[56]教主
それから数日、あたしは皇太后さんのもとで過ごした。アズミさんも一緒に。
ここにはここのメイドさんがいて、アズミさんはでしゃばるようなことはしなかった。本当にあたしのそばにいて、あたしのわからないことを教えてくれるくらい。そういう場の空気を読むところがやっぱり有能なんだよね。
でも、今もどういう状況なのかわからないヤナギさんのことが心配で仕方がないんだとは思う。あたしだって気にならないわけじゃない。
それから、皇太后さんはすごく優しかった。
一緒に庭を散歩したり、お茶を飲んだり、お話したり。あたしも楽しかった。
フゥちゃんみたいな娘がほしかったって言ってくれたりで、ちょっと照れくさかったけど嬉しくもあった。
ここでの生活は、残念だけどそう長くはないんだと思う。後、何日くらいなのかはわからないけど。
皇太后さんと過ごすのは楽しいんだけど、時々すごく苦しくなる。だって、皇太后さんキリュウと似てるんだもん。皇太后さんが笑うごとに面影を見付けては胸が締め付けられる。
あたしはそのたびに首から下げた『鍵』を握り締めた。
決別したんだ。もう、戻らないんだって。
なのに、いつまでも未練がある。完全に消すことなんてできない。
どっちを選んでも後悔する。それはどうしようもないことで――。
でも、キリュウは今頃どうしているのかな?
教団相手に戦ってるのかな?
苦戦はしてないよね?
大丈夫だよね?
返事のない問いかけが、あたしの中をぐるぐると回る。
「フゥちゃん?」
皇太后さんの声にあたしは我に返った。
「はい!」
勢いよく返事をすると、皇太后さんは苦笑した。
「大丈夫?」
心配そうな顔もキリュウに似てる。あたしはそんなことを考えながらも精一杯笑った。
「はい、大丈夫ですよ?」
――なんて、ちょっと嘘くさかったかな?
☆ ★ ☆
そうして、事件は起こった。
のどかな毎日になるはずが、その侵入者はあまりにも簡単にやって来た。
だって、仕方がないよ。皇太后さんにとっても甥と姪にあたるんだから。
屋敷の周囲にはキリュウの結界がある。けど、その時あたしたちは町に降りていた。
皇太后さんなりに空元気のあたしを慰めようとして連れて来てくれたんだと思う。アズミさんと三人だった。町全体にも警備の数を増やして、安全なはずだった。
でも、海がきれいに一望できる岬に、彼らは現れた。
「ク、クレハさん? それから、ユズキさんも……」
見知った顔なのに、まるで知らない人みたいに感じられた。整った二人の顔が作り物みたいに感じられる。
「今までどこにいたの? みんな捜してたんだよ?」
あたしは頭の中で鳴り響く警鐘に怯えながらも、平気な振りをしてそれだけ言った。もしかすると何かの勘違いがあっただけなのかも知れないなんて、この期に及んでまだ希望を持ちたかった。
「お久し振りですわね、叔母様。ご機嫌はいかがですか?」
ユズキさんはあたしを無視してにっこりときれいにお辞儀する。でも、皇太后さんは厳しい面持ちだった。
「あなたたち――」
そんな皇太后さんの声を遮るように、二人の背後から一人の中年男性が現れた。
足もとまでの真っ白な長いローブに白い小さな帽子。一見すると聖職者みたいだ。
そう思った瞬間に、あたしはその人と例の教団とを結び付けた。
「まさか、教団の?」
あたしがそうつぶやくと、その人は細い目を更に冷たく細めた。
「おや、察しのよい娘さんだ」
聖職者みたいだけど、少しもあたたかみがない。あたしこの人嫌いだってすぐに思った。とっさに、アズミさんがあたしを背に庇ってくれる。アズミさんも嫌なものを感じたんだ。
その人は狐みたいに笑って言った。
「私はヘレシィ教団教主のサイキと申します。どうぞお見知りおき下さい」
皇太后さんは威厳に満ちた目で彼を睨み付けて毅然と言い放つ。
「皇帝を蔑ろにする不逞の輩に払う敬意などありません。クレハ、ユズキ、あなたたちも加担すればどうなるか承知の上で行動を共にしているのですか?」
クレハさんとユズキさんは顔を見合わせた。そうして、ユズキさんは微笑んだ。
「私たちはただ、願っただけですのよ」
「何を――」
その時、パァンと小さな破裂音がして、クレハさんの周囲がキラキラと輝いた。何かの魔術を使ったんだって、あたしにもわかる。その途端に皇太后さんの顔が歪んだ。
「これでこの場は、クレハ殿よりも魔力の劣る魔術師の術が無効化されました。クレハ殿の許可があれば別ですが。ほら、翼石でさえ使用はできぬでしょう?」
クレハさんより劣る? クレハさんより上って、そんなのキリュウだけじゃない!
クレハさんが協力していたら、警備なんて意味がなかったんだ。結界でさえ危なかったのかも。
「皇太后様、あなたは皇帝へのよい土産になります。ご同行願えますか?」
教主がそんなことを言った。母親を盾にキリュウに退位を迫るつもりなんだろうか。
「もちろんお断り致しますけれど、聞きわけがよいようには見えませんね」
皇太后さんは鋭く言い放つ。そんな中、教主はあたしの方に目を向けた。アズミさんの背中がぎくりと強張る。
「ああ、あなたのことは存じておりますよ」
薄気味悪い笑顔を、アズミさんの後ろのあたしに向ける。怯えるあたしをいたぶるように教主は言った。
「皇帝のお気に入りのあなたを使えば更に効果的なのですが、そこは諦めました」
「え?」
クスクスと、耳障りな声がする。その時、クレハさんが前に出た。表情らしきものは特に浮かべず、無言でこちらに近付いて来る。
「だってね、クレハ殿に協力して頂く条件なんですよ」
何、言ってるの?
あたしは脚がガタガタと震えるのを感じた。どうしよう、怖いよ。
なんでこんな……。
それでも、教主は楽しげに言った。
「あなたはクレハ殿への貢物です。よかったですねえ、こんなにも素晴らしい方に見初められて」
あたしは物じゃない。そんな簡単に扱わないでよ。
あたしはクレハさんが好きなわけじゃないんだから。
「フゥ、おいで」
行くわけないでしょ!!
あたしはアズミさんと一緒に後ろに下がった。皇太后さんは様子を窺っているけど、魔術は使えないんだから打つ手はない。
どうしたらいいんだろ――。




