[5]皇帝陛下
「やっぱり来たか。一人なんて珍しいことで」
ノギおにいちゃんはチッと舌打ちした。あれは絶対、聞こえるようにやってる。仲が悪いのか、一方的に嫌っているだけなのか。
けれど、目の前のキラキラした人はそれくらいじゃ動じなかった。
「結界に反応があった」
声も透き通るようで、聴いた瞬間にぞくりと鳥肌が立った。なんだろう、この人、心臓に悪い。
不躾すぎるくらいあたしのことを直視してる。ただ、あの目はまるで不審者を見る目だ。
あたしはハトリおねえちゃんにすがるようにしがみ付いた。
「今回来たのはこいつ。残念ながらな」
残念! 残念って言った!
あたしだって来たくて来たんじゃないのに、ノギおにいちゃんは失礼だ!
けれど、失礼なのはこの人も同じだった。物憂げにため息をつく。
「そのようだな」
ムカ。
腹は立つけれど、なんとか堪えた。
そんなあたしから視線を外さず、キラキラした人は流れるような動きであたしの前にやって来る。ビクッと体を強張らせるけれど、その人は表情ひとつ変えなかった。
「お前の名は?」
「な、鳴海楓花です」
やっぱり、反応はこの二人と同じだった。聞き慣れない名前に少し眉間に皺を寄せている。
「フゥちゃんって呼んでますけど」
と、ハトリおねえちゃんが助け舟を出してくれた。だから、あたしも思い切って言った。
「あ、はい、フゥって呼んで下さい」
そうして、キラキラした人は偉そうにうなずく。
「そうか。では、フウカ」
……この人、絶対性格悪いよ。
「それで、お前はどこから来た?」
「地球の日本」
ふてくされて、あたしは投げやりに答えた。
それを聞くなり、キラキラした人は軽く目を見開く。少し、驚いたのかも知れない。
あたしはふと、そこであることに気付いた。
「ねえ、あたしは名乗ったのに、あなたは名乗ってくれないの? ちょっと失礼だよ」
当たり前のことを当たり前に言っただけ。
なのに、その人はすごく冷たい目をした。あれこそ、虫けらを見る目付きというやつだ。
ハトリおねえちゃんもすっかり困っている。
顔はきれいだけど、この人、礼儀もなってないし、絶対ものすごく性格が悪い。
顔のいい男なんてろくなやつじゃないってお父さんが言ってた。
顔のいい男なんて止めておけってお兄ちゃんも言ってた。
本当にそうなのかも知れないって、この時初めて思った。
恋とまではいかないけど、憧れてた先輩も顔がよかったな。あんまり喋ったことがなくても、きっと優しくて誠実だって信じてた。本当のところはどうだったんだろう?
――いや、先輩はこんなのと違う! 一緒にしちゃ失礼だ!
なんてことをあたしがぐるぐる考えていると、その人はようやく名乗った。
「私はキリュウ。このライシン帝国の皇帝だ」
皇帝。
そう言われてみると、王子様っぽい。でも、王子様じゃなくて皇帝。王様――らしい。
なるほど。
ファンタジーには付きものだ。あたしは納得した。
「そうですか、わかりました。キリュウさんですね?」
そう言うと、皇帝キリュウは目に見えてカチン、とした顔になった。何故かノギおにいちゃんが爆笑する。
「え? な、何!?」
あたしが驚いて目でハトリおねえちゃんに助けを求めると、おねえちゃんは困惑していた。
「あのね、フゥちゃん、皇帝陛下なの。偉い人なの」
「うん、王様でしょ?」
「だからね、簡単に名前を呼んだり、ましてや『さん』なんて気安い敬称で軽々しく呼んじゃ駄目よ。一般的には『皇帝陛下』が正解」
「そうなの?」
あたし、王様になんて会ったの初めてだもん。知らないもん。同い年くらいだし。
けれど、そう言う割にはこの二人は全然かしこまってない。ノギおにいちゃんなんて呼び捨てだし。舌打ちしてたし。
「でも、二人ともそんな呼び方してないよね? なんで? 親しいから?」
「親しい?」
ピク、とキリュウの耳が動いた。それでも、あたしは言った。
「友達なの?」
その途端、ノギおにいちゃんとキリュウとの間になんとも言えないブラックな空気が流れた。あまりの恐ろしさに、あたしは息もつけずにハトリおねえちゃんのそばで震えた。
キリュウはでっかいため息をつく。わざとらしいな。
「馬鹿なやり取りは時間の無駄だ。私は忙しい――もう行くぞ」
早く帰れ。心底そう思った。
大体、呼んでないし。
なのに、無情にもキリュウはあたしの首根っこを宝石の指輪が煌く手でつかんだ。
「ふぇ!?」
首が締まる。けれど、キリュウはそんなことを気にしてくれている様子もなかった。冷え冷えとした口調で事務的に告げる。
「お前は我が国に不法に侵入した。よって、身柄を拘束する」
「ええ!!」
来たくて来たんじゃないって何回言わせる!
けれど、キリュウは有無を言わせぬ強い調子だった。
「当然のことだ。異界の門の存在を漏洩させるわけにもいかぬ」
「当然って、こんなか弱い女の子に酷すぎる!!」
敬語なんて頭からは抜け落ちていた。
あたし、牢屋とかに入れられちゃうのかな? そう考えてぞっとした。
ノギおにいちゃんは頬杖をつきながら面倒くさそうにつぶやく。
「メシが終わってからにしろよ」
そう、サラダ食べてない! 栄養が偏っちゃう!
「――って、そういう問題じゃないし!」
思わず叫んだあたしの頼みの綱はハトリおねえちゃんだけだった。
「助けてハトリおねえちゃん!」
涙をにじませるあたしに、ハトリおねえちゃんは切ない瞳を向けて手を握った。そうして、キリュウに懇願する。
「キリュウ様、フゥちゃんのことはあたしが面倒を見ますから、もう少しだけ待って下さいませんか? ここへ着たばかりで、まだ不安がいっぱいなんです。落ち着くまではどうか――」
美人のハトリおねえちゃんが頼めば――と思ったけれど、キリュウはその懇願を鼻で笑った。びっくりするくらい冷淡に。
「どうして私が君の頼みを聞かなければならないのだ?」
うわぁ。やっぱり性格悪い!!
ハトリおねえちゃんもこの言動には何も返せず絶句してしまった。
「私の時間の浪費は国の損失だ。妨げることはならぬ」
女性には優しくしましょう。もう、言いたいことはそれだけだ。
あたしの体が、キリュウから流れて来た光に飲まれる。その最後の瞬間に、ハトリおねえちゃんはあたしの手に何か硬いものを握らせた。それを確認するゆとりもなく、あたしの意識は曖昧に歪んだ。
最後に思ったことといえば、絶対に『様』なんて付けてあげないという決意だけだ。