[6]お城らしきところ
目の前がチカチカした。例えるなら、高層ビル級に高いジェットコースターに乗せられたような、そんな感じだ。まだ頭がグラグラする。気持ち悪い。
一体、何が起こったんだろう。
急に手を離され、あたしが崩れ落ちた先は牢屋じゃなくてフカフカの絨毯の上だった。なんとなく、藍色の幾何学模様が見える。ここは、ノギおにいちゃんたちの家じゃない。それだけはわかった。
あたしはキリュウによってどこかに連れ去られた。
皇帝だって言うのなら、ここはお城なのかも知れない。絨毯がフカフカだし。
魔術が使える国なら、瞬間移動ってやつかな? そういうの、使えたら便利だなって思ってたけど、こんな極度の乗り物酔い状態になるなら何も便利じゃない。
「ん? どうした?」
不思議そうな声がする。どうしたかなんて、あたしが訊きたい。
「気持ち悪い……」
正直にそう言うと、しばらく沈黙が続いた。なんとか言え。
すると、いつの間にやら第三者がそこにいた。顔を上げる気力もなく、その足もとだけを見つめた。
多分、男の人。背が高そうだ。
「キリュウ様、単独で出歩かれるのはお止め下さい」
声の感じが渋い。ナイスミドルな気がする。
キリュウは、偉そうに答える。
「そう言うな、ヤナギ。七宝の森の結界に何者かが触れた反応があった。それでひと足先に向かったのだ」
この足しか見えていない人はヤナギさんって言うらしい。どうやら彼はキリュウのお付の人みたい。
こんなのの相手なんて疲れる。あたしならお金もらっても絶対嫌だ。
あたしはものすごい勢いで顔も見えないヤナギさんに同情していた。苦労してるね、と。
「七宝の森――それならノギが真っ先に確認に行ったでしょう」
「ああ。だから、ノギの家に向かった」
「それで――」
そう尋ねかけたヤナギさんは、ようやく絨毯の上に這いつくばるあたしに気付いてくれた。
「キリュウ様、ところでこの娘は?」
キリュウは声を一段低くして不穏な響きで言う。
「ああ、七宝の森の奥、異界の門からやって来た娘だ。少々話を訊こうと思ってな」
「この娘が? ……そうでしたか。しかし、随分と具合が悪そうですが」
「さっきまでは威勢がよかったのだがな」
小馬鹿にしたようなその声にカチンと来たけれど、言い返すのも面倒だった。ヤナギさんは少し声を曇らせる。
「ノギのところから連れて飛んだのですか? でしたら、酔ってしまったのかも知れませんね」
「何故?」
何故も何もない。何言ってるんだか。
「何故――彼女は異世界からやって来たのでしょう? あの距離を飛ぶ感覚に不慣れであっても不思議はありません」
ヤナギさんって、知的だなぁ。大人だなぁ。
キリュウとは大違いだ。
「そんなものか?」
「ええ。おそらくは」
そうして、ヤナギさんは膝を折ってあたしに声をかけてくれた。
「大丈夫か? 少し休める場所を提供しよう。具合がよくなったら話をしてほしい」
あたしは声を出すのが嫌でうなずいた。その時にチラ見したヤナギさんは、お母さんの弟の叔父さんと同じくらいの年齢だったけど、それでも芸能人みたいに魅力的な人だった。黒髪と顎鬚がワイルドだ。
ヤナギさんは軽々とあたしを抱えると、いったん部屋を出てその向かいの部屋に連れて行ってくれた。こちらは鮮やかな青が基調の部屋で、おっきなベッドにあたしを降ろしてくれた。
「では、何かあったら呼んでくれ」
いい人だ。間違いなくいい人だ。
あたしは感動してしまった。
「ありがとう、ございます」
「いや」
と、ヤナギさんは渋く微笑んだ。カッコイイ。学校にこんなカッコイイ先生がいたらよかったなぁなんて思う。
「あの」
「うん?」
「ヤナギおじちゃんって呼んでもいいですか?」
あたしの叔父さんと同じくらいの年齢。だから、間違えてないはず。
けれど、ヤナギさんはもしかすると若干――傷付いたのかも知れない。
沈黙が妙に長い。
「……ノギのようなタイプに言われるならなんとも思わないのだが、そう純粋に言われると複雑だ」
うわぁ! しまった!
ハトリおねえちゃんの時と同じ要領だったはずなのに、言葉選びを間違えた!!
おにいちゃんって呼べばよかった!
けれど、ヤナギさんは大人だった。子供のあたし相手に怒ったりしない。
「まあ、好きに呼ぶといい」
「じゃあ、ヤナギさんで……」
ごめんなさい、とあたしは心の中で何度も謝るのだった。
そうしてあたしは一人になった。
ベッドに埋もれるようにして横になる。天井の模様は豪華すぎて目が回りそうだ。
そこでふと、あたしはキリュウに連れ去られる直前にハトリおねえちゃんが手渡してくれたものを思い出した。ここに着いてすぐ、とっさにルームウェアのポケットに隠したものをごそごそと取り出す。
それは、藍色をした平べったい石だった。夜空のような色のそれを、ぼんやりとした明かりの中で裏返してみる。けれど、これがなんなのかまるでわからない。
説明を聞く暇もなかった。あれは本当にとっさのことだったから。
ただ、あの優しかったハトリおねえちゃんがくれたものだ。きっと何かのお守りだろう。
あたしはそう考えて、この石を肌身離さず持ち続けることにした。