[4]食事中の闖入者
明るいリビングはきれいに整っていた。フローリングには埃ひとつない。無駄なものは置かない主義なのか、さっぱりとしていて行き届いた空間だ。その中を、おいしそうな匂いが漂って来る。
木のテーブルには真っ白なクロスがかけられていて、その上に湯気を発する皿が二席に置かれていた。近付いて見ると、それはクリームシチューのようだった。寒い日のシチューほど嬉しいものはない。それから、木製のボウルにサラダが盛り付けられている。その盛り付けは繊細で、ラディッシュやトマトには飾り切りが施されていた。
ハトリおねえちゃんはあたしに付き添っていてくれたから、そうなるとこれを作ったのはノギさんということになる。この、ルックスはいいのに仏頂面のノギさんが。
「座ってろ」
失礼なことを思ったあたしの心を知らず、ノギさんは愛想はないけれど席に着くように促してくれた。
「フゥちゃん、ここに座って」
と、ハトリおねえちゃんが椅子を引いてくれた。
「ありがと」
おずおずとそこへ座って待つ。
そうしていると、ノギさんがシチューとサラダの受け皿、スプーンと何かのお茶をトレイに乗せて運んで来てくれた。それらをあたしの前に並べると、自分はハトリおねえちゃんの向かいの席に腰を下ろす。
「はい、いただきます」
にこやかに言うハトリおねえちゃんにあたしも続いた。
「いただきます!」
見た目はおいしそうだし、知らない世界だけど食べ物は普通っぽい。そのことに心底ほっとした。そうして、あむりとシチューをひと口頬張る。ジャガイモが口の中でほろりと崩れた。
――おいしい。
どれくらい気を失ってたのかわからないし、お腹が空いていたのは事実だけど、そう感じたのは空腹のせいだけじゃない。
驚いて、思わずスプーンが止まってしまった。この味は想像以上だったから。
市販のルーとか使った味じゃなくて、一から丁寧に作り上げられたシチューだ。すごく滑らかで、ひと口でそれがわかる。心を込めて作った料理だ。
あたしの動きが止まってしまったから、二人は不思議そうにあたしを見た。それからは二人の視線も気にならないくらい、あたしは夢中でシチューをかっ込んでいた。皿がすっかり空っぽになる頃には、あたしはすっかり餌付けされていたりする。
「ノギおにいちゃん!」
そう呼ばれた途端に顔をしかめたけれど、それくらいではあたしの尊敬は変わらない。
「おいしかった! すっごくおいしかった!!」
「そうか」
素っ気なく言うけど、もしかするとちょっと照れているのかな、とも思えた。そんな様子に、ハトリおねえちゃんがクスクスと笑う。
「よかったね、ノギ」
無言で視線だけを交わす二人は、とてもいい雰囲気に思われた。美男美女だしお似合いだな、と今更ながらに思う。
ハトリおねえちゃんもシチューを食べながら、ぽちぽちと話し始めてくれた。
「ええと、まず、この国の特徴はね、魔術が発展してるってことかな」
「魔術? 魔法ってこと?」
あたしが首をかしげると、ハトリおねえちゃんも首をかしげた。
「そうね。魔術を使える人間を魔術師といって、あたしもそうなの。フゥちゃんの体が冷え切ってて危なかったから、魔術を使ってあたためたのよ」
そういえば、施術がどうとか言ってた。本当に、ハトリおねえちゃんは命の恩人みたいだ。
「うん、ありがとう」
魔術。魔法の世界。
嘘みたいな話。
でも、地球じゃないっていうなら魔法がないって決め付けられない。あっても不思議じゃない。そういうこと。
ようするに、ここはファンタジーな世界なんだ。魔法ありってことは、ドラゴンとか怪物もいるんじゃないだろうか。だとしたら、どうやって戦えばいいんだろう? あたしも魔法を習うのかな。それで、魔王を倒しに行けとか言われるのかな?
脳みそがファンタジーに染まった時、ノギおにいちゃんの冷ややかな声がした。
「魔術ってのは、魔術師が単独で放てるわけじゃない。『触媒』っていうアイテムが必要になるんだ。その触媒があって初めて魔術が放てる」
その触媒とやらには、色々な種類があるらしい。あたしはその後延々と説明を受けた。
触媒に宿る『ルクス』と呼ばれる魔力によって、放てる魔術が決まるらしい。植物とか、石とか鱗とか、そのルクスさえ含まれていれば触媒という総称で呼ばれるんだって。
つまり、とノギおにいちゃんは言葉を切ると改めて言った。
「お前を助けるために貴重な触媒をひとつ消費したことになる」
「えぇ!」
「そのうち返せよ」
「ヒッ」
ひどい。不可抗力なのに。人命救助なのに。
ふぇぇ、とあたしはハトリおねえちゃんに泣き付く。ハトリおねえちゃんはあたしの頭をよしよしと撫でてくれた。
「ごめんね。ノギはちょっと機嫌が悪いだけなの。気にしないでね」
機嫌が悪い。じゃあ、普段はもっとにこやかなのかな?
――ちょっと想像が付かないけど。
ノギおにいちゃんはムッとして言う。
「別に、そういうんじゃない」
すると、ハトリおねえちゃんは笑った。
「七宝の森の方に光が見えた時、慌てて出て行ったくせに」
あの森は、七宝の森という場所らしい。この家は、多分そのそばだ。
無言で仏頂面を決め込むノギおにいちゃんをよそに、ハトリおねえちゃんはあたしにささやいた。
「会いたい人がいるから、期待しちゃったの。フゥちゃんのせいじゃないから、気にしないでね」
あたしはこくりと頷いた。
あの森の奥から誰かが来る予定なのだろう。来たくもないあたしが来てしまって、その人は未だに来ない。皮肉なものだよね。
「ところで、キリュウのヤツ遅いな」
と、ノギおにいちゃんはつぶやく。
「それがノギおにいちゃんの会いたい人?」
あたしがそう尋ねると、ノギおにいちゃんは顔を最大限にしかめて心底嫌そうな顔をした。
「なんで俺がヤツに会いたがる?」
「え? えぇ!?」
睨まれて困惑するあたしの隣で、ハトリおねえちゃんがため息をついた。
「フゥちゃんにそんなこと言ってわかるわけないじゃない。大体、来るかどうか知らないわよ」
「来るに決まってんだろ。あいつが見逃すわけない」
あたしは二人の会話におずおずと割って入る。
「あ、あの、キリュウさんって誰?」
二人はピタリと動きを止め、それからハトリおねえちゃんが言い難そうに口を開いた。
「ええと、キリュウ様はね――」
ただ、その言葉の先が続かなかった。突然、部屋の中の空気が変わった気がした。
風が凪いだような、不思議な感覚。あたしが感じたそれを、二人も感じていたみたいだ。表情が険しい。
そうして、室内にその変化が現れた。真っ先に気付いたのはノギおにいちゃんで、あたしはその視線の先を辿った。
そこには、キラキラとした光の粉が舞っているように見えた。眩い光が、いつの間にか人型になる。
そうして、その光が色濃く凝縮されたかと思うと、最後には弾けるようにして消えた。
けれど、その光は完全に消えたわけじゃなかった。突然現れた人物は、自ら発光して光をまとっているように思われた。
それもそのはずで、その人はたくさんの宝石で装飾している。特に、額の飾りに付いている青い宝石はひと際目をひいた。
ただ、その宝石がなくともその存在は色あせないような、そんな気がする。
銀色に煌く髪。白い肌に文句の付けようがないほどに整った顔立ち。伏せたまぶたを縁取る長い睫毛が影を落とす。透明感と力強さが同時に感じられる、そんな人だ。
あたしと同じくらいの歳でも、まるで違う人種だ。それだけは確か。
男の子みたいだけれど、性別なんかどうでもいいという気になる。とにかくきれいだ。
そっと開かれた紫色の瞳が、まっすぐにあたしを見据えていた。その強い光を受けながら、あたしは思った。
ここ、美形しか存在できないのかな、と。
料理や食材名はフゥ視点です。本来、そんな名前ではないのかも。