[70]運命の人
柔らかな春の空気が漂う花園。光の蝶が舞うその場所を囲む木々。
極楽浄土のような夢のような光景の中に、ゴシック調のドレスを着た美女が一本の木の枝に腰かけていた。高い木の枝だ。どうやってあんなところにスカートで登ったのかもわからない。
ううん、そんなことよりも――彼女がほっそりとした完璧な指先をそっと伸ばすと、その先にあの光の蝶が止まった。あ、危なくない? 彼女はその蝶と会話するように微笑んでいる。
なんてきれいな人だろう。
ハトリおねえちゃんやセオさん、ユズキさん、皇太后さん、美人はたくさんいたけど、なんだろう、この人は別格だった。きれいというよりも何か神聖で、触れたら消えてしまうんじゃないかと思うほどに儚い。
ゆるくウェーブのかかった髪はエメラルドグリーンの南国の海みたい。影を落とす長い睫毛も瞳も、宝石みたいにキラキラと輝いてる。
あたしは呆然とその光景を見ていた。あたし以外のみんなもそうだった。でも、ノギおにいちゃんは切なげに、すごく感情に締め付けられたような声を絞り出した。
「ユラ!!」
ユラ。
それが、彼女の名前?
あたしがそっとキリュウを見上げると、キリュウはいつになく緊張している風だった。
ユラさんはノギおにいちゃんの声に振り向き、柔らかく微笑んだ。
「ノギ」
そうして、ふわりとその枝から降りた。
「あ!」
危ないと叫ぼうとしたのはあたしだけだった。ユラさんの落下は異常なゆるやかさだった。飛んでいるって言った方がいいのかも知れない。ふわりと花園に降り立った。
そんな彼女に駆け寄ったノギおにいちゃんは、言葉を交わすわけでもなく、力強く彼女を抱き締めた。泣いてるんじゃないかって思うほどにノギおにいちゃんの背中が震えて、ユラさんの手はその背中を慈しむように撫でた。
って、え? 浮気現場? こんな堂々と!
あたしがハトリおねえちゃんを心配して顔を向けると、ハトリおねえちゃんは何故か涙まで浮かべて感極まった様子だった。
「ユラは特別なの」
そんなことを言う。どう特別なのかは知らないけど。
このユラさん、キリュウにとっても特別な人なんだよね?
彼女に向けるキリュウの瞳はどこか複雑だった。
ユラさんはノギおにいちゃんとの抱擁を切り上げると、それでも離れがたい様子で腕を組んでこちらに歩いて来た。……すんごい親密なんですけど。ユズキさんのこともあるし、ノギおにいちゃんってモテるんだね。うわぁ、ハトリおねえちゃんも大変だなぁ。
あたしがそんなことを悶々と考えていると、キリュウはようやくユラさんに声をかけた。
「ユラ、久し振りだね。元気そうで何よりだ」
面白みのない言葉。初恋の人にもっと気の利いたこと言えないの?
ちょっと緊張してるキリュウがおかしかった。
あ、ユラさんって皇太后さんと雰囲気似てるかも。……あれ、あたし、二人と全然タイプ違うことない? って、深く考えるのよそう。
ユラさんはきれいに微笑む。
「キリュウこそ、背が伸びて立派になったわね。たくさん苦労もあったでしょう?」
キリュウは苦笑いでごまかして答えなかった。すると、ユラさんの視線は隣のあたしに止まった。その途端に、その宝石のような瞳が更に輝きを増した。そして、両手を合わせて嬉しそうに言う。
「あなたがキリュウの運命の人ね!」
「えっ?」
あたしがきょとんとしていると、代わりにノギおにいちゃんが訊ねてくれた。
「ユラ、どういう意味だ?」
「確かにキリュウ様とフゥちゃんは想い合っているけど……」
ハトリおねえちゃんもそんなことを言った。
すると、ユラさんはフフ、と可憐に笑った。そうしてまた手を伸ばし、その指先に光の蝶を止まらせる。
「あなた、フゥちゃんっていうのね?」
「は、はい」
「フゥちゃん、この蝶に見覚えはない?」
もちろんある。あたしがこの世界に来るきっかけになった蝶なんだから。
「あります。この蝶が光って、その光に飲み込まれて、あたしは気付いたらここにいたんですから」
あたしが言うと、ユラさんはやっぱりね、と嬉しそうに言った。
そうして、語り出す。
「この蝶――この世界では妃蝶と呼ばれる蝶なんだけれど、私の一族とは密接な関係があるの」
そういえば、ユラさんはこの世界の住人じゃないみたい。異界の門を潜ってここにいるんだった。
「私たちの世界では、四年に一度のお祭で、この妃蝶に願いを託して飛ばす風習があるのよ。とは言っても、この世界に住む妃蝶にそこまでの力はないけれどね。それができるのは私たちの世界の原種だけ」
願いを託して?
「そうなのか? それは初耳だな」
ノギおにいちゃんも意外そうに言った。ユラさんは優しく笑う。
「私の一番の願いはノギの幸せ。でもね、ノギはもうすでに幸せだって知っているもの。ハトリちゃんがいてくれるから」
ノギおにいちゃんとハトリおねえちゃんはどこか照れくさそうだった。でも、この二人は確かに幸せだよね。
「だからね、私は今回、キリュウを運命の人に出会わせてほしいって願ったのよ」
キリュウは驚きから口が開いていた。
「ユ、ユラ?」
ユラさんはクスクスと笑っている。
「だって、いっぱいお世話になったもの。ちょっとでも恩返しができたらなと思って」
でも、とユラさんはあたしに目を向ける。
「フゥちゃん、あの蝶はどうなったの?」
「……あたしが見付けた時にはすごく弱ってて、最後の力を振り絞ってあたしをここへ連れて来たのかも知れません」
あたしがそう告げると、ユラさんは悲しげに目を伏せた。
「随分遠くまで行ってくれたのね。あの蝶には悪いことしちゃったわ」
あたしがこの世界に呼ばれたのは、このユラさんの願い事。最後の最後で謎が解けた。
でも――。
この世界にいられないあたしがキリュウの運命の人じゃいけないんだよ。
黒幕(笑)
終わり間近です。
後少し、お付き合い頂けると幸いです。




