弁えない蛮人かと思っていたが、感謝の言葉が出ることもあるのだな」
本気で驚いているからムカつく。
「何それ! 失礼でしょ!」
「一国の皇帝に対してさえ敬意を払わないのだから、そう思われても仕方がないだろう?」
「初っ端から意地悪なこと言わなかったら、ちゃんと敬語使ったもん!」
「意地悪……」
キリュウは心底理解しがたいという顔をした。
「女の子には優しくって習わなかった? そんな小難しいこと考える前に、それから学んでよ」
ため息をついて顔を手で覆ってる。キリュウはなんでそんな疲れた仕草をするわけ?
それでもあたしは続けた。
「ねえ、キリュウ」
ギロリと睨まれた。けれど、あたしは引かない。
「『様』なんて付けないよ。だって、あたしはあなたの民じゃないもん。あたしは異世界からのお客さんでしょ。そっちこそ敬意を払ってよ」
「お前というやつは……」
「お前じゃない」
すうっとキリュウは目を細める。どうせまた嫌味でも言うんだろうか。でも、遠慮なんかしない。下手に出たって、キリュウがあたしを優遇してもとの世界に帰してくれることはないんだから。
「では、フウカ」
あんまりにもはっきりと、きれいな声で名前を呼ばれた。あたしの名前は、こんなにもきれいな響きだったんだって感じてしまうような。
思わずドキリとしてしまったのは、年頃の女の子なら仕方がないと思う。
「いい加減に戻るぞ。ここで夜を明かすつもりか?」
「は?」
「ここがいいなら置いて行くが?」
あたしはとっさにキリュウのガウンをしわになるほどに握り締めた。
「やだ!!」
あたしが必死の形相だったのか、キリュウは勝ち誇ったように笑った。
「先ほどの非礼を詫びるか?」
「はい、ごめんなさい」
あたしはものすごい速度で手の平を返した。キリュウの目は、動くオモチャを見る目付きだったように思う。
「まあよい。一度くらいは許してやろう」
いやぁ!
やっぱりこの人嫌だ!!
と、あたしは心で叫びながら肩に伸びたキリュウの腕に身を硬くする。次の瞬間には、あたしはあのベッドの上で、キリュウの姿はすでになかった。
――疲れた。
もう寝よう。