[69]結界を抜けて
あたしはキリュウの手を取って一緒に飛んだ。翼石を使うのもこれが最後。
そう思うと、酔ったり暴走したりしたことでさえ懐かしく思えた。
降り立ったのはノギおにいちゃんの家の手前。この柵を無断で越えると不法侵入とみなされてひどい目に遭うんだよね。
「フゥちゃん」
ハトリおねえちゃんがあたしに手招きする。ハトリおねえちゃんの部屋にセーラー服があるから取りに来いってことだよね。
「うん」
あたしもうなずいてハトリおねえちゃんと一緒に家に入った。キリュウとヤナギさん、ノギおにいちゃんが外で待ってる。あたしが中へ入る時、ノギおにいちゃんがキリュウに向かってぼそりと言った。
「これでいつかの借りは返したからな」
「未だに気にしていたなんて、案外義理堅いじゃないか」
「うるさい」
「まあいいだろう、助かったのは事実だ」
素直じゃない感謝の言葉。でも、あたしにはわかるよ。
あたしを助けてくれたノギおにいちゃんに、言葉の何百倍もの感謝をしてること。
そしてあたしはハトリおねえちゃんの部屋できれいに畳まれたセーラー服とご対面した。どくり、と胸が高鳴る。
ああ、こうしてこの世界と別れる時が迫ってるんだって。
それでもあたしはセーラー服に袖を通した。靴も仕替える。涙がにじむのは仕方がない。
夏服だから今の季節には丁度よかった。
ハトリおねえちゃんはそんなあたしを優しく見守ってくれていた。ついでに自分のワンピースに着替えたのは、セオさんのミニスカがよっぽど嫌だったんだろうね。
荷物はない。準備は終わり。
あたしとハトリおねえちゃんはキリュウたちが待つ外へ出た。
セーラー服姿のあたしをキリュウはどこか眩しそうな目をして眺めて、それからうなずいた。
ノギおにいちゃんの家の裏から、七宝の森へ向けてあたしたちは歩き出す。
翼石を使わないのは、それを使ってしまえば一瞬だからだ。最後の時を大切に、心に刻むようにして歩いた。最初に来た時はひどい吹雪の中だったからあんまりいい印象はなかったけど、今は自然の煌きが強く感じられる。
でも、その道中、キリュウは何も言わなかった。あたしの方も向かなかった。
きっと、なんて言っていいのかわからなかったんだと思う。
あたしもそう。
口を開けばきっと、言っちゃいけないことを口にしてしまうから。
黙々と歩くあたしたちの後ろに、ヤナギさんとノギおにいちゃん、ハトリおねえちゃんが続いてる。あたしたちが重たい空気を放っているせいか、みんな無言だった。
ある程度歩くと、抜けるのは簡単なくせにもう一度戻ることができなかった壁の前までやって来た。ドーム状のそれが皇帝のキリュウが張ったっていう結界。許可のない者が進入できないようにしてある隔たり。
でも、今のあたしには鍵がある。鍵を握り締めてためらいがちに触れると、その結界はあたしが触れたところから溶けるようにして大きく穴が開いた。
「溶けた!」
あたしが騒いでいると、キリュウが苦笑する。
「すぐに自然修復するから気にするな」
そういうものなの?
ノギおにいちゃんやハトリおねえちゃん、ヤナギさんは少しも驚いてない。まるでこの光景を見たのが初めてじゃないみたいに思えた。その結界が開いた場所からあたしたちは中へと踏み入る。そこは、初めてこの世界にやって来た時に見た光景だった。
春の園に舞い踊る光の蝶。すごくきれいな光景なんだけど、あたし、あの世かと勘違いしたんだった。
ただ、結界の内部へ入った途端、キリュウの顔付きが変わった。何故かハッとしたように大きく目を見開いたかと思うと、うわ言みたいにつぶやく。
「……まさか、この気配は――」
たったそれだけの言葉だったのに、ノギおにいちゃんはそこから何かを感じ取ったみたいだった。唐突にノギおにいちゃんは異界の門に向けて走り出した。ハトリおねえちゃんもその後を追って駆け出す。
「な、何? どうしたの?」
あたしが思わずキリュウを見上げると、キリュウはくしゃりと顔を歪めた。
「どうやら先客がいるようだ」
「先客?」
そこでようやくあたしは思い出した。
あたしがこの世界に迷い込んだ時、ノギおにいちゃんは異界の門から出て来たあたしと『誰か』を勘違いした。会いたい誰かと――。
そう、キリュウもその人を待ってた。
それは、キリュウが見送ったっていう、キリュウにとって特別な人じゃなかったかな?
もしかすると、その人が?
あたしたちも急いで二人の後に続いた。




