[7]藍色の石
「いつまで寝ているつもりだ?」
そんな声であたしは目を覚ました。
ハッとして飛び起きたけど、窓の外は薄暗い。まだ、真夜中だ。
「安眠妨害……」
あたしはその四文字をぶつけてやった。けれど、薄暗い中でもキラキラ輝いているキリュウには通用しなかった。
「私は皇帝だ。お前の都合に私が合わせてやると思うな」
ああ、そうでした。お偉いさんなので、自己中なんでした。
「女の子が寝てるところに忍び寄るのって、皇帝としてはどうかと思うけど」
あは、と笑顔で嫌味を言ってやると、キリュウはイラッとした顔をした。その鉄仮面を崩してやれて清々する。
「回復したようだし、さっさと話せ。私は多忙だ」
この上から目線が嫌だ。
けれど、このままここで押し問答をしていても仕方がない。あたしはベッドから抜け出してその縁に腰かける。
「それで、何から話したらいいわけ?」
キリュウはもう、あたしに敬語を強要することは諦めたらしい。それでは話が進まないと気付いたんだろう。
「……お前がこの世界に来るきっかけとなったものはなんだ?」
「きっかけは――」
きっと、あの光り輝く蝶だ。それ以外には考えられない。
「光る蝶がいたの。でも、弱ってて、落ちる寸前だった。だから、手を伸ばして受け止めたら、急にものすごい光を放って、あたしはその光に飲み込まれて――気付いたらあの森の奥の花畑だった」
キリュウは、思案顔で顎に指の節を添えた。そして、蝶か、と小さくつぶやいた。
顔だけならやっぱりきれいで、そうしていると絵になる。でも、偉そうだからやっぱり嫌だ。
「あの蝶には未だ謎が多いな。――それで、お前が来たのは『チキュウ』という場所からだったな?」
「そう。地球の日本。都道府県名まで言ってもわかってもらえないと思うけど」
やはり、その言葉を理解できないキリュウは眉を寄せた。そうして、ため息をつく。
「時に、お前は何ができる?」
「へ?」
唐突な質問に、あたしは思わず声を上げてしまった。けれど、キリュウの瞳は冷ややかだ。
「お前は何を生業として生きて来た?」
「な、何って、あたしまだ十七だもん。高校生だよ。学生だよ?」
そう言って通じるのかな、と不安になったけど、学生という言葉はこちらでも通用した。
「学生か。何を学んでいた?」
「え……国語とか数学とか、色々……」
そうして、キリュウは再びため息をついた。そうして、質問は繰り返す。
「結局のところ、お前には何ができるのだ?」
何って言われると困る。特技はなんですかとか訊かれても、そんなの自分ではわからない。
勉強は中の上、ってところ。スポーツもそう。
家の手伝いはそこそこにして来たけど、できないこともたくさんある。
あたしは普通の女の子なんだから。
押し黙っているあたしに、キリュウはゆるくかぶりを振った。
「お前の世界に戻るためには、再び異界の門を潜る必要がある」
あの森の奥のことだろう。あたしは真剣にその声に耳を傾ける。
キリュウの声は夜に溶け込むように流れた。
「けれど、あの異界の門の存在は、我が国の最重要機密である。あの地への鍵を欲するならば、それ相応の対価を支払わねば許可はできぬ」
「はぁ!?」
あたしの大声に、キリュウは顔をしかめた。
「あのさ、あたしは来たくて来たんじゃないの。なのに、なんなのそれ!」
「決まりごとだ。ずっと、そうして来たのだ。お前だけ特例というわけには行かぬ」
相応の対価って、何?
どうすればいいっていうの?
睨むように見上げるあたしに、キリュウは言った。
「一番わかりやすいもので言うならば金銭だな」
お、お金を要求された。
「あたしがお金持ってるように見える?」
「いや、まったく」
カチン。
キリュウはスッと紫色の瞳を細めると、抑揚のない声で言った。
「すぐに結論を出せとは言わぬ。身の振り方を決める時間をやろう。対価を支払うか、戻ることを諦めてこの国の民として生きるか」
諦める。
その一言にぞっとした。
もう、家族にも友達にも会えないなんて、死刑宣告されたみたいな気持ちになった。
キリュウはあたしに背を向けかけると、最後にひと言つぶやいた。
「ちなみに、異界の門の存在や、お前が異世界からやって来たとは他言せぬこと。一般人の中でノギとハトリは例外だが、それ以外の者にこの機密が漏洩した場合、それ相応の処罰を下す。そのことを忘れるな」
ただ、呆然と放心しているあたしを放置して、キリュウの姿は光となって部屋から消えた。
その途端に、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。
そのままベッドに倒れ込むと、顔を押し付けて声を外に漏らさないようにして泣いた。
わんわん泣き叫んでも、誰も助けてくれないから。
本当なら、あたしが泣いていればいつも誰かが慰めてくれた。家族や友達が、優しく声をかけて頭を撫でてくれた。
けれど、その優しい人たちは今、ここにはいない。いるのは、何にもできないあたしだけ。
みんなに会いたいのに、もう会えないかも知れない。
心が痛くて、不安で、あたしは泣くことしかできなかった。
あの冷たいキリュウの瞳が、あたしには堪らなく嫌だった。少しの情も見せてくれない、あの徹底した態度が。
きっと、泣こうが喚こうが、決まりは決まりだと平坦な声で言うんだろう。
帰りたい。
帰りたい。
そう思うことがどうしていけないんだろう。
あたしはふと、ポケットの中のハトリおねえちゃんがくれた石を握り締めていた。あたしには、すがれるものが何もない。
この石がお守りなら、家に帰してほしい。あたしはそう強く願った。
その途端に、藍色の石はポゥッと光り輝くと、サラサラとした砂のような光を振り撒き始めたのだ。