[71]本当は
「あ、あたしは――」
自分でも声が震えてしまったのがわかった。ユラさんは麗しく首をかしげる。
あたしは一生懸命に涙を堪えながら言った。
「あたしには自分の世界があって、家族がいるんです。だから、キリュウとは一緒にいられません」
はっきりとした言葉にすると、キリュウを傷付けてしまう。でも、これは本当のこと。
このまま帰らないって選択はできないから。突然消えたあたしを心配して泣き暮らしてるかも知れない家族のことを思うと、それだけはしちゃいけない。
ユラさんはちょっと悲しげに笑った。
「うん、そういう気持ち、わからなくはないわ。私は永い時を生きているからまだいいけれど、フゥちゃんは本気で選ばなければいけないものね。それはつらいことだと思うわ」
ふわりと儚げなのに、包み込むような安心感がユラさんにはある。一見して二十代前半くらいにしか見えないけど、永い時を生きているっていうのは本当なのかも知れない。
ユラさんはそっと歌うように優しい声で言う。
「フゥちゃんが帰ってしまうのだとしても、出会えたことはお互いにとってとても大きなこと。そうでしょう、キリュウ?」
キリュウはこくりとうなずいた。
「ああ。ありがとう、ユラ」
フフ、とユラさんは笑うと、何故かキリュウを通り越して後ろで難しい顔をしていたヤナギさんの腕を取った。
「さあ、私たちは少し下がりましょう。ここからは二人の時間」
「い、いや、だが――」
ヤナギさんはキリュウのことが心底心配なんだと思う。だからここまでついて来たんだよね。あたしの見送りは二の次。
ノギおにいちゃんとハトリおねえちゃんもあたしとキリュウを残して離れて行った。
さっきまでなかったはずなのに、不意に七色の光の玉が花園の中に出現した。
「わ、何これ!?」
前に目が覚めた時はこんなのなかった。あたしが慌てると、キリュウは苦笑した。
「これが七つの世界に通じている異界の門だ。一度使うとしばらくの間だけ閉じる。さっきユラが出て来たからな」
要するに、今やっと使用できる状態になったっていうこと?
七色の光を前に、あたしは困惑した。
「あたしの世界に通じるのはどれ?」
「残されている記録からかんがみるに、青だな」
キリュウはそう断言したけど、間違えてたらどうするんだろ。
「絶対?」
と、あたしは不安げにキリュウを見上げる。
「白はユラの世界だ。白ではない。こんなところで騙しても仕方ないだろう?」
それもそうだね。
「あたし、ここにいた時間向こうではどうなってるんだろ?」
「このまま戻れば、こちらで過ごした時間はそのまま向こうでの時間だな」
うわ、向こうでは時間が経過してないとか、そんな都合のいい話にはなってない。
「それ困るなぁ」
どうやって説明しよう。うん、覚えてないで済ませようかな?
あたしが肩を落とすと、キリュウはあたしの頭にぽんと手を乗せた。
「心配するな。私が門の時間軸を曲げておいてやる。ここへ来た直後の時へ」
「そ、そんなことできるの?」
あたしが驚いていると、キリュウは心外だとばかりに口を曲げた。
「私を誰だと思っている?」
「コウテイヘイカ?」
すると、キリュウは得意げに笑った。
「そうだ。私にできぬことはない」
うわぁ、すごい自信だ。助かるけどね。
「さすが。助かるなぁ」
感心してつぶやくと、キリュウは不意にくしゃりと顔を歪めた。
「他に心配事はないか?」
「え?」
「これでお前は心置きなく帰れるか?」
心置きなく――そんなわけないじゃない。
でも、これはイヤミじゃない。本気でキリュウはそう思ってる。
離れ離れになるあたしの幸せを願って送り出そうとしてくれてる。
それがわかるから、あたしは思わず殴ってやりたいような衝動を抱えながらキリュウの首にしがみ付いて声を上げた。
「なんで!? なんで行くなとか言わないの!!」
「言ったら残ってくれるのか? そんなつもりもないくせに、言わせるな」
キリュウはそう言ってあたしを抱き締めた。
行くなって、帰ったら許さないって言われたら、あたしはこんなにも苦しくなく帰れたのかな?
あたしの涙がキリュウの衣装を塗らしてしまうけど、そんなことはキリュウにはささいなことだったのかも知れない。お互いのぬくもりを覚えていようとする。
そうして、キリュウはあたしから体を離した。泣いてひどい顔をしているだろうあたしの涙を、指輪のたくさんはまった指で拭った。そうして、きれいに微笑む。
「元気でな」
「……キリュウも」
あたしは首にかけていた鍵を外してキリュウに返す。キリュウはあたしの手に自分の手を重ねてそれを受け取った。
そうして、指先までもが名残を惜しむようにあたしたちは別れた。あたしはキリュウに背を向け、青い光を見据える。
あの光が、地球への道。あたしの故郷。
一歩、また一歩、進む。
一歩進んでは立ち止まり、十歩歩くのにひどい時間がかかった。
いっそひと思いに駆け抜ければいいのに。そうした方がお互いに楽なのに、あそこへ到達した時がキリュウとの永遠の別れかと思うと、あたしの脚はどうしようもなく震えてしまった。
本当は、ずっと一緒にいたい。
別れるのは心を引き裂かれるようにつらいから――。
あたしはこの短い距離を歩きながら、最後の選択をした。
それは、勝手なことだったのかも知れない。でも、心に嘘はつけなかった。
くるりと振り返ると、やっとここまで歩いて来た道のりを遡った。
キリュウに向けて駆け出す足は軽かった。驚いたような表情のキリュウに向け、あたしは飛び付く。
ギュッとキリュウの体に腕を回すと、あたしはしゃくり上げるのを必死で堪えながら言った。
「待ってて」
「え?」
「三年、待って」
それがあたしの最後の選択だった。
「三年経ったら、あたしは二十歳になるの。そしたら、あたしの世界では『大人』になる。だから、後三年、子供のうちは家族と過ごさせて。でも、三年経ったら、迎えに来て。残りの人生はキリュウと過ごすから――」
いくつになったってお父さんやお母さんにしてみればあたしは子供。ろくな恩返しもできない駄目な娘でごめんね。
でも、たくさんの重責を背負って必死で立っているキリュウを支えたい気持ちがあたしの中に強くある。この気持ちを消せないあたしは、向こうにいてもきっと抜け殻になってしまう。心はここに置き去りにしてしまう。
三年を、大事に過ごすから。
何十年もの濃さで、一緒にいるから。
たくさん話して、理解してもらえるように努力するよ。黙って行ったりしないから。
キリュウはあたしを固く抱き締めると、想いのこもった声でささやいた。
「必ず。それまでには、私もお前のためにできることを探しておこう。鍵さえあればお前が望む時にここへ戻れる。だから、この鍵は持って行け」
「うん……」
鍵が、再びあたしの首にかかる。
そうして、あたしたちは約束を交わした。再会の約束を。
キリュウが最後にひと際大きな音を立てて魔術を放った。溢れる煌く光が異界の門を照らす。
あたしはついに、その門を潜った。
その時、光の中でユラさんの声が聞こえた気がした。
「だって、『運命』だもの。そう簡単に抗えるものではないわ」
ああ、ほんとだ。どんなに足掻いても、あたしはここへ行き着く運命だったのかな――。




